黒澤明監督も愛用した大学ノート
ツバメノート株式会社は、ノートを中心とした紙製品メーカーです。看板商品ともいえる「ツバメノート」は、昭和22年の創業以来、大学ノートの定番品として長く愛されてきました。その書き心地と確かな品質は、各界の著名人やアーティストも虜にするほど。そのひとりが、巨匠・黒澤明監督。寝るときにはいつもツバメノートを枕元に置き、創作ノートとして愛用していたのだとか。ファッションデザイナーのアニエス・ベーからも絶賛され、海外の「ザ・コンランショップ」でも販売されるなど、国内外で高く評価されています。
アニエス・ベーのサイン入りノート
書く人に、質のいい紙を。創業者のこだわり
東京・浅草橋にあるツバメノートの本社。周辺には工場などが多く、ものづくりの街でもあります
そう笑うのは、4代目代表取締役を務める渡邉一弘さん。ツバメノートの歴史は、一弘さんの祖父である渡邉初三郎(はつさぶろう)さんが創業した文具の卸問屋からスタートします。戦後間もなく、貧しい時代ということもあり紙の品質は粗悪。当時の紙は耐久性がないうえに吸収が悪く、インクが乾かないうちに手で擦ってしまうという弱点がありました。人々は吸取紙という乾燥を早める紙で押さえながら筆記していたのです。時を同じくして、しっかりとインクを吸うイギリスの輸入ノートに感銘を受けた創業者の初三郎さん。「ノートは文化をつくっていくもの。このままでは日本はよくならない」。質がよく、気軽に使えるものを人々の手に届けたい。そんな思いから、ノートの開発を決意しました。
4代目代表・渡邉一弘さん
なめらかな書き心地の「ツバメ中性紙フールス」。紙は白くすればするほど蛍光塗料が必要になり、光の乱反射が起こってしまいます。しかし、ツバメノートの本文は蛍光塗料を一切使用していない自然な白。長時間の仕事や勉強でも疲れないようにと、使う人のことを思うからこそのこだわりです
中の罫線は「罫引」という特殊な方法で引かれたもの。罫引ができる職人は、今では日本に一人だけになってしまったそう。この技術をツバメノートで継承することも考えていると一弘さんは語ります
一般的なノートに使われるオフセット印刷(左)は油性のため、罫線が水性インクを弾いてしまいます。ツバメノートの罫線(右)は水性のため、浮くことなくインクに馴染みます(写真提供:ツバメノート株式会社)
現在、「ツバメ中性紙フールス」は北海道苫小牧市の工場でつくられています。バクテリアが繁殖する時期を避け、水温が安定する5月と秋口に限定して製造しているのだそう
逸話だらけ!? ツバメノートの開発秘話
ある日、通りすがりの「占い師」を名乗る人物が店に飛び込んできて、こういいます。「この建物が光り輝いて見えた。ここは何のお店ですか」。ノートを作っていることを知ると、占い師は「自分はデッサンもできる。デザインを描いてくるので見てくれないか」と頼み込んだのだとか。
「出来上がったデザインを見て、『ああ、これならいいよ、買う』って、じいちゃんが判断したそうです。どこの誰かも、連絡先もわからないし、幻の占い師なんですよ。普通の人が聞いたらびっくりするような話ですよね(笑)」
謎の占い師が考案したというデザイン。よく見ると、掠れや左右のわずかな差など、手描きであることがわかります
「当時、会社に『燕さん』という、ものすごくイケメンの営業がいたんです。あまりにもカッコいいから、営業先でもお客さんが『ツバメさんのノートちょうだい!』ってキャーキャーいっていたそうです。それを見たじいちゃんが、『ツバメ、ノートか……』って思いついて(笑)。当時は特急つばめ号(※戦後初の国鉄特急)も話題になっていたし、ツバメって名前も悪くないなって思ったらしくて。それで、従業員の名前をノートにつけて、それを社名にしちゃったんです」
呆れるような顔で、でも誇らしげに、一弘さんは笑います。占い師のデザインも、社名のお話も、そのスピード感のある決断力にただただ驚くばかり。「僕にとっては、のほほんとした優しいおじいちゃん」と、祖父の印象を話す一弘さん。そんな一面とは裏腹に、「本物を作りたい」という初三郎さんの情熱は計り知れないものだったと、当時のエピソードからも伝わってくるようです。向こう見ずにも思える創業者・初三郎さんの直感は、70年が経った今も人の心を掴むノートの姿となりました。しかし、心が弾むような決断だけでなく、苦渋の選択を迫られることもありました。
光にかざすと浮きあがるダンディマーク
一弘さんはそう言い切ります。これだけこだわり抜かれたツバメノートですが、一冊160円からと手に入れやすい価格。よいものを届けたいという気持ちと決断力。使う人のことを一番に考える創業者のものづくりの姿勢は、ノートのそこかしこに受け継がれているのです。
当時つくられたノートの表紙裏には、ツバメノートの特徴が記されています。「世界の高級筆記用紙には皆ダンディマークが漉きこんであります。」――自分の製品のクオリティに誇りをもっていた、初三郎さんの心意気が伝わってきます
1冊ずつ人の手で生み出されるノート
左からスタッフの加藤さん、一弘さん、一弘さんの弟で工場長の崇之さん、2代目代表の榮一さん、一弘さんのお父様、武雄さん。紫色の旗は、昭和のもの。製品を運送するトラックにつけて走っていたのだとか!
