park
町田紀美子
かねてよりの道具好きが高じて東京都調布市深大寺に生活道具とカフェの店「park」を始める。作り手のスピリットや背景に心動かされ、実感を持ってお勧めできるもののみ店内に並ぶ。道具なら使い勝手、身につけるものなら肌触りや着心地、潔いシンプルさと遊び心が共存するメンズライクなものが好み。音楽、映画、アート、読書、山登りが好物。好きな居場所は自宅、陽だまりのpark、平日朝イチの映画館。冬が始まる前の早朝登山路は、空気もまるごと天国だと思っている。
この原稿を書いている今日は4月10日。この記事の締切日です。なぜこんなにギリギリなのかというと理由がありまして。
4月1日に母が事故に遭い、救急車で運ばれるというできごとがありました。父と外出していた母が、混雑していた駅で勢いよく人にぶつかられてしまい、転倒してしまったのだそうです。その場でどうにも動けなくなった母は救急車で運ばれ、入院となってしまいました。診察の結果は、大腿骨骨折。骨をボルトで繋ぐという手術を受けることとなりました。家族が緊急手術という不測の事態は人生で初めてのことで、大丈夫と分かっていても祈る思いで病院の待合室にいました。
ふとしたときに、ポッと浮かぶ言葉の数々があります。映画のセリフだったり、読みかけの小説に出てくる一節だったり。これまで出合ってきた数多くの作品の言葉たちが、ある瞬間の心のバランスを取るのに役立ってくれることがあります。
「ケンチャナ、ケンチャナ」
これは、「Japanese Breakfast」のミシェル・ザウナーというアーティストによるノンフィクションエッセイ本『Hマートで泣きながら』で、印象に残っているシーンでの言葉。状況は何ひとつ違えど、あのときのミシェルの気持ちが私に寄り添ってくれるようでした。本の帯には以下のあらすじが。
4月1日に母が事故に遭い、救急車で運ばれるというできごとがありました。父と外出していた母が、混雑していた駅で勢いよく人にぶつかられてしまい、転倒してしまったのだそうです。その場でどうにも動けなくなった母は救急車で運ばれ、入院となってしまいました。診察の結果は、大腿骨骨折。骨をボルトで繋ぐという手術を受けることとなりました。家族が緊急手術という不測の事態は人生で初めてのことで、大丈夫と分かっていても祈る思いで病院の待合室にいました。
ふとしたときに、ポッと浮かぶ言葉の数々があります。映画のセリフだったり、読みかけの小説に出てくる一節だったり。これまで出合ってきた数多くの作品の言葉たちが、ある瞬間の心のバランスを取るのに役立ってくれることがあります。
「ケンチャナ、ケンチャナ」
これは、「Japanese Breakfast」のミシェル・ザウナーというアーティストによるノンフィクションエッセイ本『Hマートで泣きながら』で、印象に残っているシーンでの言葉。状況は何ひとつ違えど、あのときのミシェルの気持ちが私に寄り添ってくれるようでした。本の帯には以下のあらすじが。
「Hマート」は、アジアの食材を専門に扱うアメリカのスーパーマーケット。人々が「故郷のかけら」や「自分のかけら」を探しにくるところ。韓国人の母とアメリカ人の父のあいだに生まれたミシェルは、アイデンティティに揺れる十代のときに音楽活動にのめりこみ、猛反対する母親とは険悪な関係に。それから十年、やっとわだかまりがとけかかったころ、母親の病気が発覚。辛い闘病生活の末に母は亡くなってしまう。喪失感から立ち直れず、途方にくれていた彼女を癒してくれたのは、セラピーでも旅行でもなく――韓国料理だった。
出典:『Hマートで泣きながら』書籍ページより
ミシェルの母に対する思い、母のミシェルへの思い。父との関係、叔母や親戚とのこと、恋人のこと、音楽のこと。あらゆる場面に表現されるミシェルの心の機微がとても繊細。後回しにしてはいけない感情があること、目の前にいる家族や自分にとって大切な人を思うだけでなく「大切にする」ことを、図らずも教えてくれているよう。そしてなにより……音、色、香りも漂ってきそうな食べ物の描写は秀逸です。
昨年のフジロックで聞いたJapanese Breakfastのメロディやミシェルの歌声。とにかく良くてずっと印象に残っていたけど、あの曲たちが母親との間に生まれたものだったことは、この本を読んでから知ったのでした。
昨年のフジロックで聞いたJapanese Breakfastのメロディやミシェルの歌声。とにかく良くてずっと印象に残っていたけど、あの曲たちが母親との間に生まれたものだったことは、この本を読んでから知ったのでした。
「park」には町田さんの心を動かした物語のあるアイテムがたくさん。
今回のお買い物日記に共感した方、ぜひストアもチェックしてみてくださいね!
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