痛々しくも美しい愛に身を焦がす女。
人とのふれあいのなか、心を開いていく頑固な老人。
変人と呼ばれながらも、自分だけの宝物を知っている中年の男。
そのすべての主人公たちが、私たちのなかにいる。
映画館の中で私たちはいつだって自由で、世界を心地よく浮遊できる。スクリーンからきこえる景色や沈黙にじっと耳を傾け、誰かの人生を体験する。名前も知らない人たちとそれを共有し、映画館を出れば少しだけ潤った気持ちを胸に、それぞれの日常へ戻っていく。
映画館離れが叫ばれるこの時代にも、長い映画史の中で人が映画に求めた夢は決してくすんでいない。たとえそれが、どんなに小さな物語であっても。
町に唯一の映画館、日田シネマテーク・リベルテ
日田には、そんなふうに豊かな自然と、歴史と、そして、町にたったひとつの映画館がある。大迫力の巨大スクリーンでもない、63席の小さな映画館。いわゆる、観光パンフレットに載っているような項目と並べるには違和感があるかもしれない。けれども、この場所のために各地から日田に足を運ぶ人がいることもまた、事実なのだ。
星マークのロゴが目印の「日田シネマテーク・リベルテ」
入り口は2階。サンルーフからは心地良く陽が差しこむ
上映が始まると同時にブザーではなく、懐かしいチャイム音が鳴った。
「うちで流しているのは娯楽とはちょっと違う、人生を考えるための映画。大人の勉強という意味でチャイムを流しています」
そう話すのは、「日田シネマテーク・リベルテ(以下リベルテ)」のオーナー、原茂樹さん。2009年に、閉館寸前の映画館を継ぎ、新たにリベルテを立ち上げた。ここでは映画の上映だけではなく、音楽ライブやトークショーなどのイベントも、積極的におこなわれている。待合室はカフェスペースになっていて、地元・県外を問わず様々な作家やアーティストの作品が所狭しと並ぶ。そのほとんどが、現在注目されている若手によるものだ。
オーナーの原茂樹さん
廊下を抜けると、様々なアーティストや作家の本や雑貨などが並ぶ待合スペースが広がる
「生きること」と葛藤した若き日々
「言葉にするとなんでもできるやつ、みたいになっちゃうんですけどね。でも、『本気じゃない』のがたぶん嫌だったんだなあと思います。みんなすぐに『田舎だから』とか『都会に行けば~』っていうけど、『いや別に田舎でもね』っていうのは昔っから思ってましたねえ。この町で生まれ育ったからスポーツも勉強ものびのびやれた。こんな性格になったのは日田のおかげかな」
「途中、岡山くらいから青いビニール屋根が出てきて。神戸に近づくにつれて、青が増えてきますよね。だんだんテレビとリンクしてくる。それで、僕は意思も別になく『薦められた』から、教員免許を取るために京都で降りる。でも後々思うんです。『本当に子供に教えるべき人って、あそこ(神戸)で降りる人なんじゃないかな』って。ずっと心がざわざわしているだけで、そのときはわからなかった」
幼稚園や小学校などの校外授業でも活用されるリベルテ。壁には園児たちからお礼に贈られたメッセージカードが飾られていた
「やっぱり『良い会社に行って』っていうのは、僕には違う。『生きる』ということのほうが心にぐっとある。でも周りが全員、“世の中”に向かって『そっちに行きまーす!』って感じだったから、『ほんとに、俺大丈夫か?』って気持ちもありましたね」
福岡でまず始めたのは、大手レンタルビデオショップのアルバイト。10代のころから音楽や映画が好きだった原さんには、もってこいの環境だった。音楽や映画にさらにのめりこむようになったのはこのときから。ほどなくして原さんはバンド活動を始めることになるのだが、この音楽活動こそが、今の原さんの基盤になっている。
原さんが音楽を特別に愛していることは館内の随所からも伝わってくる
