人類にとっての普遍的な宝。「ユネスコ世界遺産」とは?
出典: 世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物です。現在を生きる世界中の人びとが過去から引継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産です。
世界遺産は、1972年の第17回UNESCO総会で採択された世界遺産条約(正式には『世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約』:)の中で定義されています。2015年12月現在、世界遺産は1031件(文化遺産802件、自然遺産197件、複合遺産32件)、条約締約国は191カ国です。
世界遺産には「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3つのカテゴリーがあり、日本には15の「文化遺産」、4つの「自然遺産」があります。いつかは訪れてみたい日本の宝。あなたは、いくつ知っていますか?
(1)法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)(1993年記載、文化遺産)
1993年、日本で最初の世界遺産として登録された奈良・法隆寺。創建されたのは607年(推古十五年)とされ、約18万7千平方メートルという広大な境内に、金堂・五重塔などを中心とする西院伽藍、夢殿を中心とする東院伽藍があります。法隆寺で世界遺産に登録されているのは、125棟の建造物のうち47棟。また、法隆寺からほど近い法起寺でも、現存する世界最古の木造建築物である11棟が登録されています。
出典: 写真手前が五重塔、奥が金堂。金堂には釈迦三尊像をはじめ、多数の仏像が安置されています。
出典: 西院伽藍の正面となる中門は飛鳥建築の粋を集めた荘厳な佇まい。両脇には我が国最古の仁王像、二体で一対となる「金剛力士像」が威容ある姿を見せています。
出典: 東院伽藍には、聖徳太子を供養する「夢殿」が佇み、内部には聖徳太子ゆかりの遺品が収められています。
出典: 法隆寺とあわせて世界遺産として登録されている法起寺は、聖徳太子が建立した七寺のひとつ。現存する世界最古の木造建築物として、敷地内の11棟の建物が登録されています。そのうち特に名高いのが三重塔。周囲の田畑や花々と調和して季節ごとの美しさを見せてくれます。
(2)姫路城(兵庫県)(1993年記載、文化遺産)
1993年の登録遺産のひとつ、姫路城。漆喰造りの白く優美な姿から「白鷺城」という愛称で親しまれています。城の始まりは南北朝時代にさかのぼり、安土桃山時代の羽柴秀吉の大規模な改修を経て、現在の城郭の姿となったのは江戸時代の初期、池田輝政の時代。江戸時代以前に建設された天守が残る「現存12天守」の一つとして数えられるほか、国宝五城や特別史跡、重要文化財などにも指定されています。
出典:www.flickr.com(@Ben Kubota) 優美な構えでありながら、戦に備えた知略や剛健さもそなえた城。螺旋状に張り巡らされた「縄張り」を持ち、城郭の規模は日本に現存しているものでは最大級です。
出典: お堀を手漕ぎ舟で巡ることもできます。笠をかぶり、ゆったりと舟に揺られてのお花見は、遠い昔に舟遊びを楽しんだ城主や姫君の気分を味わえそう。
出典:www.flickr.com(@allegro Takahi) 五層七階の大天守から見渡す街並み。「日本の道100選」にも選ばれ、姫路駅につながる大手前通りがまっすぐに伸びていくのが見えます。
(3)屋久島(鹿児島県)(1993年記載、自然遺産)
1993年に自然遺産として登録された屋久島は、鹿児島県の大隅半島佐多岬から約60kmの海上に位置する島です。島の90%が山林となっており、島の中央部の宮之浦岳を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、島の総面積の約21%にあたる107.47km²が世界遺産として登録されています。
出典: 海岸から森林、高山まで多様な気候が展開する中、この島だけの固有種をはじめ、日本の植物の70%を網羅する約1500種が育ちます。特に名高いのは屋久杉。屋久島の杉の中でも樹齢1000年を超えるものだけが屋久杉と呼ばれ、中でも縄文杉は高さ30m、樹齢は7200年とも言われる神秘的な巨木です。
