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vol.72 うぐいすと穀雨・鈴木菜々さん - 元気な顔が見たいから。パンでつくる、あたたかな場所

東京・雑司が谷にあるパンとコーヒー、雑貨を扱うお店「うぐいすと穀雨」。店主の鈴木菜々さんがつくるパンは、かむほどに口の中にじんわりとやさしい甘みが広がります。大切にしているのは「何かを加えて味をつくるのではなく、食材のうまみや甘みを最大限引き出すこと」。鈴木さんがつくりたいのは、毎日食べるパン。当たり前のように過ぎる日常の大切さを思い出させてくれる、パンに込めた思いを伺いました。(2017年11月03日作成)

写真:岩田貴樹 文:キナリノ編集部

vol.72 うぐいすと穀雨・鈴木菜々さん -  元気な顔が見たいから。パンでつくる、あたたかな場所

東京・雑司が谷は、車が行き交う大通りから一歩小道に入ると、懐かしい路地裏風景に出会えます。街の象徴ともいえる鬼子母神堂は、豊島区最古の建造物。そんな歴史的側面も残る街です。

東京メトロ・副都心線でつながる隣の駅には池袋が。百貨店や衣食住のショップが軒を連ねる、いわずと知れた大都会をあとにして、雑司が谷にはわざわざ行きたいお店があります。

雑司が谷の駅から歩くこと3分ほど。明治通りに面したビルの細い階段を上がった2階にあるのが、パンとコーヒー、雑貨を扱うお店「うぐいすと穀雨」です。
左に見える階段を上ると「うぐいすと穀雨」があります。隠れ家にやってきたようなわくわく感が、1段1段足を進めるたびに膨らみます

左に見える階段を上ると「うぐいすと穀雨」があります。隠れ家にやってきたようなわくわく感が、1段1段足を進めるたびに膨らみます

vol.72 うぐいすと穀雨・鈴木菜々さん -  元気な顔が見たいから。パンでつくる、あたたかな場所

「今日はお持ち帰りですか」「お仕事の帰りなんですね」

お店の扉を開けて行き着いたのは、笑顔とともにこんな会話が行き交う空間。本を片手に一人でカウンター席に座る若い女性、迷うことを楽しむかのようにテーブル席でメニューを選ぶ夫婦。一緒に食べる人の好みを思い浮かべながらパン選びに夢中になる地元の主婦。

ずっと前からここにあるかのような深みのあるときの流れ。一人ひとりの気持ちに寄り添ってくれるようなやわらかな空気。そこに吹く風に身を任せるように、思い思いのときを過ごす人たちの姿が印象的です。

「こんにちは」――まるでわが家のように笑顔で訪れる人を迎えるのは、「うぐいすと穀雨」の店主・鈴木菜々さんです。この地にお店をオープンしてもうすぐ3年。地元の人たちはもちろん、遠方から足を運ぶ人もいるほどの人気店です。

並ぶのは、訪れる人を思って考え抜いたベストメンバー

キッシュの赤、シナモンロールの白、アンパンの黒。鈴木さんが、お店に並んだときの彩りにまで気を配ったラインアップ。「目で見て楽しんでほしい」という思いもあり、パンを自分の作品のつもりでつくっているといいます

キッシュの赤、シナモンロールの白、アンパンの黒。鈴木さんが、お店に並んだときの彩りにまで気を配ったラインアップ。「目で見て楽しんでほしい」という思いもあり、パンを自分の作品のつもりでつくっているといいます

愛くるしくもあり、美しくもある「うぐいすと穀雨」のパンたち。それぞれの個性を光らせる姿は、どこか誇らしげです。店内に並ぶのは、常時10種類ほど。30種類以上が一般的とされるパン屋さんの定説と比べると随分と少ないように思いますが、お客さんを思って鈴木さんが考え抜いたベストメンバーたちです。

