太陽に向かってのびのびと背をのばすような躍動感。それでいて可憐で、どこか儚げ。命の明と暗を含めながら、花を咲かせることを喜ぶかのように、風に揺れているようにも思える。そんな不思議な魅力であふれるチューリップ、スズラン、椿などの花々。
その姿は、ずっと見ていたくなり、見るほどに心がほどけていくようです。
その姿は、ずっと見ていたくなり、見るほどに心がほどけていくようです。
大輪の花は、青の中にひそむ黄色と融合して豊かな表情が生まれています
頭に巻いているのは、安原さんの絵が印刷されたスカーフ。太陽のようなやさしい笑顔がいっそう華やぎます
この絵を描いたのは、イラストレーターの安原ちひろさん。2012年からイラストレーターとしての活動をスタートし、絵の制作に留まらず、2017年・布博のメインビジュアルを担当したほか、メーカーとのコラボレーションアイテムに積極的に取り組むなど、多方面で活躍しています。
細い筆で、一筆一筆絵の具を丁寧にのせていきます。その動きに迷いは見えません
絵具を塗っては削る、絵具を塗っては削る、という作業をくり返す手法は、花を活き活きと表現するためにいろいろな手法を試した末にたどり着いたといいます。見えている花の色の下には、異なる色が塗り重ねられています。塗る・削るを加えるごとに、かすれとなって表現され、花に生命力が増していくのです。
この手法は、安原さんが本格的に絵を描きはじめた二十歳のころから変わりません。
この手法は、安原さんが本格的に絵を描きはじめた二十歳のころから変わりません。
ぎゅっと身体を縮めて目を凝らすように細かい箇所に筆を重ねていきます
黄色の下に重ねる色は、描いているときの直感。色と色とが重なりあり、世界に1つだけの表情を見せていきます
もうひとつ変わらないのは、絵のモチーフが「花」であること。
安原さんが、自らのインスピレーションで絵を描くとき、モチーフはすべて花。それは意図的ではなく、無意識なのだそう。「花を描いてください」という仕事の依頼を受けるたびに「私って花を描く人って思われているんだ」とはっとするほど。その無意識は、安原さんならではの花への愛情と深いつながりがあるようです。
安原さんが、自らのインスピレーションで絵を描くとき、モチーフはすべて花。それは意図的ではなく、無意識なのだそう。「花を描いてください」という仕事の依頼を受けるたびに「私って花を描く人って思われているんだ」とはっとするほど。その無意識は、安原さんならではの花への愛情と深いつながりがあるようです。
お花屋さんで育って生まれた視点
ご実家は、祖父の代から営むお花屋さん。安原さんが小さいころからずっと見てきたのは、切花の世界でした。飾りやすいように切り取られる葉っぱ、長持ちするように水切りされる花、用途によって組み合わされてつくられるブーケ。思春期のころは、人の意のままにされる花をかわいそうだと思い、お花屋さんという家業に対して反抗心を持っていたといいます。
「いっときは鉢物しか嫌だって思ってました。どんな反抗の仕方なんだって感じですけど(笑)。実家が花屋なので、花にお金を払う行為も理解できなかったんです。道端に生えてるのでいいじゃん、雑草でいいじゃんって思ってました」
「いっときは鉢物しか嫌だって思ってました。どんな反抗の仕方なんだって感じですけど(笑)。実家が花屋なので、花にお金を払う行為も理解できなかったんです。道端に生えてるのでいいじゃん、雑草でいいじゃんって思ってました」
「花屋さんていいね」自然にそう思えるように
しかし、ご実家から離れて社会人として忙しい日々を過ごすうちに、自分でも想像しなかったほど花を飾るようになったといいます。花を見たときに、心が華やいだり、ほどけたり。花がもたらしてくれる幸せが、安原さんの中で揺るがないものになったとき、「花屋さんていいね」と自然と思うように。「そのとき、花屋さんのある意味がわかったんです」そう話す安原さんの表情は晴れ晴れとしていました。
