雲が浮かぶ空のようにも見え、透き通る湖のようにも見えるこの器を作ったのは、「At Home Works」のオーナーであり、陶芸家の林彩子さんです。
「日常使いできるアート」。林さんは、ご自分が作る器をそう表現しています。
林さんに会うため訪れたのは、海の見える江ノ電にカタコトと揺られて辿り着く、鎌倉・湘南にある無人駅。
地元の人がお花に水をやる風景を抜けると、アトリエが見えてきました。
そう名付けられたブランドの林さんの器は、住宅街にある長屋の一角で作られているようです。
ギャラリーの様子。水色の壁が気持ちよく迎えてくれます
出会ってすぐ、そう言って林さんは満面の笑みで迎え入れてくれます。
林さんの提案に、スタッフさんが「やったー!」と喜びます。まるで友人のうちにお邪魔したかのような、まさに”アットホーム”な空気が流れだしました。
絵を飾るように、器を使ってもらえたら
庭に面する擦りガラスの大きな引き戸から光が差し込むアトリエ。その光のなかで、思わず「すてき!」と声に出してしまいたくなるセッティングがされ、おやつの時間がはじまります。
おしゃべりをしながら、おやつの準備が進みます。「どの器使います?」「今日はバウムクーヘンだし、やっぱりこれかな」
一軒家をモチーフにした白い器に、しっかり等分されたおやつが乗っていきます
林さんの作る器は、見る人をグイッと惹きつけて、なんだかフッと幸せになる「何か」が含まれています。
この「何か」とはなんでしょう。At Home Worksの器たちは、どんなふうに、どんな思いで作られているのでしょう。
水彩画のような色彩
そう言って林さんが指さすのは、At Home Worksの代表作「I'm home」と名付けられた家型の器。油絵のような筆のタッチや銅版画のようなかすれ具合が特徴のこちらは、まさに「まるで絵のなかから出てきたような器」です。この独特の質感は、陶器の表面の手触りや、色を決める釉薬や白い泥の塗り重ねによって生まれているのだそう。
油絵のような質感をもつ器、「I'm home」
白い土から作られた泥を何回も重ねて塗り、筆のタッチをそのまま残します。この作業が独特の質感の秘密のひとつ。冒頭に登場した水色の器も同じ過程で質感を作り上げます
釉薬をポタポタと落とすように色付けされた器「ヌガー」は、緑色やピンクが穏やかに表情を見せる人気作。乳白色の地の部分は、まるでキャンパスのように色彩を受け止めています。
「これは、絵の具みたいに色を使っています。いろんな釉薬を、筆で絵を描くみたいに乗せていく。ベースはできるだけつるんとしていてほしいからこの白で、ろくろを使って主張し過ぎないかたちにするんです」
水彩画のような「ヌガー」。こちらは「お菓子のヌガーに似てるから」と名前がつけられました
絵のような器を作る理由を、こう話してくれます。
「私はもちろん陶芸が好きなんですけど、絵を描くのも、好きなんです。特に、塗り重ねられた質感や、色を使った表現が好き。小さいころは絵画教室に通わせてもらったりもしていたんですよ。だから絵と陶芸、どちらもやりたいんです。その結果として作っているのが、『絵画的なアプローチをする器』なんです」
「陶器って、道具としてわかりやすく”使える”から、体験しやすいと思うんです。絵を飾るように器を楽しんでもらえたら、これは独特なアートだな、と」
「使いたくなる」は絶対条件
「使い心地も絶対おろそかにしないというのも大事にしています。『日常使いができる』アートなので、使わなくなっちゃったら意味がないんです」と、林さん。
「これなんか、使いやすい大きさになったなあ、と思います」
そう言いながら、林さんは「キャラメルチーズケーキ」を手に取ります。
「キャラメルチーズケーキ」と名付けられた器と、水色が美しいおちょこ
「これはチーズケーキのために生まれた器だけど、おにぎりとお漬物にもちょうどいい。焼き鳥乗せてるって人もいましたし、使い勝手のよさがアイデア次第なのが気に入っています」
