今日のお酒は本と一緒に
「まあまあ、まずはとりあえず」の入りの3冊
ゆるゆる飲み会ムードの1冊
キュートな酒豪の京都大冒険
■『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦 著(角川文庫)
京都の夜を舞台にして、黒髪の乙女が行く、ハイパーキュートな散歩道のお話。彼女は大酒豪であり、スケベな男の子にはグーのパンチも厭わない、まっすぐな女の子です。語り部である、彼女にゾッコンな冴えない京大生男子とのやり取りから、同じくお酒好きな老人との飲み比べシーン、京大らしいヘンテコ騒動の数々まで、妙に学生生活へのノスタルジーを感じる1冊。コロナ禍が落ち着いたら、木屋町や先斗町を訪れて、しっぽりいただきたいものです。
おひとり飲みの参考に
■『無職、ときどきハイボール』酒村ゆっけ、 著(ダイヤモンド社)
ぼっちがスタンダートな著者が引きこもりながらダルダルと生活をしながらお酒を楽しむ個人エッセイ。ひとり時間の過ごし方の指南も近頃は多いですが、こうして自然に楽しめる人も多いのも事実です。自分で作ったおつまみを元に、特段贅沢はせずに楽しんでいる日々の数々、これもまた、ちまちまユッケをつつくように読むのがおすすめ。一気に読むのとはまた違う気がします。軟骨のから揚げとかもそうですよね。フライドポテトとか、キュウリのピリ辛とか…。おなかすいてきました?
「思ってたんだけどさぁ」と深堀りの4冊
文化への寄り添い方を学ぶ
■『その姿の消し方』堀江敏幸 著(新潮文庫)
「発火石の味の章」のある1冊。ピンとくるアナタは、ワインがお好きですね。実はワインのテイスティングでは、味わいを表現するためによく使われる慣用句的な表現です。この本は、詩をめぐる小説です。詩の味わい方や、それの楽しみ方もそれぞれですが、表現について≪基礎≫をわかっていなければ正しい理解や価値の共有が難しいのは、ワインと同じ。発火石の表現のように、文化には既存のコードが存在します。それらを重ねたうえで培われてきたカルチャーであるということを理解して、同じ言葉を用いて味わいを楽しむ態度こそが、文化へのリスペクトです。新しく何かを始めるとき、何かの仲間に入りたいとき、学びの一歩を踏み出すときは、相手の土壌をなぞることで、受け入れてもらう必要があると思います。
ダメな男に呆れて同情
■『土曜の夜と日曜の朝』アラン・シリトー 著、 永川玲二 訳(新潮文庫)
タイトルから、「飲もうとしてるな」となんとなく理解できるでしょうか。二日酔いや寝坊が怖くない、1週間で一番いいタイミングですね。お察しの通り、主人公の男性は酒飲みです。自動車工場で働く彼が、11杯の大ジョッキとグラス7杯のジンを飲むところから始まるこの小説。いやいや、飲みすぎ飲みすぎ…と引きながら読み進めていると、案の定べろべろになり、階段から転げ落ちます。ほら、言わんこっちゃない。でも彼は「ちくしょー、このやろー!」という思いで生きているので、はいつくばって女性(人妻)の家に上がり込みにいきます。すごい根性です。著者のデビュー作であるこの作品は、悪漢物語として、労働者の青春を描く1冊。お酒の力を借りつつ、なにくそ!とひどいことをやりまくる姿、ヤケになる気持ちもわからないでもないんですよね。「うんうん、そうかそうか…まあ今日は愚痴りなよ…」と、大ジョッキ片手に、とりあえず相槌を打ってあげたくなるのでした。
グルメ学者が語り尽くすチャイナテーブル
■『酒の肴・抱樽酒話』青木正児 著(岩波文庫)
中国文学の研究者の著者は、かなりのグルメ通!自分でも食いしん坊ですと認めているお方です。研究中にも美味しそうなものが目に留まるようで、資料の中に現れる中華料理をフムフムなさっている1冊。確かに中国には、何千年もの歴史の中で培われてきた料理文化がありますね。広東料理から北京料理まで、よりおいしいものを豪快に・しかし繊細に楽しんできたのがわかる、これでもか!な趣向の数々、確かに興味をそそります。中でも面白いのは、酒豪VS下戸の悶着の資料。ああ、この時代から揉めていたのね…となんだか人間臭さを感じます。「なんで飲めないんだ!付き合えよ!」なお酒好きに、「そういうの嫌なんだって!」と下戸。当時はアルコールパッチテストもありませんからね…。令和時代に生きる我々は、お互いの飲む量を配慮しながら楽しみましょう。オンライン飲み会も、飲みたい人同士で、マナーを守って。
ほしいのはアルコールよりも…?