人の意のままになる花――それは、花が人々の暮らしの中で息づく姿。自分たちの命をめいっぱい届けてくれようとする姿なのかもしれません。そんなふうに花の生命力を感じさせてくれる力が、安原さんの絵にはあるのです。
人の意のままになる花――それは、花が人々の暮らしの中で息づく姿。自分たちの命をめいっぱい届けてくれようとする姿なのかもしれません。そんなふうに花の生命力を感じさせてくれる力が、安原さんの絵にはあるのです。
絵を描きたい。真っ直ぐで強い気持ち
小さいころから絵を描くことが好きだった安原さんは、共働きだったご両親の帰りを待つ間や、お母さんに連れて行ってもらった出かけ先でも絵を描いて遊んでいたといいます。
絵を描いているときに感じるたくさんの喜びや楽しさ。その気持ちから美大受験を決意したのは、自然のことだったのでしょう。
「自分の中で、美大に行く以外の選択肢がなかったんです。美大に行けないなら、もうどこにも行かないって気持ちでした」
絵を描いているときに感じるたくさんの喜びや楽しさ。その気持ちから美大受験を決意したのは、自然のことだったのでしょう。
「自分の中で、美大に行く以外の選択肢がなかったんです。美大に行けないなら、もうどこにも行かないって気持ちでした」
美大受験のときからずっと使い続けているバケツ。使い込まれた姿は、これまでの筆の重なりを表しているかのよう
安原さんは、学びたいことがないのに”将来のため”という理由で一般の大学に進学することに納得ができませんでした。周りに反対されるほど、意欲を再確認するように美大進学への熱量は増すばかり。ご両親や学校の先生を説得できたときは、もう受験シーズンがはじまった冬のことでした。
準備のスタートが遅くなってしまった安原さんは、1年間浪人することに。しかし、実技や学科を猛勉強した末に合格したのはテキスタイル科。絵が描きたくて絵画学科を目指していた安原さんは、第一志望に行けたわけではありませんでした。
準備のスタートが遅くなってしまった安原さんは、1年間浪人することに。しかし、実技や学科を猛勉強した末に合格したのはテキスタイル科。絵が描きたくて絵画学科を目指していた安原さんは、第一志望に行けたわけではありませんでした。
自分で感じたことを信じたい
繊維や織り、染めなどを学ぶテキスタイル科で、安原さんが選んだコースは「織り」。その理由に、安原さんの根っこの性格を表すような一面を垣間見ることができます。
「周りの人に私には織りは無理だよっていわれたので、『じゃあ織りにします!』って(笑)。そしたら本当に向いていなくて。織るのは楽しかったのですが、横糸に必要な本数を考えたり……織るまでの組織図をつくる計算が向いていませんでした」
授業を淡々とこなすように過ごす日々でしたが、大学生活も終わりを迎えようとするころ、授業がすごく楽しくなったといいます。やっぱり心を躍らせてくれたのは、自由に作品を制作するコースで絵を描いているときだったのです。
「周りの人に私には織りは無理だよっていわれたので、『じゃあ織りにします!』って(笑)。そしたら本当に向いていなくて。織るのは楽しかったのですが、横糸に必要な本数を考えたり……織るまでの組織図をつくる計算が向いていませんでした」
授業を淡々とこなすように過ごす日々でしたが、大学生活も終わりを迎えようとするころ、授業がすごく楽しくなったといいます。やっぱり心を躍らせてくれたのは、自由に作品を制作するコースで絵を描いているときだったのです。
周りの意見と反対の選択をするご自分のことを「ひねくれているんです」と笑う安原さん。
しかし、自分で体験した上で、感じたことに沿って決断したいという信念が見えてきます。その信念によって、周りに流されることで得られる心の余裕はなくなり、葛藤が生まれることもあるでしょう。でも、だからこそ、好きなことへの気持ちがいっそう固まる。そんな道を進む強さを、安原さんは胸の中に秘めているようです。
