荘厳で静謐な世界遺産の宗教都市…和歌山県・高野山を訪れませんか?

荘厳で静謐な世界遺産の宗教都市…和歌山県・高野山を訪れませんか?

真言宗の開祖者である空海(弘法大師)が没した地として、いにしえより人々の信仰の場となっている高野山は、和歌山県北部に位置しています。標高1000メートル級の山々に囲まれた高野山の町は、2004年には世界遺産にも登録されています。深い山奥にひっそりと佇む高野山には壇上伽藍、総本山金剛峯寺、奥の院をはじめ数々の霊場があり、荘厳で静謐な雰囲気を漂わせています。今回は、古来、人々の信仰の拠り所であった宗教都市・高野山の見どころをご紹介します。2019年09月29日作成

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旅行・お出かけ
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近畿和歌山県名所世界遺産神秘的
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高野山とは?

和歌山県北部、大阪府との境界近くの紀伊山脈に位置する高野山の町は、周囲を山々に囲まれており標高800メートルの場所にある盆地です。
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和歌山県北部、大阪府との境界近くの紀伊山脈に位置する高野山の町は、周囲を山々に囲まれており標高800メートルの場所にある盆地です。

世界遺産に登録されている高野山には、日本国内外から訪れた大勢の観光客で賑わっています。その一方で、この地は真言宗の開祖者である弘法大師が没した地でもあり、日本有数の霊場となっています。開山から1200年以上もの時を経た今なお、高野山は人々の信仰の拠り所であり続けています。
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世界遺産に登録されている高野山には、日本国内外から訪れた大勢の観光客で賑わっています。その一方で、この地は真言宗の開祖者である弘法大師が没した地でもあり、日本有数の霊場となっています。開山から1200年以上もの時を経た今なお、高野山は人々の信仰の拠り所であり続けています。

悠久の時間を刻み続けてきた巨大な杉に囲まれた高野山・奥の院は日中でも薄暗く、深山幽谷とした雰囲気を漂わせています。山奥にひっそりと佇む荘厳で静謐な聖域、高野山を訪れ、幽玄閑寂とした世界を垣間見てみましょう。
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悠久の時間を刻み続けてきた巨大な杉に囲まれた高野山・奥の院は日中でも薄暗く、深山幽谷とした雰囲気を漂わせています。山奥にひっそりと佇む荘厳で静謐な聖域、高野山を訪れ、幽玄閑寂とした世界を垣間見てみましょう。

大門

左右に金剛力士像が安置されている朱色の大門は、国の重要文化財で高野山全体の総門です。現在の大門は1705年に再建されたものですが、もともとは11世紀に創建されました。この大門は、聖なる宗教都市・高野山へ私たちを誘っています。
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左右に金剛力士像が安置されている朱色の大門は、国の重要文化財で高野山全体の総門です。現在の大門は1705年に再建されたものですが、もともとは11世紀に創建されました。この大門は、聖なる宗教都市・高野山へ私たちを誘っています。

壇上伽藍

壇上伽藍は、高野山の二大聖地(壇上伽藍と奥の院)の一つで国の史跡、世界遺産となっています。ここは弘法大師が存命中に曼荼羅思想に基づいて根本道場を最初に開いた場所です。「壇上伽藍」という名の通り、ここでは、周囲よりも一段高い台地に数々の寺院建造物が立ち並んでいます。
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壇上伽藍は、高野山の二大聖地(壇上伽藍と奥の院)の一つで国の史跡、世界遺産となっています。ここは弘法大師が存命中に曼荼羅思想に基づいて根本道場を最初に開いた場所です。「壇上伽藍」という名の通り、ここでは、周囲よりも一段高い台地に数々の寺院建造物が立ち並んでいます。

金堂

壇上伽藍の中央にある金堂は、高野山全体の総本堂です。この場所は、高野山の宗教行事が執り行われる神聖な場所です。
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壇上伽藍の中央にある金堂は、高野山全体の総本堂です。この場所は、高野山の宗教行事が執り行われる神聖な場所です。

根本大塔

壇場伽藍の根本大塔は、816年から約70年の歳月をかけて完成したものと伝えられています。現在の建物は、1937年に再建されたものですが、壇上伽藍の根本大塔は、多宝塔としては日本最初のものです。
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壇場伽藍の根本大塔は、816年から約70年の歳月をかけて完成したものと伝えられています。現在の建物は、1937年に再建されたものですが、壇上伽藍の根本大塔は、多宝塔としては日本最初のものです。