出典: 「ウィルソン株」は樹齢およそ3000年の屋久杉の切株。中は空洞になっていて入ることができ、ある角度から見上げるとハート型に見えることからトレッカーに人気です。
出典: ウミガメが訪れる島としても有名な屋久島。産卵期の5〜8月にはウミガメを保護するために一般の入浜を制限し、観察会が開催されます。観察会は撮影禁止ですが、こちらは後日孵化した子ガメだそう。そのほか、ヤクジカやヤクザルなどの野生動物にも出会えます。
(4)白神山地(青森県、秋田県)(1993年記載、自然遺産)
1993年に自然遺産として登録された白神山地は、青森県南西部から秋田県北西部にまたがる、約13万ヘクタールの広大な山林地帯です。この地域には人為的な影響をほぼ受けていない世界最大級のブナ原生林が広がり、この中に460種以上の植物、ツキノワグマやニホンカモシカ、クマゲラなど、多様な生態系が保たれています。広大な白神山地のうち16,971ヘクタールが世界遺産として登録されています。
出典: 白神山地でのおすすめは「十二湖」を巡るトレッキング。透き通った青の「青池」は季節や時間帯によって異なる色を見せる神秘の池。「平成の名水百選」に選ばれた「沸壺の池」の涌水で淹れたお茶をいただける「十二湖庵」にも立ち寄りたいですね。
出典: 樹齢400年と言われるブナの巨木「マザーツリー」。白神山地のシンボルとも言われ、訪れる人々に愛されています。
出典: 三つの滝からなる「暗門の滝」は古くから名勝として知られ、多くの人々が訪れます。
出典: ブナの森林は保水力が高いことで知られ、「天然のダム」とも呼ばれるほど。木漏れ日やせせらぎの音が心も体も清めてくれます。
(5)古都京都の文化財(京都府、滋賀県)(1994年記載、文化遺産)
1994年、日本で5件目の世界遺産として登録された、京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市に点在する17箇所の寺社と城郭で構成される遺産。賀茂別雷神社(上賀茂神社)、教王護国寺(東寺)、延暦寺、平等院、仁和寺、二条城など、日本文化を知る上で忘れてはならない名所ばかりが名を連ねています。周辺の環境の変化を懸念して、今後さらに寺社や地区を追加登録する計画もあります。
金閣寺の正式名称は鹿宛寺(ろくおんじ)。舎利殿「金閣寺」が有名なためこの通称で呼ばれています。鎌倉時代に建立された西園寺と山荘を、室町時代に足利義満が貰い受け、大幅な改築・新築が行われました。昭和25年放火により焼失しましたが、昭和30年に再建。放火事件は、三島由紀夫の傑作小説「金閣寺」のモチーフとなりました。
出典: 石庭で名高い龍安寺(りょうあんじ)。白砂の空間に大小15の石が配置されていますが、その意図は明らかにされておらず「謎」なのだとか。そのほかにも遠近法を利用した塀など、見るものの感性に訴えかける情景があります。枝垂れ桜が咲く春と紅葉の時期が特に魅力的です。
出典: 「清水の舞台から飛び降りる」がことわざとして定着している清水寺。せり出すような舞台は「懸造り」という手法で、一本も釘を使わずに作られています。本来は観音様に芸能を奉納する場所で、雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲などの芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には舞台奉納が行われます。
出典: 現存している二条城は、江戸時代に徳川幕府が建てたもの。二の丸御殿、本丸御殿というふたつの御殿と、二の丸庭園、本丸庭園、清流園という三つの庭園があります。桜の季節や七夕などには、夜間のライトアップやプロジェクションマッピングなどの催しも行われ、歴史と現代的な美しさが融合した姿を見ることができます。
(6)白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜県、富山県)(1996年記載、文化遺産)
1995年、日本で6件目の世界遺産として登録。岐阜県の白川郷、富山県の五箇山は、どちらも飛越地方庄川流域の歴史的な地名。掌を合わせたような三角形の「合掌造り」の家が集落を形作っています。古くから人が住んでいたとされていますが、鎌倉初期に浄土真宗の布教が始まる以前の歴史は明らかになっていません。合掌造りの家が作られ始めたのは、養蚕業が盛んになり、家の中に養蚕スペースが必要となった江戸時代。谷間の豪雪地帯であったことから道路整備が遅れ、奇跡的に合掌造りの集落の形が保全されることになりました。