しかし、自分で体験した上で、感じたことに沿って決断したいという信念が見えてきます。その信念によって、周りに流されることで得られる心の余裕はなくなり、葛藤が生まれることもあるでしょう。でも、だからこそ、好きなことへの気持ちがいっそう固まる。そんな道を進む強さを、安原さんは胸の中に秘めているようです。
迷いながら進んだ社会人生活
理想と現実のはざまで揺れながら、美大卒業後に就職したのはアパレルブランド。しかし、安原さんが目指すものづくりの志向と異なる部分があり、心に違和感を抱えたまま仕事を続けることができなくなってしまいます。
そのブランドを退職後、安原さんは驚くような積極的な行動をとります。以前から憧れていたファッションデザイナーさんを街で偶然見つけると、一緒に働きたいという一心で「私の作品を見てください!」と直談判したのです。
そのブランドを退職後、安原さんは驚くような積極的な行動をとります。以前から憧れていたファッションデザイナーさんを街で偶然見つけると、一緒に働きたいという一心で「私の作品を見てください!」と直談判したのです。
直談判したデザイナーさんは、美大時代に講演を聞く機会もあり憧れていた人。自分の好きなものをつくる――そんな真っすぐなものづくりをする人でした。
「自分の手で絵を描いて商品として生み出し、納得いくまで最後までものづくりをしているところが好きでした。大学生のときは、自分が好きなもの、目指すものを作ることができるじゃないですか。でも、就職するとそれができないことのギャップに悩んでいました。そのデザイナーさんは、大学生のときの感覚のまま仕事をしていて、すごくいいなって思ったんです」
「自分の手で絵を描いて商品として生み出し、納得いくまで最後までものづくりをしているところが好きでした。大学生のときは、自分が好きなもの、目指すものを作ることができるじゃないですか。でも、就職するとそれができないことのギャップに悩んでいました。そのデザイナーさんは、大学生のときの感覚のまま仕事をしていて、すごくいいなって思ったんです」
昔から変わらない、絵を描くことの意味
デザイナーさんの元では、デザイナーのアシスタント、生産管理など、あらゆることを経験することができました。1番の学びを「自分なりにここまで頑張れるとわかったこと」というほど、がむしゃらに働いた3年間。忙しさの中でも続けていたのが、デザイナーさんへ自分の絵を見せることでした。
「勝手に絵を見せてプレゼンをしていたんです。デザイナーの⽅が、だんだん楽しみにしてくれるようになったので、ただ絵を⾒せていました」
「勝手に絵を見せてプレゼンをしていたんです。デザイナーの⽅が、だんだん楽しみにしてくれるようになったので、ただ絵を⾒せていました」
自分が描いた絵を見せることは、幼少のころから変わらない安原さんのコミュニケーションです。
「両親ともお店で働いていたので、スタッフの方など大人に囲まれながらお店の脇で遊んでました。絵を描いて見せると、大人の人って上手だねって褒めてくれるじゃないですか。それがうれしくて、お花屋さんで働いている人に遊んでほしくて、どんどん絵を描いて見せていました」
忙しそうに働く大人たちに、一緒に遊ぼうということは小さい子どもでも勇気がいること。そんな気持ちを伝えてくれるのが絵だったのです。絵を描くことは安原さんにとって、言葉に表せない感情を伝えてくれる大切な自己表現のようです。
「両親ともお店で働いていたので、スタッフの方など大人に囲まれながらお店の脇で遊んでました。絵を描いて見せると、大人の人って上手だねって褒めてくれるじゃないですか。それがうれしくて、お花屋さんで働いている人に遊んでほしくて、どんどん絵を描いて見せていました」
忙しそうに働く大人たちに、一緒に遊ぼうということは小さい子どもでも勇気がいること。そんな気持ちを伝えてくれるのが絵だったのです。絵を描くことは安原さんにとって、言葉に表せない感情を伝えてくれる大切な自己表現のようです。
