”らしさ”がわかると、もっと楽しい。人気の陶磁器の【歴史・特徴】まとめました

”らしさ”がわかると、もっと楽しい。人気の陶磁器の【歴史・特徴】まとめました

「波佐見焼」に「九谷焼」など人気の陶磁器はたくさんありますが、何にどのような特徴があってどこで作られているかご存知ですか?これから食器を探すときにも、既に家にある器を使うときにも、その特徴を理解していればきっと感じ方が変わってくるはずです。食卓の器をもっと楽しむために、特に人気が高い陶磁器の産地と歴史・特徴をご紹介します。2017年03月08日作成

カテゴリ:
生活雑貨
キーワード
食器波佐見焼九谷焼美濃焼信楽焼
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器のルーツ、ちゃんと知らずに使っているかも…

「波佐見焼」「九谷焼」などどんな商品があるかを見たことがあったり、実際に家で使っていたりする器でも、実は産地がどこでどんな特徴があるのかあまり知らない人も多いのではないでしょうか。
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「波佐見焼」「九谷焼」などどんな商品があるかを見たことがあったり、実際に家で使っていたりする器でも、実は産地がどこでどんな特徴があるのかあまり知らない人も多いのではないでしょうか。

その器が持つ背景を理解することで、食卓に並ぶ食器もちょっと違って見えてくるはずです。そこで、人気が高い陶磁器の産地や歴史、特徴についてご紹介します。
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その器が持つ背景を理解することで、食卓に並ぶ食器もちょっと違って見えてくるはずです。そこで、人気が高い陶磁器の産地や歴史、特徴についてご紹介します。

人気が高い陶磁器たちの産地&歴史・特徴

波佐見焼(長崎県)

長崎県・東彼杵郡波佐見町で作られている「波佐見焼(はさみやき)」。透明感のある白磁(白い土に透明の釉薬をかけたもの)と、「呉須」という藍色の顔料による絵付けが特徴です。
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長崎県・東彼杵郡波佐見町で作られている「波佐見焼(はさみやき)」。透明感のある白磁(白い土に透明の釉薬をかけたもの)と、「呉須」という藍色の顔料による絵付けが特徴です。

波佐見焼は安土桃山時代の慶長4年(1599年)に作られ始めました。

初めは釉薬をかけた陶器が作られていたのですが、磁器の材料が発見されたことをきっかけに磁器の生産へと移行し、当時統治していた大村藩の特産品となりました。江戸時代後期には染付の生産量は国内トップとなります。
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波佐見焼は安土桃山時代の慶長4年(1599年)に作られ始めました。

初めは釉薬をかけた陶器が作られていたのですが、磁器の材料が発見されたことをきっかけに磁器の生産へと移行し、当時統治していた大村藩の特産品となりました。江戸時代後期には染付の生産量は国内トップとなります。

こちらは波佐見焼の中でも代表的な「くらわんか碗」。筆で素朴な絵付けがされています。丈夫で壊れにくいので、江戸時代から日常食器として親しまれていました。
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こちらは波佐見焼の中でも代表的な「くらわんか碗」。筆で素朴な絵付けがされています。丈夫で壊れにくいので、江戸時代から日常食器として親しまれていました。

北欧を思わせるデザインなどモダンなものが多く、近年特に人気が高いのがこの波佐見焼。目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
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北欧を思わせるデザインなどモダンなものが多く、近年特に人気が高いのがこの波佐見焼。目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

波佐見焼|和食器通販|うちる|和食器の皿、鉢、飯椀など
白山陶器 | cotogoto
日本の手仕事・暮らしの道具を扱うcotogotoの「白山陶器」商品一覧ページです。
【波佐見陶磁器工業協同組合】波佐見焼の紹介|波佐見焼の歴史|

九谷焼(石川県)

石川県・江沼郡山中町九谷で発祥した「九谷焼」。金沢市・小松市・加賀市・能美市など石川県南部を中心に生産されている磁器です。
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石川県・江沼郡山中町九谷で発祥した「九谷焼」。金沢市・小松市・加賀市・能美市など石川県南部を中心に生産されている磁器です。