御影堂

御影堂は、弘法大師の御影が祀られているお堂で、弘法大師が居住していたと伝えられている建造物です。
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御影堂は、弘法大師の御影が祀られているお堂で、弘法大師が居住していたと伝えられている建造物です。

総本山金剛峯寺

国の史跡・世界遺産に登録されている総本山金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山です。ここでは、高野山全体の宗務が行われており、高野山真言宗管が座住しています。爽やな高原の空気、山門へと続く石段、悠久の時を感じさせる数々の巨木が融和し、総本山金剛峯寺の荘厳な雰囲気を引き立てています。
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国の史跡・世界遺産に登録されている総本山金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山です。ここでは、高野山全体の宗務が行われており、高野山真言宗管が座住しています。爽やな高原の空気、山門へと続く石段、悠久の時を感じさせる数々の巨木が融和し、総本山金剛峯寺の荘厳な雰囲気を引き立てています。

蟠龍庭(ばんりゅうてい)

2340平方メートルの広さを持つ総本山金剛峯寺の石庭、蟠龍庭(ばんりゅうてい)は、日本最大級の石庭です。水の流れを現す白砂、大小の石、樹々、歴史ある建築物が織りなす景色は、まるで水墨画のようです。
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2340平方メートルの広さを持つ総本山金剛峯寺の石庭、蟠龍庭(ばんりゅうてい)は、日本最大級の石庭です。水の流れを現す白砂、大小の石、樹々、歴史ある建築物が織りなす景色は、まるで水墨画のようです。

女人堂

大勢の参拝者と観光客で賑わっている高野山は、創建されてから約1000年もの間、女人禁制の地でした。1872年に女人禁制が解かれるまで、女性はこの女人堂よりも先へ立ち入ることが許されませんでした。女人堂近くに立ち並ぶ、天を突く杉の大木が、神聖な霊場である高野山の悠久の歴史を物語っているかのようです。
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大勢の参拝者と観光客で賑わっている高野山は、創建されてから約1000年もの間、女人禁制の地でした。1872年に女人禁制が解かれるまで、女性はこの女人堂よりも先へ立ち入ることが許されませんでした。女人堂近くに立ち並ぶ、天を突く杉の大木が、神聖な霊場である高野山の悠久の歴史を物語っているかのようです。

金剛三昧院

金剛三昧院は、1211年に源頼朝の正室で「尼将軍」との異名を持つ北条政子が、頼朝の菩提を弔うために建立した寺院です。源頼朝・実朝父子の菩提が弔われている多宝塔は、国宝に指定されています。
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金剛三昧院は、1211年に源頼朝の正室で「尼将軍」との異名を持つ北条政子が、頼朝の菩提を弔うために建立した寺院です。源頼朝・実朝父子の菩提が弔われている多宝塔は、国宝に指定されています。

一の橋

弘法大師御廟に向かう参道の入り口となっている大渡橋は、「一の橋」と呼ばれています。一の橋を渡ると、高野山の高野山の二大聖地(壇上伽藍と奥の院)の一つ、「奥の院」に入ります。ここからは、弘法大師御廟へと約2キロメートルの参道が続いています。
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弘法大師御廟に向かう参道の入り口となっている大渡橋は、「一の橋」と呼ばれています。一の橋を渡ると、高野山の高野山の二大聖地(壇上伽藍と奥の院)の一つ、「奥の院」に入ります。ここからは、弘法大師御廟へと約2キロメートルの参道が続いています。

奥の院

一の橋を渡り、奥の院へ入ると荘厳で静謐な雰囲気が漂っています。石畳の参道、樹齢数百年の杉の大木、無数の墓碑が、高野山の神秘的な雰囲気を引き立てています。
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一の橋を渡り、奥の院へ入ると荘厳で静謐な雰囲気が漂っています。石畳の参道、樹齢数百年の杉の大木、無数の墓碑が、高野山の神秘的な雰囲気を引き立てています。

奥の院の参道には、平安時代から現代にけて各時代で名を馳せた著名人の墓をはじめ、無数の墓碑が並んでいます。
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奥の院の参道には、平安時代から現代にけて各時代で名を馳せた著名人の墓をはじめ、無数の墓碑が並んでいます。

