北国が生んだ「こぎん刺し」の歴史
これは、民藝運動の父と呼ばれる柳宗悦氏が、機関誌『工藝 14号』(昭和7年発行)に記した一節です。津軽地方の伝統工芸「こぎん刺し」は、ひし形の基礎模様「モドコ」を組み合わせて作る刺し子の一種。織物と見まごうほどに繊細な幾何学紋様に魅せられた柳氏は、言葉を尽くしてその手仕事を讃えています。日本各地の伝統工芸は、生活の中で生まれ、受け継がれてきたもの。「こぎん」もまた、津軽の風土と人々の暮らしが深く関係していました。
こぎんの誕生
比良野貞彦『奥民図彙(おうみんずい)』1788(天明8)年発行。津軽藩士であった著者が津軽の習俗を紹介している。左ページにはこぎん刺し着物を着た農婦が描かれている
同書には、3種類のこぎんのデザインも描かれている。図の横には「サシコギヌ 布を糸にて様々な模様に刺すなり、其見事なり、男女ともに着す。多くは紺地に白き糸を以って刺す」とある。江戸育ちの著者とって、津軽の農民の文化は好奇心をかきたてるものだった
「津軽こぎん刺し」の発展
(写真提供:弘前こぎん研究所)
1.カチャラズ(カチャ=裏。2を裏返すとできる模様で「かちゃ・あらず=裏ではなく模様だよ」という意味)、2.マメコ、3.ハナコ、4.イシダタミ、5.ムスビバナ、6.四枚菱、7.シマダ刺、8.フクベ(ひょうたん)、9.コマクラ刺(木枕)、10.ウロコ形(小)、11.フクベ、12.猫の足、13.猫のマナグ(眼)、14.テコナ(ちょうちょ)、15.ヤスコ刺、16.マメコの四つコゴリ、17.ウロコ形(大)、18.クルビカラ(くるみの殻)、19.ベコ刺、20.ウマのクツワ、21.サヤ形、22.マメコの連続、23、24.竹の節
(写真提供:弘前こぎん研究所)
「猫の足」を半分刺した状態のもの。根気が必要な作業で、ハガキ大でも一週間はかかるのだそう(編集部撮影)
地域の個性がわかる3種類のこぎん
[左]西こぎん。(弘前市西部、現・西目屋村など)緻密な麻布を使っているため模様も細かく手間がかかる。炭を入れた重い袋を担ぐため、肩を紺と白の縞で補強している。
[中央]東こぎん(弘前市東部、黒石市など)。太めの麻糸で織られた布が多く、大胆な柄が特徴。
[右]三縞こぎん(五所川原市周辺)。優れたデザイン性があり、あざやかな太い縞模様が特徴。冷害や凶作に見舞われることが多い地区で、現存する物が少ない。
(写真提供:弘前こぎん研究所)
娘たちのおしゃれ着に
津軽の平賀町(現・平川市)で撮影された、農村の娘たちの写真。それぞれ個性あるこぎんの着物をまとっている(写真提供:平川市郷土資料館)
(写真提供:平川市郷土資料館)
こぎん刺しの衰退と復活
大正末期ごろの青森駅(写真提供:青森県所蔵県史編さん資料)
再ブームに火を付けた民藝運動
かつての刺し手も高齢になり、こぎん刺しが廃れてから久しい昭和初期のこと。ふたたび、その手仕事が注目を浴びるときが訪れます。こぎん刺しの美しさに感銘を受けた柳宗悦氏は、前述の『工藝 14号』で特集を組み、「地方工芸の最たるもの」と絶賛。これをきっかけに、収集家や民俗学者の間で失われかけたこぎんの足跡を辿る活動がはじまります。戦後には、地元・弘前市で「こぎん振興会」が結成され、小学校では家庭科の授業でこぎん刺しを教えるなど、地域が誇る工芸品としてよみがえったのです。
復興を支えた「弘前こぎん研究所」
「弘前こぎん研究所」が入所する白亜の建物は、日本を代表する建築家・前川國男の処女作。2003年6月には国の登録有形文化財に登録された。翌2004年には、「DOCOMOMO100選」に選定された
半世紀以上にわたりその一翼を担ってきた「弘前こぎん研究所」には、今日も全国から観光客が訪れます。同社の前身である財団法人木村産業研究所は、『工藝』でこぎん刺しの特集が組まれた昭和7年に設立されました。当初は地域産業発展のため羊毛を使ったホームスパンを手掛けていましたが、昭和37年に現社名に改名。柳宗悦氏の後押しもあり、それまで職員が続けてきたこぎん刺しの研究に専念することに。
昭和7年に施工された建物は、ほぼ当時のままだという。時の流れを感じさせないモダンな雰囲気
研究所は見学可能(要予約)
衣類が貴重だった時代、一着の着物を大切に着ていた。写真は「二重刺し」と呼ばれるもの。生地が弱くなってくると、模様の隙間をさらに糸で刺し埋めて補強した
こちらは「染めこぎん」と呼ばれるもの。着ているうちに白糸が汚れてくると、藍で染め直した。また、白く鮮やかな紋様は若さの象徴であり、年配者が着用していたことから「アバ(老人)こぎん」とも呼ばれる
こぎんを次の世代へ。三代目所長の挑戦
弘前こぎん研究所三代目所長・成田貞治さん