出典: 1961年、御母衣ダムの建設で多くの民家が湖底に沈んだことから危機感を持った人々によって保全活動がスタート。しかしその後も大雪や火災、過疎化や屋根の葺替えの費用負担などから多くの人々が村を離れました。白川郷では1971年「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を定めて保全運動を展開。世界遺産への登録が実現しました。
出典: 冬はライトアップされる白川郷。窓のあかりや茅葺き屋根に積もった雪が光を映し、雪景色の中に浮かび上がります。懐かしくも神秘的な風景を見たいと、厳寒にも関わらず多くの人が訪れます。
(7)原爆ドーム(広島県)(1996年記載、文化遺産)
昭和20年(1945年)8月6日、広島市に原子爆弾が投下されました。当時の広島市の推定人口35万人のうち9万〜16万6千人が、被曝から4ヶ月以内に亡くなったとされ、その後も多くの人々が被曝により亡くなり、苦しみました。原爆ドームは「核兵器による惨状をそのままの形で今に伝える世界で唯一の建造物であり、核兵器廃絶と恒久平和の大切さを訴える他に例をみない平和記念碑であること」として世界遺産に登録。人類の負の行為を記憶にとどめるための「負の世界遺産」とされています。
出典: 元安川のほとりに建つ原爆ドーム。広島県産業奨励館として造られた、モダンで美しい建物でした。爆心地からわずか150mという至近距離ながら、爆風がほぼ真上から働いたため、建物中心部のドーム部分だけが奇跡的に倒壊を免れました。現在は対岸には広島平和記念公園、橋の向こうには美しく発展した広島の街並みが広がります。終戦から71年が過ぎた、時の流れを感じます。
出典: 建物の劣化や「目にする度に当時のことを思い出す」という声もあり、何度となく取り壊しが検討されてきた原爆ドーム。けれどそれ以上に「戦争の悲惨さ、犠牲になった人々を忘れてはならない」という叫びや祈りの思いが、保存運動や署名活動を支え続けてきました。
出典: 2016年にはアメリカのバラク・オバマ大統領が広島を訪問。広島平和記念公園や広島平和資料館とともに、原爆ドームにも訪れました。オバマ大統領は原爆死没者慰霊碑に献花を行い、式典では自ら準備したスピーチを発表。原爆ドームは平和への、そして核廃絶の願いへの象徴として、これからも、人類の決意と祈りの場となっていくことでしょう。
(8)嚴島神社(広島県)(1996年記載、文化遺産)
潮の満ち引きによってその佇まいを変える大鳥居に、鮮やかな朱と海の青がコントラストを描く寝殿造りの神殿。広島湾の厳島に建つ嚴島神社は、日本を代表する名社のひとつです。創建の歴史は推古元年(593年)にまでさかのぼり、その後平安時代後期に、現在のような回廊で結ばれた海上社殿が造られました。1996年、日本独自の文化を伝える優れた建築であり、島全体が文化的景観を成している点を評価され、神社および周辺の緩衝地帯を含む、島全体の約14%が世界遺産として登録されました。
出典: 厳島神社の象徴とも言える大鳥居は、現在は八代目。大鳥居の建造には腐食に強いクスの天然木が使われ、高さは16メートル、主柱の周囲は約10メートルにもなります。さらに驚くのは、この大鳥居が海底に深く杭を打つことなく、自然の重みだけで建っていること。先人の知恵と技術力に驚かされます。
出典: 幅4メートル、長さ262メートルにも及ぶ朱塗りの回廊は壮麗のひとこと。床板には目透しというスリットが設けられており、台風のときに波のエネルギーを逃し、建物を守る役割を果たしています。
出典: 神社の前に広がる海、そして背後にそびえる弥山(みせん)の森林地域も世界遺産の登録資産です。登山道からは厳島神社の全景や、その奥にある豊国神社(千畳閣)まで見渡すことができます。ロープウェイも通じているので、世界に誇る神社の全景を一望したい方はぜひ訪れてみて。
(9)古都奈良の文化財(奈良県)(1998年記載、文化遺産)
710に年、平城京(奈良の都)として国の都となった奈良。奈良時代には律令国家として国の礎づくりがなされ、「古事記」「日本書紀」「万葉集」など日本最古の文学も誕生しました。また、遣唐使を送って大陸の仏教や文化を導入し、建築や宝物などにその影響が強く残されています。東大寺、春日大社、春日山原始林、興福寺、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡の8資産が世界遺産として登録されています。
