「自由学園食事研究グループ」とは・・・?
自由学園の創立者、羽仁吉一・もと子夫妻は、20世紀初頭に近代化する日本に自分たちが考える新しい社会をつくりたいと、明治36年(1903年)に月刊誌『家庭之友』(『婦人之友』の前身)を創刊、次いで、大正10年(1921年)に東京目白(現在の豊島区西池袋)において、“自由学園”を女子の学校として創設しました。その後、教育対象が広がるのに合わせて、昭和9年(1934年)にキャンパスは南沢(現在の東京都東久留米市)に移り、初等部を始めとして、男子部、幼児生活団、最高学部が開かれました。
自由学園 明日館
シンプルで美しい外観
フランク・ロイド・ライト氏はアメリカ出身の建築家で、低い屋根が水平に長く伸びる“プレーリースタイル(草原様式)”の確立の最大の立役者であり、91歳の生涯を閉じるまで、約400の作品を世界的に手がけたと言われています。そのライト氏が初めて学校建築に挑んだのがこの校舎。コの字型をした左右シンメトリーの建物は、平等院鳳凰堂に影響を受けたと言われており、広々とした庭園と調和して、開放的な空間が広がっています。
計算しつくされたレトロな内観
開放的なホールの正面には、この建物の顔とも言うべき特大の窓があります。五角形の断面に縦スリットと細かい幾何学模様の美しい組み合わせが左右対称にはめ込まれています。限られた工費の中で制作したため、ライト氏は高価なステンドグラスは使用せず、代わりに窓枠や桟など建具を幾何学的に配置して目を引く空間構成を実現させました。
大きな窓からさすやわらかい陽の光と、幾何学模様が織り成す美しい影。ホール内には昔使われていた暖炉もあり、大谷石造りとともに、あたたかくモダンな雰囲気を演出しています。
満月を思わせる照明もライト氏オリジナルのもの。90年以上も前のデザインとは思えないほどおしゃれで古さをまったく感じません。また、屋根と同じ緩やかな勾配を持つ天井を持っていますが、この三角形の角度は明日館のあらゆる装飾の基準に。窓の幾何学線や照明の飾りも天井と同じ角度の線の組み合わせでできており、建物全体が同じ角度で統一されています。
内装が華やかなプレーリースタイルの建築をアメリカで設計してきたライト氏でしたが、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という羽仁夫妻の考えを深く理解して、明日館を簡素ながらも気品のある建築に仕上げました。装飾の角度の基準といい、廊下の面といい、隅々にまでデザインの統一性を保たせて、細部にまで神経の行き届いた美しいデザインがなされており、夫妻の限られた私財をもとに建てるという点も考慮しながら、デザイン性の高いものを作る、ライト氏の実力が存分に発揮された建築となっています。
ウェディング会場としても人気
歴史ある重要文化財で一日二組限定のプライベートウエディングをあげることができます。ホールがチャペル会場になり、柔らかい光が差し込んで、神秘的な空間に。洋装にも和装にも合うノスタルジックな内装は、ゲストも引き込まれること間違いなしです。
食堂は披露宴会場に。ブラウンが基調の会場で、あたたかみのある雰囲気が魅力的です。年4回オープンするレストラン(不定期)の会場としても使われています。
「自由学園食事研究グループ」のクッキー
大人気の缶入りクッキー
雑誌などでも見かける、「自由学園食事研究グループ」のクッキー。こちらは『缶入りクッキー』で、隙間なくきれいに詰められた姿に目を奪われます!仕切りや詰め物は一切使わず、クッキーだけで美しく並べられているんですよ。
気軽に食べられる、袋入りクッキー
様々な種類を気軽に食べることのできる「袋入りクッキー」もおすすめです♪左上の季節の色どりを盛り込んだ春秋シリーズの詰め合わせクッキーなど、缶入りクッキーには入っていないものも。
自由学園が創設されたこの場所から教育対象が広がるのに合わせて、創立12年後に東京都久留米市に移転した後、目白の校舎は「明日館」(みょうにちかん)と名づけられました。結婚式やレストラン、ギャラリーショップなど、現在も「卒業生が社会に働きかける場所」として親しまれています。
1997年(平成9)5月には、明日館の歴史的、芸術的価値が評価され、国の重要文化財指定を受けました。建造物を使いながら保存する、いわゆる「動態保存」の文化財として見学することができます。