まるで白いキャンパスに描くように使える林さんの器。食卓というものはこんなに自由なんだ、と思わせてくれます。
「使い心地」には、「盛り付ける」「食べる」はもちろん、「食べ終わる」「洗う」「重ねる」も入っている、と林さん。定番商品をラインナップしているので、気に入ったら買い足せるのもうれしいですね
正面に座る人にロゴが見える遊び心。軽さ、持ちやすさ、口当たりのよさなども大切に作られています
自分が決めた方向へ、勇気を持って進む
長く続けてくることができた理由を伺うと、「私、陶芸という分野との相性がいいと思っています」と答えます。「器づくりは、最後に窯に入れる工程があります。それで、窯に入れると自分の力じゃないものが介入するんですね。そんな陶芸が、私にはおもしろい」
ある程度予想して作っても、陶芸には火や土の自然の力がはたらきます。この自分以外の力のことを、このとき林さんは「火の神様のようなもの」と呼びました。できあがるのはいつでもどこか予想を裏切ってくれるもの。思いどおりにはいかないことがおもしろいと言います。
「いつまでたっても完璧には作れなくて、試しながら、ずーっと、たぶん死ぬまで続けられるんですよ。それが、私には楽しいんです」
At Home Worksの窯のひとつ。「火の神様のようなもの」が宿る場所です
「10年ほど先生をしていましたね。最初に好きになった作家さんの経歴に『趣味で教室に通い始め、そこの講師を何年かしてから独立した』とあったので、美大とかに入らなくても作家になれるんだ!と思ったのが最初のきっかけでした。生徒さんの作品は自分の発想に無かったものや釉薬の大冒険があったりして、新しい発想に繋がりましたね。人生経験豊かな大先輩が多いのでお話しをするだけで気づきも多いです。でもやはり人の場所をお借りしているので、自分の好きに使うわけにはいかなかった。独立したいとは思いつつも、勇気もきっかけもなく時間が過ぎました」
当たり前ですが、「売れる」「食べていける」ことを約束されてから独立をする作家さんはまずいません。海となるか山となるかもわからない状態で、それでも独立をしたいのであれば、どこかで決意をしないといけないのです。
「私も『そこに絶対行くんだ!』と思って、勇気を出して独立を決意しました。今のこのアトリエの場所が見つかったことも、ひとつ後押しをしてくれましたね。独立してる人ってみんなそうやってるはずだから、私も好きなことを頑張ろう、って」
「針1つ、板一枚、顔料2グラムでも、すべて自分で用意しなくてはならないことや、アトリエや窯を設置する大変さを知って、独立して活動している方のすごさを感じることができました。陶芸教室講師時代はもちろん、尊敬する作家さんや、今までやってきたことすべてのなかで知り合った人との出会いや教わったことなどが現在に繋がっていると強く感じます」
林さんの作る器は独立後早い段階から受け入れられ、多くの注文を受けるようになります。ただ、今度は忙しさのあまり断ってしまう注文や展示会も多くなり、ひとりでは抱えきれない仕事量に心がすり減る思いもしたという林さん。
「せっかくいただいた機会を逃してしまうのはつらかったですし、旦那さんの助言もあって、ツイッターで手伝ってくれる人を募集したんです。ボランティアを頼んだり、スタッフを雇ったりというのは駆け出しの作家がやることじゃない、と思い込んでいたんですけど、思いのほか多くの人が興味を持ってくれて。今日いるスタッフも、そういった声かけをきっかけに一緒にやってくれているんです」
こうして、今のAt Home Worksが、少しずつかたち作られていきました。
日常のなかに「感動」があることを忘れたくない
「娘は今年3歳。もう2年の陶芸歴を持っているんです」と楽しそうに話す林さん。娘さんが作ったという箸置きなどの陶器を出して見せてくれました。