出典: 世界最大級の木造建築、東大寺大仏殿。創建以来2度にわたって焼失し、鎌倉と江戸時代に再建されました。元旦と、万灯供養会が行われる8月15日のみ正面の観相窓が開かれ、大仏さまの顔を仰ぎ見ることができます。(大仏殿の見学は平時でも可能です。拝観時間は季節で異なります)
出典: 春日山原始林とともに世界遺産に登録されている春日大社。節分と中元(夏)の二度行われる催し「万燈籠」では、全国3000に及ぶ春日の御分社から奉納された灯籠すべてに灯りがともされます。春日神社も、遠く常陸国(茨城県)鹿島神宮より武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を迎えていることを思えば、日本人の信仰が当時から地域を超えてつながり、広がっていたことを実感できます。
出典: 東大寺、春日神社と春日山原始林、そして興福寺。4つの登録資産を擁する奈良公園は、ぜひ、じっくりと時間をかけて歩いてみたいものですね。
出典: 奈良公園から西側約5㎞の距離にある平城宮跡も登録資産のひとつ。江戸時代末から発掘され、研究されてきた平城宮の遺構を保全するだけでなく、朱雀門、東院庭園などが続々と復原され、往時の姿を伝える野外博物館としての整備が続いています。
(10)日光の社寺(栃木県)(1999年記載、文化遺産)
1999年、二荒山神社、東照宮、輪王寺の「二社一寺」に属する103棟の建物群と、周辺の景観遺跡が登録された「日光の社寺」。神道と仏教が融合した独自の信仰を育んできた宗教空間、そして十七世紀の天才的な芸術家が創り上げた錚々たる作品群など、自然と芸術、そして思想が融合した世界観が受け継がれています。
出典: 初代将軍である徳川家康を御祭神として祀る日光東照宮。「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻、左甚五郎の作と伝えられる「眠り猫」の彫刻、きらびやかな彫刻が施された陽明門や唐門、狩野探幽下絵の「想像の象」彫刻など、壮麗でありながらも信仰心や思想があらわされた芸術作品が見るものを圧倒します。
出典: 奈良時代に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山され、日光山全体を統合する寺院として発展してきた輪王寺。明治の神仏分離までは、東照宮や二荒山神社も、ひとつの「霊山」として包括されたものでした。現在も数多くの支院を擁しており、その全体をさして輪王寺と呼ばれます。
出典:www.flickr.com(@y kawahara) 日光駅側から大谷川を渡る「神橋」。勝道上人が川を渡れずにいた時に、神人である深沙王の放った蛇が橋になったという伝説が残る橋です。両岸の岩盤に橋桁を埋め込む「はね橋」としては我国最古のもので、ここを渡ることで二社一寺の神域に入ったとみなされる神聖な橋です。
(11)琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄県)(2000年記載、文化遺産)
沖縄県の首里城公園の火災被害につきまして、謹んでお見舞い申し上げます。
首里城公園につきましては現在、臨時休園のご案内が掲示されております。ご確認ください。
(2019年10月31日) 15世紀前半から19世紀後半まで、約450年もの間、沖縄を統治した琉球王国。日本と中国、そして東シナ海を通じて東南アジア各国とも交流し、独自の文化を発展させてきました。今帰仁城跡、座喜味城跡、首里城跡などをはじめとした城跡と、陵墓である玉陵、聖域である斎場御嶽など9箇所が登録資産になっています。
出典: 琉球王国の中心であり、繁栄の象徴でもある首里城。過去4度にわたり焼失しており、特に第二次世界大戦では壊滅的な打撃を受けました。現在のものは1992年に復元されたもの。世界遺産に登録されているのはあくまで「城跡」ですが、正殿のほかにも北殿、南殿、城門などが再現されており、唯一過去の栄華を知ることのできる場所です。
出典: 丘の斜面に石塀のみが残る今帰仁城(なきじんじょう)跡。13世紀頃から造られていたと言われる巨大な城ですが、1609年の薩摩による琉球侵攻で炎上し、その歴史を終えました。現在見えている城壁よりもさらに大きなものが埋もれているとも言われ、今後の発掘調査が待たれます。
出典: 斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球王国の神事を司る最高神女であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式など、国家的な儀式や神事が行われてきた聖地です。写真は二つの巨岩が三角形の空間を作る聖域のひとつ、三庫理(さんぐーい)。
