インタビュー
vol.107 LABORATORIO・井藤昌志さん
名もない名品に出合えるお店
写真:岸本絢
誰かに何げなく渡されたものが、思いがけない感動をもたらすことがあります。それはときに、モノ以上の価値を持って。今回ご紹介するのは、そんな出合いがあるお店「LABORATORIO(ラボラトリオ)」。オーナー夫妻がセレクトしたアイテムは、素朴だけれどそばに置いておきたくなるものばかり。2018年には、<食のクラフト>をテーマにした姉妹店「MARKT(マルクト)」がオープンし、キナリノモールでも同店アイテムの取り扱いが始まりました。ちょっとうれしい出合いを探しに、ぜひマルクトを訪れてみてください。
JR松本駅から、今町通りを北進すること8分。歴史ある町並みの中でいっそう目を惹く洋風建築の扉を開けると、ほの明るい空間に朝の光がはじけました。「LABORATORIO(ラボラトリオ)」は、2009年にオープンしたセレクトショップ。築87年の薬局を改装した店内には、オーナーの井藤昌志さんと妻の万紀子さんが選んだ、とっておきのアイテムが並びます。「松本に来たら必ずラボラトリオを訪れる」という人も多く、県外のクラフトファンからも愛されてきました。
1階の「the BOX SHOP」ではカスタムオーダーもできる。「オーバルボックス」は、おもに19世紀に活動したキリスト教の一派、シェーカー教徒が制作していた「シェーカーボックス」を忠実に再現したもの。「美は有用性に宿る」という考えのもと作られた家具や道具の機能美に、ふたたび注目が集まっている
群青色の壁に囲まれた1階の「the BOX SHOP」には、木工作家としても広く知られている井藤さんの代表作「オーバルボックス」が並びます。歴史を感じる木製の階段に心を躍らせながら2階に上がると、ショップ兼カフェの明るいスペースに。この日も観光中のカップルやブレイクタイムを楽しむ女性など、様々な人が集まっていました。
カフェは高い天井や漆喰を塗った壁に囲まれた、落ち着ける空間。屋号である「ラボラトリオ」は、かつてこのスペースが実験室だったことに由来。飴色に育った床など、随所に改装前の面影を残している
イングリッシュマフィンをはじめとした軽食、ハンドドリップコーヒー、紅茶、信州のハーブティなどが楽しめる。パンやスイーツはすべて店内のオーブンで焼き上げる自家製のもの。写真はクリスマスのスペシャルメニュー。滋味に富んだ食事に、思わず顔がほころぶ
ショップスペースにはアイテムがシンプル飾られていた。それぞれの棚の前でついつい長居してしまう
セレクトショップと聞くと、すこし敷居が高く、おしゃれなお店を思い浮かべるのではないでしょうか。手が届かない高価なものや、奇抜なデザインの服や雑貨に尻込みしてしまうことも少なくありません。ラボラトリオに並ぶ洗練されたアイテムにも、恐る恐る手を伸ばしてみると、ほとんどが手の届く価格帯であることに驚きます。そして、手に取ると、しっかりと自分の暮らしに馴染むイメージができるのです。
隣のビルには、洋服やファッション小物を集めた「faber LABORATORIO(ファベル・ラボラトリオ)」も。触れると肌にやさしく、身に着けたくなるものが並ぶ
生活に潤いを与える、素朴で愛おしいものたち。ラボラトリオはそんな名もなき逸品に出合える場所。それは井藤さんが、作家として、オーナーとして、いつも使う人の気持ちや暮らしを考えてきたから。今まで様々なものと出合い、育ててきた井藤さんの美学と、各店舗が生まれるまでのストーリーを伺いました。
オーナーの井藤昌志さん。取材時には、松本のおすすめのお店や食べ物をたくさん教えてくれた
岐阜、愛知、東京、長野と、今まで4県で生活した経験がある井藤さん。「松本はとにかく風通しのいい街」と笑顔をみせました。しかし、人も風土も、自分に一番しっくりくる居場所を見つけるまでは、ずいぶんとまわり道をしてきました。大学卒業後、就職し上京したものの、自分の進みたい道が見えないまま、流されるように企業に就職。仕事はそれなりに楽しかったけれど、長い通勤時間と都会での生活に心身をすり減らす日々でした。
