それって、本当にありのまま?「自分らしく」を改めて考える

それって、本当にありのまま?「自分らしく」を改めて考える

自分らしく生きるために。自分らしくあるためのアイテム一覧。自分軸。自己肯定の方法。結局、ありのままの自分を認めるって、どういうことでしょうか?もう少し踏み込んで一緒に考えてみましょう。 2021年06月07日作成

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「自分らしく」を押し付けられていませんか

インターネットの普及や、自由な働き方の推奨。SNSや動画アプリで、誰でも簡単に自己表現が可能になりました。アイディアや発信の方法によっては、個人で楽しんでいた趣味がビジネスチャンスに繋がることも。コロナウイルスの打撃も加わり、改めて生き方を問い直された私たちは、迷うことが増えてしまいました。
そんな中、こんなメッセージがよく目に入るようになりました。「個性を打ち出して、のびのびとあなたらしく生きること」プラス方向のアドバイスに見えますが、「そのために必要なアイテム一覧」と広告に繋がっていたり、「自分らしく生きている人の特徴」が書かれていたり。それに従って得る《自分らしさ》を、本当に自分と呼ぶことができるのでしょうか。一度立ち止まって、考えてみませんか。

ポジティブすぎる「自分らしさ」へのイメージ

「自分らしく生きている人」と言われて、皆さんはどういった姿を思い浮かべますか?自分らしく、のびのびと自適な生活を送っている人でしょうか。シンプルなTシャツとデニムをラフに着こなしている、薄化粧な女性でしょうか。それとも、デコラティブな衣装を堂々と着こなしていますか?千差万別だとは思いますが、思い浮かべたイメージが、誰かによって植え付けられたシンボルのようなものであったりはしませんか。

小さかった頃を思い出せば…。

幼少期、幼稚園や保育園、小学校の同じクラスには、どんな子たちが集まっていましたか。あなたも含めて、大人になった今よりもみんな「自分らしく」振る舞っていたはずです。シャイな子、声が大きい子、泣き虫な子、わんぱくな子、おしゃまな子。そこには、「自分らしくあること」の固定観念に囚われない姿があったはずです。

自分らしさって、ポジティブなものだけ?

自分らしくある姿は、なぜかとてもポジティブに描かれます。のびのびとしていて、穏やかで、世界を明るく捉えることができる…。果たして、本当にそうなのでしょうか?そもそも怒りん坊な気質の子供や、泣き虫の子供、世界に対しての不安が大きい子供は存在していました。そして彼らの個性を良し悪しで判断し出したのは、他でもなく、大人たちであったことを思い出してください。

自分らしさは何のため?

自分らしくある人。これは時に、ある種の《他人から求められる理想像のひとつ》になることがあります。個性を打ち出して、その人自身の強みを社会に還元する。満たされていて、他人を嫌な気持ちにさせず、自分の機嫌を自分で取っている。その「自分らしい」姿は、はたして誰のためにあるのでしょう。「自分らしくあれば、こういう姿になる《はず》である。自分らしくありましょう」。そう言っているのは、あの頃の大人たちのような存在ではありませんか。

個性を打ち出すのは「義務」ではなく「権利」

自分らしくあろうとすることを否定したいという話ではないのです。個性を打ち出すことが推奨されていますが、その風潮が過度になることにより、「私も何か表現して、明るい場所にいきたい」という偽の欲求を抱かされている人が増えているように思うのです。自分らしくあろうと努力し表現するのは、義務ではなく、権利のひとつでしかありません。そしてそれを「やりたい」「向いている」と思うか否かも、人によります。

「自分らしさ」は目に見えなくても構わない

私たちがメディアなどで目にする《自分らしく生きている人》は、ある種の型があります。目立ちやすかったり、シンプルなのにお洒落だったり、表現方法が人と違っていたり。もちろん、キャラクター性のある人は重宝されますし、影響力があり、プラスのメッセージを他人に伝えることに長けています。しかし、それは他の人たちにとって《便利》である性質とも言えます。言いたいことを言ってくれる人として、です。

「自分らしさ」は人に評価されるためのもの?

人が他人を評価するのは、同意や共感・尊敬・憧憬など、その人にとっての何らかのプラスの感情を引き起こされた時です。小さかった頃の教室のクラスメートたちに話を戻しますが、あの頃は、みんなその「評価」のために自分らしさを持っていましたか。自分らしさは人に評価されるために表現するものではないように思います。無理に出そうとするものでもなければ、探すものでもありません。プロデュースするものでも、軸を持つようにと指摘されるようなものでもないはずなのです。

「自分らしさ」は人の役に立つためのもの?

自分の得意なことを生かして副業を開始したり、写真や動画でハウツーを紹介して収入を得たり。もちろん、本職で自分の強みを生かして輝いている人もたくさん見かけます。その人たちは、もちろん賞賛に値します。社会に自分自身を還元できているのですから。
しかし、自分の強みを他者に役立たせる行為は「義務」ではないときちんと認識するべきです。どんな性質が社会の役に立ち、より多くの人に評価されるのかは時代や状況によります。それに自分自身の「らしさ」がそぐわないからと言って、「私も何か」と必死になる必要はありません。自分らしくある方法を探すことが、結局他人から評価をもらうため。そんな状況はとても悲しいと思います。

改めて見る「らしさ」への肯定

その前提の上で、世界というものがどのように成り立っているのかの話を最後にしたいと思います。ジグソーパズルには様々なピースがありますが、凸の部分がひとつも存在せず、それどころか四隅全てが凹んでいるピースもあると思います。しかし、そのピースがなくてはパズルは完成しません。そもそも、どんな性質であることが「良いこと」とされるのかも、勝手に人々が決めているだけなので、気にする必要もないのですが。

評価される資質の頼りなさ

2020年、「外に出ることが辛い」「人と関わるのが辛い、一人でいたい」という人々が、社会的に問題視されていた存在から、推奨されるべきものになりました。飲み会へのノリの悪ささえも、プラスに転じましたね(笑)。人からの評価や求められるものとは、これほどまでに脆いものなのだと実感させられたように思います。

「(そのままで)いいね」

今回のコロナ禍の事態はわかりやすい一例でしたが、本来は誰しもが他者から強制される価値観から解放されるべきです。今の時点ではマイナス方向とされる資質も含めて、全て「いいね」とした上で、それぞれが自分で考えた良識に向かって進むことが本来の多様性です。補い合いとしての、「そのままである自分/あなた自身が必要である」という姿勢を大切にしていきましょう。本当はお互いにお互いが必要です。評価や需要を一切求め合わなくても。

まずは自分が自分を認めることから

月並みな「ありのままの自分を認める」という表現も、これらを全て考えた上でやってみると、なかなかに考えることが変わってくると思います。たくさんの楽しみや娯楽、面白いものが溢れかえっている世の中で、私たちは自分そのものさえも、よくわからなくなってきています。本当にこれが自分の性格なのか、自分のやりたいことなのか、強みなのか、弱みなのか。それらが他人に求められて取っているポーズではないか。もう一度、他人の目を気にせずに、先入観を取り払って考えてみてください。

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