「これとかね、すごくかわいいの。子どもはどんどんできることが変わるから、この一瞬一瞬のがしちゃいけないなって思いますよね。うちはワークショップもやっていて、子ども向けにもやるんですけど、みんな本当にかわいいものを作るんです。作為のなさがうらやましくて、口をちょっと尖らせて『へえー、けっこういいじゃん』なんて言っちゃう(笑)」
林さんの娘さんが作った陶器。作為のない、自由なかたちが並びます
そう言って林さんはやさしく目を細めながら、娘さんが作った陶器をじっくりと見つめました。
「子どもって常に感動してるから、何にでもびっくりするし、何でも新鮮に感じてる。そういう人と一緒に行動すると、淡いブルーのシーツをみて『ほら、海だよ!』と言って泳ぎだしたりして、『ほんとだー!!』って隣で泳いだりしてます。ハッとすることがたくさんあって、凝り固まった頭に新しい風が吹きます。子どもいると感動を常にもらえるから、やっぱりいいですよね」
「旅をしているみたいに新鮮な目線で自分の日常も見つめるみたいでしょ。だからこれを『旅人目線』って呼んでるの。ふふ。旅人目線で生きていく、って」
見る角度を変えてみることで、日常に転がっている感動を忘れずにいたい――。そんな思いは、「At Home Works」とは別で発表している、「Ayako Hayashi」名義の作品にも表れています。
「Ayako Hayashi」名義で発表している、一点ものの花器
個人名義の作品はより自由で大胆な作風で、林さんの思いがダイレクトに伝わってくるようです。
そう言って林さんは「うん、旅人目線、おすすめなのでやってみてください」とにっこり。
日々の小さな感動を積み重ねながら、作品に落とし込んでいく。そうやって作られる林さんの器は、自分から感動を迎えにいく「旅人目線」を、使い手にも与えてくれる気がします。
関わる人に誇ってもらえるように
家をモチーフにしたデザインを、慣れた手つきで描いていきます。
家のマークを描きながら、林さんはこう言います。
「おうち、というモチーフは昔から好き。やっぱり、あったかいイメージがあります。家って、大事。実はこのアトリエも古い家をリノベーションしていて、スタッフや近所の人、家族と一緒に作ってきた私たちの『作品』だと思っているんです。自分たちで作り上げてきたこの家から、At Home Worksの器が生まれていくんですよ」
家を拠りどころに、暮らしていく。そんな当たり前のしあわせが、林さんのサインのなかにくっきりと浮かび上がるようです。
「AとHはつながって……おうちのかたち。カリカリっと削るようにサインします」と林さん
そう書かれた器の底に、林さんはフッと息を吹きかけます。それは削られた余分な土を払うためなのですが、なんだか命を吹き込んだよう。「ろくろをまわしているときなんかも、林さんは魔法使いみたいに見えるんですよ」と、隣で作業していたスタッフさんが教えてくれました。
ギフトとしても人気のAt Home Worksの器たち。誰かにあげたくなるのは、林さんの魔法がかかっているからかもしれません
「だから、頑張らなきゃって思う。スタッフはもちろん、近所の人たちも気にかけてくれるんです。草刈りをしてくれたり、差し入れをしてくれたり、本当にありがたいことですよね。お客さんにも、スタッフにも、近所の人にも。関わってくれる人に誇ってもらえることをしていたい」
そう言うと林さんは、うれしそうな顔をしながら背筋を伸ばしました。
そんなほんの少しのことで、わたしたちは心動かされ、暮らしはもっと豊かになります。
おやつと一緒に、ちょっと緑を添えてみよう。
昨日の残り物だって、この器で出したらどうだろう。
食卓で大好きな絵を眺めるように使う、At Home Worksの器たち。
日常のなかに小さな感動がうまれるきっかけを託して、林さんは今日も器を作っています。
(取材・文/澤谷映)
真ん中にいらっしゃるのが林さん。「こんにちは!林です。それから、スタッフののぞみちゃんとなるみちゃんです」