斎場御嶽は観光客の急増による環境や生態系への影響を懸念し、年に2度の休息日を設けています。訪問の際にはご注意を。
2016年秋の休息日:旧暦10月1日~3日⇒新暦10月31日~11月2日
2017年春の休息日:旧暦5月1日~3日⇒新暦5月26日~5月28日
(12)紀伊山地の霊場と参詣道(三重県、奈良県、和歌山県)(2004年記載、文化遺産)
熊野の地は古くから聖地とされ、「古事記」や「日本書紀」に記述が残っています。中でも「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三神社は「熊野三山」と呼ばれ、修験道の修行の場とされてきました。さらに神仏習合や浄土宗の普及により、熊野の地は浄土とみなされるように。歴代の上皇の参詣が行われたことで参拝が盛んになり、貴族を始め多くの人々が参拝・宿泊を行うようになりました。単なる神社仏閣ではなく、山岳修行の道として信仰と自然が一体になった景観が評価され、世界遺産への登録が実現しました。
奈良県・和歌山県・三重県にまたがり、熊野三山と高野山、吉野・大峯の三つの霊場を結ぶ道、そして複数の寺社が登録資産とされています。2016年6月「中辺路(なかへち)」「大辺路(おおへち)」内などの22箇所を新たに追加登録する決議案がまとめられました。
出典: 熊野三山へ向かう参詣路の総称が「熊野古道」。写真は熊野那智大社へ向かう大門坂です。石畳の道は歩きやすく、熊野那智大社を越えて那智大滝まで歩いてもおよそ2.5kmの道のりなので、「熊野古道を歩くのは初めて」という方にも安心のコースです。
出典: 熊野三山のひとつ、熊野本宮大社。幟に描かれた三本脚の「八咫烏(やたがらす)」は、神武天皇を熊野国から大和国まで案内したとされ、導きの神として信仰されている神の使いです。熊野本宮大社は、神門より内側は撮影禁止。できれば参拝のマナーもしっかりと学んでから訪れたいもの。
出典:www.flickr.com(@Nao Iizuka) 熊野本宮大社から徒歩5分ほどの場所にあるのが「大斎原(おおゆのはら)の大鳥居」。高さおよそ34mの鳥居は、日本一の大きさ。かつてはこの場所に熊野本宮大社がありましたが、水害により流失し、現在の場所に移されたそうです。パワースポットとして訪れる人も数多くいます。
出典: 熊野三山のひとつ、熊野速玉大社。神宝館には、1200点にものぼる国宝が保管展示されているほか、樹齢千年の御神木「ナギの木」、熊野信仰を描いた「熊野曼荼羅」など、受け継がれてきた熊野信仰の真髄に触れる品々に出会うことができます。
(13)知床(北海道)(2005年記載、自然遺産)
アイヌ語「シリエトク(地の果て)」が地名となった最果ての地、知床。人間にとって過酷なその土地は、同時に野生の生態系にとっては、海と川、森が一体となった楽園でもありました。乱開発の時代にも知床の人々は、国有林の森林伐採計画に反対。「原生的な自然を保護すべき森林」として保護運動を行い、世界遺産登録へとつなげてきました。その姿勢は、開拓時代から自然との共存を試み、その厳しさと豊かさ、美しさを知っていたからこそかもしれません。
出典: 細長い半島に、1,600m級にもなる険しい山々が連なる知床連山。そのふもとの知床五湖は鏡のような静けさです。雄大さと静寂を併せ持つ景観が旅人を魅了します。
出典: 知床は、斜里側に39本、羅臼側に38本と、合計77本もの川が流れています。高低差のある地形と川が合わさって生まれるのは滝。「オシンコシンの滝」「カムイワッカの滝」「フレペの滝」など、数々の滝が美しい景観を見せてくれます。
出典: 知床のもうひとつの宝物は「海」。知床の海は、流氷とともに大量のプランクトンが流れ込む、栄養に恵まれた豊穣の海です。全国一の水揚げ量を誇る鮭をはじめ、ホッケやウニ、高級品で名高い羅臼昆布など、知床の海の幸は枚挙に暇がありません。観光船に乗って海に出れば、クジラやシャチ、オオワシなどが大自然の中で生きる、感動的なシーンにも出会えます。
出典: ヒグマの生息地としても名高い知床。しかし、ヒグマたちが生きる環境は年々厳しいものになっています。本来ヒグマは人との接触を嫌いますが、森の餌が乏しくなると、飢えて人里に降りてくるように。人を恐れなくなったヒグマは駆除するしかありません。食べ残しやゴミを放置したり、餌をやるなど「餌付け」につながる行為は絶対に慎みましょう。
