多くの人が集まることによって楽しみが増える一方で、不要なことに頭を悩ませる機会も何かと増えてしまうものです。
人間関係はどうして難しいんだろう
新しい人と出会った時、互いの関係をわざと悪くしたいと考えている人はきっといないと思います。それでもなぜか時間とともにギクシャクする、こんな経験はありませんか?
良い関係でありたいと誰もが思っていても現実的にはそうならない…不思議ですよね。でも多くの人が集まるということは、多くの価値観が集まるということでもあります。
「良い関係」一つとってみても、自分が思う良い関係と、他の人が考える良い関係は違うのです。全てにおいて価値観が違い、それがぶつかり合うことによって、人間関係の悩みにつながってしまうのではないでしょうか。
まず自分の思い込みを取り払う
いろんな人がいるように色々な価値観があります。例えば集合時間について、10分前には着きたい、5分前がベストだ、時間ジャストに着くのが良い、5分くらいは遅れても良い、遅れるのは仕方がない、など、人により良しとする基準が違いますよね。
自分の基準に照らせばおかしいことでも、相手にしてみればこちらがおかしいと思っているのかもしれません。いろんな人がいるんだということを肝に命じてみましょう。
相手は相手、自分は自分
本当にいろんな人がいます。「こんな人がいてどうしたら仲良くできるか困った」ではなく、「こんな人もいるんだ」で良いのです。仲良くなる必要はありません。うまくやっていくだけでいいのです。
そのためには挨拶や最低限の礼儀を忘れなければ大丈夫。「自分はみんなとうまく付き合えないな」等、自分に低評価を下して悩むことなんてありません。「私は私」と割り切りましょう。
どんな時でも大事にしたい疑うより信じる心
思い込みを無くしても、私は私だと割り切っても予想をはるかに超えて様々なことが起こるのが人間関係です。予測できないからこそどんな時でもブレないで持っていたいもの、それは「疑うより信じる心」です。
何か嫌なことがあったり裏切られた経験があるとついつい深読みしたり疑いたくなってしまうものです。でもその疑う気持ちは相手にも敏感に伝わってしまうものですね。
人を信じるとは、信じた自分を信頼するということ
この人本当に大丈夫かな、と疑いながら付き合っていくのはお互いに気持ちの良いものではありません。ともに仕事をしたり一つのコミュニティを作る相手ならば、まずは信じましょう。
信じることによって、さらりと放たれた言葉の意味が違って聞こえることがあるのではないでしょうか。それは言葉の表面だけでなく、裏に潜む気持ちまで汲み取ろうと努力するからです。
物事を良い方向に解釈し、円滑に進めていければ、相手を信じた自分をより信頼でき、さらにはやっぱり信じて良かったと自信や勇気が持てます。
自分が信頼できると期待しすぎることもなくなる
お互い様という意味の「持ちつ持たれつ」という言葉があります。人間関係においてあまりにもこの考えに依存すると、期待はずれだった時どうしても負の気持ちが生まれるものです。でも自分に自信があれば相手に期待しすぎることなく確固たる自分でいることができます。
まずは信じる。恋も同じこと
仕事や自分を取り巻くコミュニティに限らず、一対一の恋愛にも信じることは必要不可欠です。好きになったからには相手を信じ、恋に落ちた自分を信頼しましょう。
たとえ終わりを迎えたとしても一度は好きになった人。そして、そんな相手を好きになった自分がいます。いい恋だったと後からすっきりと思い返せるような付き合い方をしたいですね。
おわりに
なぜ信じるより先に疑ってしまうのか、これは自分が傷つかないための防御策なのかもしれません。でも、疑うことは相手にも猜疑心を抱かせ負のループに陥りやすい状況を作ってしまいます。
何らかの共通点があって集まったコミュニティの中で、あるいは恋愛においても、自分が向かい合うべくして出会った人たちのはずですよね。まずは信じましょう。そうすればきっと今までとは違う人間関係が始まるでしょう。そして気持ちよく毎日を過ごしたいですね。
職場やサークルのように目的は同じ人どうしが集まっていたとしても、ママ友のように子どもがいるという以外は年齢や考え方が違う人ならなおさら、幾人か集まるだけで複雑化する人間関係。