今では手伝ってくれるスタッフが増えましたが、ほとんどのパンづくりを1人で行う鈴木さん。夜通し発酵できるもの、逆にあまり寝かすことができないもの、冷凍ができるもの。味や食感など、パンの種類がいろいろあるように、そのつくり方もいろいろ。限りある時間の中で、丁寧に向き合ってつくれるパンを選び抜いているのです。
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そして、そのうえで大切にしているのは、訪れる誰もが食べたい、美味しいと思えるパンを揃えること。お店のある雑司が谷は、地域の特性上、幅広い年代の方たちが訪れます。

「女の子が好きそうなパンを選ぶこともできたんですけど、小さいお子さん連れの方も来るし、おじいちゃん、おばあちゃんも来るので、味や食感のバランスが取れることも考えています。しょっぱいものや甘いもの。顔となるようなパンがあったり、引き立てるようなパンがあったり、並べたときにパンのバランスがよくなることを一番に考えています」

朝食に食べたいパン、仕事の合間に食べたいパン。赤ちゃんが美味しいと思うパン、ご年配の方が美味しいと思うパン。

味だけでは美味しさは決まらない――鈴木さんは、パンの先に広がる人々の暮らしにまで思いを馳せながらつくっているのです。

美味しさはつくるのではなく、じっくりと引き出す

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かむほどに口の中にじんわりとやさしい甘みが広がっていく「うぐいすと穀雨」のパン。そして、しっとりと滑らかな口当たり。なのに、一口かじって美味しさに浸っていると、ふんわりと元の厚さに戻っていく弾力ある生地。その様子は、どこかうれしそうでもあります。
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ほとんどの生地は低温長時間製法により、生地の発酵だけでも3~4時間かけて丹精込めてつくられています。

「生地の発酵時間を短縮して、すぐこねて、すぐ焼けば生産性がいいし、待ち時間がない分、効率はいいんです。でも、そうすると味に深みが出ないんです。同じ配分でつくっても、時間をかけるものとかけないもので全然味が違うんですよ」
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そこに面白さを感じるという鈴木さんは、これまでいろいろな製法を試したことも。そのうえで大切にしているのは「何かを加えて味をつくるのではなく、食材のうまみや甘みを最大限引き出すこと」。

糖分、塩分を極力控えて、じっくりと美味しさを生み出す手法は、時間と手間がかかります。それを貫けるのは、「自分が本当に美味しいと思えるパンを提供したい」という強い思いです。
思わずさわりたくなるきれいな色とつやのある生地。ひとつ分の大きさにリズムよく切り分けていきます

思わずさわりたくなるきれいな色とつやのある生地。ひとつ分の大きさにリズムよく切り分けていきます

丁寧に一つひとつ丸めて形をつくったら、その日のベストな時間を見定め、じっくりと発酵させます

丁寧に一つひとつ丸めて形をつくったら、その日のベストな時間を見定め、じっくりと発酵させます

発酵から焼き上がりまで最低でも7時間かかります。そうしてでき上がるのが看板商品「まいにち」。その名の通り、毎日食べてもらいたいという思いが込められています

発酵から焼き上がりまで最低でも7時間かかります。そうしてでき上がるのが看板商品「まいにち」。その名の通り、毎日食べてもらいたいという思いが込められています

鈴木さんがつくりたいのは、毎日食べるパン。

いつの間にか慌しく過ぎる毎日。当たり前にしていたことができなくなったとき、人はハッと気づくのです。その当たり前がいかに素晴らしいのかを。

そんな大切だけど忘れがちなことを思い出させてくれる、鈴木さんがつくるパン。その中にぎゅっと詰まっているのは、どうやら食材だけではなさそうです――

"やりたいことをやる"という真っ直ぐな素顔

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「小さいころは、どんなお子さんだったのですか」
そう質問すると、ついこの間のことのように話してくれたのは、鈴木さんの人柄を語るうえで外せない幼稚園のお遊戯会のときのエピソード。

