インタビュー
vol.59 布作家・山中とみこさん -人も道具も、時を重ねたから
愛おしい。今だから着たい「定番着のカバー画像

vol.59 布作家・山中とみこさん -人も道具も、時を重ねたから
愛おしい。今だから着たい「定番着」

写真:岩田貴樹

元古道具屋の店主、山中とみこさん主宰の「CHICU+CHICU5/31(ちくちくさんじゅういちぶんのご)」。シンプルな中に少しだけおしゃれ感をプラスした大人の日常着が並び、ブランド開始当初から愛されている「定番」と呼ばれるアイテムも多い。49歳のときに現在のブランドをスタートさせ、還暦にして自身の本を出版した。時を重ねて味が出る古着や古道具のように、人にだって今だから出せる魅力がある。今回は、山中さんが自身の「定番」をみつけるまでの、ちいさくきらめく軌跡を辿った。

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2017年04月21日作成
当然のことながら、「定番品」なるものは、月日を重ねなければ決してそれとは呼べない。何度も寄り道をして、ぐるぐるまわって、やっぱり自分の心にしっくりくるものや、好きなものを確認する作業を重ねる。そうしてはじめて、自分だけの定番品が生まれるのだ。

布作家・山中とみこさんの「定番」は、清清しいほどにきっぱりとしていた。
「好きなものはずっと変わらないですね。学生時代から自分のスタイルはトラッドだったので、詰まった襟が好きなんです。胸の開いているものは着たことがなくて」
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
昔からヒールやタイトスカートにはまるで興味がなかった、と笑う山中さんは、今年で63歳になる。古道具屋の店主を経て、2013年に「CHICU+CHICU5/31(ちくちくさんじゅういちぶんのご)」という洋服ブランドを立ち上げた。ブランド名のおしり、「5/31」の通り、現在は埼玉県川口市にあるカフェ兼ギャラリー「senkiya」内で、月に5日間だけ実店舗をオープンしている。

「CHICU+CHICU5/31」のアイテムたちは、どこか長年連れ添った親友のような、自分にぴたりとくる佇まいが特徴だ。テーマは、シンプルな中に、“少しだけ”個性やおしゃれ感がある、「大人の日常着」。買ったばかりの洋服特有の肩肘を張るような窮屈さはなく、何年も着ていた服のように自分に馴染む。着る人に余白を与え、それでいて存在感があり、きりっとした洒落っ気も演出してくれる。
(画像提供:CHICU+CHICU5/31)

(画像提供:CHICU+CHICU5/31)

「CHICU+CHICU5/31」の洋服は様々な体型の人に着てもらえるよう、すべてフリーサイズ(画像提供:CHICU+CHICU5/31)

「CHICU+CHICU5/31」の洋服は様々な体型の人に着てもらえるよう、すべてフリーサイズ(画像提供:CHICU+CHICU5/31)

作る洋服には、「一点ものの生地」と「定番の生地」で作られた二種類がある。そして、冬はウールを使うなど素材を変える程度に留め、シーズンによって左右されるアイテムがないというのも特徴だ。

生地は、「自宅で洗濯できるように」というこだわりがあり、使用する布は一度洗ってアイロンがけをし、立ててから服にする。のちに洗うことを考え、必ず縮率を計算してパターンを作るなど、着心地や質感に対しての徹底されたこだわりがある。
最近作った中で一番お気に入りだというベスト付きワンピース

最近作った中で一番お気に入りだというベスト付きワンピース

前ボタンを開くと中にベストがくっついている。羽織として、ワンピースとして、ベストのボタンは閉じたままボトムスを楽しむなど、三通りの着こなしが楽しめる

前ボタンを開くと中にベストがくっついている。羽織として、ワンピースとして、ベストのボタンは閉じたままボトムスを楽しむなど、三通りの着こなしが楽しめる

この日、山中さんは自身がデザインしたエプロンスカートとブラウスに、ハットをさらりと合わせたコーディネートで迎えてくれた。ぱりっとした襟元から、爪先にちょこんと注された真紅から……全身黒でありながら、不思議と凛とした空気が漂い、一本の芯が通った姿に思わず見惚れる。ああ、格好いい大人ってこういうことなのだ、と。やはりそれは、自分の好きなもの・似合うものを知っているからゆえの妙なのだろうか。しかし、山中さんが今の自分をつくりあげるまでの道のりは、決して一本道ではなかった。
真紅のラインがすっと入ったネイルがスタイリングに映える