「そのころ妻と付き合っていたので、今後を話し合う中で二人とも田舎に住みたいという思いがすごく強かったんです。でも仕事なんてないから、自分で何かするか公務員になるしかないなって考えて。東京にいるときに民藝や焼き物が好きになって、暇があればそういうお店によく通っていたから、陶芸を勉強してみるのもいいんじゃないかと思ったんです。当時好きだった作家さんのところに弟子入りできないかな?って、右も左もわからないからそれくらいしか思いつかなかった(笑)」
ラボラトリオから車で30分ほどのところにある、井藤さんのアトリエ
意気揚々と見学に行った窯元で待っていたのは、厳しい現実でした。歴史ある窯元で陶芸家として名を持てるのはほんの一握り。工場ではたくさんのスタッフが働いていましたが、ろくろを回せるのは代表である作家と、わずか一人の弟子だけ。その光景は、疲弊していた会社員時代と何ら変わらない、ピラミッド社会のように見えたのです。とはいえ、憧れていた陶芸家の元以外で弟子入りする気にもなれなかった井藤さんは、ふたたび別の道を模索することに。
ボックスの側面となるサクラの経木を、熱湯で柔らかくする下準備
柔らかくなった経木を釘で固定し、空気穴の開いた型にはめ一晩かけてしっかり乾燥させる
陶芸よりも身近に感じられたのは、家具。身近すぎて意識したこともなかったけれど、読んでいる雑誌や本も、木製家具に関連したものが多いことに気がつきました。その後は生まれ故郷である岐阜県に移り、職業訓練校で基本的な技術を学びます。縁あって、木工業が盛んな飛騨高山で名うての家具職人・永田康夫氏に師事。兄弟子いわく「今まで年季を勤めあげた人はいない」という厳しい修行を乗り越えました。
「今考えると普通だと思うんですけど、まだ世間知らずな若い人間にとっては厳しく思えたんですよね。求めるクオリティはすごく高いし、最初は毎日怒られるばかりで自信喪失して(笑)。だけど、永田さんの丁寧な仕事を近くで見るうちに、『本当にいいところに入れたな』って思えた」
マシンも使用するが、すべての工程の途中に人の手が加わり、細かい調整を繰り返す
表面の仕上げには亜麻仁油を使用することが多い。蓋を開けるときの木の香りや経年変化など、オーバルボックスには使い込む楽しみがある
修行後4年間は、別の仕事で資金を蓄え、晴れて独立。自分の方向性を探りながら、最初に作ったのは高校生のときに雑誌で知ったシェーカー家具。井藤さんが師事していた永田氏もシェーカー家具を手がけていたこともあり、身近なものになっていたのでしょう。しかし、家具で木工作家として身を立てるには、まだ無名の存在。「まずは買いやすい小物を」とオーバルボックスの作り方を調べていたところ、友人から展覧会用の裁縫箱を依頼されます。これが、井藤さんが作ったボックス第一号でした。
継ぎ目のあしらいは「スワロウテイル」と呼ばれる。単なるデザインではなく、強度や使い勝手を突き詰めていくことで必然的に生まれるもの
必要な機械をそろえて実際に作ってみたところ、案外と形にするのは簡単だったのだそう。しかし、細かいディテールを詰めていくのは試行錯誤の連続。本だけでは限界がありましたが、当時はインターネット黎明期。現在のように簡単に情報は手に入りません。井藤さんは、アメリカの木工作家兼オーバルボックス研究者であるジョン・ウィルソン氏に手紙を送り、辞書を頼りに文通を始めます。2007年にはウィルソン氏を訪ねて渡米するなどノウハウを蓄積し、自分の中のオーバルボックスを形にしていきました。しかし、井藤さんはこれを自分の「作品」とは考えていません。
「シェーカーたちが作っていたものに何も足さず、忠実に作っているだけなんです。オーバルボックスは飾り物ではなくもっと実用的なもの。そこに意思や個性を主張するのは間違いだと思って、サインも入れていません。ただ、長く使えるようにきちんと作りたいし、可能な限り最高の材質を使うことを大切にしています。サイズをとにかく豊富に揃えていることが、唯一の特徴かもしれません」
「手は労働に心は神に」を教えとし、俗世から離れ、自給自足の質素な共同生活をしていたシェーカー教徒。彼らの道具には、いたるところに機能美が凝縮されています。20世紀に入ってしばらく後、教団は衰退していきましたが、無駄を極限まで排除した美しい佇まいは、井藤さんを含めた職人のひたむきな手仕事に、今も息づいています。