「紙芝居や劇、フォークダンスなど4種類の中から好きな遊戯を園児が選ぶことができたんです。最初は紙芝居が10人くらいいたんですね。でも、メンバーが友達に誘われてダンスや劇にうつってしまって、私1人になってしまったんです。それでも、私はどうしても紙芝居がやりたかったので、1人で全部絵を書いて、文章も考えて……。大人の前で1人で発表したんですよ」
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「小さいころからやりたいと思ったときに、誰かと一緒じゃないとできないとか、何かがそろってないとできないとか、あまりなくて。何かをやりたいと思ったら、できるかどうかはあまり考えないタイプなんです」

鈴木さんのやわらかくてやさしい雰囲気からは意外ともいえる、魅力的なエネルギッシュな素顔。お店を続けるパワーはどこからくるのだろう……取材前から抱いていた疑問の答えが顔を出しました。
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心が躍ったお菓子づくりの記憶
お菓子づくりを楽しいと思った最初の記憶は、小さいころに家でつくったクッキー。卵と牛乳を混ぜるだけで生地ができあがる100円ほどのキットのようなもの。最初は、チューリップなどかわいい型に惹かれて購入したものでしたが、クッキーをつくる時間は、鈴木さんの心を大いに弾ませてくれたのでしょう。高校生のときには、将来パティシエになることを決めていました。
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しかし、高校3年生のころに好きになったカメラの影響もあり、進学したのは一般大学のメディアについて学ぶ学部。

大学在学中には、仕事として結婚式や保育園などのイベント写真を撮っていたという鈴木さん。大学生がカメラマンとして働くことは趣味の域ではできないこと。まさかとは思いながら「独学ですか?」と尋ねると、「きれいに写真が撮れる構図はある程度決まっているんです」とさらり。その表情には、好きなことに真っすぐに取り組む幼稚園のときから変わらない顔が垣間見えました。

当たり前じゃない。食べることの幸せを感じた療養生活

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カメラが好きだったのは、写真におさめた”何気ないそのとき”を、思い出として振り返ることに大きな幸せを感じたから。その思い出から今日までの歩みさえも慈しむきっかけになれば……という思いがあったのです。

子どもたちと心を通わせながら、日常風景を撮影するカメラマンの仕事にやりがいを感じる一方で、変わらずに好きだったお菓子づくり。そこから派生して、大学時代はいろいろな飲食店でのアルバイトも続けていました。

鈴木さんにとってどちらも大好きなことでしたが、飲食の仕事で生きていくと決意するきっかけになったのが、大学を卒業してからの1年間の療養生活でした。鈴木さんは、物心ついたときから血液内科の持病と向き合ってきたのです。
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「一般的な社会人としての生活が送れるかもしれないし、難しいかもしれないという体調でした。病状によっては絶対に治療しなくてはいけない病気ではなく、なるべく身体を使わずに控えめに暮らしていくという方法もありました。もうひとつは、うまくいく保障はないけれど、思い切って治療をして、回復するかどうか様子をみるという方法だったんですよね」

将来パティシエになりたいという夢がありながら、一般の大学に進学したのも体調を労わったうえでの決断。ご両親や学校の先生は、鈴木さんの夢を理解しながらも、パティシエというハードな仕事をこなすことは難しいと考えたのです。
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順調にすすむ兆しも見えたことで、治療することを決めた鈴木さん。そうして始まった入院生活で出会ったのは、明日の自分の命と向き合う人たち。対比するようによみがえったのは、アルバイトをしたり、サークル活動を楽しむ人であふれる学生生活でした。異なる色の世界を俯瞰するように見つめる中で、生きることに向き合う日々が続きました。

「特別な日に、特別なことをするのも魅力的なんですけど、日々続けている何気ないことも、よくよく考えると、毎日を暮らせているという価値があると思うんです」
上品な装いでお行儀よく並ぶビスコッティ。思わず贈りたい相手の顔が浮かびます

上品な装いでお行儀よく並ぶビスコッティ。思わず贈りたい相手の顔が浮かびます

大きく膨らんだ「食べる」ことへの幸せ
自分の足で歩けること、会いたい人に会いに行けること。それまで当たり前だと思っていたことに、大きな価値があると心で理解したとき、鈴木さんの中で”食べること”への幸せが大きく膨らんでいきました。