真紅のラインがすっと入ったネイルがスタイリングに映える

原点は「空間をつくること」

以前は自宅で作業をしていたが、現在はこちらのアトリエを使用。この場所で展示を開くこともある。アトリエ内には、山中さんが今まで集めてきた味のある「古いもの」たちが並ぶ

以前は自宅で作業をしていたが、現在はこちらのアトリエを使用。この場所で展示を開くこともある。アトリエ内には、山中さんが今まで集めてきた味のある「古いもの」たちが並ぶ

ものづくりが好きというよりも、「空間」を考えることが好きな少女だったという山中さん。子ども部屋がなかったころは頭の中で架空の子ども部屋をつくり、あんなふうにしたい、こんなふうにしたい、とひたすら妄想の日々。中学のとき、いざ子ども部屋が手に入ると自作したベッドカバーやカーテンで自分だけの空間を飾った。

「当時はみんながみんな裕福な時代じゃなかったから。自分のほしいものが“ない”なら、好みの布を買って作るしかなかったんですよね、下手ながらも(笑)。70年代の食器や家具、雑貨って、花柄とか、カラフルな色やポップなデザインが流行っていたから、既成のカーテンといえば派手だったりゴージャスなものしかなくて、それにすごく抵抗を感じていたんです。もっとシンプルなものがいいのに、って」
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
妄想を彩る「憧れの世界」は、昔から身のまわりに溢れていた。
青森県出身の山中さんは警察官だった父を訪ね、しばしば三沢市内にある米軍基地の駐在所へ通うことがあった。その道中で、幼いころの山中さんは目を輝かせたという。

「基地の人たちが住む街をバスで通って行くんですけど、夢みたいな平屋の住宅街がぶわーって広がっていて。そこだけ外国なんですよね。ふだん自分が目にしている光景とのギャップが、子どもながらにもう痛烈で。なんでこんなに違うんだろうって。入ったことはないんですけど、その先に憧れの世界が広がっている気がしたんです」
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの名盤「ダブル・ファンタジー」。ビートルズ世代のご主人は、今もバンド活動を続けているのだとか。60年代に青春を過ごした人たちの「何事にも全力投球な姿勢」を、山中さんは少し羨ましく思っている

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの名盤「ダブル・ファンタジー」。ビートルズ世代のご主人は、今もバンド活動を続けているのだとか。60年代に青春を過ごした人たちの「何事にも全力投球な姿勢」を、山中さんは少し羨ましく思っている

芝生付きの白い米軍ハウスは、山中さんの原風景だ。
故郷の青森県から大学進学のため上京したのは、昨年、一時休業した渋谷PARCOのパート1が開業された1973年。その少し前には、『non-no』や『an・an』といった女性ファッション誌から『私の部屋』などのライフスタイル誌が続々と刊行され、世の中が色とりどりに変化を遂げていった時代だった。

「地方にいると雑誌しか情報がないので、すごく憧れがありましたよね。おしゃれな雑貨屋さんも当時はなかったから、上京したときはとても刺激的でした」

そんな小さな“憧れ”のコレクションが、山中さんのなかにはいくつも詰まっている。憧れはやがて、今の自分を作り上げるためのピースになっていった。

蚤の市で“がらくた”に魅せられ、古道具屋の店主に

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結婚し、子育てに奮闘していた20代のとき。運命を変える出合いは突然やってくるものだ。
ある日、まだ歩けない長男を連れ、家族で訪れた東京・新井薬師の蚤の市。そこで目にした数々の古道具の数々――器に家具、雑貨、謎のオブジェまで……それぞれがもつ独特の表情に、心を奪われた。

「たまたま新聞で情報をみつけて、なんの気なしに行ってみようかーって。学生のときから器とかに興味はあって、そのころも現代作家のものは購入していたんです。でも古いものまではちょっと情報がなかったんですね」

