する側もされる側も、マニュアルがあることは承知の上ですよね。マニュアル通りであることに対して安心を覚えるのも正直なところです。でも、マニュアル通りであるが故に疑問を抱く場合もありませんか?
マニュアルであるとはわかっていても…
例えばカフェで、サンドイッチと飲み物、サラダを3人分ずつ注文したとしましょう。イートイン席はありますが、小さな店内は他のお客さまでいっぱい…一人で食べる量でもないことから持ち帰りだと予想できます。
でもそこで、「こちらでお召し上がりですか?」と聞くのがマニュアルです。
お互いにわかっていてもマニュアルがある限りそれに沿うのが決まりですよね。でも…「いくらマニュアルとは言え、分かるでしょ」と言いたくなるような、モヤっとした気持ちが残りませんか?
モヤモヤの原因はなんだろう
マニュアルがある場合、仕事である以上勝手に省くことができませんよね。そして、マニュアルがあるからスムーズに対応できることも事実です。では、マニュアル対応された時のモヤモヤの原因は、どこにあるのでしょうか。
それは、分かっていてもなお確認されることへの煩わしさではないでしょうか。さらに、全ての人に対して画一的な応対は、個として認識されていないことへの不満につながっているのかもしれません。
向き合うのは、マニュアルではなく目の前のその人
どんな仕事においても、マニュアルがないと多くの人が働く上で統制が取れずに困ってしまいます。だからマニュアルは必要なものです。かといって、それに忠実であれば100パーセント良いかというと…どうでしょうか。
画一的なマニュアルに足りないのは、目の前の「あなた」をよく見るという点です。目を見ずとも発せられる言葉は、まるでセリフのように聞こえることも…。
もちろん、よく知らない相手に対して「あなたに向けた」プラスαは難しいものですよね。
ですが、先ほどのカフェの例であれば、「今、ご注文されたサンドイッチは今日の一押しですよ」だとか、買う量を見て「気をつけてお持ち帰りください」など、マニュアルに則しながらもプラスαできる部分がきっとあるはずです。
どんなときでも嬉しい、目の前にいる人のための心遣い
仕事場において
例えば職場において、外から戻ってくる人もこれから出かける人も、互いに「寒くて大変だね、気を付けて」といったひと言があるかないかで職場の雰囲気は大きく違ってきますよね。
また、自分が困っている際「どうしたの?」というひと声は嬉しいものですね。
社会人として分からない事は自ら質問するのが当然ではあります。でも、どう質問するべきか頭の整理が難しいこともあると思いませんか?今、困っている自分に対して気遣いを受けることは、自分を見てくれているという安心感にもつながります。
家庭において
家庭においても、毎日のように繰り返されるやりとりがありますね。仕事から帰宅した後の食事やバスタイムなど。でも、嫌なことがあったり考え事をしている時は、次の行動に移る前に空白の時間が欲しい時もあります。
そんなとき、いつもすることは同じだからといって「お風呂早く入ってね」「ご飯できてるよ」と言われるのと、「今日もお疲れさま」と労われたり、自分の状態をみて「何かあった?」と聞かれるのでは気持ちが全然違ってきませんか?
子どもに対しても、学校から帰ってきてすぐに「手洗ったの?」「宿題あるならやってしまいなさい」という前に、どんな顔をして帰ってきたのか、よく見てみましょう。いつもの受け答えではなく、「どんな一日だった?」のひと言のほうが大切なときもありますよね。
おわりに
相手に向けたひと声や心遣いはたとえかけなくても滞りなく済むでしょう。深い関わりやめんどうを避けたい、やるべきことだけをこなしたい、という気持ちもあるかもしれません。
でも、ピンポイントで自分へ向けたひと言をかけられると、嬉しくない人はいませんよね。目の前の「あなた」のためのひと言を互いに掛け合うことで、物事がよりスムーズになることもあるのではないでしょうか。
毎日の生活の中で、無意識に、当たり前に過ぎていくコミュニケーション。マニュアルに沿ったり、ルーチン化している中で、相手によく目を向けているか、想いを添えているか、改めて考えてみませんか?
買い物や食事に訪れたお店で、馴染みのある“いつもの対応”に安心感を持ったことはありますか?多くのお店において、いつ、どこへ行っても変わらないサービス品質を提供してくれますね。