1、紙の下準備
罫引後、製本工場へ送られてきた状態。この紙の山がどんなふうにノートになっていくのでしょうか
まずは、裁断機という機械で紙をカットします。製品のサイズなどは機械にあらかじめ入力されているため、自動で裁断されていきます
今回製造工程を見せていただいたのは「特A10」という、厚みがある100枚単位のノート。さきほどの紙の束を因数機という機械で数え、25枚ごとに仕切り(付箋)を入れます。その後、木型にセットし、表紙を重ねていきます
2、ミシンがけ
崇之さんいわく「かなり神経を使う作業」だというミシンがけ。先ほど因数機で入れた仕切りを取りながら、中央を真っすぐ縫い合わせていきます。ミシンは長年使用されてきた「SINGER」のもの
布用のミシンと比べ、ノート用は縫い目のピッチが長くなっています。丈夫な糸綴じにこだわるのも、品質を追求するツバメノートならでは
ページ数が多い分厚いノートは、表紙を中に織り込ませることでさらに強度をあげます
ミシンがけの基準となるのは、閉じたときに合わさる罫線同士が比較的真っすぐであること。手の感覚や掴み具合が安定していないと曲がりやすくなってしまいます。崇之さんは慣れた手つきでミシンを動かしていましたが、感覚を掴むまでは何度も試行錯誤を重ねなければなりません
3、見返しの糊付け
「見返し」とは、表紙の内側に貼られる薄い紙。表紙の強度を保ち、本文を保護する役割があります。一枚ずつ人の手で貼り合わせていくのですが、とても根気と手間のかかる作業なのです。一度糊を塗ると、紙は水分でたわむため、充分に乾燥させてから次の作業に進みます
見返しの糊付けの良し悪しは、紙が乾いてからでないとわからないのが難しいところ。写真は糊付けが上手くいかなかった例。一見きれいに見えても、次の作業で傷のようなしわが寄ることも(左)。また、紙がたわんで表紙と見返りの間に隙間(右)が空いてしまうこともあります
4、折機
折機と呼ばれる機械に3を入れ、ノートの中央にしっかりと折り目をつけていきます
折り目は、表紙側が0.5~1ミリほど高くなっている状態がベスト(左)。この工程までを失敗してしまうと、後のクロスを貼った際に凹凸ができ(右)、きれいに仕上がらなくなってしまうのだそう
5、背のプレス
「均し機」と呼ばれる機械で背を平らにする作業。スタンプのような動きをするマシンに、位置をずらしながら素早く紙を挟みます。均等に紙を潰していくために、紙をしっかりと奥につけることが大切です
6、背固め
5の工程までが終了した束の上に重しを乗せ、1日寝かします。こうすることで、さらにしっかりと紙が圧縮されます
1日寝かせた束をきれいに揃え、背となる側に糊を塗っていきます。溝に糊がしっかり入り込むように刷毛をしっかり立てるのがポイント。1時間半~2時間乾かします
背固めの糊で固まっている束を、一冊ずつ包丁で切り離していきます
7、クロスの接着
一番難しい仕上げの作業です。クロスという機械に紙をセットし、背表紙のクロスを張り付けていきます
ヒーターで温められた中央のプレートが背表紙の溝をなぞり、クロスをしっかり定着させていく仕組み。長めに流すことでボンドを乾きやすくしているのだそう
クロスがしっかり定着した美しい背
8、仕上げ作業
クロスの余分な部分を、ひとつひとつカッターで削っていきます。この作業を省くと、機械にかけた際に正確なカットができなくなってしまいます
裁断機にかけ、背以外の3辺を削り、形を整えていきます
仕上げは金判。ノートの種類により、判を変えて機械にセッティングしていきます。判の間に紙を挟むなど、ここでも細かな調整が必要
スタンプのように次々と判が押されていき、やっと1冊のノートが完成します
ものづくりへの愛情を受け継いで
「前職の会社も遠い親戚関係だったので、どちらかというとそっちの方を継ぐことになるだろうなと、ボンヤリ思っていました(笑)。数年前から、ツバメを継いでほしいって話はずっとあったんですよ。でも、前職で営業を担当していた地域が被災したこともあり、お客さんを放っていける状態ではなくなってしまって。「少し待ってほしい」といって2年間くらい押し問答が続いていたんです。やっと僕が4代目を継ぐことに決まったのですが、その数か月後に、3代目の叔父が癌ということがわかったんですね」