明暦元年(1655年)頃に山中町九谷で陶磁器作りに適した土が発見されたことをきっかけに、大聖寺藩の家臣・後藤才次郎が肥前の有田で修行をし、技術を導入しました。
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明暦元年(1655年)頃に山中町九谷で陶磁器作りに適した土が発見されたことをきっかけに、大聖寺藩の家臣・後藤才次郎が肥前の有田で修行をし、技術を導入しました。

九谷焼は緑・黄・赤・紫・紺青の「五彩」と呼ばれる5色の絵の具を使って色鮮やかに絵付けが行われるのが特徴です。こちらはムーミン達が描かれてかわいらしく仕上がっていますが、「五彩」が見事に使われています。
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九谷焼は緑・黄・赤・紫・紺青の「五彩」と呼ばれる5色の絵の具を使って色鮮やかに絵付けが行われるのが特徴です。こちらはムーミン達が描かれてかわいらしく仕上がっていますが、「五彩」が見事に使われています。

伝統的な九谷焼の絵付けは、なかなか普段使いしにくいかなり華やかなものですが、現代風にアレンジされて日々の食卓に取り入れたくなる九谷焼はたくさんあります。
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伝統的な九谷焼の絵付けは、なかなか普段使いしにくいかなり華やかなものですが、現代風にアレンジされて日々の食卓に取り入れたくなる九谷焼はたくさんあります。

九谷青窯 | free design(フリーデザイン)
「free design(フリーデザイン)」の「九谷青窯」カテゴリーの商品一覧
九谷青窯 | cotogoto
日本の手仕事・暮らしの道具を扱うcotogotoの「九谷青窯」商品一覧ページです。
九谷焼の歴史・魅力 − 九谷焼|九谷満月

美濃焼(岐阜県)

国内の食器類のシェア60%以上を占めるのが「美濃焼」。岐阜県の東美濃(東濃地方)と呼ばれる、土岐市・瑞浪市・多治見市などで生産されています。
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国内の食器類のシェア60%以上を占めるのが「美濃焼」。岐阜県の東美濃(東濃地方)と呼ばれる、土岐市・瑞浪市・多治見市などで生産されています。

美濃焼の歴史は古く、平安時代から作陶が行われていました。桃山時代には千利休・古田織部などの茶の湯の流行から「志野焼」「織部焼」「黄瀬戸」「瀬戸黒」といった、美濃焼を代表する器が誕生し、これらは「美濃桃山陶」と呼ばれています。

こちらの小皿と箸置きは「織部焼」に使われる深い緑色の釉薬、「織部釉」を現代風にアレンジしたものです。
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美濃焼の歴史は古く、平安時代から作陶が行われていました。桃山時代には千利休・古田織部などの茶の湯の流行から「志野焼」「織部焼」「黄瀬戸」「瀬戸黒」といった、美濃焼を代表する器が誕生し、これらは「美濃桃山陶」と呼ばれています。

こちらの小皿と箸置きは「織部焼」に使われる深い緑色の釉薬、「織部釉」を現代風にアレンジしたものです。

江戸時代には日常用の食器も大量に生産され、幕末には磁器も作られ始めます。こうして、現在では和食器の国内シェアの60%を占めるようになりました。
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江戸時代には日常用の食器も大量に生産され、幕末には磁器も作られ始めます。こうして、現在では和食器の国内シェアの60%を占めるようになりました。

美濃焼はあまりに多彩な焼き物が作られているために、「特徴が無いのが美濃焼の特徴」と評されています。こちらは全て美濃焼。確かに多種多様で「特徴はコレ」と断定しづらいですね。
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美濃焼はあまりに多彩な焼き物が作られているために、「特徴が無いのが美濃焼の特徴」と評されています。こちらは全て美濃焼。確かに多種多様で「特徴はコレ」と断定しづらいですね。

例えばこんなシンプルな磁器も美濃焼。
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例えばこんなシンプルな磁器も美濃焼。