そもそも、好きなものはちょっと偏っていた。陶芸でいえば、粉引(こひき)や焼締めなど、ゴツゴツしていてマットな質感の、いってしまえば「きれいじゃない」ものたちに惹かれる。「艶」や「きらびやか」と正反対なそれは、古道具の放つ鈍い輝きと共通していた。
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
「何かの本で読んだんですけど、『新品は、買ったときから価値が下がっていく。でも、古道具は買ったときから味がプラスされていく、間逆のものだ』って、古道具の魅力はまさにそこにあると思うんですよね。ただ、私は骨董ではなく“がらくた”が好きなので、あまりそこに価値は見出していないですけど」

それから、古道具の世界へ走り出すのにそう時間は掛からなかった。子どもから手が離れたのをきっかけに、リフォーム会社の企画・編集に就職すると、すでに古道具屋に通うようになっていた山中さんは、ショールームに古道具を取り入れたり、作家のイベントを開いてはお客さんを呼び込んだ。
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リフォーム会社に二年間勤め退職した後には、友人の家で古道具や作家の小さな展示を開くまでになった。いつしか心に芽生えた「古道具屋を自分で開いてみたい」という想いは強くなる一方。そんな山中さんの衝動を決意に変えてくれたのは、同じマンションに住む友人だったという。

「当時、同じマンション内に『食』にこだわりを持つ人たちがいて、無農薬野菜を取り寄せたり、添加物について勉強するグループに参加していたことがあるんです。やっぱりそういう人たちって食だけじゃなく、インテリアや器にもこだわりがあるんですよね。その中の一人に古道具屋をしている人がいて、私もお客さんとして通っていたんです。私が仕事を辞めて展示を開いているときに『だったら、(お店を)やったらいいんじゃない?』って。買い付けに行くために免許を取った方がいいとか、最初は車で一緒に市場に連れていってもらったり、いろいろ指導してもらいました」
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
こうして、初めて自分のお店を持ったのは、山中さんが30代半ばのときだった。店舗に選んだのは、住居として貸し出されていた空き家。「いきなり店舗を借りるのは、ちょっと勇気がなかったですね(笑)。住まないでお店として使用する分、ちょっと安く契約させてもらって。そのあとに何度か移転して、だんだんとステップアップしていきました」

当時は、インターネットが普及してない時代。宣伝の手段がわからず、「思ったよりもお客さんがこなくて大変でした」と笑う山中さん。でも、お店に並べるものに関しては、人一倍こだわりがあった。

「高い物は買わないというのが、買い付けのルール。自分なりのつける値段の範囲があるんです。これはこの値段までなら買うけど、それ以上なら無理に買わない。だから、買えないものの方が多かったです(笑)。市場に行っても、そのストレスはありましたね。お金ないとだめなんだなあ…って」
古道具屋で実際に使用していた、懐かしいタイプの黒電話。探し回り、やっとイメージに合うものを発掘した

古道具屋で実際に使用していた、懐かしいタイプの黒電話。探し回り、やっとイメージに合うものを発掘した

こちらのステレオもお店に置いていた什器のひとつ。もう音は出ないため、コンポを中に入れてジャズを流していた

こちらのステレオもお店に置いていた什器のひとつ。もう音は出ないため、コンポを中に入れてジャズを流していた

「豪華」や「価値」には興味がなく、どんなに“ぼろ”でも、味やそのものが経てきた時間に愛おしさを感じる。「なんでもないもの」だからこその良さがある。四苦八苦することがあっても、大好きな古道具に触れ、向き合う時間は最高に楽しかった。お店を通して、人との出会いもたくさんあった。だけど、時として「好き」は大きな壁となり、行く手を阻むこともある。

「古道具屋をしていたときは、買い付けに行って、持って返ってくる瞬間がやっぱり好きでした。古いものが好きだし、『好き』な目で選ぶから。でもそれを『売れるか売れないか』で選べなかったんですよ。それが、自分の古道具屋の失敗の原因だな、と思います。『売れる』よりも『好き』なものばっかりだったから。宝探しは楽しいけど、それが売れないときついし、売れたら売れたで好きなものを探してくるのもまた大変だし。複雑な感じですね。仕事が嫌だったわけじゃないけれど、勢いでスタートしてしまったぶん、回していくのが難しかったんです」
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「好き」と「お店として」、二つのバランスが取れず、少しずつ心に何かが溜まっていく。実家の母に癌がみつかったのは、そんなときのことだった。

