日本が大きく揺れ動いた江戸時代末期に活躍した新撰組の魅力は、新撰組が潰えた戊辰戦争終焉から150年以上もの時間を経た今も色褪せることなく輝いています。大河ドラマ「新撰組!」、司馬遼太郎の「燃えよ剣」「新撰組血風録」に代表されるように、数々のドラマ、映画、小説として描かれている新撰組は、京都に駐屯し、数々の功績を残しています。煌びやかな歴史を誇り、日本屈指の観光地として人気を誇る京都で、幕末に活躍した志高き若者集団、新撰組の足跡を辿ってみませんか?2016年09月14日作成
新撰組は、江戸時代末期に京都の治安を維持する警護活動をしていた集団です。“新撰組”と聞くと、自然と浅葱色をしただんだら模様の羽織を想い描く方も多いのではないでしょうか。実は、「浅葱色のだんだら模様」は、新撰組にとって大変重要な意味があります。だんだら模様は、主君の仇打ちを遂げた忠義の象徴でもある忠臣蔵の赤穂浪士にちなんだものです。また、浅葱色とは、武士が切腹するときに身につける着物の色です。すなわち、新撰組の隊士達は、「死を覚悟し、忠義を尽くす」覚悟を決めて厳しい隊務に臨んでいたのです。新撰組が活躍した江戸時代末期は、厳しい身分制度で統治されていました。新撰組局長の近藤勇と、副長の土方歳三は共に農民身分でありながら幕臣にまで登りつめた人物です。幕府軍と維新志士の間で大きく揺れ動いた江戸時代末期の日本で、最後まで幕府軍として戊辰戦争を戦い、散って行きました。日本を守るべく、奔走した熱き志をもった若者たちの足跡を辿ってみませんか?
京都へ上洛した壬生浪士組(新撰組の前身)は、最初の屯所として新選組屯所跡・壬生郷士八木邸に駐在していました。
壬生郷士八木邸からほど近い場所にある旧前川邸にも新撰組が駐在していました。個人宅となっている旧前川邸は、内部を見学することはできませんが、誠一文字の旗が掲げられた門は、往時の名残を今に伝えています。
壬生屯所近くにある光縁寺は、数多くの新撰組隊士たちが眠る場所です。ここには、新撰組総長を務めた山南敬介をはじめ、新撰組で殉職した隊士達の墓碑があります。
光縁寺のほか、壬生寺にも、新撰組隊士の墓が数多く残されています。
壬生寺には、新撰組局長・近藤勇の胸像があります。抜群の剣術の腕前と熱い志を持ちながらも享年35歳という若さでこの世を去った近藤勇がどのように激動の時代を生きたのか、想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
一介の浪士集団であった新撰組の名を天下に轟かせたのが、「池田屋事件」です。1864年、旅籠屋「池田屋」で、京都御所の焼き打ち計画を企てていた尊王攘夷派維新志士達を捉え、京都御所焼き打ちを未然に防いだ新撰組は、一躍有名になりました。
池田屋事件の舞台となった旅籠屋・池田屋は、現在、居酒屋「池田屋・はなの舞」として営業されています。店内には江戸時代末期に活躍した新撰組隊士や尊王攘夷派維新志士達の錦絵が飾られており、幕末らしい風情を楽しむことができます。
店内にある大階段は、池田屋事件の舞台となった旅籠屋「池田屋」の階段を再現したものです。
池田屋・はなの舞は、日中も営業しており、ランチメニューも豊富です。土方歳三ランチ、沖田総司ランチ、斎藤一ランチなど、様々なメニューが用意されています。
1864年8月20日に、京都御苑で尊王攘夷派維新志士と幕府軍が衝突する蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)が起こりました。新撰組は、幕府軍として蛤御門の変に出動しています。
広大な敷地を誇る京都御苑には、数々の美しい日本庭園があります。緑豊かな京都御苑で、のんびりと浮世絵のような景色を堪能してみるのもおすすめです。
大勢の参拝者と観光客で賑わう西本願寺は、浄土真宗本願寺派の総本山です。壬生屯所が手狭になった新撰組は、一時期、西本願寺に駐屯していました。
次々と歴史に名を残す功績をあげた新撰組は、やがて幕臣となります。幕臣となった新撰組は、現在のJR京都駅近くの不動堂村に屯所を移しました。今は高層ビルの間に石碑が残るのみですが、新撰組が駐屯していた頃は大名屋敷並に立派なものであったと伝えられています。
時代はさらに大きく揺れ動き、ついに幕府軍と薩摩藩・長州藩を中心とした討幕派軍が衝突する戊辰戦争が勃発します。新撰組も、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍として出陣をしました。今は石碑のみが残る伏見奉行所は、新撰組が京都で最後に駐屯していた場所です。
京都には、紹介したスポット以外にも、数々の新撰組ゆかりの地があります。時代の波に飲み込まれながらも、熱い志をもって隊務に望み、歴史に名を遺した若者たちの足跡を辿り、激動の幕末へ想いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
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新撰組は、江戸時代末期に京都の治安を維持する警護活動をしていた集団です。“新撰組”と聞くと、自然と浅葱色をしただんだら模様の羽織を想い描く方も多いのではないでしょうか。実は、「浅葱色のだんだら模様」は、新撰組にとって大変重要な意味があります。だんだら模様は、主君の仇打ちを遂げた忠義の象徴でもある忠臣蔵の赤穂浪士にちなんだものです。また、浅葱色とは、武士が切腹するときに身につける着物の色です。すなわち、新撰組の隊士達は、「死を覚悟し、忠義を尽くす」覚悟を決めて厳しい隊務に臨んでいたのです。
新撰組が活躍した江戸時代末期は、厳しい身分制度で統治されていました。新撰組局長の近藤勇と、副長の土方歳三は共に農民身分でありながら幕臣にまで登りつめた人物です。幕府軍と維新志士の間で大きく揺れ動いた江戸時代末期の日本で、最後まで幕府軍として戊辰戦争を戦い、散って行きました。日本を守るべく、奔走した熱き志をもった若者たちの足跡を辿ってみませんか?