治療中に飲食がまったくできない期間があった鈴木さん。心の底から感じたのは、”食べられるっていいな”ということ。美味しいものを食べたときに湧き上がる、言葉では表現しきれない幸福感。飲食の道に進む決意は、そんな思いに導かれたのかもしれません。
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「アンパンマンってすごいですよね」
場を和ませるための冗談……?一瞬そう思って鈴木さんを見ると、眼差しは真剣です。

「アンパンマンがパンをあげると、百発百中で元気になるじゃないですか。食べるというのは、命や力という源につながっていると思うんです。元気がない理由は人それぞれでも、美味しいものならすぐに人を元気にできるぞと思って。美味しいってそのときに得られるパワーみたいなのがあって、それが一番いい状態で提供できる場所がつくりたいと思ったんです」

感覚的に掴めたパンづくり

食パン「まいにち」が主役のトーストのセット。一口かじるとサクサクっといい音とともに小麦の香りが広がります。手づくりの質感に温かみを感じるマグカップは、雑司が谷の「鬼子母神」と「大鳥神社」で開催される手創り市で一目惚れした「SŌK」のもの。作り手の鈴木絵里加さんとは"えりかちゃん"と呼ぶほどの仲良し

食パン「まいにち」が主役のトーストのセット。一口かじるとサクサクっといい音とともに小麦の香りが広がります。手づくりの質感に温かみを感じるマグカップは、雑司が谷の「鬼子母神」と「大鳥神社」で開催される手創り市で一目惚れした「SŌK」のもの。作り手の鈴木絵里加さんとは"えりかちゃん"と呼ぶほどの仲良し

その後も、まだ”パン”をつくるとは決めていなかった鈴木さん。「そういえばパンってまだつくったことないな」とふと思い、気軽な気持ちで見様見真似でつくってみたパンは、想像以上に上手にできあがったといいます。

「前世はパン屋だったのかもしれません」そういって冗談交じりに笑う鈴木さん。しかし、お話を聞くほど冗談とはいい切れないかもしれない……そんな感覚に包まれました。
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「生地の発酵具合が何となく今いい状態なのか、ダメな状態なのかとか、生地のちょうどいいこね具合が最初から感覚的にわかったんです。こうしたらこういう味になるとか、自然に体得できて。自分がつくりたいパンのつくり方を見つけるのに時間がかからなかったので、向いているのかなって」

それまでも鈴木さんは、自分に合うことを探求して好きなことに挑戦する刺激的な毎日を送ってきました。大学在学中には、さまざまな飲食店でアルバイトを経験したほか、マッサージの仕事をしたり、バンドを組んでボーカルをしたり。どれも本気で取り組んだからこそ生まれたのが、もっと上手になりたい、認めてもらいたいという気持ち。周りの人と比較して、より上にいくことを目指して試行錯誤する日々は、焦りと隣り合わせ。

しかし、パンづくりに関しては、不思議とその感情が生まれなかったんだそう。
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自分は自分のパンをつくればいい
「ほかにも美味しいパンをつくっているお店がたくさんあって、すごいなと思います。でも、やっぱり自分のつくっているものは自分のもので、オリジナリティがあって。他のお店と比べて、パンに込めた思いも違うと思うし、どのパンが美味しくて、どれが美味しくないという感覚じゃないんです」

鈴木さんがパンづくりに見出したのは、自分らしさ。自分は自分のパンをつくればいい。自然とそう思える自信は、言葉では表現できないフィット感と、美味しいパンを追求し続ける日々の努力。この相反するような2つが合わさり、人を虜にする世界にひとつだけのパンが生み出されているのです。

元気になれる場所をつくりたい

カウンターで作業をするスタッフの池田さん。お客さんに丁寧にパンの説明をする姿が印象的でした

カウンターで作業をするスタッフの池田さん。お客さんに丁寧にパンの説明をする姿が印象的でした

店内は古道具で統一。人がずっと使っていたものを継ぐことに魅力を感じるという鈴木さん。それぞれの持つストーリーが折り重なるように心地い空間が生まれています。内装プロデュースを手がけるのは「はいいろオオカミ+花屋 西別府商店」の佐藤克耶さん