写真左は相棒ともいえるギター。右はベルリンのアーティスト、「マーシャ・クレラ」のTシャツ。原さん自身が大ファンで、知人から声を掛けてもらい、ライブスタッフとして立ち合ったこともある
「今の映画と一緒ですよ。同窓会みたいに、みんなが集まる場所を居酒屋じゃなくて音楽にすればいいというか。バラバラの皆が一緒になれることを考えられれば、シンプルでいいですよね。でも意外とそれが伝わりにくかったりもする。まあでも、ずっとその“シンプル”を続けようと、今も思っています」
「好き」を芯にした、心の通ったコミュニティづくりは、今も原さんの基本姿勢だ。媒介が音楽でも映画でも、それは変わらない。
“じゆうなえいがかん”ができるまで
原さんは当時20代後半。会社員としての仕事も楽しく、バンド活動も続けながら充実した日々を送っていた。それでも気になって営業周りの途中に様子を見に行くと、ギリギリの状態で営業している映画館の姿があった。原さんは「なんとか映写機だけは残したい」という一心で、時折アドバイスをしながら映画館をサポートした。そのうちにオーナーからも熱意を買われ、映画館の運営を懇願されるようになる。しかし、一度打ち込んでしまったら中途半端ができない性格であることは、原さん自身がよく分かっていた。
「映画館の運営を応援してくれるはずだったんですけど、僕が断っているときに自由の森大学が閉校して、筑紫さんも亡くなってしまって。関係のある大人が1000人近くいたのに、皆何もしない。それこそ、1000人いれば1000のお店が出るようなことを、筑紫さんは期待していたんじゃないかなあって。『大人がそうだからダメなんだ!』って思いがこみあげてきて。勝手にですけど、僕が意思を受け継ごうと、この映画館を引き受けることにしたんです」
「大手は、人口140万人でやっと映画館をひとつ出すのに対して日田は6万人。圧倒的に人口が少なすぎるから、まあ難しいですよね。でも、難しいからやめるって選択肢は僕にはありませんでした。自分が日田に恩返しするのであれば今しかないなと思ったんです。その当時30歳くらいで、そろそろ周りが車や家を買い始めていて。なら僕はそれを、日田のために使おうと。これは未来への投資でもあるから」
カフェスペースで販売されているコーヒーと一緒に映画を楽しむこともできる。「温泉につかるようにゆっくりと映画に浸ってほしい」と原さん
「共産主義か!っていわれると、そういうことではなくて(笑)。ゲバラはキューバ革命後も、ボリビアを開放しようとまた苦しいところへ入っていく。ここが好きなんですよ。リベルテは、マクドナルド、ケンタッキー、洋服の青山、ヤマダ電機に囲まれて。ゲリラですよね。経済社会の森の中、やっぱり野営しながら。外観を派手にしたら、結局ほかと一緒になってしまう。温泉でいうなら、施設のきれいさじゃなくて、源泉をきれいにすることを最初に目指したんです。固定概念を開放しないと見えてこない世界を、切り開いていきたかった」
取材時には、日本とキューバの合作映画『エルネスト もう一人のゲバラ』が上演されていた
「フリーダムのハワイ的イメージじゃなくて、リバティは“何かを越えて得る自由”。そこはゲバラと一緒です。トップダウン的な変え方ではなく、僕だから変えられるものがある。日田は日田で勝手にそうやって盛り上がっていけば、『面白いかも』って人が来るじゃないですか。都会も田舎も関係なく、フラットに『じゃあ、みんなで遊ぶ?』みたいな場所を作りたかったんです」
原さんの指針パート2。左から、北九州市のフリーペーパー『雲のうえ』、雑誌『relax(リラックス)』、『暮しの手帖』。3誌に共通しているのは、場所や人を飾らずありのままに切り取っていること
「人が根付く場所」は人と作っていくもの
柱には絵本作家・谷口智則さん直筆イラストが描かれていた
1600年に日田で開窯された小鹿田焼(おんたやき)をはじめ、各地から届いた工芸が並ぶ