約20万基以上もの墓碑の中には、皇族・貴族・戦国武将・大名といった社会的地位の高い人たちの墓碑も数多く存在します。
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約20万基以上もの墓碑の中には、皇族・貴族・戦国武将・大名といった社会的地位の高い人たちの墓碑も数多く存在します。

その一方で、奥の院参道両横には、無名人の墓碑も無数に立ち並んでいます。社会的地位を問わず、幅広い地位の人々の墓碑が並んでいる様子を眺めていると、弘法大師が開祖した真言宗が、身分を超えて多くの人にとって心の拠り所であったことが伝わってきます。
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その一方で、奥の院参道両横には、無名人の墓碑も無数に立ち並んでいます。社会的地位を問わず、幅広い地位の人々の墓碑が並んでいる様子を眺めていると、弘法大師が開祖した真言宗が、身分を超えて多くの人にとって心の拠り所であったことが伝わってきます。

かつて、庶民は血縁者が亡くなると、小さな石塔を高野山奥の院へ持ち運び、死者を弔っていました。無数の石塔は現在、無縁仏として供養されています。現代のように、自動車、電車、ケーブルカーも無かった頃に、庶民は、険しい山道を登りながら重い石堂を奥の院まで運びました。苔むした無数の石塔からは、死者を想う、昔の庶民たちの慈愛が伝わってきます。
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かつて、庶民は血縁者が亡くなると、小さな石塔を高野山奥の院へ持ち運び、死者を弔っていました。無数の石塔は現在、無縁仏として供養されています。現代のように、自動車、電車、ケーブルカーも無かった頃に、庶民は、険しい山道を登りながら重い石堂を奥の院まで運びました。苔むした無数の石塔からは、死者を想う、昔の庶民たちの慈愛が伝わってきます。

玉川

奥の院を悠然と流れる玉川は、奥の院浦山、霊場楊柳山を水脈とする清水です。この川に棲む小さな魚の背中にある斑点には不思議な言い伝えがあります。昔、子供たちがこの川で獲れた魚を串焼きにしていたところ、弘法大師が通りかかり、子供たちから串焼きの魚を分けてもらいました。弘法大師は、子供たちから分けてもらった魚の串を抜いて玉川に放つと、焼かれていた魚が生き返ったという伝説があります。玉川に住む小魚の背中の斑点は、その時の串の跡と言い伝えられています。
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奥の院を悠然と流れる玉川は、奥の院浦山、霊場楊柳山を水脈とする清水です。この川に棲む小さな魚の背中にある斑点には不思議な言い伝えがあります。昔、子供たちがこの川で獲れた魚を串焼きにしていたところ、弘法大師が通りかかり、子供たちから串焼きの魚を分けてもらいました。弘法大師は、子供たちから分けてもらった魚の串を抜いて玉川に放つと、焼かれていた魚が生き返ったという伝説があります。玉川に住む小魚の背中の斑点は、その時の串の跡と言い伝えられています。

御廟橋

玉川に架かる御廟橋は、高野山全体で最も神聖な場所とされている弘法大師御廟へと続く橋です。石造りの御廟橋、数々の墓碑、石畳の参道、天を突くように伸びる杉の巨木、弘法大師御廟が織りなす景色は、聖域そのものです。
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玉川に架かる御廟橋は、高野山全体で最も神聖な場所とされている弘法大師御廟へと続く橋です。石造りの御廟橋、数々の墓碑、石畳の参道、天を突くように伸びる杉の巨木、弘法大師御廟が織りなす景色は、聖域そのものです。

弘法大師御廟

弘法大師御廟は、真言密教信仰の中心です。周囲には、悠久の時間を刻み続けてきた杉の巨木が立ち並んでおり、弘法大師御廟が持つ荘厳で静謐な雰囲気を引き立てています。
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弘法大師御廟は、真言密教信仰の中心です。周囲には、悠久の時間を刻み続けてきた杉の巨木が立ち並んでおり、弘法大師御廟が持つ荘厳で静謐な雰囲気を引き立てています。

高野山を訪れてみませんか?

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いかがでしたか?高野山では、紹介したスポット以外にも素晴らしい見所が数多く現存しています。町全体に無数の寺院・仏塔が並ぶ、日本でもほかに例を見ない宗教都市・高野山。この地は、開山以来、1000年以上という悠久の時間を経てた今もなお色褪せることなく、人々の心の拠り所であり続けています。荘厳で静謐とした雰囲気の世界遺産の霊場、高野山が醸し出す神秘的な魅力を存分に味わってください。

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