店内は古道具で統一。人がずっと使っていたものを継ぐことに魅力を感じるという鈴木さん。それぞれの持つストーリーが折り重なるように心地い空間が生まれています。内装プロデュースを手がけるのは「はいいろオオカミ+花屋 西別府商店」の佐藤克耶さん

「本当は、パンじゃなくても良かったんです」
意外ともいえる言葉の奥には、「元気になれる場所をつくりたい」という揺るがない思いがあります。

「目に見えて人が元気になるところが見たかったから、カフェという場所をつくりました。販売だけだと、買っていく人の顔は見られるけど食べているときの顔が見えないんです。ここで時間を過ごしてもらうことの付加価値をつけたかったから、パン屋だけじゃなくてカフェもやりたかった。食べる時間というのも含めて、栄養にしてほしかったんです」
vol.72 うぐいすと穀雨・鈴木菜々さん -  元気な顔が見たいから。パンでつくる、あたたかな場所


「うぐいすと穀雨」の閉店は18時。夜遅くまでやっているお店ではないから、訪れる人の多くには次の目的地があります。

「一時的に疲れてしまってここに来たんだけど、食べたら元気になって次のところに行ける。そういうのがいいなって思います」

パンを選び、ゆっくりと味わう。じんわりと心はほどけ、席を立つときには何だか来たときより元気が出ている。一人ひとりの心の中に、鈴木さんが見たい風景があるのです。
カウンターの横では、季節のジャムとクッキーも販売。どれもこだわりの食材でつくられています

カウンターの横では、季節のジャムとクッキーも販売。どれもこだわりの食材でつくられています

あいさつから生まれる緩やかな時間
取材中、お客さんとの間に会話が生まれる風景を幾度となく目にしました。そこには気負いを感じない、緩やかな時間が流れていました。

「こんにちはとか、今日暑いですねとか、お休みの日に出かけた話とか……話題は何でもいいんですけど、短い会話でもいいからコミュニケーションがとれたらいいなぁって思うんです」

話しかけたときの声の感じでどんな調子なのかわかるという鈴木さんは、ご自分も意識しないくらい、一人ひとりの笑顔を自然と望んでいるのでしょう。

運命のように出会った言葉

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「うぐいすと穀雨」――ある詩の一小節のような趣のある店名。

店名の「うぐいす」は、春がくることを表す七十二候の「うぐいす鳴く」という言葉に由来します。二十四節気の「穀雨」は、夏に穀物が育つために必要な春の終わりに降る雨という意。この2つを合わせた店名には、季節が移り変わっていくようなときの流れを感じてもらえたら……という思いが込められています。

お店を持つと決めてから、自分の思いと重なる言葉を何年も探し続けていた鈴木さん。とくに「穀雨」という言葉を見たとき、直感的に「これだ!」と思ったのだそう。"恵みの雨"ともいえる言葉は、鈴木さんが目指すお店そのものを表してくれていました。

そして、言葉の響きには理解しきれない奥深さを感じます。実は、その"掴みどころのなさ"も選んだ理由だと鈴木さんはいいます。
vol.72 うぐいすと穀雨・鈴木菜々さん -  元気な顔が見たいから。パンでつくる、あたたかな場所

「簡単な名前だとあまり意味を持たないというか。穀雨なら、ぱっと見てどんな意味?って思って調べてもらえたり、気になって実際に聞いてくださる人もいます。日本の二十四節気について調べてくれる人がいたりとか。新しいことを知るきっかけにもなるからいいかなって」

「穀雨」の意味を知り、雨はめんどうなものという位置づけから、必要なものへと認識が変わる。そこから、自然に思いを寄せる人もいれば、人生になぞらえる人がいるかもしれない。鈴木さんは、お店という場所が持つ可能性をどこまでも広げていく力があるようです。