友人作家の展示会がきっかけで、本腰を入れてオーバルボックスを制作するようになった井藤さん。以前から出展していた「クラフトフェアまつもと」に、初めてボックスを販売すると、なんと40点がその日に完売。購入した人が雑誌で取り上げてくれたことなどから、さらに人気に火がつきます。毎日夜中の12時まで作業し、当時は月に100点ものボックスをひとりで制作していたそう。そんな生活が3年ほど続いたころ、松本への移住を意識するようになります。
「クラフトフェアに出展するたびに反響が大きく、松本にはポジティブな印象があって、皆さんがおっしゃるように気候や町も魅力的。仕事面でも利点がありました。岐阜は湿気が多く、反対に松本は空気が乾燥しているので木工に適しているんです。さらに東京も近いので、展示での荷物の持ち運びや移動が楽。当時松本に住んでいた伊藤まさこさんの後押しもあり、決意しました。せっかくなら、自分で作ったものを販売しながら、妻がカフェを開けるような物件がいいと、ぼんやり考えていたんです」
玄関には、薬局だったころの写真が飾られている。当時でも飛びぬけてモダンな建物だったに違いない
まずは情報収集と、知人とともに地元の設計士を訪ねたところ「ちょうどいい物件がある」と紹介されたのが、現在の店舗でした。ひと目で気に入り、即決した井藤さん。想定よりもはるかに広く、「一体賃料はいくらになるのか」と一瞬よぎったものの、それを補って余りある夢の箱。20代から自分が心地いい場所を模索し、まるで導かれるように訪れた松本は、やっと辿りつけた理想郷でした。
2018年4月にオープンした「MARKT(マルクト)」。2階には姉妹店「MARKT+(マルクト・プルス)」があり、ファベルとはまた違う切り口で洋服や雑貨を扱っている
10年目を迎えようとする2018年4月には、ラボラトリオの新店舗として「MARKT(マルクト)」と「MARKT+(マルクト・プルス)」をオープンしました。場所は、松本の中心市街地にある「信毎メディアガーデン」。中に入ると、たっぷりと日が差し込む開放的な空間です。マルクトは、この商業施設の顔として、市民や観光にきた人々を迎えています。しかし、今までとは比べものにならない大規模な経営の話に、当初は出店のオファーを断っていたそう。踏み切ったのは、井藤さん夫妻の長年の思いがありました。
井藤さんが仕事でドイツを訪れた際、町の「デリカデッセン」にヒントをもらったことから、店名はドイツ語で“MARKT”と名付けた。日本ではデパ地下や惣菜を思い浮かべるが、ドイツでは「デリカデッセン=おいしいもの屋さん」という意味合いがある。生鮮食品以外の食料品やお酒を気軽に買えるような店づくりに共感したのだそう
「僕たちはずっと田舎暮らしをしてきたんですけど、本当に周囲に何もないんですよ。スーパーまで車で30分、しかも自分たちが求めているものは買えない。当時はネットなんてないから諦めて、食べ物も使うものも作ったりしていたんです。そんな経験があったから、自分たちが『こんなものが身近で買えたらいいのに』と感じていた理想のお店が松本にあったら……と思いついたのがマルクトの原点です。松本は小さな町だけど、近年は移住者も多いし、いろいろなお店がある。でも、僕たちが日常的に求めるものがすべて揃うわけではない。それを自分たちで作ってみようと思って。きっと同じような気持ちを抱えている人が来てくれるし、そうでなくても老若男女問わず誰が訪れても『これはいい!欲しい!』という発見がある店にしようと考えたんです」
見た目はシンプルながら、機能を知ると「こんなにいいものがあったの?」と驚くような便利な調理器具ばかり
店内には、信州名産はもちろん、食料品や調理器具など全国から集めた「掘り出しもの」がずらり。大きな物流にはのらない小規模な生産元がほとんどですが、安心・安全で丁寧に作られているものばかり。マルクトのテーマである「食のクラフト」には、こうした「手作り」のニュアンスを込めたかったのだそう。
「どんな人も同じだと思うんですけど、許されるならば美味しくて、できるだけ変なものが入っていないものを食べたいじゃないですか。食べることは生きることとつながっているから。でもそういう商品は、今の日本ではあちこち探してこないと見つからない。人から聞いたもの、いただいたもの、旅先で出合ったもの……10年前から意識的に集め始めていたものを、マルクトに大集合させました」
