広告から装丁、アートディレクションなどセキさんの活躍は多岐に渡りますが、その取り組みはデザイナーのみに留まりません。もうひとつのライフワークは、主宰している活動体「salvia(サルビア)」。salviaでは、「古きよきを新しく」をテーマに各地の伝統工芸や地場産業を活かしたさまざまなものづくりを展開しています。
「やっぱりものづくりがしたい!」事務職からデザイナーの道へ
「手を動かす楽しさを教えてもらったのは母でしたね。父はすごく外交的で、外に出て人前で喋ったりするのが好きな人なので、人とのつながりを大事にすることを学んだのかもしれないですね」
「うちの父が割と厳しい……というか、芸術方面にそこまで理解がなかったんですね。『まずは普通の大学で一般的な知識を学んで、本当に好きだったらそれから自分の好きな道に進みなさい』という薦めがあって、短大の幼児教育学科に進学しました。そこで学んだ絵本の授業や、幼児心理学みたいなものは、今でも役に立ってるなあと思うんですけど……」
「制作職を志望していたんですけど、配属されたのが事務職の部署だったんです。実際にその仕事をやってみたんですけど、ほんっとに本当に自分に合ってなくて、もう毎日のようにポロポロ泣いたりしていましたね(笑)」
「やっぱりものづくりに関わる仕事がしたい!」
ぎゅうぎゅうに押し込められた心の中で、その想いは日に日に膨らんでいくばかり。そんなある日、多摩美術大学に夜間コース*があることを知ります。どうやら社会人優先枠というものがあり、一度社会に出た人たちがもう一度学ぶ場所として進学するコースらしい……。「ここなら、もしかして自分のやりたいことに近づけるかもしれない」。セキさんに迷いはありませんでした。
セキさんのスケッチブックより。雑誌『イラストノート』に掲載されたもの
「本当に大変でした(笑)!サイトウ・マコトさんはすごくクオリティの高いものを作る人なので、大きいポスターから雑誌広告までひとつひとつにこだわりがあって、とにかく厳しくて。でも、その質の高さを身体で体感できたことはすごくよかったな、と思っています。少しは自信がついたというか、この厳しさを知っていたらどこでもやっていけるっていうのはあるかもしれないです」
「salvia」が生まれるまで
その場ですらすらと鉛筆を走らせます。ご本人曰く、迷うことはないそう。「手のエクササイズみたいな感じです」と、楽しそうに絵を描いてくれました
「誰からも頼まれることなく、ただただぼーっとしながら描いた植物の絵が、今の作風に繋がっているのかなと思います。やっぱり自然界にあるものが一番美しいと思っていて。コンピューターでは出せないなにかがあるんですよね。そんなものに近づきたい、とはいつも考えていますね」
そのころ、休養中に描き貯めたスケッチをもとにパターンを作り、友人と一緒に趣味として雑貨を作っていたセキさん。現在の「salvia」が誕生したのは、遊びともいえるそんな小さな活動がきっかけでした。
「趣味で作っていたマッチ箱を、たまたま原宿のギャラリーの方に見せたところ『うちで一回展覧会やってみる?』ってお話をいただいて、それまで作った物を発表する会を開かせてもらったんですね。で、そのときに展覧会の名前が必要だねってなって。マッチ箱から着想を得て、60~70年代の純喫茶っぽい名前を……と思って。友人とあーでもないこーでもないっていいながら、つけた名前が『サルビア』だったんです」
「salviaを始めたときから、靴下はずっと作りたいと思っていたのですが、靴下って最小ロットがある程度ないと作れないところが多いので、全然実現できなかったんです。でもある日、ネットでたまたま新潟の『くつ下工房』という工房をみつけて、代表の方のブログを読んだらすごく面白い方だったので、すぐにコンタクトを取ったんです。東京まで足を運んで下さって、お話したらなんだか意気投合して。一緒に靴下を作ってもらえることになりました」
発売以来、大人気の「ふんわりくつした」
どの柄にしようか迷ってしまいますが、その時間すらも楽しい
「読めないことがいっぱいありました。立体ですからね。編み機にもいろいろ制約があるので、なかなか思っているような絵にあがらなかったり。それまでのプリントや染物の感覚でやってきたので、『この部分はどうやってデザインするんだろう?』とか、理解するまでに時間がかかりました」
現場の技術や作り手に時間をかけて向き合うことで生み出されるsalviaのプロダクト。長年の経験で作られるたしかな技術だけでなく、セキさんが職人さんや受け継がれている伝統工芸に惹かれているのは、ものづくりの「芯の部分」があるから。
たとえば「ふんわりくつした」の原型となった靴下は、“体調を崩して入院していた家族のために、足がむくまない靴下を作りたい”という「くつ下工房」代表の想いから生まれたもの。根本に「想い」があること――ものづくり通して出会った人々によって、今のsalviaが作られているのです。
2006年創刊の『季刊サルビア』は、中身はもちろんのこと、表紙のデザインも楽しめます。現在までで40冊発行されています
スウェーデンで暮らして学んだ「豊かな暮らし」とは
(画像提供:セキユリヲ)
「20代のころからお金が溜まってはちょこちょこと行ってたのかな。それは単純に趣味で。そのころから、なーんかどうも『すごく居心地がいいなあ』と思っていたんです。北欧の人たちは自然が好きで、すごく自分に近しいものを感じたり、色使いにもとても惹かれるものがあって。いつかは一度、日本以外の国に住んでみたかったんですけど、それなら“北欧のどこか”がいいなあとずっと思っていたんです」