■『バー・リバーサイド』吉村喜彦 著(ハルキ文庫)
リバーサイドにある1軒のバーを営む店主のもとに、いろんな人が訪れて、愚痴を言ったり、悩みをこぼしたり…。ストレートにお酒がカギとなる1冊。こんなお店がひとつあると、心が安らぐのかもしれません。本当に欲しいのは、自分を慰めてくれる酔いではなく、どんな言葉でも「今日は疲れているから仕方ないですね」と言いながら寄り添ってくれる人間なのだと思います。誰でもいいから、聞いてほしいのです、全員。それを受け止めてくれる人間がなかなかいないことで、心の闇を抱えている人も多いでしょうね。飲食店に制限がかかっても、どうしてもお酒を飲みたい。そんな人たちの中にも、お酒が飲みたいのではなく、「話を聞いてほしい」が本心の人の割合が、多いように感じて仕方がありません。
ふわふわの頭で詩を楽しむ3冊
酒と月を愛し尽くした詩仙
■『李白詩選』松浦 友久 訳(岩波文庫)
中国の詩人、李白。歴史の授業で習ったという人も多いのではないでしょうか?彼はお酒をこよなく愛した宴会人。いつでもどこでもお酒を飲んでへべれけ状態だったようです。実際、一度お酒の飲みすぎで王様に無礼を働いてしまい、懲戒免職の自体も経験している始末。友人には「王様に呼ばれてもぐーぐー酔ったまま寝るヤバい酒飲み」と呆れの漢詩まで詠まれています。完全にダメ人間なような…。しかし、彼の読む詩は美しいのです。お酒と共にお月様を愛し、数々の名作を残しました。この本の中でも、たくさん酒と月をテーマにした詩が詠まれています。酔った頭で、水の上に浮かぶお月様を捕まえようとして船から飛び降り、溺死してしまったとまで言われている彼。きちんとした証拠は残っていませんが、なんとも詩人らしい最期ですね。王様に何をしちゃったのか気になりますが、赤ら顔で月を眺めてニコニコしている、気のいいおじいちゃんを想像しています。
名作古典も酒の力?
『ボードレール全詩集〈1〉』シャルル・ボードレール 著、阿部 良雄 訳(ちくま文庫)
こちらもお酒が大好きな詩人です。酒飲みのダメ男の錯乱した叫びから始まる詩集…読むと「うわぁ、ダメな人だ…アルコール中毒者だ…」とあきれてしまうんですが(笑)、彼が近代詩を切り開いた理由も、お酒にあったんだろうなぁと私は思うのです。お酒を飲むと、気が大きくなります。普段言えないことが言えたりもして、心を開けたり、感情が大げさになったり。泣き上戸になる人もいれば、笑い上戸もいたりしますね。シャルル・ボードレールもその中の一人であったのだろうと思います。彼の紡ぐ言葉が人の胸を打つのは、彼の中での「こうでなくてはならない」のブレーキが制御しなくてよい状態になっていたからだと感じるのです。お酒の力を上手く借りている実例のように感じます。まあ、私たちは、飲み会での失言には気を付けたいところですが…。
あなたの生活とも重ね合わせて
■『黒田三郎詩集』黒田三郎 著(思潮社)
庶民的で親しみやすい詩をうたう黒田三郎。生活の様子をそのまま、1人のよるべないポツンと立っている「僕」の視点から紡いでいきます。特段の絶景や感動した一瞬を切り取るのではなく、日常のありふれた一瞬をお道具箱から取り出したハサミでチョキチョキしていくように見えます。それも、丁寧にではなく、ざっくりと。自分と他人の間ではぐれてしまった人々の、なんてことないけれどもちょっと寂しい、でも誰にでもありそうなひと時を、ビヤホールから出た瞬間になぞらえて歌う詩が載っています。ぜひ、ご覧になってください。
■『きょうのできごと』柴崎友香 著(河出文庫)
柴崎さんの作品は、いわば≪飲み会文学≫。この作品も、とある晩に集まった男女数名の飲み会が舞台となっています。著者の描くものは、登場人物の心情や言動から人間の深さを読むべきものではありません。著者本人も、それは意識されているように思います。一人ひとりの心情を掘り下げるのではなく、浅瀬でだるだると佇んでいる人間模様のペアリングによって出る味わいを描こうとしているように思います。飲み会自体も、そのかろみが大切な時がありますね。「なんかよく知らない人もいるけど、まいっか…今日はそんな感じで」頬杖をついて、壁のメニューを眺めながら、会話に混ざらず、ぼーっとする瞬間を思い出します。