各メーカーの個性がにじむパッケージは、見ているだけでも楽しめる
おいしさはもちろんのこと、提供する価格にも妥協しません。マルクトに並べる商品のもうひとつの基準は「できるだけパッケージにお金がかかっていないもの」。
「僕みたいなグルメでもないふつうの人が、量産の美味しくないものより、ちょっとだけお金を出せば、安全で美味しいものが日常的に手に入る店にしたかった。でも、そういう商品って、付加価値をつけるためにデザイナーに依頼してパッケージにお金をかけて、もっと価格を高くしていることが多い。そうなると日常使いすることは無理ですよね。安心安全なものこそ、日常的に買いやすくなければならないのに、逆だと思うんです。だから僕たちは、かっこいいパッケージのものはあえて選びません。保護犬も、見た目がいいやつは貰い手が多いけど、不細工だったり十人並みでも、とことん中身がいいやつはいる。それこそが、僕たちが探し求めるものです」
クスッと笑えるパッケージのおやつや、使い勝手がよさそうな道具を眺めているうちに、「あの人にあげたら喜びそう」「自分で使うなら……」と想像が膨らみ、目移り。商品のその先をイメージできるのは、自分の手が届く適正な価格設定だからこそ。これは、と思うものをみつけては歓声をあげ、買い物を中に自然と笑みがこぼれてくるのです。マルクトは、日常でおざなりにしてしまいがちな「食べること」の楽しさを、もう一度思い出させてくれました。
価値あるものとの出合いは、自分の感性を育ててくれる
作り手としても、店主としても、大切にしているのは「生活の中で本当に必要とされる」等身大のもの。実際に井藤さん夫妻が愛用しているものも多く、どのショップでも「自分たちが心から欲しいもの」を届けるのがモットー。そんな井藤さんが今一番欲しいものは、ずばり「家」。
「お店ばかり作っていて、家を建てる経験をしたことがないんですよ(笑)。20代のときは在来工法の木造の家と決めていましたけど、今はもう少しがらんとした、小屋みたいなイメージ。家なのかどうかすらわからない、そんな感じでいいんです」
いつも自分の五感をフルにして物事に触れてきた井藤さんの美学は、嘘や飾りのないとてもシンプルなもの。しかし、世の中が便利になっただけ、「もの」との距離はずいぶんと遠くなったように思えます。たくさんのものが溢れる中で、他人からの目を恐れたり、自分を見失ってしまう私たち。必要なものを見抜く力は、どう養っていけばよいのでしょうか。
「自分にとっては、リアルなものを選ぶ、その積み重ねだと思っています。雑誌に掲載されている、有名人が使っている、そういうのは自分の外にある価値観。それに囚われることは、自分から蛸壺の中に入るのと同じで、いつまでもそこから抜け出せなくなってしまう。失敗してもいいから、自分の内から沸き立つ感情を信じてみることが大切なんです。本当に大切なものって、その時の自分の価値観を超えているから、一瞬ではわからないですよ。でも、あとから、何かにつけて思い出して、気になってしかたなくなる。そう思えるものとの出合いがあったら、迷ってはいけません。『何かひっかかる』って、頭で考える以上のものなんです。その感覚が、いい出合いをもたらしてくれる。そして、その出合いもいつか、次の運命的な出合いによってまた乗り越えられていく。その繰り返しだと思います」
ラボラトリオには、目を惹く装飾も、世界観を謳う大々的な文句もありません。放っておけば埋もれてしまいそうな愛すべきものが、ただ佇んでいるだけ。作り手が惚れ込んだ一品に触れ、選び、迎える。ものと人が血を通わせ、静かに対話できる場所なのです。
今日もここで、たくさんの出合いがあなたを待っています。
(取材・文/長谷川詩織)
今回ご紹介した「MARKT(マルクト)」が、キナリノモールにオープンしました!松本や全国のおいしいもの、永く愛せる道具たちが、今後も続々と登場します。詳しくはこちらのリンクからチェックしてみてくださいね。素敵な出合いを、ぜひマルクトで。
1階の「the BOX SHOP」ではカスタムオーダーもできる。「オーバルボックス」は、おもに19世紀に活動したキリスト教の一派、シェーカー教徒が制作していた「シェーカーボックス」を忠実に再現したもの。「美は有用性に宿る」という考えのもと作られた家具や道具の機能美に、ふたたび注目が集まっている