salviaの「よそおいブローチ」。暖かく美しい色使いが、どこか北欧のテキスタイルを思わせます
「取材で、セキさんにすっごく合う学校に行ってきたよ」――それは、“スウェーデン家具の父”と呼ばれるカール・マルムステン*が1957年に設立した、「カペラゴーデン」という学校でした。エーランド島という自然豊かな土地で、園芸・陶芸・木工・テキスタイルのコースに分かれ、自由な校風の中でものづくりを学んでいきます。
「『衣食住で必要なものは、自分たちの手で作って生活しよう。作りながら暮らしていこう』ってコンセプトの学校で。野菜は園芸科が作り、それを盛る器は陶芸科、食事のテーブルは木工科、テーブルクロスはテキスタイル科が……というふうに、生活全体を自分たちで作ろうっていう校風が、ほんとうにいいなって思って。試しに『サマーコース』っていう体験入学に10日くらい参加してみたら、さらに魅力的で。いろいろ悩んだのですが、一年間行ってみよう!と決意し、その夏から通い始めたんです」
セキさんが通っていた「カペラゴーデン」(画像提供:セキユリヲ)
(画像提供:セキユリヲ)
毎日織物を学んでいた校舎。すっかり織り物の虜になったセキさんは、帰国後も大きなスウェーデンの折り機をアトリエに置いていたそう(画像提供:セキユリヲ)
「スウェーデンではそれが普通みたいですね。小学校でも、自分の考えを毎日出して、それを共有する時間をすごく大切にしているみたいで。10時と15時に『フィーカ』というおやつの時間があるのですが、そのときだけはみんな15分くらい手を休めて、お茶を飲みながら今思っていることを話し合うという大事な時間なんです。寮生活をしている人は、授業が終わるとすぐ夕飯だったんですけど、私は家に帰って自炊していました。することもないのでまた家でも織物をしたり、冬なんかは暖炉の前で、みんなで編み物をしたり」
「必要なものは全部自分で作って、それをまた必要としている誰かに届けて。自分ができないことは、ほかの人が作ったなにかをいただいて……という感じで、そんなにたくさんのお金を持たなくても暮らしていけるんですね。それこそが豊かというか。『豊かさってなんだろう』ということは、すごく考えさせられる一年だった。それまで東京の忙しい時間の中で過ごしていたから、ものすごくカルチャーショックでした」
こうして一年の学校生活を終えたセキさんは、先生と再会を約束し、東京に帰ってきました。それまではデザイン事務所「ea」を拠点としていたsalviaでしたが、セキさんの帰国後は単体での活動により力を入れるため、現在の蔵前に拠点を移し、あらたなスタートを切りました。今でこそショップやアトリエが軒を連ね、ものづくりの町として知られるようになった蔵前ですが、こんなに盛り上がってきたのはここ数年のことだそう。salviaを含めた、ものづくりの道を志す同士が相乗効果を産み、作り上げてきた新たなこの町の風景。スウェーデンで改めて学んだ「人と人との関わり合い」が色濃く残る下町に惹かれ、この場所をアトリエに選んだ判断は間違ってはいませんでした。
どんなときでも「ご縁」をたいせつに
「全然隠してないんですけど、うちの子どもたちって私が産んでなくて。二人とも養子縁組で授かったご縁なんです。なかなか子どもに恵まれなかったんですけど、どうしても子育てしたいという気持ちを諦めきれなかったんです。上の子は2歳10ヶ月の女の子なんですけど、喋り方とかは似てきますよ、やっぱり」
現在、salviaでは「月いちサルビア」として、月に一度だけショップを開いています。そのなかで、セキさんは「ちいさな手仕事とおはなしの会」という、ミニワークショップをはじめました。でもそれは、普通のワークショップとは少し違っています。たとえば、前回のワークショップは「ライブ刺繍」。音楽を一曲流しながら大きな無地のテーブルクロスを6~7人で囲み、自分の目の前にある場所をチクチク縫っていくというもの。音楽が終わったらまた曲を流し、場所を交換して縫っていく……。前の人の縫ったものからイメージを膨らませ、新たな刺繍がほどこされていきます。
セキさんのお仕事が平面に留まらず、いつも多様な広がりを見せているのは、「繋がり」を大切にするセキさんだからこそ。この手から、場所から、これからどんなものが生み出されていくのか、今から楽しみでなりません。
自然に触れたときの気持ちを、これからも形にしていきたい
今は第一線から離れて稼動をセーブしつつ、小児科や保育園の装飾や内装など、空間デザインのプロジェクトがゆっくり進行中なのだとか。日常のなかでも、「子どもから学ぶことがたくさんある」と目を細めて話します。
「ほんとねえ、子どもの世界ってすごいなあって毎日感激してます。正直だしね。思うままに、素直に口とか顔に感情が出て。人としてこうあるべきだなーって思うんです」
現在進行中の小児科の内装スケッチ。こちらは受付のイメージ画
こんなに可愛い病院だったら行くのが楽しくなりそう!
セキさんのスケッチブックには、お子さんの絵も。「親バカみたいだけど、すごく良いんですよ。やっぱり、子どもの自由な線には負けます。私だったら、ここまでめちゃくちゃにできないですもん(笑)」
「セキユリヲのデザイン」を、私たちが心地よいと感じるのは、その瞬間をしっかりと見つめ、毎日を生きているセキさんが産み出すものだからなのでしょう。自分がすこやかでいられる場所、人、ものから。セキさんの小さなきらめきは、これからも繋がれていきます。
(取材・文/長谷川詩織)
刺繍やグラフィックとはまた違う表情が楽しめるゴム判