「東京だとへんな棲み分けがあって、近い業種同士打ちとけるのは、難しい部分があるかもしれないですね。でもここ、田舎にきたらね。映画好きや映画館好きって理由だけで集まれるじゃないですか。その部分さえしっかり芯があれば、『あの映画館いいよね』とか、『原君おもしろいよね』とかで集まれる。ちょっとクッションになるのが、僕の役目だと思います。本当は日田だけでなく、いろんな町にそういう人がいればいいなあと思うけど……。なかなか難しいみたいですね」
画家・絵本作家のミロコマチコさんもリベルテの常連
作家・重松清さんとミロコマチコさんの展示「きみの町で」がおこなわれたときの色紙
「コンテンツとして人を呼ぶというか、今でいうセレクトショップっていう概念がないんですよ。僕は人を『セレクト』できない。『あなたがすごく好きだから、じゃあどうする?』って1対1で始まっていく関係性が好きなんです。展示料金も受け取らないし、『これ売らなきゃ』っていうのもない。地道に向き合えば、『一人』がこうやって百万力になって、お金以上のものを返してくれる。今、この人たちとセッションをしていると思うんですよ。お互いの良いところを出して新しい曲が生まれるっていうスタイルを大事にしたい。映画館なんだけど、音楽をやっている感覚はありますね」
モデル・女優の菊池亜希子さんもリベルテを訪れた
「以前、日田で大きいイベントが開催されたことがあるんです。その日は、県外からうわーっと人が来たんですよ。でも、翌日はもうゴーストタウンのようになって。それ、一番ダメですよね。日常を元気にするためにイベントがある。イベントっていうのは、日常の延長線上でしかないのに」
「リベルテ」運営の傍らで、日田の林業再生を考えるグループ「ヤブクグリ」の広報係も務める原さん。写真は、その活動の一貫である「きこりめし弁当」。ゴボウを日田のスギの木に見立てたユニークで美味しいお弁当。売上の1割が森林募金に繋がる
神社のような存在の映画館でありたい
原さんがよく訪れる「大原八幡宮」。境内は澄みきった空気に満たされていた
「拝殿の扉の中に、何があると思います?そこには、鏡があるんですよ。感謝とか欲とか、自分自身が映る。自分の中に神様みたいな存在がいれば謙虚になれるから、その謙虚さで、人はコツコツと毎日を送ってきたんじゃないかなあって。だから、神社を作った人がすごい。会ってみたい(笑)。ほかの宗教は“教え”があるけど、日本の神社っていう独特なものだけ、布教もしないし、『あなたの心の中にもうあるでしょ?』っていう姿勢が好きです。神社に来るたびに『ああ、こういう感じにしたいんだよなあ』って思うんです」
「今の人って頭がいいから、『名作だから読む、観る』って思っている。でも、みんなが感動したから『名作』なわけであって、人とのベクトルの違いをそれで出したいっていうのがそもそも違うんです。僕自身、消化できない気持ちを抱えたときも映画や音楽に救われてきました。本当に良い言葉って涙が出てくるし、やっぱりすごいなって思うんですよ。苦しいときにはみんな塞ぎこんでしまうけど、そういうときこそ映画の主人公や作家が、あなたに何を伝えたかったのかを思い出してほしい。いつの世も無常だけど、人間はもがきながら闘っている。その時代で形を変えながら、みんな同じことを描いてる。処方箋みたいな役割もあるんですよ、映画って」
映写室には、1988年公開の『ニュー・シネマ・パラダイス』のポスターが。町の小さな映画館を中心に起こる人間ドラマを描いた名作。ポスターを見た瞬間、映画館に夢や希望を託した少年トトや、映写技師アルフレードのひたむきな姿が、原さんと重なった
エンドロールを眺めているときの幸福な余韻のように、リベルテは、そんな静かな感動に出合える場所なのだ。
(取材・文/長谷川詩織)
日田のシンボルともいえる三隈(みくま)川。夏には遊覧船が浮かび、幻想的な景色を楽しむことができる