文学で辿る、あなたの知らない神戸の姿
女性の、女性による、女性のための街
逆輸入されたガールズ・ノベル
ヒロインたちの住むところ
■『細雪』谷崎潤一郎(新潮文庫)
関西の女性というと、気が強くノリがよく、直接的な物言いをする…というステレオタイプがありますが、谷崎潤一郎が芦屋に住んだ当時は真逆でした。彼は「神戸の女性は声が小さく、全ての物言いが婉曲的で丸く、淑やかだ」と語っています。女性への歪んだ愛やマゾヒズムを描く文学で有名な彼も、女性が主役であった街、神戸・阪神間からインスピレーションを得ていたようです。物語は、神戸の邸宅に住む、性格の異なる三姉妹が主役。見所は女性陣の絢爛豪華な着物の様子と生活スタイル。もう少しで腐ってしまいそうな、退廃美の一歩手前…円熟の極みの豊かさは、エロティックにも映りますね。
“神戸の女性”という存在
■『自由ヶ丘夫人』武田繁太郎(カッパ・ノベルス)
自由ヶ丘は、東京の自由ヶ丘のことです。東京の話?と思われるかもしれませんが、この小説は、神戸の女性が東京で“やらかす”話なのです。読んでみると、どうもこの神戸の女性の出身女子大も前述の『めぐみ』の通っていた大学のようです。めぐみは東京から来た祖母のことを頑なだと印象付けていましたが、この作品では、東京の目線から神戸の女性を描いていることがわかります。作者は東京を舞台にこの話を書く前に、『芦屋夫人』を執筆。その後も『銀座夫人』も発表しています。
静かなスキャンダルと噂話
■『蒲団・重右衛門の最後』田山花袋(新潮文庫)
この名作も、実は神戸の女学生がキーパーソン。あらすじは、作家先生が、思わず恋情を抱いていた内弟子の女学生が寝ていた蒲団に顔を埋めてしまう…というもの。「気持ち悪〜い…」と素直に思ってしまう内容ですが、相手の女性が、神戸女学院に通う女の子に設定されているのがポイント。当時の“神戸の女の子”への印象を利用した作品のひとつです。発表当時、『蒲団』はかなり破廉恥でショッキングな作品として受け取られました。主人公は花袋自身をモデルにした面もあるため、「こんな神戸の女学生がいるのか」とちょっとした意地悪な興味で小説を開いた読者たちも、かなりの数でいたことでしょうね。
近現代史の裏舞台として
千夜一夜物語のように
■『神戸・続神戸』西東三鬼(新潮文庫)
太平洋戦争の終戦8ヶ月前、神戸では平気で「この戦争、負けやな」と呟くことができた。「戦時中」の語り継がれてきた歴史から見ると信じられませんね。しかし、異人館が立ち並び、輸出入の産業が栄え、外国人に慣れきっていた…そして、東京から離れていたこの街では、案外“ゆるい”ところがあったようなのです。小説の中では、終戦付近の混沌の中での神戸のちょっと不思議な風景が描かれます。洋館に住み着いた女性たちや、今は繁華街となっているトーアロードで怪しいお店を営むエジプト人や中国人。みんな生きることに必死だった時代、こんな街も存在しました。ちょっとエキゾチックに異世界めいた、砂埃の舞う不思議な神戸のお話。
兄妹の出身地に隠された大きな意味
■『火垂るの墓』野坂昭如(ポプラポケット文庫)
この作品も、舞台は神戸、そして西宮市です。原作者が実際、戦時中に妹を救えなかったことへの贖罪として執筆されました。この物語のミソは、大人になると物語の印象が変わることですね。意地悪なおばさんが、実は案外正しい人で、清太が愚かしい真似をしてしまっている…。しかし、何故戦時中に清太があんな風だったのかも、舞台を意識するとわかります。小説内に出てくる、海軍のお父さんからもらう舶来品の贅沢なこと。灘や御影にいたこと。彼はテンプレートな“神戸のお坊ちゃん”でした。ただ清太は、知らなかっただけだったのだと思います、一般の暮らしを。物語の悲しさが一層深まります。
神戸を支えた骨太な産業の裏側
■『華麗なる一族』山崎豊子(新潮文庫)