(14)石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県)(2007年記載、文化遺産)
大陸を対岸とする日本海に面した島根県。石見(いわみ)銀山は1526年に開かれ、その後約400年にわたって採掘が続けられました。採掘から精錬までの作業が全て手作業で行われ、その過程が良好な状態で保存されていること、環境に配慮し自然と共生する土地利用の例が今に示されていることが評価され、2007年、鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産登録となりました。銀鉱山跡と鉱山町、鉱山と港をつなぐ街道、銀を積み出した港と港町の3地域登録資産とされています。
出典: 16世紀、世界は大航海時代。石見銀山の銀は遠くヨーロッパにまでもたらされ、高品質な銀として高い評価と信頼を得、東アジア貿易の中で重要な役割を担っていました。
出典: 石見銀山には、およそ600もの間歩(まぶ:坑道のこと)が残されています。産業革命による技術革新以前に採掘が終了したことで、人力による採掘・精錬の環境が保存される結果となりました。龍源寺間歩、大久保間歩(春〜秋の週末に限定公開)は実際に中を歩くことができます。
出典: 鉱山の守り神、金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀る、佐毘売山(さひめやま)神社。龍源寺間歩からほど近い場所に建っています。
出典: 大森地区には、江戸時代に開かれた歴史的な街並みが残されています。代官所や郷宿、武家屋敷や商家などが山の地形に添うようにして軒を連ねています。昔の建物をいかした資料館やカフェなどのお店なども多いので、散策を楽しんで。
(15)小笠原諸島(東京都)(2011年記載、自然遺産)
東京からおよそ1000㎞南南東、太平洋に浮かぶ小笠原諸島。約4800万年前に太平洋プレートが沈み込みを始めたことによって誕生した海洋性島弧で、およそ30の島から形成されています。海洋性島弧の形成過程を過去から現在進行中のものまで見ることのできる地形、また一度も大陸に接したことのない島であることから、動植物に独自の生態系が構成されていることが評価され、2011年、世界遺産への登録が実現しました。
出典: 小笠原諸島を訪れるには空路はなく、船が唯一の手段。外界から隔絶された環境の生態系を守るため、訪れる人は外来種を持ち込まないことがルールでありマナーです。靴や衣服、バッグやカメラの三脚などについた土や植物の種子などは島に上がる前に取り除きましょう。
出典: 小笠原の海を知るなら、ダイビングやドルフィンスイムなど、五感で楽しむ海遊びがおすすめ。透明度が高く明るいブルーの海には魚の群れが行き交い、イルカたちも一年中泳いでいます。船からは、迫力あるジャンプが見られるホエールウォッチングも楽しめます。
出典: 陸ではさまざまな花や鳥たちとの出会いが。こちらは小笠原諸島の中でも母島だけに生息する固有種、ハハジマメグロ。目のまわりの黒い三角模様が目印です。
離島の浜辺にはたくさんのカタツムリの化石。数百年前に絶滅した小笠原諸島の固有種「ヒロベソカタマイマイ」です。小笠原諸島の生態系の中でも、特に陸産貝類(カタツムリの仲間)は、進化の過程がわかる貴重な証拠が残されていることが高く評価されました。
(16)平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(岩手県)(2011年記載、文化遺産)
11世紀から12世紀にかけて栄え、日本の北方領域の政治の要であった平泉。戦で覇権を得た豪族・奥州藤原氏がやがて源頼朝に滅ぼされるなど、壮絶な戦が繰り広げられた歴史を持っています。悲惨な戦いから生き残った藤原清衡(きよひら)は「あまねく平等で戦のない理想郷を造りたい」という願いのもと、中尊寺をはじめ毛越寺、無量光院など、「浄土思想」を色濃く反映させた数々の寺院や宝塔を建立しました。中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5つが登録資産とされ、この他に柳之御所遺跡や達谷巌など、さらなる資産の追加登録をめざしています。
出典: 平安末期にあたる1124年(天治元年)に上棟された中尊寺。本堂のほか、金色堂、不動堂、そして奥州藤原氏の文化財3000点あまりを収蔵する宝物館、讃衡蔵で構成されています。
