後悔はするもの、ではないだろうか。
人は、Aを選んだら「もしBを選んでいたとしたら…」またはその逆の想像を必ずと言っていいほどしてしまうものではないでしょうか。そして、想像の中の選ばなかったもう一方というのは、輝かしく見えてしまうものです。
このAとB、買い物のような小さなものから、人生を決める大きなものまでレベルは違えど選ばなかった方の事を想像してしまう、というのは共通しています。
人生は選択の連続
人は人生においてどの仕事をするか、結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか等、選択しなくては進めない事柄が本当に数多くあります。そのどれもが重要なものばかり。
重要ではあるものの、この仕事を選ばなかった自分と選んだ自分、結婚した自分としなかった自分、子どものいる生活といない生活を実際に比較検討してから良い方を選び取る事は不可能ですよね。
今ベストだと思うことが未来においてベストかどうか分からない
その後の人生を大きく左右するものなのに、決め時は今、というものも多いですよね。その時ベストな方を選んだとしても、歳を重ね状況が変わればベストだと思うことも変わってきます。
ならば「後悔したくない、後悔しないように」ではなく、「後悔はするもの」と思ってみませんか?
後悔はするものだから。
生き方のプランを考えよう
どんな選択においても「後悔はするもの」であるならば、自分の生き方について大きくプランを立てましょう。1つ1つの選択は木に例えると枝葉のようなもの。まずはしっかりとした幹を決めることが必要です。
幹を決めておけば選択する場面がどんなに多くとも、理想とする生き方から大きくそれることはありません。もちろん、歳を重ねていく中で生き方そのものを変更したくなることもあるでしょう。
そんな時は基本となる幹のプランを変更します。それに付随する枝葉の部分は、幹がしっかりしてさえいれば流れに沿った選択をすることが可能です。
常に自分に問いかけていよう
自分はどうありたいのか、どうなりたいのかという問いかけを常にし続けましょう。そして、1つ1つの選択を凝視するのではなく、大きな木の一部として捉えてみましょう。
そうする事で1つ1つの選択が良い意味でライトに感じられます。さらに「後悔はするもの」と捉えていれば、1つの選択をするのに必要以上に怖がらず、素直に選ぶことができるのではないでしょうか。
後悔してもいいよね。
「後悔はするもの」です。そして、して当然です。後悔しないように、後悔したくないからなど、避けるような言い回しが溢れていますが、選択は枝葉のようなものと捉えてみませんか?
枯れたらその部分は切り落とせばいいし、時間が経てば新芽が出てくることもあります。後悔して、それを糧にして新しいものに変える、それで良いのではないでしょうか。
おわりに
1つ1つの選択は、そこだけ見てしまうと失敗できない重大なものと捉えてしまいがちです。でも、思い通りにならないことはたくさんありますよね。生き方を広く捉えることができれば、後悔を納得して楽しみながら重ね、進んでいくことができるような気がしませんか?
後悔はしたくないまたは、後悔をしないように、とはよく聞く言葉ですよね。ところが、AかBかどちらか一方を選ばなくてはいけない場合、どちらを選んだとしても後悔は付いて回ると感じた事はありませんか?