こんな素朴な風合いの陶器も、やはり美濃焼。
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こんな素朴な風合いの陶器も、やはり美濃焼。

直火で使える、耐熱性が高いミルクパンも!このように、実に多種多様な焼き物が作られているのが美濃焼なわけですね。
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直火で使える、耐熱性が高いミルクパンも!このように、実に多種多様な焼き物が作られているのが美濃焼なわけですね。

美濃焼|和食器通販|うちる|和食器の皿、鉢、飯椀など
美濃焼の歴史

萬古焼(三重県)

三重県・四日市市を中心に生産される「萬古焼(ばんこやき)」。耐熱性に優れていて、直火で使える商品が多くなっています。

こちらは直火の他、オーブン・電子レンジでも使用できる耐熱の萬古焼。
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三重県・四日市市を中心に生産される「萬古焼(ばんこやき)」。耐熱性に優れていて、直火で使える商品が多くなっています。

こちらは直火の他、オーブン・電子レンジでも使用できる耐熱の萬古焼。

萬古焼は、江戸時代中期の元文年間(1734~40年)に陶器の問屋・沼波家の沼波弄山(ぬなみろうざん)が、茶趣味が高じて開窯したことにより生まれました。「萬古」という名も沼波家の屋号である「萬古屋」から取られたもの。
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萬古焼は、江戸時代中期の元文年間(1734~40年)に陶器の問屋・沼波家の沼波弄山(ぬなみろうざん)が、茶趣味が高じて開窯したことにより生まれました。「萬古」という名も沼波家の屋号である「萬古屋」から取られたもの。

直火OKのものが多いのが特徴の萬古焼、特に土鍋は国内シェアの80%を占めています。

また、「紫泥急須」という鉄分を含んだ土で作られた急須も、鉄分によりお茶がまろやかになるということで人気です。最近ではタジン鍋なども作られています。
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直火OKのものが多いのが特徴の萬古焼、特に土鍋は国内シェアの80%を占めています。

また、「紫泥急須」という鉄分を含んだ土で作られた急須も、鉄分によりお茶がまろやかになるということで人気です。最近ではタジン鍋なども作られています。

4th-market 取扱い商品一覧 | 優れた耐熱性が特徴のおしゃれな萬古焼ブランド(三重県)|暮らしのほとり舎
季節を楽しむ和ごよみ暮らしの情報と、暮らしの中に息づく工芸品、日本のものをお届けしています。
4th-market | cotogoto
日本の手仕事・暮らしの道具を扱うcotogotoの「4th-market」商品一覧ページです。
萬古焼の歴史|萬古陶磁器振興協同組合連合会
三重県四日市市のばんこの里会館は、萬古陶磁器振興協同組合連合会が運営。三重県の伝統工芸品である四日市萬古焼の継承と発展、また地域活性化を目的に活動をしています。

信楽焼(滋賀県)

狸の置物で有名な信楽焼は滋賀県・甲賀市信楽町周辺で焼かれています。赤色の焦げや透明感のある釉薬が特徴です。
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狸の置物で有名な信楽焼は滋賀県・甲賀市信楽町周辺で焼かれています。赤色の焦げや透明感のある釉薬が特徴です。

信楽焼は、中世(平安・鎌倉時代)に発祥して現代まで作り続けられている「日本六古窯」のひとつ。他には瀬戸焼・常滑焼・越前焼・丹波焼・備前焼があります。

信楽焼が作り始められたのは13世紀後半。茶の湯が流行した桃山時代には、その素朴さと侘び寂びの美により茶人から愛されました。
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信楽焼は、中世(平安・鎌倉時代)に発祥して現代まで作り続けられている「日本六古窯」のひとつ。他には瀬戸焼・常滑焼・越前焼・丹波焼・備前焼があります。

