子どもの頃の恥ずかしさとは。
子どもの頃は、みんなの前に立ったり好きな子と話をするだけで、ドキドキと胸が高鳴り顔が赤くなるような「恥ずかしさ」を覚えたのではないでしょうか。
また、親や先生に「1人だけ泣いてたら恥ずかしいよ」とか「みんな静かにしてるのに1人だけ騒いでたら恥ずかしいよ」なんていう言い方をされた記憶はありますか?
そういう場合の「恥ずかしい」という言葉は、社会性を教えるために使われているので、自ずと「〜はいけないよ」というニュアンスが含まれますね。
子どもの場合は経験不足からくる恥ずかしさや、社会性を学ぶために恥ずかしいという言葉が使われるため、一過性である事が多いものです。独りになった時、「なんだか恥ずかしかったなあ」と思い返すことはあっても、それで終わりですよね。
- 寒さに負けない体を目指す!ゆらぎがちな冬のご自愛ケアキナリノ編集部
大人になってからの恥ずかしさとは。
大人になってからの「恥ずかしさ」は、大勢の前で話をするとか、好意を寄せている人と話をするなど、子どもの頃と変わらない部分もあります。
でも、仕事やプライベートにおいて思い通りにならない、大きく公言したのに結果として果たせないなど、理想と現実のギャップから生まれる「恥ずかしい」という感情のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。
自分が思い描く理想とともに、周りからのプレッシャーもあります。現実の自分と、求められる理想の自分との差が大きければ大きいほど、つかみ所のない「恥ずかしさ」に苦しめられるものですよね。
大人の「恥ずかしい」は力に変えよう
大人の「恥ずかしい」という気持ちは、やり過ごすだけでは前へ進めません。そこでやり過ごしてしまうと、理想と現実のギャップを抱えたままで、いつまでも変わらない自分のままだからです。
相手がある場合は相手に照準を合わせる
大勢の前でプレゼンをしたり誰かと会話をする際に恥ずかしさを感じる場合は、自分ではなく相手に照準を合わせるように気持ちを切り替えてみましょう。
「上手く話せなかったらどうしよう、足や手が震えていたら恥ずかしい」というのは全て「自分」に目が向けられていますよね。それよりも、「話を聞く相手の人にとって有益な情報であるかどうか、どう話したら大事なポイントがしっかり伝わるか」、相手に照準を合わせて考えてみてください。
そう考えると、自分の恥ずかしいという気持ちに構っている暇はありませんよね。いつのまにか、恥ずかしいという気持ちはどこかに消えているのではないでしょうか。
「恥ずかしい」は行動のためのパワー
多くのことを学び大人となってからは、「恥ずかしい」という言葉に「〜はいけないよ」という意味づけはもう必要ありませんね。
意味づけを外してしまうと「恥ずかしい」は、嬉しいや悲しいと同じ、感情のひとつです。
感情は行動するためのエネルギーです。ギャップが大きいならばそれを埋めるために行動に移すための力になります。
「恥ずかしいからやらない」のではなく、「恥ずかしいからこそやる」のです。「恥ずかしいからこそやる」というのは、大人だからこそできる捉え方ではないでしょうか。
おわりに
子どもの頃の恥ずかしい気持ちは、なんとなくやり過ごしてきたかもしれません。でも、大人になった今、「恥ずかしいからやらない」ではなく、「恥ずかしいからやる」という気持ちを持ってみませんか?
捉え方ひとつでは、もしかしたら可能性をつぶし、萎縮する可能性さえある「恥ずかしい」という気持ち。大人になった今だからこそ、「恥ずかしさ」をどんどんパワーに変えて理想の自分に近づきたいと思いませんか?
子どもでも大人でも、みんなが持っている「恥ずかしい」という気持ち。「恥ずかしい」事はすぐにでも忘れてしまいたくなりますよね。でも、ちょっとだけ目を向けてみましょう。