旅で得られるものを読書で補う
旅の目的①考えるのをちょっとストップする
インストゥルメンタルを聴くように
旅の本来の理由をさがす
■『奥の細道 現代語訳・鑑賞(軽装版)』山本健吉(角川ソフィア文庫)
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」…。松尾芭蕉が、ゆったり日本を歩いて旅する名作古典。と思いきや、実はそうではありません。この時代、芭蕉の当時の年齢での旅はかなりの命懸けの所業でした。序文も私たちにはのんびりとした呟きに聞こえますが、実は意を決しての言葉。この後、「旅の途中で亡くなる人もたくさんいる」と続きます。そんな過酷な道のりの中で残していく名句の数々。17文字で紡がれる言葉の美しさだけに向き合う時間を設けてみてはいかがでしょうか。
草原のハンモックに揺られて眠る
■『南仏プロヴァンスの12か月』 ピーター・メイル 著、池央耿 訳 (河出文庫)
南仏での田舎暮らしに胸をときめかせてやってきた英国人ファミリーの12ヶ月。描かれるのは、当時のフランスでの田舎暮らしでの驚きと苦労、感嘆、ジョーク。少し昔に書かれた文章ですが、「近頃のフランスの都会はゴミゴミしていてよくない」という愚痴も書かれていたり…いつの時代も人が思うことは同じですね。うっとりとするようなフランスの田舎町の自然の様子、リアルな地元住民たちとの会話に浸ってみてください。何かを学ぼうとするのではなく、ただ眺めるように文を追う時間が大切だと思うので。旅先で何かを眺めている時と同じように。
言語化ばかりに気を取られないで
■『三島由紀夫紀行文集』三島由紀夫 著、佐藤秀明 編 (岩波文庫)
硬派な印象の文豪、三島由紀夫。ですが、彼のような人でも、旅行というのはテンションが上がってしまうもののようです。おすすめしたいのはこの中に入っている『アポロの杯』。彼が20代の頃、初めての海外旅行中に書いた記録ですが、「美味しかった」「すごかった」というシンプルな文章ばかりが載っています。こんなのでいいの?(笑)と思ってしまいますが、純粋に旅を楽しんで感動している姿が見えてきて、面白いんです。文章を読んでいく中で、人の新たな一面に気づいていくのも、読書の楽しみのひとつです。
旅の目的②直接的じゃない答えを探しに行く
ワンマイル圏内でも旅と呼ぼう
■『どこでもいいからどこかへ行きたい』pha (幻冬舎文庫)
無機質な語り口が魅力の著者は、良い意味で“根無草”な人。自分が「行きたいなあ」と思ったらそこに行って、「やりたくないなあ」と思ったらやらない。シンプルな考えのもとで生活に取り組んでいます。向かうのは、他国や他県ではなくて、サウナやネットカフェ。近場が多めです。でも、タイトルにある通り、とにかく“ここではないどこか”に行って、見るものや感じるものを変えてみることが大切なんだろうと思います。そこに距離は関係なくて。暑さや寒さの感覚も、場所を変えれば切り替わります。何か明確な価値観や考え方の変化がなくても、その時その時の自分を助けてあげるための移動も大切ですよね。ちょっと歩いてみたくなります。
はみ出し者目線も悪くないので
■『いま、台湾で隠居してます』大原扁理(K&Bパブリッシャーズ)
著者は「隠居」を名乗る日本人男性。コロナ禍に陥る前にふらりと台湾に行ってしまって、その隠居生活をそのまま描いています。「働かないこと」に注力をしている稀有な著者は、年収90万円(!)で豊かに暮らすエッセイが出版されています。とにかく最低限しか働かず、お金を使わず、本を読んだり、好きなことをして暮らすスタイル…。その達観具合にお坊さんっぽさを感じてしまうのですが、著者のゆるっとしたスタイルと台湾の生活様式が絶妙にマッチ。こんなやり方もあるんだな、と気楽になれる1冊です。
ヒントは人の営みの中に
■『ベルリンうわの空』香山哲(イースト・プレス)
イラストレーターや漫画家、プログラマーとして活躍している著者はベルリン在住。「僕はここで、特に何もしていない」というところから始まるコミックエッセイです。多様な人種の人々が行き交う街ベルリンでの生活が綴られています。日常を描いていく中で描かれているのは、「いらなくなったものを、必要な人に渡すこと」「誰かにバトンを渡しやすくすること」「お互いの考えを広げ合いながら暮らすこと」「持っているものを交換しあいながら、共に生きていくこと」…。私たちに必要な努力の方法のヒントのように感じます。物事の“やっていき方”を見直すための1冊です。