それからは、母が入院するタイミングで青森に帰り介護をし、落ち着いたらまた関東に戻り……を繰り返す日々。その間、店は一時休業したものの、ついに山中さんは6年ほど続けた古道具屋の閉店を決めた。

「やっぱり、だんだん疲れていったんですね、“回していく”ことに。『お店をやる』っていうのが向いてないんだな、好きなことを仕事にしちゃいけないんだな……って反省して。それで、まったく関係ない仕事をしようと思ったんです、今度は」

子どもたちの自由な感性に触れて知った、ものづくりの楽しさ

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母の体調も少し安定し、関東に戻り本格的に仕事を探しはじめた。目に留まったのは、市の広報で募集されていた、小学校の特別支援学級での補助職員の仕事だった。福祉系の大学に通っていたということもあり、応募すると見事採用。教員暦10年だが支援学級をうけもつのは初めてという担任教員と補助職員の山中さん。「はじめて先生」コンビの、一年間のクラス生活がはじまった。

「低学年を担当したんですけど、二人ともはじめてだから、生徒たちとスッと打ち解けられたのかなって。変なフィルターがなかったというか。私は『先生』って呼ばれることに抵抗があって、大学のときも教員免許をとらなかったんです。だから、よもやそこで自分が『先生』って呼ばれる立場になるとは思ってなかったんですけど(笑)、すごく楽しかったんですよね」
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教室では音楽や絵を描くなど、身体を使う授業が中心だったという。「山中先生」も、自由な感性をもった子どもたちと一緒になって取り組んだ。作家の作品を自分の店に置くことはあっても、古道具屋時代は自分で何かを作る時間はなかった。大人になってからそれがはじめての、ものづくりだった。

「私、イメージはあるけど、絵が描けないんですよ(笑)。でも、そのクラスでは『こうじゃないといけないんだ』っていう概念がなかった。貼り絵にしても、大胆にやっていくと結構面白くて、いい感じにできたんです。担任の先生も『すごくいいね』って褒めてくれて。絵心はないけど、別に基礎がなくてもできるんだなあっていうのをそこで教えてもらって、ものを作る楽しさを知って。ああ、自分でものを作る側に立ってみたいなって、初めて思ったんです」
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その想いを胸に、楽しかった一年の職員生活を終えることになった。ちょうどそのとき、古道具屋時代のお客さんと連絡を取る機会があり久しぶりに会うことに。近況報告をしていると、お客さんは今度の市議会議員選挙に立候補するという。一度目は落選してしまったけれど、もう一度懸けてみたい、と想いを語るその人の姿が今の自分と重なった。「一ヶ月なら、ボランティアで手伝えるよ」。山中さんは、とっさに声に出していた。

「たすきをかけたり、手を振ったり、色々しましたね。地元だったら知り合いもいて恥ずかしいけど、隣の市だったから(笑)」

サポートの甲斐あってか、お客さんはぎりぎりのところで見事当選。山中さんの想いを知っていたその人は、「次はあなたの番だね」と背中を押した。
洋服作りを始めてから製作した、デッドストックの国産シルクのつけ襟。トルソーの上で、ひと際存在感を放っていた

洋服作りを始めてから製作した、デッドストックの国産シルクのつけ襟。トルソーの上で、ひと際存在感を放っていた

ものを作った経験はないけれど、専業主婦時代に着たい服がみつからず、子どもと自分の服を見様見真似で作ったことならある。そして、それはとても心が弾む瞬間だった。「やるとしたら洋服かな」、ぽつりと山中さんが口にすると、お客さんは「とにかくやってみなさい」と、ロックミシン*をプレゼントしてくれた。

「ミシンを与えられて、やらなきゃいけない状況にしてくれて、それが洋服を作るきっかけになったの。不思議ですよね。それまでは頻繁に連絡を取り合うような仲ではなかったんですけど、その人も私も『何かを変えたい』と思っていて。たぶん、お互いそういう時期だったんですよね」
* 布端をほつれないようにするかがり縫いができるなど、洋服作りに特化したミシン

