「純文学」に悩みを解決する鍵があるかも
そもそも純文学って何?という方はvol.1をご覧ください*
恋と友情、どちらを選ぶ?三角関係の悩みを描いた作品
こころ(夏目漱石)
夏目漱石ってどんな人?
『こころ』について
『こころ』は、恋愛と友情のどちらを選ぶかを題材にしつつ、人間のエゴについても描いた作品。登場人物は主に、語り手の「私」と「先生」。三角関係で悩むのは、先生の方です。高校の教科書に載っていることも多く有名な作品ですが、なかなか全部を読んだことがないという方も多いかもしれませんね。
私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といい放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです。
前半での先生の意味深な言動に興味をそそられてグイグイ作品に引き込まれるはず。「先生には昔何があったのか」その謎は最後に明かされ、たくさんの伏線がラストで回収されるミステリー小説のような魅力があります。
友情(武者小路実篤)
武者小路実篤ってどんな人?
『友情』について
23歳の脚本家の男性が主人公。男性的な魅力に乏しいのですが、友人の美しい妹に一目惚れをします。しかし、その妹には主人公とは別に心惹かれる人がいました。それが主人公の親友だったのです。
この作品は「新しき村」で失恋をしたり結婚をしたりする人を応援する気持ちで書かれたのだそう。
そのため「恋が盲目というのは、相手を自分の都合のいいように見過ぎることを意味するのだ。」など恋愛に関する名言も多く、心に響く言葉が見つかるかもしれません。
君よ、僕のことは心配しないでくれ、 傷ついても僕は僕だ。 いつかは更に力強く起き上がるだろう。
大正時代に書かれたにもかかわらず、現代でも共感できるセリフが多い作品です。
コンプレックスは誰にもあるもの。容姿の悩みを描いた作品
鼻(芥川龍之介)
芥川龍之介ってどんな人?
『鼻』について
今昔物語集では「こんな変わった鼻の僧がいた」という笑い話で終わっているのに対し、芥川はその僧がコンプレックスとして抱えているという、僧の内面を描き出しています。
内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。
池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえあった。
容姿の気になる部分は隠したいしできれば直したい、でもそうすることで周りに「やっぱ気にしてたんだ」と思われるのも恥ずかしい…
そんな容姿のコンプレックスを抱える人なら誰でも共感できる心理が描かれています。
人付き合いはいつの時代も苦悩の種。人間関係の悩みを描いた作品
人間失格(太宰治)
太宰治ってどんな人?
『人間失格』について
『人間失格』は、太宰自身の体験を元に描かれた、太宰の代表作。人とのコミュニケーションについての不安を描いていて「この主人公は自分だ!」と強く共感をする人が多いことでも有名です。
自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。
この作品に共感する人が多い、ということはそれだけコミュニケーションに悩みがある人が多いということ。
対人関係、男女関係など、「こんなことで苦しんでいるのは自分だけなのではないか?」と感じていた人にとっては、自分の理解者を得たような心強さをくれる作品です。
夢を叶えたい!でも現実は厳しい…自己実現の悩みを描いた作品
山月記(中島 敦)
中島敦ってどんな人?
『山月記』について
『山月記』は、高校教科書への掲載回数が最多を誇る短編小説。詩人になる夢を捨て切れず、悩み苦しんだ挙句に虎になってしまった主人公の胸の内が綴られています。
虎になってしまった理由として語る「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」は有名なフレーズ。
一見すると「尊大な自尊心と臆病な羞恥心の方がしっくりくるのでは?」と意味が分かりかねますが、前後を読むと主人公の気持ちを的確に表していることが分かります。
人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。
「頑張っているはずなのに、どうして自分は認めてもらえないのだろう…」そんなときに立ち止まって読みたい作品です。
純文学が心を軽くしてくれる
特に『鼻』と『山月記』はちょっとした隙間時間に読めてしまうほど短いので、ぜひ気軽に手に取ってみてくださいね。何気なく選んだのに、何十年も心に残る作品に出会えるかもしれませんよ。
1867(慶應3)年、東京生まれ。『坊ちゃん』『三四郎』『明暗』など数々の名作を残していますが、処女作である『吾輩は猫である』を発表したのは38歳のときと遅咲きの文壇デビューでした。
大の甘党でしたが胃に持病があったため、奥さんは甘いものは漱石に見つからないように隠していました。しかし、奥さんのいない所でこっそり食べたり、子供達にどこに隠しているか探させたりしていたお茶目な一面も。