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芸術家にとっての「自分らしさ」は、創造の源であり、自身を表現へと突き動かすモチベーション。同時に表現することは、自分が自分でいるために、そして生きるために必要不可欠なものであり、人生そのものでもありました。大きな困難を目の前にすると、挫けてしまいそうになることや、「私ってこのままでいいの?」と自分に疑問を持つことがあります。そんな時こそ、自分を貫き通すことで時代を切り開いてきた彼女たちの人生を、のぞき見してみましょう。それぞれ違った形を持つ芸術家の生き方に触れてみれば、あなたの進むべき道が見つかるかもしれません。
草間彌生さんは、1929年長野県生まれ。幼少のころから幻覚や幻聴に悩まされていたことから、それを絵に描くという形で表現を始めました。1957年にアメリカへ渡り、インスタレーション作品の制作や、ボディペインティング・反戦運動といった「ハプニング」というパフォーマンスを行うようになります。当時としては過激な表現も多く含んでいたため、付いた異名は「前衛の女王」。日本ではなかなか受け入れられませんでしたが、90年代に入ってようやく回顧展や国際的な芸術祭で脚光を浴びるようになります。本書は、そんな草間彌生さんの人生や、当時考えていたことが詰め込まれた自伝です。
『無限の網―草間彌生自伝』草間彌生(新潮社)
無限の網―草間彌生自伝 (新潮文庫)
737円〜(税込)
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草間彌生さんの作品は、全体に水玉模様が施されていることで知られています。彼女にとっての水玉模様は、この世のすべてを構成するもの。彼女はこれまで、いろいろな物や空間に水玉模様を描き続けてきました。なぜなら、最後には自分にまで水玉模様を描き、表現の中に自分を埋没させることが、彼女の精神を癒す唯一の方法だったからです。
彼女が表現を続けるのは、自身の病気や苦しさに立ち向かい、自分を取り戻すため。アメリカに渡ったのも、「お金持ちと結婚しなさい」という母や日本の古いしがらみから逃れ、表現を続けるためでした。今でこそ国際的に広く認められ、日本を代表する女性芸術家の一人になった草間彌生さんですが、現在に至るまでさまざまな困難がありました。しかし彼女は、どんな状況にあっても自分を信じ、貫き通してきたのです。「自分を見失いそう」「本当の自分でいられないのが辛い」と感じる時、ぜひ彼女の作品や自伝を見て、元気をもらってくださいね。
笹本恒子さんは、1914年東京生まれ。もともと画家を目指しており、絵の技術を活かして新聞社で挿し絵のアルバイトをしていました。1940年、知人に誘われて財団法人写真協会に入社。男ばかりの世界だったため父や兄には反対されましたが、それを押しきって日本で最初の女性フォトジャーナリストとなりました。一時期写真から離れていたこともあったものの、71歳の時に復帰して写真展を開催し、日本写真家協会の名誉会員に。なんと100歳を超える現在でも、現役を続けています。本書はそんな彼女が98歳の時に書いた、101の「好きなもの」を紹介する本です。
『笹本恒子の「わたくしの大好き」101』笹本恒子(宝島社)
笹本恒子の「わたくしの大好き」101
0円〜(税込)
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国際会議、安保闘争、マッカーサーの姿など、戦中・戦後の歴史的な出来事を写真に納めてきた笹本恒子さん。日本の歴史を紡ぐだけでなく、その後も精力的に活動を続けてきた、行動の原動力は何なのでしょうか。彼女の「好きなもの」は、パリの屋根の下、旅支度、チョコレート、赤ワイン、夏のペディキュア、大地の色の部屋、テレビ英会話など。どんなに年をとっても変わらない「好きなもの」を、とても大切にしているそうです。写真家としてはもちろん、一人の人間としてあらゆることに好奇心を抱き、「好き」という気持ちに正直になって行動し続けるからこそ、彼女の生き方に輝きを感じるのかもしれませんね。
篠田桃紅さんは、1913年、旧満州・大連生まれ。5歳のころから父より書を学び、筆と墨に慣れ親しんできました。ほぼ独学で書を究めていく中で、書で描く文字という制限にとらわれず、自分の心を思いのままに表現したいと考えるようになり、抽象的な作品を生み出します。1956年にはアメリカで個展を開き、墨による抽象を描く芸術家として、世界的にも有名になっていきました。近年も展覧会が開かれ、自身でもエッセイを発表するなど、100歳を超えても活動を続けています。
『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』篠田桃紅(幻冬舎)
一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い
1,100円〜(税込)
