アール・デコとは?
それまでの、デザインに凝りすぎて大量生産には向かなかった「アール・ヌーボー」に代わって、工業的で合理性を目指しフランスで発祥しました。
「アール・デコ」と「アール・ヌーボー」の違い
どちらも19世紀末~20世紀前半に起こった芸術の様式の名前で、建築、デザイン、ファッション、絵画に大きな影響を与えました。アール・ヌーボーは、1880年代から1914年の第1次世界大戦までの間に栄え、アール・デコは、第1次世界大戦後、第2次世界大戦前までに隆盛を見ました。
“新芸術”という意味の「アール・ヌーボー」
現代装飾としての「アール・デコ」
アール・ヌーボーに代わって、1920~30年代に起こった芸術革新運動がアール・デコです。簡潔で合理的、アール・ヌーボーによる華美な装飾を省いた商業デザインの先駆けともいえる様式。原色によるシンメトリーの対比も特徴的です。フランスで発祥したこちらの様式が、世界的に流行するきっかけとなったのは、アメリカにおいてクライスラービルやロックフェラーセンター、エンパイアステートビルにこの様式が使用されたことがきっかけでした。
今も、日本で触れることのできる!「アール・デコ建築」へ
今も残る、「ジャパン・デコ」の世界へタイムスリップしてみてはいかがでしょう?
東京都庭園美術館(フランス直輸入のアール・デコ様式)
1910年代から30年代にかけてヨーロッパを席巻したアール・デコとよばれる装飾様式を、パリ滞在中実際に見聞された朝香宮ご夫妻の意思によって取り入れ、1933(昭和8)年に建てられたものです。当時を代表するフランス人装飾美術家アンリ・ラパンに、玄関、大客室、大食堂、書斎などの主要部分の内装を依頼し、ルネ・ラリックもこれに参加しています。また、基本設計および内装は、宮内省内匠寮の建築家・権藤要吉が担当しています。朝香宮邸は、言わば和洋の想いが融合した建築なのです。
戦後この建物が首相官邸として使われた時には、吉田茂首相の執務室だったというお部屋。威厳がある中に、どこか軽やかさも感じます。
黒と白の大理石が市松模様に敷かれたご夫妻専用のベランダ。ここからは芝庭や日本庭園が一望でき、窓からはたっぷりの日ざしが降り注ぐ空間です。
壁紙や装飾などの一つ一つをとっても、本当に細部に渡るまで贅を尽くしきった空間となっています。この建物が、1930年代に建てられていたかと思うと、当時の職人の技術の高さに驚くばかりです。
自由学園明日館(ライト式アール・デコ)
自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。
(中略)
1934年(昭和9)に自由学園が南沢(東久留米市)に移転してからは、明日館は主として卒業生の事業活動に利用されてきました。その後、明日館の歴史的、芸術的価値が評価され、1997年(平成9)5月、国の重要文化財指定を受けました。
教育方針は、毎日の生活を生徒自身が責任を持って行う自労自治の精神に基づき、学生の多くが学園内の寮で生活し、校内の維持管理や給食調理も生徒自身が行うなど、文部科学省のカリキュラムにとらわれない独自の教育方法を採用した特徴ある学校でした。
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19世紀末~20世紀初頭の約30年、ヨーロッパでおこった革新的な芸術運動です。「産業革命以降、粗悪になった実用品に芸術性を取り戻そう!」というコンセプトのもと、芸術性が求められる様々な分野の作品に影響を与えてきました。動植物や、昆虫などの有機的なモチーフが特徴です。アール・デコがシンメトリのデザインが多いのに比べ、アール・ヌーボーはアシメトリーのデザインが目立ちます。この時代を象徴する作家としては、建築家のアントニ・ガウディや、ガラス作家のエミール・ガレ、日本でも人気のあるアルフォンス・ミュシャなどが代表的です。