どちらが 本当の 「優しさ」?
例えば、職場に先輩のAさんBさんがいるとしましょう。初めての仕事を任された「私」は、進め方がわからずに手間取ってばかりでなかなか前に進みません。
そんな時、Aさんは「大変そうだね。私が変わろうか。」と言って、難しい部分を全て引き受けてくれました。おかげで、余裕を持って納期に間に合わせる事ができました。
一方でBさんは、「手順は分かってる?」と、仕事の手を止めて質問した上で、「ここはこうした方が良い」などのアドバイスをしてくれました。おかげでなんとか自力で納期に間に合わせる事ができました。
なにを「優しさ」とするか
どちらの先輩を「優しい」と思いますか?仕事の一部を引き受けてくれるAさんと、やり方を教えてくれる Bさん。もし時間が迫っていてどうしようもない状況であれば、その瞬間は、仕事を引き受けてくれるA先輩の方が「優しい」と感じるかもしれません。
でも…本当に「優しい」のでしょうか。何故なら、次に同じような場面に出くわした時、また「私」は自力で仕事を済ませる事ができないからです。
一方で手伝ってくれない、厳しいと思われそうなB先輩ですが、実は仕事をしっかり教えていますよね。もう一度同じような事があっても、1人でこなせるように、その方法を伝えています。
求めているものによって変化する「優しさ」
仕事で困っていた「私」が、分からないから先輩に全部やってほしい、と思ったのならAさんを優しく思うでしょう。反対に、自分でできるように仕事のやり方を教えてほしい、と思っていたのなら、Bさんを優しく感じるはずです。
その時に「私」がどう思っていたかによって、先輩のA さんとBさん、どちらを「優しい」と思うのか変わってしまいます。
相手が求めていることに合致するからこそ、それが「優しさ」となるのなら、人により求めていることは様々で、応え方もまた千差万別です。「優しい」とはとても難しいものですね。
本当の「優しさ」ってなんだろう
似てるけど違う「親切」
仕事がスムーズにできない「私」が、もし手順を教えて欲しいと思っていたのなら、先輩のAさんに「私が変わってあげる」と言われることは、ありがたいことではありません。むしろ、迷惑に感じてもおかしくありませんね。
先輩のAさんは「親切」に手伝ったことで、「先輩としてやってあげた」という自己満足と、周りに対するアピールができます。でもこれは、「優しさ」とは違うもの、ですよね。
自己犠牲を払うのも違う
先輩Aさんと Bさん、どちらも自分の仕事を抱えているはずです。自分の仕事をおろそかにしてまで、人の仕事を手伝ったり指導することも「優しさ」とは違いますよね。
容姿や性格が生む「優しさ」もある
一方で、よく知らない相手に対して「優しい」というイメージを持つことはありませんか?毎日のように顔を合わせる先輩Aさん Bさんとは違い、よく知らない相手にもなんとなく感じる「優しい」雰囲気。そのイメージはどこからきているのでしょうか。
たくさんの意味を持つ「優しい」
1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。
4 悪い影響を与えない。刺激が少ない。
「優しい」には、こんなにも多くの意味があります。思いやりがあるというのはもちろん、性格的な穏やかさや容姿、悪い影響を与えないことまでを「優しい」という言葉で表すようです。
立ち姿・顔つき・目・雰囲気にも
確かに、街中でふとすれ違う人や、言葉を交わさなくともよく見かける人に対して、立ち姿や雰囲気だけで「優しそう」と感じることはありますよね。
また、「あの人はみんなに優しいからね…」と言われるタイプの人がいますよね。これは、良くも悪くも誰に対しても強く影響を与えない、刺激を与えないという意味が含まれているのではないでしょうか。
相手も自分も大切にできるのが本当の優しさかも
雰囲気でもなく、親切や打算でもない。本当の「優しさ」とはどんなことを指すのでしょうか…。どちらか一方だけの気持ちが満たされたり得をすることは本当の「優しさ」ではありません。どちらの心も満たされてはじめて、本当の「優しさ」と言えそうです。
優しい人でありたいと思うから
まずは自分の考えをしっかりと持ちましょう。その上で、相手の気持ちに寄り添います。自分が犠牲になることなく、かと言って独りよがりでもなく、「共に」良い方向に進むにはどうすべきか考えてみましょう。
その上で、出来ることはやり、できないならば断ることも「優しさ」です。自分はもちろん、全体をしっかりと把握するためにも、心の余裕と客観視する力を持っていたいですね。
おわりに
時に厳しい言葉を優しく感じることがあります。反対に、誰にでも向けられる「優しさ」を虚しく感じたり、押し付けがましい「優しさ」を疎ましく感じることもあります。「優しさ」に基準はありませんね。無いからこそ、互いを思いやることで心が同時に動いた時に、それは「本当の優しさ」になるのかもしれません。
多くの人が好み、なりたいと願う「優しい」人。でも、「優しい」人って具体的にはどんな人なのでしょうか。言い方は同じ「優しい」人でも、人の数だけイメージする姿が違うと思いませんか?