育児も旅といえば旅かもしれない
■『ごろごろ、神戸。』平民金子(ぴあ)
ごろごろというのは、ベッドで寝返りを打っている音ではなく、ベビーカーを押す時の車輪の音。神戸の街を歩きながら子育てをするジャンル横断型エッセイです。子育て世代だからこその視点で、「住む街」である神戸を紹介しています。育児に疲れている人、肩の力が入り過ぎている人におすすめしたいです。子供を育てることだけに、いっぱいいっぱいにならなくても、大丈夫だと思えます。街を回ってみて、新しいものを発見しながらでも、大変なことはできるものなので。
旅の理由③「私は広く深く見られる」と確認する
海が広いなら私の世界も広くていい
■『ゆめみるハワイ』よしもとばなな(幻冬社)
暖かい島や南国の海の印象が強い作家ですが、著者本人も、海を愛していることが文章から伝わってきます。「もっと大きな存在と繋がって、安心するような気持ちになってもいいのだなぁ」と楽になれる文章です。家や地元に閉じこもってばかりいると、どうしても見えるものだけを見て判断をしてしまったり、同じ考えをぐるぐると繰り返してしまったりします。優しい文章を読んでいくうちに、広い視野を取り戻すことができると思います。
少しずつ変わっていくものだから安心する
■『いつもひとりだった、京都での日々』宋欣穎 著、光吉さくら 訳(早川書房)
京都についてのエッセイや実録漫画はたくさんありますが、海外留学生から見た京都の風景を描いたものは珍しいですね。京都大学の留学生として日本に住み始めた著者の女性が、異国の地として訪れた京都での日常を語っていきます。何か劇的なことがあるわけではありません。地元の人々と交流をしながら過ぎていく日々を映していくだけ。でも、最初と最後では、何かが変わっている。著者は現在、映画監督。納得です。
思い出と記憶への旅もいいでしょう
■『わたしの好きな街』SUUMOタウン編集部 監(ポプラ社)
SUUMOタウンが編集した、東京についてのアンソロジー。東京とひと口に言っても、路線や最寄り駅によって、いろんな顔がありますよね。どの街を選んでそこに住むのか、その土地でどんな思い出があるのかを20人が自由に語っていきます。町名や駅名の字面を見たときに、何かしらの感傷を持つ経験は誰にでもあると思います。あなたはその土地への思い出を、どういう風に振り返りますか。記憶は同じでも、感想はきっと少しずつ変化しているはずです。今現時点での思い出を、他者の思い出話を聞きながら、頭の中で記録してみてください。
せっかくだから深く潜ってみてもいい
■『簡単なことではないけれど大丈夫な人になりたい』ホン・ファジョン 著、藤田麗子 訳(大和書房)
旅という切り口ですが、自分自身を旅してみるのもいいんじゃないかなと思いました。最近は、韓国の心に寄り添うためのエッセイが日本でもたくさん出版されています。韓国は日本よりも熾烈な競争社会で、そろそろもうこの状況に疲れてしまった…という若者が増えてきているようです。日本も同じかもしれませんね。4コマ漫画の中で、どうしてもうまくできなかったり、ままならなかったりする時、「どういう風にそれを許して自分とうまくやっていこう」ということを描いています。とことん自分の心を覗いてみて、今までのこと、これからのことを考えてみてもいいんじゃないでしょうか。
■『ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集』村上春樹(文藝春秋)
どこか違うところへ渡ることへのハードルの低さが、この人の人間としての魅力のひとつなのかな…という印象があります。元々は神戸の出身。作家活動を始めてからは、ギリシャやイタリアなどで執筆活動をされています。そして今現在はボストン在住。著者は「癖がある文体」とされがちです。でも、エッセイは日記のようにさらさらと流れる文章で、歌詞のない音楽を聴いているように心地がいいのが特徴です。この著者からいつも感じる、顔の見えない青年らしさが好きです。いろんな国や土地を訪れて着た人特有の、どんな空気や人も一旦は黙って受け取ってみる鷹揚さと純粋さが、その大元にあると思います。