残念ながら金色堂の内部は撮影禁止ですが、文字通り、全面が黄金色の輝きを放っています。シルクロードを渡ってもたらされた夜光貝の螺鈿細工や、象牙や宝石で飾られています。内部には、藤原清衡公から四代目泰衡公までの亡骸が今も安置されています。
出典: 慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代にかけて造営された毛越寺。そこに息づいているのは、仏の世界、争いのない清らかな「浄土」を現世に実現するという「浄土思想」です。奥州藤原氏滅亡後に焼失しましたが、昭和29年から発掘調査が行われ、当時の姿が明らかに。現在は、静かな水を湛える大泉池を中心とする浄土庭園と、平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されています。
出典: 平泉を鎮護する聖なる山とされ、山中に金の鶏が埋められているという伝説を持つ「金鶏山」。山頂に経塚があり、銅製経筒や陶器の壺・甕などが出土しました。さらに毛越寺や無量光院は、この山を基準に位置を決めて建てられていることがわかっています。
(17)富士山-信仰の対象と芸術の源泉(静岡県、山梨県)(2013年記載、文化遺産)
標高3776mという日本一の高さと、秀麗な姿が際立つ富士山。「霊峰」と呼ばれ、古くから日本人の山岳信仰の拠り所であり、崇敬の対象となってきました。登山道や信仰遺跡を含む富士山域、富士山本宮浅間大社をはじめとした周辺の神社、山中湖や忍野八海などの湖や涌水、三保の松原など25箇所が登録遺産とされています。
富士山の美しさは古代よりさまざまな詩歌や散文で語り尽くされるだけでなく、江戸時代には葛飾北斎、歌川広重によって浮世絵に描かれることによって、海外の芸術にも影響を与えることとなりました。
葛飾北斎晩年の作である「富嶽三十六景」。遠近法を巧みに活かしたさまざまな構図で、富士山とそれを取り巻く自然や街、そして人々の姿をいきいきと描いています。当初は題名どおり三十六枚の作品でしたが、人気を集めたため十枚が新たに描かれ、合計四十六枚に。国内だけではなく海外での反響も大きく、ゴッホやドビュッシーに影響を与えました。
出典: 富士山は平安時代初期、そして江戸時代に大噴火の記録が記されていることから「活火山」とされています。一方で「富士本宮浅間社記」によれば、紀元前にさかのぼる第7代孝霊天皇の時代にも富士山の大噴火があり、山霊を鎮めるために第11代垂仁天皇が浅間大神を祀ったのが、富士山本宮浅間大社の起源だとされています。富士山本宮浅間大社では、7月に「お山開き」が行われ、安全祈願や勇壮な手筒花火の奉納などが催されます。
出典: 富士山の清らかな涌水が8つの泉を作る「忍野八海(おしのはっかい)」。かつては富士へ信仰の登山に臨む道者や富士講信者たちが、この泉で身を清める「禊の池」でした。「全国名水百選」に選ばれており、きれいな水で作る蕎麦やうどん、「忍野の豆腐」が人気です。
上空から見ると、火口の形がくっきりとわかります。その美しさが絶賛される一方、近年は登山者が急増し、環境破壊やマナー違反が問題視されている富士山。私たち自身も自覚を持って、この山の姿を守っていく必要があるのです。
(18)富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)(平成26年記載)
1872年(明治5年)明治政府が日本の近代化のために設立したのが富岡製糸場です。当時の日本の外貨獲得の手段として求められていたのが、当時の主な輸出品であった生糸の品質改善・生産向上でした。そのためフランス式の繰糸器械と技術指導者を招き、全国から集まった女工にその技術を継承するために富岡製糸場が開かれました。富岡製糸場のほか田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴の合計4箇所が登録資産となっています。
出典: 富岡製糸場内の東繭倉庫は、長さおよそ104mにおよぶ巨大な繭倉庫。2階に乾燥した繭を貯蔵し、1階は事務所や作業所として使われていました。国宝に指定されています。
出典:www.flickr.com(@Yoshizumi Endo) 繰糸所も国宝に指定されています。照明のない時代に作業をするため大きな窓を設けた、140mの奥行きを持つ建物内に300釜の繰糸器が並びます。小屋組みにトラス構造を用いることで、中央に柱のない大空間を作り出しています。