母との別れ、「CHICU+CHICU5/31」の誕生

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愛おしい。今だから着たい「定番着」
こうして、服作りを始めた山中さんは、ブランド「studio A1401(スタジオエーイチヨンマルイチ)」をスタート。自宅で年に4回1DAYショップを開くから、ブランド名は住んでいるマンションの棟番号を名付けることに。はじめは、古道具屋時代のお客さんの中からおしゃれに関心のある10人ほどへ手紙を書いた。すると、口コミが広がり、来てくれる人が少しずつ増えていったという。

「ちょうどそのころ、自宅のインテリアが雑誌に掲載されることがたまにあって。情報として、洋服作ってるってことにも触れてもらってたので、それも大きいかも。昔は住所を全部書いてたんですよね、雑誌に。個人情報だから、今じゃ考えられないけど(笑)!」
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
山中さんが長年暖めてきたつぼみが、ようやく開きはじめたとき、闘病生活を送っていた母がもう永くはないことを知らされた。

「母には余命のことを伝えてなかったけど、たぶん、知ってはいたと思うんですよね。病院ではなく自宅にいたいということだったので、『何ヶ月かかるかはわからないけど』って主人と子どもに話をして。お店も服作りもお休みして、しばらく実家に帰って自宅介護することになったんです」
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
青森の長い冬が、やっと溶け出すころ。それは、ふつうの、なんでもない日常だった。おだやかな親子の時間が流れる中、母の最期の望みは叶えられた。父の転勤が多く、小学校からは祖父母の家で育てられた山中さんの、母との最初で最後の二人暮らしだった。その後も、精神的にショックなことが重なったという。でも、どんなことがあっても、山中さんはいつも自分の歩き出し方を知っているように思える。

「落ちるだけ落ちるんですよね。母が亡くなったときも、同じタイミングでいろんなことがあって、ずーっと泣いていました。それで、一旦はその落ちた状態が続くんですけど、一、二ヶ月して、なんでしょう、だんだんと気持ちが上がってくるんですね。そのパターンです、いつも」
vol.59 布作家・山中とみこさん -人も道具も、時を重ねたから
愛おしい。今だから着たい「定番着」
「いつまでもこうしてはいられない。名前を変えて、もう一度スタートしてみよう」
泣いたその分だけ、山中さんの中で新しいイメージはすでに芽吹いていた。お店を開くのは一ヶ月に5日間だけ。自分の洋服だけではなく、洋服まわりの作家さんのアイテムも扱う。制作をしながら、外の展示にも積極的に出よう――このときの構想が、そのまま今のブランドのベースとなった。

その後、「CHICU+CHICU5/31」は少しずつ根強いファンを増やしていった。今では同じアイテムをリピート購入するお客さんもいるほど。ブランドのスタートから10年が過ぎたころ、今まで山中さんが培ってきた縁やイメージが形になり、還暦にして自身の本を出版。その翌年の春には、「senkiya」内に実店舗をオープンさせた。開店記念日は、母の命日だ。
縁があり、親しくしているライター石川理恵さんが企画した書籍。古い布を使ったものづくりの、いろいろなアイディアが詰まっている 山中とみこ『古い布でつくる』主婦と生活社,2014,111p

縁があり、親しくしているライター石川理恵さんが企画した書籍。古い布を使ったものづくりの、いろいろなアイディアが詰まっている 山中とみこ『古い布でつくる』主婦と生活社,2014,111p

人にも物にも、いびつだからこその魅力がある

「白」は山中さんにとって特別で、「一番おしゃれだと思う色」なのだとか。シャツは絶対に生成りではなく、パキッとした白だと決めている

「白」は山中さんにとって特別で、「一番おしゃれだと思う色」なのだとか。シャツは絶対に生成りではなく、パキッとした白だと決めている

お客さんの中には、アイテムはもちろんのこと、山中さんの生き方や考え方に惹かれてる人も多い。「チクチク」の洋服を通して、山中さんが見てきた世界や過ごしてきた時間を感じ取れる。それは、山中さんが愛する古いものたちと同じ。今年から始めた新たな試みも、縁を大切にする山中さんならではのスタイルだ。その名も「たんぽぽ綿毛計画山中移動商店」。「CHICU+CHICU5/31」移動型の実店舗として、全国のショップを巡っていく。

