それは、昔から変わらない夏の景色です
創業から長い歴史を誇る廣田硝子は、ロングセラーの製品に恵まれる一方で、一時生産中止になった製品を近年いくつか再び「復刻」させているといいます。
新しい製品をつくり出すのではなく、昔あった製品をもう一度つくりあげること。いっときなくなったものを再び世に送り出すことは、おそらく言葉以上に大変なことなのではないでしょうか。復刻されたガラスはいったいどんなもので、また、なぜ「今」復刻に至ったのかを伺いに、東京の下町・錦糸町の会社を訪ねました。
ちょっぴりレトロで、ノスタルジックな廣田硝子のガラスたち
ブルーのガラスのふちをバーナーでひとつひとつあぶって白濁させる「雪の花」。夏の日のアイスやカキ氷、ゼリーを入れるのにピッタリなこのガラスの器は、40年のロングセラー商品です
「硝子メーカーごとの、各社の色というか、生きる道というか、みんなそれぞれカラーがあるんです。今は都内の硝子メーカーも10社くらいになってしまいましたけどね。繰り上がりでね、いつの間にかガラスの会社としては、東京の中で一番古いです」と廣田さんは笑います。
117年続いてきた硝子メーカーが「復刻」をつくるまで
(画像提供:廣田硝子)
これが、現在東京で最も古いガラスメーカー「廣田硝子」のはじまりでした。
そして、現在廣田硝子会長を務める三代目・廣田達夫さんの代になると、廣田硝子は戦後の大量生産の波に乗ることはせず、手づくりの硝子へのこだわりを強めていきます。
「大正浪漫」シリーズのそば猪口。日本独特の成型方法でつくられる水玉柄や市松模様が、夏を涼しげに彩ります
上段真ん中の画像のものが、特製の金型。この金型で一度かたちを凸凹にすることで、その後再びカップのかたちで整える際に凸の部分に高い温度が当たるようにします。こうして高い温度にさらされた部分だけが透明になることで、もともと乳白色のグラスに美しい模様が浮かびます(画像提供:廣田硝子)
模様が違えば、金型もそれぞれ。特製の金型と職人の技術によって生まれる一品です
「この美しい技術がなくなることは、単純に、日本にとって大変もったいないことだと思うんです」
“知らず知らずなくなっているもの”がある
たとえば花器もガラス製品のものを使っていたそうで、廣田さんはこう話してくれます。
「もったいない」という言葉を廣田さんは今回のインタビュー中に何度も繰り返し、次のように続けます。
「それでね、いかにそれらを買ってもらえる魅力的なものにしていくか。一年、二年で終わっちゃうんじゃなくて、十年、二十年、それ以上に続くものにしていきたいんですよね」
戦後携わっていた世代の職人でないと技術的につくれないガラス
1950年代といえば、音楽で言えば当時10代の美空ひばりが「東京キッド」を歌い、ファッションで言えばオードリー・ヘプバーンの影響でサブリナパンツが大流行した時代。カラーテレビが1960年に登場し、東京オリンピックの開催が1964年ということを思えば、戦後日本の高度経済成長の中、「古き良き」と「モダン」が入り交ざっていたころだとわかります。
東京復刻硝子「BRUNCH(ブランチ)」のコップ
「昔の日本の硝子って、すごいものが多いんですよ。なんていうのか……効率や生産性だけに縛られずに、遮二無二一生懸命つくっていた商品が多いんです」
と、廣田さん。
薄いガラスに施されたバラの模様。美しい線と面が揺らぎます
技術がまだ残っている今のうちに、もう一度つくる、そして復刻する。一度忘れられた技術を後世に繋いでいくことは、100年以上の年月を硝子一筋に歩んできた廣田硝子だからこそできることかもしれません。
残さないと残らない、廣田硝子が残したいもの
仕上げをかける前の「粗摺り(あらずり)」の作業。回転する円盤状のダイヤモンドの刃に押し当てながらカットを施していきます。こちらは七宝模様
「江戸切子は、ガラスが一番美しく、綺麗に見える加工のひとつなんでしょうね。いろいろ色をつけなくても、カットすることによって反射が出る。ダイヤモンドじゃないですけれども、ガラスの輝きや綺麗さ、そういうものが一番表現できる方法のひとつが、江戸切子だと思うんです」
江戸切子の「蓋ちょこ」。こちらは市松模様。常に品薄の人気商品です
25年ほど江戸切子を作る職人・河合さんの手元では、みるみるうちに美しい模様が浮かび上がります
現在すみだ江戸切子館では3人の職人さんが江戸切子に模様を彫っており、作業しているところを見学することができます
「江戸切子」も、そして「大正浪漫」も「ブランチ」も、作れる技術があるうちにきちんと繋げていくことを廣田硝子は選びました。過去と未来を一続きにするためには、人が「忘れない」という営みを続けるしかないのかもしれません。
(画像提供:廣田硝子)
廣田硝子の本社には、過去に作ってきたガラス製品がところ狭しと置かれています。この中からまた、「復刻」される製品が出るかもしれませんね
「これだけのことができていた歴史の積み重ねが、こんくらい(手を狭める)になっちゃって。本当はこれだけ(手を広げる)のことができるのに、とにかくもったいないことだと感じている。それが、廣田硝子が今、『復刻』をつくっている理由です」
「あの時代は良かった」というだけではなく、「これからも存在していて欲しい」というポジティブな復刻。廣田硝子で復刻された硝子は、そんなエネルギーに満ちています。
「人は、ガラスが好きなのかなあって思います」
ガラスが液体?どういうこと?と疑問に思っていると、廣田さんは優しい口調で説明を続けてくれます。
「一般的に固体というものは必ず分子の結晶がきれいに整然と並ぶらしいんですけどね、ガラスの場合、その並びがちゃんと綺麗にできていない。その様子が、液体の分子のそれに似ているらしいんですね」
現在、一応ガラスは「液体ではない」ということは証明されたらしいのですが、固体とも言い切れないというのが最新の見解とのこと。「ガラスとはいったい何なのか」についてはいまだに議論と研究が進められているのだそう
「人って、代替できる素材ができるとみんなそっちにいきがちじゃないですか。でも、携帯の画面とか車のフロントガラスとか、代替できそうなようで結局ガラスが選ばれて使われている場面は実に多い。紀元前からずーっと残っている素材がそうそうない中、2000年以上ガラスは使われ続けているんです。人は、ガラスが好きなのかなあって思います(笑)」
儚く、透明なガラス。長い間使われ続けてきたガラスは、それだけで、長い年月を詠んだ一遍の詩にも感じます。
(画像提供:廣田硝子)
錦糸町のように少しノスタルジックな町には、夕暮れ時がよく似合います。夏の夕焼けは、熱せられ形づくられている途中のガラスのようなオレンジ色。そして幾度となく繰り返されてきたように、きっと明日の朝には世界も夜に冷やされて、ガラスのように透明な朝がやってきます。
廣田硝子のガラスはまさに、同じ場所で同じ時代を過ごしたわけではないのに私たちが共有している、夏の日そのもののようです。
廣田硝子本社すぐ近くの景色。東京スカイツリーがどこからでも見える錦糸町に廣田硝子はあります