出典: 荒船風穴は天然の冷風を利用した日本で最大規模を誇る蚕種貯蔵施設で、1905年(明治38年)に建設されました。今でも当時と変わらない冷風環境が維持されていて、その冷たさを肌で体感することができます。
※富岡製糸場の登録資産の中には個人が所有する施設も含まれています。見学や写真撮影等ができない施設もあるのでご注意ください。
(19)明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(2015年記載、文化遺産)
現在、日本で最も新しい世界遺産が「明治日本の産業革命遺産」です。西洋先進諸国からの積極的な技術導入によって進められた日本の近代化を伝える産業遺跡群であるとして、2015年、重工業分野の産業遺産としては我が国で初の登録となりました。8県11市に点在する23の物件を同一文化群のまとまりとして、全体的な価値を評価してして世界遺産とする、シリアル・ノミネーション・サイトというアプローチがとられています。
東北から鹿児島にかけて8県に登録資産が点在しています。
萩エリア :山口県萩市(萩反射炉など)
鹿児島エリア:鹿児島県鹿児島市(旧集成館など)
韮山エリア :静岡県伊豆の国市(韮山反射炉)
釜石エリア :岩手県釜石市(橋野鉄鋼山・高炉跡)
佐賀エリア :佐賀県佐賀市(三重津海軍所跡)
長崎エリア :長崎県長崎市(小菅修船場跡など)
三池エリア :福岡県大牟田市・熊本県荒尾市・宇城市(三池炭鉱など)
八幡エリア :福岡県北九州市・中間市(官営八幡製鉄所など)
出典: 福岡県北九州市、「官営八幡製鐵所の関連施設」の旧本事務所。日本が産業国家として発展・自立した明治後期の基幹産業としての製鉄・鉄鋼業を代表する拠点として登録。このほか北九州市内の修繕工場、旧鍛冶工場、中間市の遠賀川水源地ポンプ室が登録遺産となっています。
出典: 端島炭鉱も登録遺産のひとつ。明治元年、いち早く開発された長崎沖の高島炭鉱の技術を引き継ぎ、炭鉱の島として開発。最盛期、島内に暮らす人口は約5300人に達しました。住宅や学校、病院などが密集して建てられた要塞のような姿から「軍艦島」という通称で呼ばれています。
出典: 反射炉とは、金属を溶かし大砲を鋳造する炉のことです。韮山反射炉は幕末期、代官江川英龍と、その子英敏によって作られ、元治元年(1864)に幕府直営反射炉としての役割を終えるまでに、鉄製カノン砲や青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造されました。こちらは反射炉(左下)と富士山(右上)の、「ダブル世界遺産」を1枚に収めた写真。お見事な構図ですね。
【NEW】国立西洋美術館本館(東京都)(2016年7月記載予定、文化遺産)
2016年、日本にまた一つ新たな世界遺産が誕生しようとしています。東京都上野の「国立西洋美術館」。「ル・コルビュジエの建築作品」として、フランスが代表となり、スイス、ベルギー、ドイツ、アルゼンチン、インド、日本の7カ国17施設を共同で推薦。2016年7月にトルコで開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式決定されることがほぼ確実となったことが報じられました。
出典: 日本の登録資産「国立西洋美術館」。ル・コルビュジエはパリを拠点に活躍した近代建築の巨匠。鉄筋コンクリートを用いた端正で機能的な建築のほか、都市計画や家具のデザインなどまで多彩に手がけました。ル・コルビュジエの建築が全世界に与えた大きな影響力、そして建築によるアイディア(近代建築運動思想)の具現化が、今回の評価基準となっています。
出典: 館内ホールのトップライト。三角形の窓から自然光が差し込み、ロダンの彫刻群を照らします。
出典:www.flickr.com(@John Lord) 同時に登録資産となっている作品のひとつ、フランスの「ロンシャンの礼拝堂」。7カ国17施設の世界遺産一括登録が実現すれば、大陸をまたいでの登録は初となります。
日本国内に現在ある世界遺産、そして登録間近なものを併せてご紹介しました。単純に美しさや珍しさだけではなく、歴史や文化、信仰や環境などに裏打ちされた根拠があるんですね。私たち自身がどのように日本を理解するか、そして受け継いだ宝や精神をどのように守っていきたいか。日本国内の世界遺産を訪れたときには、そんなことを振り返って考えるのも大切なことかもしれません。
1996年登録の文化遺産「嚴島神社」。