ゆるやかに向かいはじめた独立への道
アパレルブランドを退職した安原さんは、生地メーカーに転職します。そこでの生活は、定時に帰れて土日祝日は休みという、それまでと真逆ともいえるものでした。最初は楽しかったものの、徐々に物足りなさを感じるように。
生まれたゆとりで以前から憧れていた海外暮らしを実現させようと英会話に通いはじめ、とうとう海外に行くことを決意し、生地メーカーも退職。しかし、行動にうつさなかった安原さんは、どこか自分の意欲に迷いがあったのでしょう。そんなとき、イラストレーターとしての独立は、導かれるようにやってきました。
「スペースが空いてるし、個展を開いてみれば」と、近所でギャラリーを運営する人が声をかけてくれたのです。それは、胸の奥にずっとしまい込んでいた「自分の絵で仕事をする」という思いにそっと火が灯された瞬間でした。
生まれたゆとりで以前から憧れていた海外暮らしを実現させようと英会話に通いはじめ、とうとう海外に行くことを決意し、生地メーカーも退職。しかし、行動にうつさなかった安原さんは、どこか自分の意欲に迷いがあったのでしょう。そんなとき、イラストレーターとしての独立は、導かれるようにやってきました。
「スペースが空いてるし、個展を開いてみれば」と、近所でギャラリーを運営する人が声をかけてくれたのです。それは、胸の奥にずっとしまい込んでいた「自分の絵で仕事をする」という思いにそっと火が灯された瞬間でした。
それまでは気心の知れた近しい人にだけ絵を見せてきた安原さんにとって、イラストレーターとして自分の絵を発表することは覚悟が必要でした。
「昔から個展をすることに抵抗があったんです。人に絵を見せることが恥ずかしくて。私が描いた絵を見に来てくれるのかな、ほしいと思ってくれるのかなって。自分の絵に自信がなかったんです」
自信が持てない中でも"友達なら来てくれるだろう"と安心できる理由を見つけ、思いきって個展を開くことにした安原さん。初個展をきっかけにして、イラストレーターとしての仕事が舞い込むようになりました。
「昔から個展をすることに抵抗があったんです。人に絵を見せることが恥ずかしくて。私が描いた絵を見に来てくれるのかな、ほしいと思ってくれるのかなって。自分の絵に自信がなかったんです」
自信が持てない中でも"友達なら来てくれるだろう"と安心できる理由を見つけ、思いきって個展を開くことにした安原さん。初個展をきっかけにして、イラストレーターとしての仕事が舞い込むようになりました。
自分の絵を届けてくれるもの
縁を紡ぐように活躍の場を広げてくれたのは、安原さんのイラストを印刷したアイテムたち。ファブリックやスカーフ、ハンカチやスマホケースなど、さまざまなカタチとなって安原さんの絵は多くの人の手に届いています。
「絵をメインで見てほしいという気持ちがあるんですけど、絵って遠い存在じゃないですか。人によっては、絵を飾るという感覚がないかもしれないし。だから、絵を紹介するときに『このハンカチの原画です』って伝えたら興味をもってもらえると思うんです」
安原さんにとってアイテムは、自分とお客さんとをつないでくれる大切なコミュニケーションツールなのです。
「絵をメインで見てほしいという気持ちがあるんですけど、絵って遠い存在じゃないですか。人によっては、絵を飾るという感覚がないかもしれないし。だから、絵を紹介するときに『このハンカチの原画です』って伝えたら興味をもってもらえると思うんです」
安原さんにとってアイテムは、自分とお客さんとをつないでくれる大切なコミュニケーションツールなのです。
「絵を変えない」というぶれない信念
ファブリックのサイズがさまざまなのは、"原画のサイズのまま"にしているから。絵をアイテムにするときに、安原さんが最も大切にしているのは「絵を変えない」ということです。