信楽焼が作り始められたのは13世紀後半。茶の湯が流行した桃山時代には、その素朴さと侘び寂びの美により茶人から愛されました。

江戸時代以降は火鉢などの日用品も作り出され、現在では食器以外に植木鉢などのガーデニング用品や花器、建築資材などが作られています。

また、有名な狸の置物は、1951年に天皇陛下が信楽を訪問する際に、道沿いに狸の置物を並べて歓迎したことがきっかけで全国的にブームとなりました。
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江戸時代以降は火鉢などの日用品も作り出され、現在では食器以外に植木鉢などのガーデニング用品や花器、建築資材などが作られています。

また、有名な狸の置物は、1951年に天皇陛下が信楽を訪問する際に、道沿いに狸の置物を並べて歓迎したことがきっかけで全国的にブームとなりました。

信楽焼- 和食器通販|うちる|和食器の皿、鉢、飯碗など
陶器のイオンボトル(魔法のボトル) | monsen(器のセレクトショップ)
陶器のイオンボトル(魔法のボトル)の商品特集。器と雑貨のお店 monsen(モンセン)は白山陶器や野田琺瑯などを扱う、和食器を通販するネットショップです。
信楽陶器/滋賀県

砥部焼(愛媛県)

愛媛県・砥部町で生産されている「砥部焼(とべやき)」。温かみのある厚手の白磁と、藍色の顔料「呉須」で描かれた素朴な絵付けが特徴です。
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愛媛県・砥部町で生産されている「砥部焼(とべやき)」。温かみのある厚手の白磁と、藍色の顔料「呉須」で描かれた素朴な絵付けが特徴です。

「白磁」に「呉須」というのは波佐見焼と共通しますが、ぬくもりある雰囲気や素朴感が砥部焼の持ち味です。
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「白磁」に「呉須」というのは波佐見焼と共通しますが、ぬくもりある雰囲気や素朴感が砥部焼の持ち味です。

砥部焼は、江戸時代の安永6年(1777年)に生み出されました。これは、当時の大洲(おおず)藩の財政が厳しかったため、新たな産業を興すために特産品の伊予砥(砥石)を利用した磁器を開発することが発案されたためです。
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砥部焼は、江戸時代の安永6年(1777年)に生み出されました。これは、当時の大洲(おおず)藩の財政が厳しかったため、新たな産業を興すために特産品の伊予砥(砥石)を利用した磁器を開発することが発案されたためです。

大洲藩の藩主から命じられた杉野丈助(すぎのじょうすけ)により、安永4年(1775)に磁器作りが始められます。しかし、失敗続きで資金が無くなったため、杉野丈助は私財を投げ打ち、自宅すら燃料にしながら開発を続けます。

このような杉野丈助の大変な苦労の末、生み出されたのが砥部焼なのですね。
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大洲藩の藩主から命じられた杉野丈助(すぎのじょうすけ)により、安永4年(1775)に磁器作りが始められます。しかし、失敗続きで資金が無くなったため、杉野丈助は私財を投げ打ち、自宅すら燃料にしながら開発を続けます。

このような杉野丈助の大変な苦労の末、生み出されたのが砥部焼なのですね。

砥部焼| 和食器通販|うちる|和食器の皿、鉢、飯碗など
砥部焼とは|砥部焼陶芸館オフィシャルサイト
愛媛県伊予郡砥部町にある砥部焼陶芸館の紹介。窯元の紹介や砥部焼陶芸館内の案内。

小石原焼(福岡県)

福岡県・朝倉郡東峰村で焼かれている「小石原焼(こいしわらやき)」。「飛び鉋(とびかんな)」や「刷毛目(はけめ)」「櫛目(くしめ)」などと呼ばれる技法で付けられた、独特の幾何学的な文様が特徴です。
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福岡県・朝倉郡東峰村で焼かれている「小石原焼(こいしわらやき)」。「飛び鉋(とびかんな)」や「刷毛目(はけめ)」「櫛目(くしめ)」などと呼ばれる技法で付けられた、独特の幾何学的な文様が特徴です。

こちらの器の点々と付いている文様が「飛び鉋」、ぐるりと円を描くような線と波打つように描かれている曲線が「櫛目」です。
出典:

こちらの器の点々と付いている文様が「飛び鉋」、ぐるりと円を描くような線と波打つように描かれている曲線が「櫛目」です。

こちらの文様が「刷毛目」。

小石原焼は、天和2年(1682年)に伊万里から陶工を招いて、中国の製法に倣って作り始められました。陶磁器で日本で最初に伝統的工芸品に指定されたのは、この小石原焼です。
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こちらの文様が「刷毛目」。

小石原焼は、天和2年(1682年)に伊万里から陶工を招いて、中国の製法に倣って作り始められました。陶磁器で日本で最初に伝統的工芸品に指定されたのは、この小石原焼です。

素朴で温かみのある、味わい深い陶器ですね。20世紀のイギリスを代表する陶芸家、バーナード・リーチから「用の美の極致である」と称賛されたことは有名なエピソードとなっています。
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素朴で温かみのある、味わい深い陶器ですね。20世紀のイギリスを代表する陶芸家、バーナード・リーチから「用の美の極致である」と称賛されたことは有名なエピソードとなっています。

小石原焼|和食器通販|うちる|和食器の皿、鉢、飯椀など
小石原焼の特徴・飛び鉋・刷毛目

小鹿田焼(大分県)

大分県・日田市の小鹿田地区で作られている「小鹿田焼(おんたやき)」。宝栄2年(1705年)に日田郡大鶴村の黒木十兵衛が、小石原の陶工・柳瀬三右衛門を招いたことにより誕生しました。
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大分県・日田市の小鹿田地区で作られている「小鹿田焼(おんたやき)」。宝栄2年(1705年)に日田郡大鶴村の黒木十兵衛が、小石原の陶工・柳瀬三右衛門を招いたことにより誕生しました。

このように小石原焼と同じ技法が伝わっているので、兄弟窯の関係にあります。そのため、「飛び鉋」「刷毛目」「櫛目」といった技法などに共通する点が。
出典:

このように小石原焼と同じ技法が伝わっているので、兄弟窯の関係にあります。そのため、「飛び鉋」「刷毛目」「櫛目」といった技法などに共通する点が。

しかし、小鹿田焼は例えば飛び鉋がより密に入れられているなど、小石原焼に比べると野生的で重厚な雰囲気を持っていると言えるようです。
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しかし、小鹿田焼は例えば飛び鉋がより密に入れられているなど、小石原焼に比べると野生的で重厚な雰囲気を持っていると言えるようです。

「小鹿田焼」の商品一覧 | monsen(器のセレクトショップ)
小鹿田焼 渓聲館〜小鹿田焼とは〜

有田焼(佐賀県)

佐賀県・有田町で作られている有田焼。ガラスのような透明感がある白磁と、華やかなで繊細な絵付けが特徴です。

「伊万里焼」とも呼ばれるのは、有田で作ったものを伊万里港から輸出していたため。現在は有田で作られたものを「有田焼」、伊万里で作られたものを「伊万里焼」と分けて呼びますが、工法や技法に違いはありません。
出典:

佐賀県・有田町で作られている有田焼。ガラスのような透明感がある白磁と、華やかなで繊細な絵付けが特徴です。

「伊万里焼」とも呼ばれるのは、有田で作ったものを伊万里港から輸出していたため。現在は有田で作られたものを「有田焼」、伊万里で作られたものを「伊万里焼」と分けて呼びますが、工法や技法に違いはありません。

有田焼は、朝鮮の陶工・李参平(りさんぺい)により生み出されました。李参平は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に佐賀藩主・鍋島直茂によりたくさん連れて帰られて来た朝鮮の陶工の一人です。
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有田焼は、朝鮮の陶工・李参平(りさんぺい)により生み出されました。李参平は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に佐賀藩主・鍋島直茂によりたくさん連れて帰られて来た朝鮮の陶工の一人です。

元和2年(1616年)、この李参平が日本で初めて白磁を焼いたことが、有田焼の始まりとされています。
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元和2年(1616年)、この李参平が日本で初めて白磁を焼いたことが、有田焼の始まりとされています。