有名ドラマの原作小説です。小説内で描かれるのは、あまりにもリアルな金融界・政界の癒着関係、取引模様。発表当時、読者たちは高度成長期の国の「裏」を見せつけられることになりました。神戸で大成功を収めた一族の話ですが、実際にある神戸の企業がモデルと言われています。現在も、神戸のハーバーの辺りを歩くと、金融系のビルヂングが立ち並んでいます。海を眺めると、コントラやクレーンなどがずらり。オシャレな観光地というイメージ以外にも、こういった骨太な産業・営みが、神戸の街を支えてきたという一面があるのです。
阪神淡路大震災を乗り越えて
神戸ボーイの“僕”の物語
■『風の歌を聴け』村上春樹(講談社文庫)
村上春樹は夙川育ち・神戸高校卒の生粋の“神戸ボーイ”です。彼は早稲田大学に進学して、東京で暮らしながらこの小説を書きました。「嫌になっちゃったんだよね」と地元芦屋に戻ってくる、大学生の青年“僕”。この主人公の有り様がもう「ああ〜、この辺の男の子っぽいな」と愛おしく感じてクスクス笑ってしまう部分です。彼の書く主人公たちの、ちょっぴりフェミニンな性格や言動は、神戸が女性の街であったのが起因しているように思います。文体も、デビュー当時は日本文学らしくなく、無国籍文体と言われました。これも神戸の街並みや文化が、一般的な日本のそれとは違って、計画的に作られた新しいものだったからこそでしょう。
芦屋の洋館でのやさしい生活
■『ミーナの行進』小川洋子(中公文庫)
芦屋の山手で紡がれる、限りなく優しいお話。主人公の女の子は、岡山の小学校に通っていましたが、卒業後、訳あって親と離れて、芦屋のお屋敷を持つ伯父さんに引き取られます。そこには小さなカバ(!)や、体の弱い従姉妹のミーナ、ドイツ人のローザさんなどがいます。ローザさんの近現代的な欧州の暮らしの豊かさも所々に描かれていて、穏やかな気持ちになります。もちろん、ただお金持ちなお屋敷の人たちというわけではなく、ちょっとした問題を抱えながら暮らしているのですが、主人公の女の子の活躍やミーナの成長と共に少しの変化が訪れていきます。筆者は中学生当時、主人公の伯父さんのメルセデス・ベンツの車の描写に、「こんな車がいいなぁ」と憧れを抱いていました。静かな住宅街の鳥のさえずりが聞こえてくるような、繊細で優美な物語になっています。
ハルヒの舞台は“IF”の神戸?
■『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流(角川スニーカー文庫)
有名なライトノベル作品ですね。涼宮ハルヒシリーズには、面白い仮説があるんです。それは、天地創造の力を持っているらしいハルヒが、世界を創造した時、阪神淡路大震災が起きなかった世界線を作り上げたのではないか?というもの。何故かというと、この小説内に描かれているのは、震災によって失われた阪神間の風景の部分だからなんです。アニメのCM前の写真は、西宮市の山手から坂を降っていく女の子の後ろ姿と、海や神戸の街並みがぼやけたもの。なんともノスタルジックに思えたのを覚えています。作者は自身の通った高校や、育った西宮の風景を忠実に作品内で描き切っていて、そこにはどうしても、ずっと愛していた震災前の故郷の光景を忘れずにいる作者の気持ちがあるように思うのです。
- 寒さに負けない体を目指す!ゆらぎがちな冬のご自愛ケアキナリノ編集部
■『めぐみ』キョウコ・モリ(角川文庫)
神戸のガールズ文学といえば、キョウコ・モリ。彼女自身がこの文学を発表したのはアメリカです。神戸・芦屋を舞台としたこの小説は英語で書かれ、日本語で翻訳されて逆輸入されてきました。彼女の私小説とも言える物語中では、芦屋の緑豊かな風景、教会や洋館が立ち並ぶ様子とともに、みずみずしい少女時代が描かれます。家族との軋轢で傷ついてしまっている主人公のめぐみ。神戸にはミッションスクールが多数存在します。彼女のキリスト教徒としての信仰の葛藤も見どころのひとつです。