「ファブリックは、ポスターの感覚でつくっています。リピート柄ではないので、畳み方によって柄を変えてもらうこともできる。絵が軸ということは絶対にぶらさない。依頼をいただいた仕事だと変わってくるんですけど、個人のアートワークとしては、まず1枚の絵があって、そこからどうするのかを考えます。1枚の絵を組み合わせて柄をつくることはあるけど、絵のひとつひとつは原画のサイズのままにします」
「ファブリックは、ポスターの感覚でつくっています。リピート柄ではないので、畳み方によって柄を変えてもらうこともできる。絵が軸ということは絶対にぶらさない。依頼をいただいた仕事だと変わってくるんですけど、個人のアートワークとしては、まず1枚の絵があって、そこからどうするのかを考えます。1枚の絵を組み合わせて柄をつくることはあるけど、絵のひとつひとつは原画のサイズのままにします」
アパレルブランド、生地メーカーでの経験を経て、「絵を描くこと」に戻ってこれたことを不思議だという安原さん。ずっと好きだったことを仕事にしているという幸せが、「絵を変えない」という軸をつくっているのかもしれません。
「絵を変えない」ことと同じくらい大切にしているのは、使い手にとって心地いいアイテムであること。安原さんのものづくりは、常に使い手の立場に立ったやさしさであふれています。
やさしさのひとつは、素材選びです。スカーフには、原画の色が最もきれいに映るシルク100%を使用しています。しかし、ハンカチなど日々使うものに使用するには、値段が高くなってしまい購入するには負担になってしまいます。また、やわらかいがゆえに飾ろうとしたときにヨレてしまうという問題も。これでは、使い手のストレスになってしまいます。
やさしさのひとつは、素材選びです。スカーフには、原画の色が最もきれいに映るシルク100%を使用しています。しかし、ハンカチなど日々使うものに使用するには、値段が高くなってしまい購入するには負担になってしまいます。また、やわらかいがゆえに飾ろうとしたときにヨレてしまうという問題も。これでは、使い手のストレスになってしまいます。
こだわりのファブリックを使用したハンカチ
安原さんが使用するファブリックは、コットンとシルクを混合したもの。絵が軸というこだわりと、心地よさを両立できる最高の素材なのだそう。この4代目となるファブリックは、試行錯誤を重ねた末にたどり着いた力作。調度いいハリ感でアイロンがかけやすく、水を吸収してくれる扱いやすさが魅力です。それと同時に、インクジェットという手法で印刷すると、原画の色も美しく表現してくれるのです。
大判のスカーフは、ゆとりがあるのでいろいろな巻き方を楽しめます
だれにとっても心地よくあるように
スカーフは、一般的なサイズより5センチほど大きいサイズにしました。身長がそうであるように、人によって頭のサイズもさまざま。例えば、スカーフをヘアアクセサリーとして使ってもらうとき、大きいサイズであれば、だれにとっても調度よく巻くことができます。
そして、大きくしたことによって、ファッションとして身体に巻いたり、インテリアとしてソファにかけたりすることも。安原さんのやさしさによって、暮らしのいろいろなシーンを彩る存在となり、可能性を広げています。
そして、大きくしたことによって、ファッションとして身体に巻いたり、インテリアとしてソファにかけたりすることも。安原さんのやさしさによって、暮らしのいろいろなシーンを彩る存在となり、可能性を広げています。
自信がないからこそ生まれるもの
「アイテムに自信が持てないとお客さんに紹介できないんです。どんな絵を描くのかは自由だけど、アイテムとしてお客さんに届けるときは『こういう理由でこの素材・サイズを選んでます』と堂々と説明できるものにしたい。ごまかしたくないんです。値段が高いとお客さんが思われたときでも、その理由をきちんと説明できるようにしたいんです」
インタビュー中に安原さんが何度か発言された「自信がない」という言葉。ともするとネガティブに受け取られる言葉ですが、自信をつくるために重ねる時間があるからこそ、日常品として人々の暮らしにを豊かにしてくれる存在になるのです。