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篠田桃紅さんは、兄弟の死や戦争の空襲などを経る中で、自分の表現を続けてきました。そのため、あくまで自分が置かれている環境や周囲の人々、運命に生かされているということをまっすぐに受け止めており、謙虚さを常に心にとめていたそうです。そんな彼女の作品は、墨、和紙、金箔、朱泥など日本画の素材を使って、平面に線や面を描き、さまざまな表情を作り出すもの。一見大胆な抽象表現に見えて、配置、色、大きさなど、細部にわたって自由かつ繊細さを感じます。
彼女の表現には、「こうなりたい」「こうなろう」と目的を定めるのではなく、あくまで大きな流れの中でたゆたいながら、自分の思う表現を続けてきたという生き方が現れているように感じます。厳しい周囲の環境や運命に立ち向かうのは、疲れてしまうもの。彼女の生き方を見ていると、そうしたものを受け入れる一方で、自分の心にはいくつになっても素直でいたいと思わせてくれます。
三岸節子さんは、1905年愛知県生まれ。先天性股関節脱臼という障害をかかえ、家族が経営していた工場も倒産するなど、幼いころから厳しい人生が始まっていました。15歳のころ本格的に絵画を学び始め、19歳の時に同じく画家の三岸好太郎と結婚。子どもにも恵まれますが、29歳の時夫に先立たれてしまいます。3人の子どもを育てる苦しい生活の中、彼女は絵画を描き続け、戦後数名の画家仲間とともに女流画家協会を設立。日本の女性画家の地位向上を推し進めた、女性の一人になりました。本書は、そんな彼女の絵画と随筆を収めた画集です。
『花こそわが命―三岸節子自選画文集』三岸節子(求龍堂)
花こそわが命―三岸節子自選画文集
0円〜(税込)
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女性が画家として身を立てることが難しく、女性画家が画壇にも受け入れられなかった時代。三岸節子さんは、現代を先取りするように社会と闘い、自ら地位を作り上げました。彼女の絵画は、生き方を表すように力強く情熱的。荒々しい筆致で、そこにあるだけで圧倒的な存在感を感じることができます。特に好んだモチーフは花で、生命力さえ感じられるような生き生きとした花の絵画を、生涯にわたって書き続けました。困難を乗り越えなければならない時、立ち向かわなければならない時、ぜひ上記の本を手に取って、彼女の熱意を感じてみてください。
いわさきちひろ|子供の平和と幸せを望み続ける生き方
いわさきちひろさんは、1918年福井県生まれ。裕福な家庭に育ち、幼いころから絵が上手でしたが、両親の反対で絵の道を一時は断念しました。その後、20歳の時に結婚した相手の自死、戦争で実家が空襲で全焼――ご本人の可愛らしい絵柄からは想像できないほど波乱万丈な人生を送ります。しかし、戦後からは少しずつ人生が好転。愛する人と結婚し、2人で子どもを育てながら、彼女は絵で生計を立てることができるようになっていました。本書は、そんな彼女が大切に育てた長男による評伝です。
『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』松本猛(講談社)
いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて
1,980円〜(税込)
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いわさきちひろさんが多く描くのは、温かい日差しの中で、無垢で純粋な笑顔をうかべる、夢の中にいるような子供たちです。彼女の描く子供はあまりに美しすぎたため、野山を駆け巡って泥だらけであったり、友達と取っ組み合いのケンカをしたりといった、本物の子供の姿からかけ離れていると批判されることもありました。
彼女は、どんな子どもであっても、みんな夢をもった美しい子どもに見えるのだそう。温かく愛のあるまなざしを持ち続けていたのは、彼女が戦争などの経験を経て、子供の平和と幸せを望んでいたからかもしれません。困難に見舞われても挫けることなく、そんなまなざしを持ち続けた彼女の人生を振り返ると、強さと温かい気持ちを分けてもらえるような気がします。
今回ご紹介した芸術家たちは、自分なりの表現を通して、さまざまな問題や困難を乗り越えてきました。時代は違っていても、彼女たちのゆるぎない生き方には現代にも通底する部分があります。「挫けそう」「つらい」「しんどい」そんな時でも向き合ってきた彼女たちの物語や作品から元気をもらって、また前を向いてみてくださいね。
草間彌生さんは、1929年長野県生まれ。幼少のころから幻覚や幻聴に悩まされていたことから、それを絵に描くという形で表現を始めました。1957年にアメリカへ渡り、インスタレーション作品の制作や、ボディペインティング・反戦運動といった「ハプニング」というパフォーマンスを行うようになります。当時としては過激な表現も多く含んでいたため、付いた異名は「前衛の女王」。日本ではなかなか受け入れられませんでしたが、90年代に入ってようやく回顧展や国際的な芸術祭で脚光を浴びるようになります。本書は、そんな草間彌生さんの人生や、当時考えていたことが詰め込まれた自伝です。
『無限の網―草間彌生自伝』草間彌生(新潮社)