「いきなり展示会や個展を開いたり、お店に製品を置いてもらうことは、売る側もかなりの数を売らなくてはいけないし、作り手側も数を作らなければいけない、お互いに結構プレッシャーがかかると思うんですね。なのでその前段階として、自分と作家さんのアイテムを持って、全国のショップに伺いますよーって試みなんです。私はお取り引きするときに、メール一通だけの場合は受けないんです。どんなに有名なお店でも。一度も顔を合わせたことない人の、自分で着たこともない洋服のおすすめを、多分できないでしょう?だったら、一度お会いしてから始めませんか?って。『たんぽぽ綿毛計画』で巡るのも、全部ご縁のあったショップさんなんです」
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「ほんの気持ち」や「気遣い」を忘れない山中さんと話していると、こちらの気持ちもほぐされていくよう。だからこそ、人との縁を繋いで、繋がれて、今の自分をつくってきたのだと思う。最後に、ご家族のこともちょっとだけ聞いてみた。なんでも、ご主人と次男である息子さんは、「捨てられない人」なのだとか……。

「一つ買ったら一つ処分するくらいの気持ちで買わないと。でも男の子って収集癖があるからダメでしょう?主人も古い釘から何から全部捨てないから。でも、それが役に立つこともあるんですけどね(笑)」
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
こんなところで「お母さん」な山中さんが見えて、思わず笑みがこぼれてしまった。でも、古道具が好きなら、山中さん自身もいろいろと物を溜め込んでしまいそうなものだけれど……。

「私はなんだろう、あんまり過去に執着しないから捨てられるのかも。たとえば器を買っても、おごそかに飾らないで日々楽しんで使うようにしているんです。万が一壊れたとしても楽しんだから、それはそれでしょうがないんだなって」

なるほど、アトリエには古道具が身を寄せつつも余白があり、窓からはしっかりと新しい光を取りこんでいた。
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「最近ね、撮影のときはいつも眼鏡をかけるんです。写真を撮られるのが苦手だったけれど、こうすると少し恥ずかしくなくなるの(笑)」そういって、意外な一面をのぞかせた山中さん。昔はいつも周りや相手を気にして、悩むことも多かったというから驚きだ。

「周りを気にするから人にも厳しくなったり、衝突も多くなったり。こだわりが強ければ強いほど許せなかったりすることも、やっぱり若いころはありました」
でも、と、そんな日々を撫でるように微笑む。

「そういいながらも人が好きだし、普通の人よりも、過去に何かを持っている人に魅力を感じるんですよ。誰からも好かれるような人にはあまり興味がなくて。嫌な面があったとしても、それはそれとして受け止めて。今自分に自信がなくて悩んでいても、神様は絶対に亡くなるときまでに修行の場を与えて、プラスマイナス0にしてくれるんだって想いが、自分の中にいつもあるんです。だから誰かに相談されたら、『絶対に大丈夫なんじゃない?』っていうんだけど。今が悪いほどいいんだよ、先に行く楽しみがあるからって。自分自身もそう思っていたので」
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愛おしい。今だから着たい「定番着」
いびつでも、傷だらけでも、それでこそ輝きが増し、完成するものがある。それは道具も人も一緒なのかもしれない。これからも山中さんは、「先に行く楽しみ」を見据えながら進んでいく。

たくさんまわり道をしてみつけた、自分の「定番」といえる生き方。
それは、山中さんの数あるお気に入りの中でも、いちばん大切な宝物だ。

(取材・文/長谷川詩織)
CHICU+CHICU5/31|ちくちくさんじゅういちぶんのごCHICU+CHICU5/31|ちくちくさんじゅういちぶんのご

CHICU+CHICU5/31|ちくちくさんじゅういちぶんのご

2003年にスタートした洋服ブランド。シンプルながら独特の風合いがある「大人の日常着」を展開し、現在は埼玉県川口市の「senkiya」にて、一ヶ月に5日間実店舗をオープンしている。主宰の山中とみこさんは、今年3月からは、「たんぽぽ綿毛計画山中移動商店」という新たなプロジェクトを開始。全国のショップを巡り、自身のブランドのアイテムや作家の作品を移動販売するなど幅広く活動している。

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