花や絵が、安原さんの心を豊かにする大切なものであるからこそ、自分がつくるものも使う人にとってそうであってほしい。この思いが、やさしいものづくりの原動力のようです。
花や絵が、安原さんの心を豊かにする大切なものであるからこそ、自分がつくるものも使う人にとってそうであってほしい。この思いが、やさしいものづくりの原動力のようです。
作品を生みだす手帳
ふと思い浮かんだ色やデザインを書き留めているのは、いつも持ち歩いている手帳。この1冊には、日々、安原さんのインスピレーションがあふれていきます。
ページを開くと、デイジーやスイートピーなどがあちこちに舞って華やか。絵のデザインは、「こういう色味の絵を描きたい」という色の表現への欲求からはじまることも多いといいます。
ページを開くと、デイジーやスイートピーなどがあちこちに舞って華やか。絵のデザインは、「こういう色味の絵を描きたい」という色の表現への欲求からはじまることも多いといいます。
感覚だからこそ生まれる、色使いの魅力
黒のとなりにオレンジがあったり、黄色があったり。一般的な相性のよさとはかけ離れていることも多い、安原さんの色の組み合わせ。ひとつひとつに深みのある、いうなれば濃く重たいとも感じる色。なのに、それぞれが融合しあって温かな空気が生まれてます。
「『これの隣はこれ!』という感覚で決めます。ときどき違うと感じて、白にしてみたり、黒にしてみたりすることもあります。描くときにこういう感じの色がいいなと、自分の中で感じるものがあるんです。この色は絶対に入れたいとか。そういう気持ちになることが多いです」
その時々によってただただ惹かれる色があるという安原さん。その強い思いが、描くことへの意欲となり、想像力となってぐんぐん絵の世界を広げていく。説明できない衝動的な感覚を大切にしてこそ生まれる不思議な魅力です。
「『これの隣はこれ!』という感覚で決めます。ときどき違うと感じて、白にしてみたり、黒にしてみたりすることもあります。描くときにこういう感じの色がいいなと、自分の中で感じるものがあるんです。この色は絶対に入れたいとか。そういう気持ちになることが多いです」
その時々によってただただ惹かれる色があるという安原さん。その強い思いが、描くことへの意欲となり、想像力となってぐんぐん絵の世界を広げていく。説明できない衝動的な感覚を大切にしてこそ生まれる不思議な魅力です。
育った作品に名前をつけるとき
取材時に製作中だったこちらの作品。どんなタイトルがつけられるのでしょう?
「尊くも敬わせてくれる 人のために。誰かのために。」
「木と木があつまって 森。時に 屋根となって まもってくれる 森の木々たちに 家を。」
詩のような言葉は、安原さんが絵につけたタイトル。絵を描くときはもちろん楽しい。でもそれにも勝るくらい心が躍るのが、完成した作品にタイトルをつけるときなのだそう。
描きあがった作品にタイトルをつけるとき、安原さんの頭の中だけで存在していた花の世界がカタチになるのです。種から芽を出し、茎をのばして花を咲かせるように育んでいく作品。「絵を描くことが好き」というぶれない思いは、さまざまな花となり、人々の暮らしを彩り続けます。
(取材・文/井口惠美子)
「木と木があつまって 森。時に 屋根となって まもってくれる 森の木々たちに 家を。」
詩のような言葉は、安原さんが絵につけたタイトル。絵を描くときはもちろん楽しい。でもそれにも勝るくらい心が躍るのが、完成した作品にタイトルをつけるときなのだそう。
描きあがった作品にタイトルをつけるとき、安原さんの頭の中だけで存在していた花の世界がカタチになるのです。種から芽を出し、茎をのばして花を咲かせるように育んでいく作品。「絵を描くことが好き」というぶれない思いは、さまざまな花となり、人々の暮らしを彩り続けます。
(取材・文/井口惠美子)
ひとつの茎からさまざまな花がのび、楽しそうに咲き誇っています