大切にしているのは「自分のペースを守る」こと

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「うぐいすと穀雨」は、週の前半3日間をパンの仕込み、週の後半4日間にお店をオープンするスタイル。うれしいことに、お客さんからオープン日を増やしてほしいとの要望も多いのだとか。しかし、大切にしているのは、自分のペースを守ること。

やわらかな物腰の鈴木さんと話していると、やりがいや楽しさばかりに目を向けがちですが、パンをつくること、カフェを運営することは、体力も時間も相当必要です。実は、当初は仕込みの3日間のうち1日は休むことを予定していましたが、仕込みやお店の準備でなかなか休みがとれないのが現状だといいます。
最近、パンの仕込みを手伝ってくれることになった東條さん。真剣に鈴木さんの動きを見つめます

最近、パンの仕込みを手伝ってくれることになった東條さん。真剣に鈴木さんの動きを見つめます

キッシュの生地を丁寧にかたどっていきます。左下にあるのは、カヌレの型。今後お店で提供するために研究中

キッシュの生地を丁寧にかたどっていきます。左下にあるのは、カヌレの型。今後お店で提供するために研究中

「ゆっくりしてほしいって店をやっているのに、自分が疲れきって仕事をしていたら、心配されてしまいますよね」

自分のペースを守りたいのは、心からゆっくりとできる空間にしたいから。この秋にキッチンを拡張工事したのは、きちんとお休みをとれる体制を整えるためでもあります。2人でパンづくりができるようになったキッチンでは、スタッフさんが仕込みの真っ最中でした。ゆくゆくはパンの種類を増やすことも目指して、ほかのスタッフにパンづくりを伝え始めています。

これからも続く、好きなものへ真っ直ぐに進む道

カウンターの横では「SŌK」のアクセサリーや「fog linen work」のクロスなどを販売。ギャラリーが完成した際には、ラインナップをさらに充実させる予定

カウンターの横では「SŌK」のアクセサリーや「fog linen work」のクロスなどを販売。ギャラリーが完成した際には、ラインナップをさらに充実させる予定

今後、キッチンの横にあるスペースを、ギャラリーにしようと計画中。期間限定で作家さんの作品を展示するほか、お気に入りの「SŌK」の食器や「fog linen work」のアイテムも取り扱い、雑貨ショップも融合した場所にする予定なのだそう。

「私がお客さんとしてここに来たときにあったらいいなと思うのが、雑貨屋さんとかギャラリーなんです。目で見てかわいい雑貨って、ここが好きな人はすごく好きだと思うんですよね」と、うれしそうに話してくれた鈴木さん。すでに頭の中には、訪れる人を虜にする素敵な空間ができあがっているようです。
vol.72 うぐいすと穀雨・鈴木菜々さん -  元気な顔が見たいから。パンでつくる、あたたかな場所

インタビューが終わるころには、外はすっかり日が暮れ、雨が降り始めていました。オレンジ色の照明に照らされた店内で、パンをほおばりながら感じたのは、旧友を訪ねてきたような安心感。

そんな心地良さは、鈴木さんの好きなこと、大切にしていることがそのままのかたちでぎゅっと詰まっているから。自分の気持ちを込めたことは、人の心に届く。鈴木さんが体言しているのは、そんなシンプルなことなのかもしれません。


ギィと音をたてて開く扉から、さまざまなストーリーをのせた方がやってきます。

「こんにちは」

1人ひとりの人生に気持ちをのせるように、今日も鈴木さんはやわらかな笑顔で迎えます。


(取材・文/井口惠美子)
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うぐいすと穀雨|うぐいすとこくう

東京・雑司が谷にあるパンとコーヒー、雑貨を扱うお店「うぐいすと穀雨」。”何かを加えて味をつくるのではなく、食材の美味しさを引き出す”ことを大切に、ほとんどのパンを低温長時間製法により丁寧につくっています。店内では、クッキーなどのお菓子の他、店主・鈴木さんがセレクトする雑貨も販売。

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