「父は、県の工業試験場で窯業を研究する職員でした。その後は福島県で働いていましたが、以前から親交があった横島さんに『引退する時にはこぎんを頼む!』と、頼まれていたそうです。約束を果たす形で定年退職後にUターンして、ここに入所したんですね。そのうち父も高齢になり、『跡取りとして一緒にやってみないか』と私に声がかかったのですが、まったくやる気がなかった(笑)。当時、私は東京で電気工事の仕事をしていて、仲間と新しい会社を立ち上げようとしていたところで。高度経済成長期の影が見えてきたころでしたからね、一念発起してがんばろうと思っていたんです。同僚に相談したら『親の顔を立てると思って2、3年行ってこい』って(笑)。本当に短期間のつもりだったんですよ」
2階のアトリエでは裁断や仕上げ作業がおこなわれている。こぎんを刺すのは内職のお針子さんがメインで、現在130人ほどの登録がある。農家の女性も多く、繁忙期により稼働に変動があるため月に20人ほどでローテーションを組む。初回は2日間の講習を開き、製品のクオリティが統一されるよう努めている
1969年に入所した三浦佐知子さん。2003年青森県伝統工芸士に認定されたこぎんのプロ。多数の講習などで講師を務めている
入口付近のショーケースには、こぎんのベストを着た若かりし成田さんの写真が
「間もなく父が入院して、途中からは自分の仕事として切り替えました。真面目に、本業としてね(笑)。今、こぎんは伝統工芸っていわれていますけど、昔から伝えられてきたものを、私はただ『預かっている』だけ。だから私の代で潰さないように頑張って、あとに繋げるのが使命だと思っています」
こぎん刺しの着物帯。布目を張りを保ちながら刺していくため、熟練の技が必要
帯に使用するのみ、昭和17年から使われている織機でつくられている
研究所で使用する麻布は、年に一度、外部の工場へ発注。当時のこぎん刺しを忠実に再現するため、布目が縦長になるよう特注している
布目が切れていると模様が作れないため、光にかざして入念にチェック
初代所長の横島直道さん、陶芸家の高橋智一さんらは、方眼紙に記録しながら模様を分析した。現在も新しい図案がつくられている
裁断作業。簡単そうに見えて、直線に切るのは至難のワザ。「私にはできない(笑)」と成田さん
布に折り目をつけて、中心から刺しはじめる。すこしでも狂うと、模様が構成できなくなる
手のひらサイズのポーチ。柄や色の組み合わせによって雰囲気が変わるため、選ぶのが楽しい
人気のショッピングバッグ。総刺しや模様の追加など、ほとんどの製品がセミオーダー可
ワンポイントが可愛いミニ栞
「伝統工芸っていうものは、商売として成り立たないと結局どこかで消えてしまう。今やっていることはこぎんの文化を維持するために必要なんです。あとは技術を向上させていけば、絶えることはない。みんなで熱を持ってやれば、おのずと続いていくはず」
研究所の歴史を終始にこやかに話してくれた成田さんですが、他社の借金を肩代わりして連鎖倒産の危機に陥ったこともあったのだそう。会社の略歴を確認しながら「いつごろのことですか?」とたずねると、さらりと笑って答えます。
「それは書いてないんだよなあ(笑)。代表になってすぐだから、今から20年以上前。15年かけて返済したけど、後始末を見ずして親父は先に逝っちゃった。当時は大変だったしみんなに心苦しく思ったけど、いろんな仕組みを覚えたし、そのことがあって今があると思っています」
他社と共同制作することも。こちらは催事で意気投合したメーカーと制作したスリッパ
研究所の入口には県や市からの表彰状が所狭しと並べられている
「これからは、こぎんで壁面を飾ったり、内装やインテリアの仕事をもっと増やしていきたい。そういうのは『遺るもの』でしょう」
成田さんは前を向いて、新たな夢を話してくれました。
繋がれていく手仕事の魂
こぎん歴をたずねると「まだ新人です(笑)」と、茶目っ気たっぷりに答えてくれたスタッフさん
四代目所長として研究所を継ぐべく日々奮闘しているのは、成田さんの娘・千葉弘美さん。こぎん刺しは小さい頃から身近な存在で、アトリエにもよく遊びに来ていたのだそう。歴代初の女性所長は、新しいこぎんの世界を開いていきます。
専務取締役・千葉弘美さん。内職のお針子さんに送る指示書と材料を確認中。それぞれ得意分野があるため、アイテムの特性を見極めながら発注する
長い冬の夜、女性たちはそのひと針ひと針に救いを求めました。それぞれは小さな模様でも、手を止めないでいればやがて大きなものになる。少ない灯りの下で、時間を忘れて刺す手元のこぎんだけは、たしかに輝いてみえたのです。
苦しい日々の中にも、ささやかなよろこびを見つける。きっと誰もが、その力を持っている――名もない津軽の女性が生んだ手仕事は、今も私たちに静かに語りかけてくれます。
(取材・文/長谷川詩織)
田中忠三郎『みちのくの古布の世界』河出書房新社, 2009.
富山弘基「伝統染織新紀行7」『月刊染織α』No.235,染織と生活社,2000.
柳宗悦「こぎんの性質」『工藝』14号,聚楽社,1932.
■資料協力
弘前市役所
青森県環境生活部 県民生活文化課
平川市郷土資料館
弘前城と岩木山。桜の季節にはたくさんの観光客が訪れる(写真提供:弘前市)