しかしそれは、あなたにとって「人生のパートナー」と呼べる靴だろうか。
「そのみつ」は東京・谷中に店舗と工房をもつ、オーダーメイドのシューズメーカー。代表の園田元(はじめ)さんが1997年に創業し、今年で20周年を迎える。現在、園田さんを含め従業員数は5人。小さなメーカーながら、デザインから木型切削など、初めから終わりまですべて自社でおこなっている。そのみつの工房では、靴作りの伝統的な製法である「ハンドソーンウェルテッド製法」、「マッケイ製法」、「ノルヴェジェーゼ製法」を中心に、ひとつひとつ手作業で靴が生み出されていく。
代表の園田元(はじめ)さん。作業中の真剣な表情とは裏腹に、ときどき出る人懐こい長崎弁でインタビューに答えてくれた
私たちの暮らしの中で、靴を履かない日はほぼない。1日の始まりに靴ひもを結べば「よし」と気持ちのスイッチ代わりになるし、靴擦れができたら1日が台無し。そしてとっておきの靴を履けば、それだけでその日は特別なものになる。
イタリアでは「その人が履いている靴は、その人の人格そのものを表すものである」ということわざがあるように、靴は自分の分身といっても過言でないだろう。しかし、自分の足元を気に止める人はどれくらいいるだろう。靴が汚れていたり、お手入れの方法を知らずに履いていたり……。それが「自分の分身」と思えるようなものならば、もっと愛着をもてるかもしれない。そのみつの靴は、そんな靴だ。
手製靴に魅せられて、靴メーカーから職人へ
「それまでイギリスの靴ばっかり買っていたから、『ああ、日本でも靴って作れるんだ』って思ったんですよ。当然といえば当然なんだけど。そこで『靴を作る』ってことが、自分の中にぐっと入ってきた感じだよね」
靴のベースとなる木型(ラストとも呼ばれる)。幅や厚みがある場合はこれに革を足し、反対に細い足は削るなど、人に合わせて調整している
「むかしは、ちゃんと手で作っていたんだよ」。糊づけなどの単純作業をしながら、かつての腕利き職人がつぶやく。あるとき職人の家に遊びに行くと、桐箪笥の中に仕舞われた上等な手製靴を見せてくれた。
こちらは「釣り込み」と呼ばれる作業。“ワニ”と呼ばれるペンチでアッパー(足の甲を覆う部分)を引っ張り、釘で木型に仮止めする
釣り込みが完了した状態。素材の特徴を見極めながらしっかりと引っ張り、正しい位置に釘を刺す。シンプルながら熟練の技が必要な作業
「ハンドソーンウェルテッド製法」の大きな特徴である「すくい縫い」。“ウェルト”と呼ばれる細い革のパーツを、釣り針のような曲がった針ですくいながら縫う。このウェルトにさまざまな底のパーツを縫いつけていく
底材を貼り付ける手前の状態。クッションとなるコルクが入る
数ミリ単位の作業で作られた「ハンドソーンウェルテッド製法」は丈夫で耐久性がある。中底が厚いため、初めの履き心地こそ硬く感じるが、履いていくうちに足型を形成してくれ、自分の足に馴染んでくれる。一般的な靴の製法「グッドイヤーウェルト製法」は、このすくい縫いなどの複雑な手縫い工程を一部機械化したもの
職人として独立を決意した園田さんだったが、周囲の年配職人は「靴なんて覚えたって食えねえよ」「やめておけ」と口を揃えた。それでも、園田さんの気持ちは変わらない。退職後は、靴問屋の企画で生計を立てながら、知人の職人に教えてもらい見様見真似で自分の靴作りに没頭した。
「当時は、物やお金がなくても『手がありゃなんとかなるだろう』って思っていろんなことをしていたので。木型を買うお金もないから、木型を使わないで靴を作ったときもあったなあ。だから、いろんなつくり方は試したよ。たまに靴作りをしている人たちと話す機会があるけど、『お金がないから○○ができない』っていう発想だからさ、今の感覚だとちょっとわからないのかもしれないね。そういうこともあって、自分の靴の作り方も自由なのかもしれない。もちろん、基本の作り方はあるんだけど」
「手製靴」ブームの到来、「そのみつ」の創業
「それまでは、100足あれば100足同じじゃないとダメ、革靴といえば黒!みたいな状態で。でも革って結局生きものだから、もっといろんな色や表情があったりするんだよね。靴業界にいる人とも、『売り場に行儀良く並んでいる靴より、履き古した靴の方がかっこいいよね。そういう靴を作りたいよね』っていう話はよくしていて。そこに価値観を持つような人が多かったですね」
職人の田中さん。知人の紹介で出会ったそうで、園田さんとの付き合いも長い
写真左は、そのみつで定番人気の「ボタンシューズ」。イギリスの兵隊をイメージしてデザインされたものなのだそう