伝統的な有田焼はかなり華やかな絵付けですが、九谷焼同様、普段使いしやすいデザインの有田焼もたくさん売られています。
出典:

伝統的な有田焼はかなり華やかな絵付けですが、九谷焼同様、普段使いしやすいデザインの有田焼もたくさん売られています。

有田焼のうつわ | 和食器通販|うちる|和食器の皿、鉢、飯碗など
有田焼の歴史 - 有田焼について| 有田焼のすべて

やちむん(沖縄県)

「やちむん」とは沖縄の方言で「陶器」のこと。沖縄の陶器である「壺屋焼(つぼややき)」、「読谷山焼(よみたんざんやき)」などの総称です。
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「やちむん」とは沖縄の方言で「陶器」のこと。沖縄の陶器である「壺屋焼(つぼややき)」、「読谷山焼(よみたんざんやき)」などの総称です。

琉球王国時代の1682年、当時の尚貞王(しょうていおう)が焼き物産業を振興するために、王国内に散らばっていた陶工を壺屋に集めます。これが壺屋焼の始まりとなりました。
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琉球王国時代の1682年、当時の尚貞王(しょうていおう)が焼き物産業を振興するために、王国内に散らばっていた陶工を壺屋に集めます。これが壺屋焼の始まりとなりました。

やちむんは沖縄の大らかな空気を思わせる、大胆で伸びやかな明るい印象の絵付けが特徴です。厚みがあり、ぬくもりを感じる風合いになっています。
出典:

やちむんは沖縄の大らかな空気を思わせる、大胆で伸びやかな明るい印象の絵付けが特徴です。厚みがあり、ぬくもりを感じる風合いになっています。

こちらは「魚文(ぎょもん)」と呼ばれる魚がモチーフのやちむん。魚文はやちむんによく用いられる定番的な文様で、富と幸福を表しています。また、魚は卵を大量に産むことから、子孫繁栄の願いも込められています。

人間国宝の陶工・金城次郎が得意としたことでも有名なモチーフです。
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こちらは「魚文(ぎょもん)」と呼ばれる魚がモチーフのやちむん。魚文はやちむんによく用いられる定番的な文様で、富と幸福を表しています。また、魚は卵を大量に産むことから、子孫繁栄の願いも込められています。

人間国宝の陶工・金城次郎が得意としたことでも有名なモチーフです。

やちむんの歴史 | みんげい おくむら本店
沖縄の焼物(やちむん)の歴史から現在のものづくりまで。壺屋時代、そして読谷へ場所を移し現在に至るやちむん(上焼)のストーリーです。
やちむん - 和食器通販|うちる|和食器の皿、鉢、飯碗など

原点が分かることで増す器の魅力

その器が持つ特徴を理解していると、「ここに”らしさ”が出ているな」と感じることができ、器の楽しみ方が増えます。

また、元々はかなり派手な絵付けがされていた「九谷焼」や「有田焼」は、現在売られている商品ではモダンなアレンジされて、日常使いがしやすくなっています。元々はどのような特徴を持つ焼き物なのか、を知ることでその器が持つ魅力がぐっと増すはずです。

ぜひ、伝統的な陶磁器に触れたときはその産地や歴史、特徴を思い起こしてみてくださいね。
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その器が持つ特徴を理解していると、「ここに”らしさ”が出ているな」と感じることができ、器の楽しみ方が増えます。

また、元々はかなり派手な絵付けがされていた「九谷焼」や「有田焼」は、現在売られている商品ではモダンなアレンジされて、日常使いがしやすくなっています。元々はどのような特徴を持つ焼き物なのか、を知ることでその器が持つ魅力がぐっと増すはずです。

ぜひ、伝統的な陶磁器に触れたときはその産地や歴史、特徴を思い起こしてみてくださいね。

ぜひ、伝統的な陶磁器に触れたときはその産地や歴史、特徴を思い起こしてみてくださいね。
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ぜひ、伝統的な陶磁器に触れたときはその産地や歴史、特徴を思い起こしてみてくださいね。

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