一弘さんが考案した「ツバメモ」。胸ポケットに収まる可愛らしいサイズです。メモといえど、紙の質はノートと同じく抜群の書き心地
「ツバメを継ぐことになったのは、半分勢いもありました。もしそのときに決まっていなければ、まだここにいなかったと思います。虫の知らせじゃないですけど、なんとなく、呼ばれたのかなって気がしています。癌がわかってからは病院に行きながらわからないことを聞いて、本当にがむしゃらでした。叔父は『かずちゃんに任せるよ』って。やりたいようにやっていいから、って話していました。たぶん、引き継がれていないこともたくさんあるんだけど、もうやるしかないなっていう一心でしたね」
こちらは「まっすぐノート」。文字を書いているうちに右肩上がりになってしまう人、いますよね。罫線が斜めに引かれている斬新なノートです
「大企業と違って小回りがきくので、自分がやりたいと思ったことはすぐに実行できる。そこはうちのいいところかな、と思います」と話してくれた一弘さん。核となる部分は守るけれど、それだけに固執はしない。そのDNAは一弘さんにも受け継がれていて、ファン心をくすぐる販促物や新しい製品が、今日もつくられています。
12月14~16日に開催される「文具女子博」にて限定販売を予定しているクリアファイル。付属のシールは社員の方のアイディア。既存のツバメノートの背見出しや金判を自分好みにカスタマイズすることができます
変わらずに「まじめなノート」を届け続けたい
本社の皆さんと。現在ツバメノートの社員は11名。「もっと大人数を想像していたって、いつも驚かれるんですよ(笑)」と一弘さん
「一時はやっぱり、古臭いと思われていたこともあったみたいで。そんなときも、祖母がずっと『このデザインを変えずに、信じ続けなさい』といっていたそうです。2012年に『グッドデザイン賞*』を受賞してからは、『あ、これいいね』って、もう一度製品の良さを見直していただけるようになりました。飽きのこないデザインはもちろんですが、うちの製品はやっぱり品質が重要なんだと思います。その品質を維持することが、時代に流されずキープし続ける原動力かなと。メイドインジャパンの誇りですよね」
* 公益財団法人日本デザイン振興会が運営している賞。1957年の開始以来、人が何らかの理想や目的を果たすために築いたものごとをデザインととらえ評価・顕彰しています。ツバメノートは「ロングライフデザイン賞」を受賞し、その品質や理念を評価されました
金判の頭にある、「H」と「W」の文字は、「渡邉初三郎」のイニシャル。「俺が創った、世界に通用するノートなんだ」という自信と気概の表れです
「今後の課題は、生産ですね。海外のショップからオファーもいただくのですが、今は国内でさえ作っても作っても追いつかない状態なので、断らざるを得ない状態です。下手すると欠品で2か月待ちの製品もあるんですよ。消耗品だし、普通だったら諦めると思うじゃないですか。でも、お客さんは諦めずに待っていてくれるんですよね。うれしい悲鳴ですけど(笑)。だからこそ、基本はぶらしたくないんです。機械や職人の高齢化、後継者とか、問題はたくさんあります。でも昔からの手作業は、長年続けてきたことなので、守りたい。限界もあるんですけど、自分でもやれる限りの精一杯はやろうかなって思っています」
パソコンや携帯電話の普及で、書くことが減ってきているこの時代。だからこそ、ノートを開いたときのにおいや、ペンを置いたときの感覚は、よりいっそう特別なものになるのでしょう。
大切に文字をしたためてきた一冊や、新しいノートを使うときのまっさらな気持ちのように。ツバメノートの誠実なものづくりは、これからも続いていきます。
(取材・文=長谷川詩織)
東急ハンズ名古屋地区限定のフリーペーパー『HANDS BOX』より(写真提供:ツバメノート株式会社)