同じく職人の赤尾さん。園田さんと共に、毎シーズンのデザインにも携わっている
1階の店舗はシャビーシックな雰囲気で落ち着いて商品を眺めることができる。奥はスタッフの森さん
「ブームもあったし、ある意味タイミングよかったですよ」と園田さんは笑うが、手製靴で「食べていく」ことは、並大抵のことではない。現在「そのみつ」では年間約800足を仕上げているが、園田さんも当初は一足を仕上げるまでに長い時間が掛かり、理想の形に行きつくまで何度も何度もつくり直したという。それでも、技術はまだまだ模索中。
創業当時、園田さんが作ったファーストシューズ
ちなみに園田さんには中学生の娘がいるそうで、娘さんの靴を作ることもあるのかと聞くと、苦笑しながら即座に首を横に振る。「お客さん優先だからさ。欲しい欲しいとはいうけど、自分の親の靴だって作ってないし。そんな暇ないね(笑)」。現在、そのみつのオーダーシューズは、採寸から完成まで約8~10ヶ月ほどの時間が掛かる。それでもなお、全国からオーダーが入り、多くの人が完成を心待ちにしている。
「靴作りはもう日常」という園田さんの言葉と、20年という年月がそれを証明している。
「よい靴」は「佇まいがよい」靴
カラーバリエーションの豊富さもそのみつの魅力。素材はイタリア革が多いのだそう
靴を選ぶ際にアドバイスしてくれたのはプレスの常木さん。学生時代からそのみつの靴が好きで入社したのだそう。直接お客さんに接しながら、最近では靴作りにも携わっている
足の占い師なのでは……と思うほど足の特徴を言い当てられ、ふだん選んでいる靴のサイズは実際の足のサイズより1cmも大きいという衝撃の事実も発覚した。この一枚のスケッチが「自分だけにあつらえられた一足」になると思うと、すでに感慨深いものがある。
かかとの形、指の付け根の周囲など、足のパーツごとに細かく測定していく
採寸したスケッチにはたくさんの数字がメモ書きされている
「あれなんか、今、大好きなんだけど。立ち方や、ラインがいいでしょ?それって、バランスを考えながらつくってるから。木型の形も素材もそうだし、筒の傾きとか、足を入れたときにきれいに見える高さとか。そういういろんな要素が施されているものって、佇まいがいいはずなんだよね。違和感がない。素敵って思うものってそういうものじゃない?“はっ”とさせられるものには、ひとつだけじゃなくていろんなものが組み合わさって成ってるんだよなあっていうのは、思う」
「お酒や食べものもそうじゃないですか」という園田さんの言葉を聞き、「きれい」や「オシャレ」というひと言では表せないそのみつの魅力がどこにあるのか、分かったような気がした。
オーダーメイドを、もっと日常的なものに
(画像提供:そのみつ)
とはいえ、現地では実績のない日本のメーカー。複雑な柵で成り立っているファッション業界では、初出展から3年ほどは様子見されたという。日本製ゆえ、関税の問題で商品がどうしても高値になってしまうなど不利な点もあったが、園田さんは「大変だけど、面白くもある」とニヤリ。
通常、工房は開放していないが、通りがかった外国人観光客が窓越しに見学しにくることも多い
世界に通用するような技術を持った職人は、日本にも数多く存在する。作り手が自分のためだけに仕上げてくれた「オーダーメイド」品は、誰でも一度は憧れるものだろう。同時に、時計や結婚指輪、スーツなど、人生の節目に注文する、まだまだ高級で“敷居の高いもの”というイメージだ。
「たぶん、“オーダーメイド”や“ビスポーク”ってもの自体も、なんか変わっていく気がする。特別な階級の人たちだけのものではなく、選択肢のひとつになっていくというか。特にメンズは、ビスポークで作った靴を年に何回履いているんだろう?って思うよね。それはそれでいいのかもしれないけど、やっぱりちゃんと履いて、感じて、その人の気分が上がって、それをまた大切にリペアしながら自分の物にしていくっていうことが、もっと日常的なものになってくればいいよね」
靴を選び、足を入れて、歩き出す。この靴の佇まいに恥じないよう、しっかり前を向いて。そうすれば、何年後、何十年か後に、ふと足元の靴を見たとき、しっかりと地面を踏んで歩いてきたことを誇れるような気がする。
何かに迷ったときも、明日に一歩踏み出すときも、そのみつの靴は頼もしいパートナーになってくれるはずだ。
(取材・文/長谷川詩織)
東京メトロ「千駄木」駅から5分ほど歩くと、そのみつのショップが見えてくる。このすぐ裏には工房も