その全てにおいて、自分の気持ちに正直に選択できていますか?できていればどんな選択であっても、自分が納得して気持ち良くいられますよね。
でも、自分の気持ちとは違ったら…
例えば食事について考えてみましょう。
自分は魚が食べたいのにパートナーはお肉が食べたいと言った、としましょう。ここで仕方なくお肉料理にすると、どんな気持ちになるでしょうか。
「魚が良かったのにお肉だった、パートナーの意見を優先した、今日の夕飯はなんだか美味しくないな、だって私の希望とは違うし」というように、「なんとなくおもしろくない」という思いが心に残ってしまいます。
仕事や家庭といった、人生を左右するものに比べて夕飯のおかずはとても小さな小さな選択ですが、それですら自分の気持ちと違うものを選択すると「私が決めたんじゃないもん…」「なんかおもしろくない」という思いがどこかに生まれるものです。
ならば、仕事や家庭に関する事ならどうでしょうか。食事のように一回ずつ仕切り直すことができずに、いつまでも「私が決めたんじゃない」という思いがどこかに居座り続けてしまいますよね。
自分が主体なら楽しめる
不思議なもので、自分が「肉が食べたい」と思っていた時の肉料理というのは美味しく感じます。他人の希望だけを取り入れて自分の気持ちを無視すると、せっかくの料理を楽しもうとする気持ちが初めから失せてしまいますよね。
仕事においても同じことが言えるでしょう。上司に「これやっといて」と言われてやる仕事より、自分で「これはやってみよう、やるべきだ」と思って取り組む方が格段に楽しく熱も入るはずです。
また、ダイエットや体力づくりのためにと始めたスポーツがあったとします。誰かにやれと言われたものなら気持ちものらず成果も上がりにくいでしょう。でも、自分がやりたいと思って始めたのなら、日頃の食生活まで見直したくなるかもしれません。
どんな選択も自分主体をモットーに
こうしてみると、主体的に「〜したい」と思ったことであれば楽しめるしパワーも出ます。一方で、誰かに言われたもの、やらされてる感のあるものは面白みを感じず不平が募りますよね。
さらに、自分主体でないと残念な結果が出たとき「だって私が選んだんじゃない」という言い訳をしたくなるのではないでしょうか。これが、一度の夕飯ならばなんとも思わないかもしれません。でも、自分の人生だったら、どうでしょうか。
自分の覚悟を決めよう
人生の選択の中には、「私が決めたんじゃない、こうせざるを得なかった」と思うことは少なくありません。特に年齢が上がれば上がるほど、自由に選ぶことは難しいものです。
だからといって、「私が選んだんじゃない」という気持ちでいると…自分の人生がつまらないものになると思いませんか?意に反した選択の中にも、きっと良いところがあるはずです。その良いところを見つけ出しましょう。
そして、その良いところがあるが故に「私が決めた」と思えれば嬉しいことです。結果としては同じ道を歩きます。でも、「私が決めたんじゃない」と思うのと、「私が決めた」と思うのでは大違い。だから、どんな選択であっても自分主体で選ぶんだという「覚悟」を決めましょう。
おわりに
生きていく中での選択はもしかするとおもしろいものばかりではないかもしれません。選ぶ余地もなく、そうせざるを得ないこともあるでしょう。でも、「それも選択の一つ」と考えてみませんか?
選択した方の良いところを探し、「自分で選んだ」と思えれば、選んだ結果も自分の人生も大切にすることにつながるはずです。毎日を楽しみながら過ごすために、選択の「覚悟」を意識してみませんか?
私たちは生きていく中で本当に多くの選択をします。どんな仕事をするか、家庭や子どもを持つかもたないかといった大きなものから、今日のご飯は何にするかといった小さなものまで、毎日が選択の連続です。