学生の頃ならば苦手な科目を克服することは必要で、そのために多くの時間を使うこともできたと思います。ですが、歳を重ねてからの「苦手」となるとどうでしょうか。
苦手の克服は、大変。
苦手の克服には本当に多くの時間がかかりますよね。さらに、歳を重ねるほどに人間関係や仕事の内容など、「苦手を克服できた」という明確な答えが出せないものが増えるように思います。
そして、多くのやるべきことがありすぎて、自分の苦手にばかり時間を割くことができない、というのも正直なところですよね。
- 寒さに負けない体を目指す!ゆらぎがちな冬のご自愛ケアキナリノ編集部
歳を重ねたからこそ言える「私これ苦手なの。」
若い頃というのは、意地や恥ずかしさのせいで「これが苦手」とはなかなか言えないかもしれませんね。自分としても苦手とは認めたく無い、という気持ちがあるのかもしれません。
でも、歳を重ねるとどうでしょう。どう頑張っても苦手であることはこれまでの経験から分かっているし、頑張ったところで人並み程度…。
それならば、「私これ苦手なの。」と周りに明言してみましょう。
苦手を克服した上で一つのことを成し遂げるのは素晴らしいことですが、どうしても時間がかかってしまいます。年齢を重ねたからこそ、苦手であることも含めてそれが「自分」だと客観視できるのではないでしょうか。
そして、苦手を克服するために時間を割くよりも、もっと有効なのが「補い合う」ことです。
苦手なところは補い合える。
誰しも、苦手なことがあれば、反対に得意なことがあるでしょう。「これは苦手だけどこっちは得意。」そんな風に補い合えるのが大人ではないでしょうか。
仕事においても家事においても、互いに得意とする分野を分担することで、ともに気持ちよく働けると思いませんか?分担するだけでなく、豊富な知識をレクチャーしてもらったり、コツを教えてもらうという方法もあるでしょう。
苦手がプラスに働くことも。
一方で、苦手であることがかえってプラスに働く可能性はないか、考えてみましょう。たとえば営業職なのに人と話すのが苦手だとしましょう。
営業たるもの滑らかに話し、あっという間に人の心をギュッと掴むのが理想的、なんて…思い込んでいませんか?
とうとうと淀みなく、こちらに質問の隙を与えないほど話しのできる営業が良いのかというと…一概にそうとも言えませんよね。人の話に耳を傾け、聞かれたことに対して的確に答える人に信頼を寄せるという方も多いものです。
仕事だけでなく、家事や育児においても苦手意識があるからこそプラスに働いていることがあるかもしれません。時間はかかっても丁寧であることや、何の思い込みもなく向き合えることもプラスといえるかもしれませんよね。
苦手は苦手なままでも、いいんじゃない?
苦手にはなんとなくマイナスイメージがありますが、誰にでも不得手なものってありますよね。自分が苦手意識を持っているものに対して「これ苦手なの」と明言し、苦手は苦手のままでもいいのではないでしょうか。
あるいは、"知らない"から苦手意識を抱いているだけかもしれません。
レクチャーを受けることでどんどん興味がわき、掘り下げて学んでいくことでいつしか得意分野になる可能性もあるでしょう。
大きな山を無理して越えようとするよりも、得意なことを伸ばす方が笑顔でいられると思いませんか?全体をバランスよく均(なら)すより、自分の得意なところを突出させて、気持ちよく毎日を送れたら、それも素敵なことですね。
歳を重ねてからの「苦手」というと、どんなものを思い浮かべますか?苦手な人、苦手な業務、苦手な季節なんていうのもあるかもしれませんね。