気づけば外食と家庭料理との境目が曖昧になってはいませんか?周りに気を使わなくて済むことから、家庭料理のほうが好きという方もいるかもしれませんね。
料理好きな人が自分のために作るならそれでもいいでしょう。でも、限られた時間とお金の中でお店レベルの家庭料理を期待されているとしたらどうですか?それは本当に大変な重労働にほかなりません。
家庭における「あるもの」メニューとは
例えばある晩のこと、奥さんが旦那さんに「何が食べたい?」と聞くと「あるものでいいよ」と答えたとします。奥さんはあるものでいいと言われたので買い物に行かず、豆腐と納豆があったので豆腐の味噌汁と、納豆ご飯を食卓に並べました。
旦那さんは、「あるものでいいよ」と言ったけれども、こんな食卓は予想していなかったはずです。でも、食事を作る多くの女性にとって、「あるもの」とはこんなものではないでしょうか。
いつも料理をしている人ならば、常にメニューを考えて買い物をしているから「ある」のであって、自然とそこに存在するものではないのは当然のことですよね。
期待されすぎている家庭料理
「あるものでいいよ」とは料理をしたことがないこらこそ言える極論のようなものです。一方、極論とは行かないまでも、日本食の基本のように言われる一汁三菜だって、いざ作ろうとするとかなりの手間がかかります。
メインのおかずに副菜を2種類、毎日のようにこれだけ用意するのは買い物も含めてかなりの時間を取られることは間違いありません。
そして、家庭料理において「ひと手間」をかければ美味しくなると信じられているようなところもあります。でも、ひと手間は労力であって美味しさとは関係ありませんよね。
家庭料理についてもう一度考えよう
そうしてみると、家庭料理とは一体どんなものなのでしょうか。食事を作る女性の多くは、時間もお金も限られた中でやりくりしていることがほとんどです。
家庭料理とはこうあるべきという固定観念に縛られて、それに合わない料理を「ごめんねこれしか作れなくて」と申し訳なさそうに出すよりも、「これが今日の料理!」と、とびきりの笑顔で言われた方が嬉しくありませんか?
忙しい時間を割いて何品も料理を作るより、丁寧に一品作って共に食卓につき、食事そのものにゆっくりと時間をかけるほうが幸せなのではないでしょうか。
家庭料理はもっと簡単でもいいよね
家庭料理とは、家族と共に食べることに意義があります。何品目食べたかを細かく気にするよりも、家族と笑いあって食べたかが大切です。
ちょっと今日の味付けは薄いねとか、濃すぎるね、なんていう会話も大人同士なら感想で終わってしまうかもしれませんが子どもがいれば食育につながります。本来家庭料理とはその家庭の味。決まりなどない自由なもののはずですよね。
おわりに
家庭料理とはハレとケのケの部分にあたるもの。それほど手をかけなくてもいいのではないでしょうか。出来上がった料理の味や見た目に完璧を求めるのではなく、気を許せる相手とリラックスして食事を楽しんだかどうかの方が重要です。
それにはまず料理を作る人の手間を減らして時間を作り出すことが必要ですよね。家庭料理をもっと簡単にもっと自由に楽しんでみませんか?
家での食事は周りに気兼ねせずリラックスできる楽しい時間ですよね。たくさんの料理本がある上にレシピを簡単に検索できるおかげで、家庭料理といってもかなり美味しいものが作れるようになりました。