近しい人が喜んでいる時には、自分もそれに共感しなくてはいけない。反対に怒っている、悲しんでいる時には一緒に考えたり、その原因が自分にあるのではないかと思ってしまうことはありませんか?
他人の気持ちに共感し過ぎていませんか?
嬉しいことや喜ばしいことがあって、それが共に祝えるのであればとても素敵なことです。けれど、相手の怒りや哀しみを自分のことのように背負い込むのはどうでしようか…。
さらに不機嫌の原因が自分にあるのではないかと思い悩み、原因を探ろうと右往左往している、あるいは、相手の顔色を伺いながら行動しているとしたら…。
他人の感情によって自分の行動が制限され、気持ちをも左右されるのであれば、自分の意思とは関係なく「振り回されている」状態なのかもしれません。
他人の喜怒哀楽は他人のもの
いくら近しい人とはいえ、他人です。考えや感じ方が違って当たり前の他人の喜怒哀楽に、全て寄り添うことはできないし、自分に原因を探しても徒労に終わることが多いでしょう。
哀しんだり怒ったりしている人がそばにいたら、それはその人の都合によるものです。気がすむまで哀しみ尽くす、あるいは怒り尽くすことでしか解決しないこともあります。
哀しむのも怒るのも相手の都合であり自由なのです。親しき仲にも、相手の喜怒哀楽と自分とをしっかり切り離し、相手の都合による感情の動きに流されないようにしたいものですね。
- 寒さに負けない体を目指す!ゆらぎがちな冬のご自愛ケアキナリノ編集部
他人に影響されやすい人が、持っておくべきものとは?
けれど、優しすぎる人や他人の感情に敏感な人にとっては「しっかり切り離す」ことが難しいこともあるでしょう。でも、それを可能にするとてもシンプルな方法があるんです。
それは、「自分の人生の指針」を決めること
シンプルな方法とは、「自分の人生の指針を持つ」こと。“自分がどう生きたいのか、自分がどうありたいのか”という指針を持つことは、「自分軸を持って生きる」ということです。これさえあれば、他人の喜怒哀楽に振り回されずに済むはずです。
人生の指針を模索中という方は、まず自分の人生に対する課題を探し、それを解決するための指針を決めましょう。当面は、その課題に向かうことに精一杯で、他人の哀しみや怒りをむやみに背負うこともないくらい急がしくなるでしょう。
また、他人の気持ちに過度に共感しそうになった時は、自分の人生の指針に沿っていないことにすぐ気付くことができるので、振り回されることもなくなっていきます。
人生の指針なんて…今さら? ―いいえ、今だからこそ決められる
人生の指針自体、すでに仕事に追われていたり、家庭を持っていると、今さら必要?という思ってしまうかもしれません。けれど、色々な経験を積み重ねてきた今だからこそ、より厳選された指針を抱くことができるのです。
それは、人は「死を考える」と、生きる上で本当に大事なことだけがクリアに見えてくるからです。私たちはいつかは死ぬことを知っています。それは、若い時よりも年齢を重ねるごとに実感を伴ってくるのではないでしようか。
ある程度の年齢を重ねた今、「残りの人生をどんなふうに生きたいか、何に価値をおいて生きていきたいか」をしっかり決めて、それを「自分の軸」とすることはそれほど難しいことではないはず。最初は、憧れの人の考え方を真似してみる、など少しずつ意識を変えていくのも良いでしょう。
自分の人生を1歩1歩あゆんでいこう
もし近しい人が哀しんだり怒ったりしていたら、ただ話を聞いてあげることはできます。「そんなことがあったんだ、大変だったね」と受け止めてあげるだけでも、相手に思いは伝わるし、十分に素晴らしいことです。
けれど、一緒になって涙を流したり怒りを共有する必要はありません。ましてや、不機嫌の理由を自分の中に探し回るなんて、自分を卑下しているようでどこか間違っていますよね。
いくら近しい人であっても、相手の感情に振り回される必要はありません。自分の人生の指針に沿って、心穏やかにゆっくりでも前へ前へと進んでいってください。あなたの人生は、誰でもないあなた自身のものなのですから。
家族やパートナー、友達など近しい人の喜怒哀楽。そばにいれば今どんな気持ちでいるのか、なんとなく見当がつきますよね。