パステルカラーに秘められた憂い
Marie Laurencin/マリー・ローランサン
◇マリー・ローランサンとは。
マリー・ローランサン(1883-1956)は20世紀初頭に活躍したエコール・ド・パリの女性画家。
女性たちをくすみのあるパステルカラーで表現して一躍人気画家に。コクトー、ピカソら多くの芸術家との交流があり、舞台美術や衣裳デザインにも功績を残しました。詩人アポリネールの作品「ミラボー橋」は、かつて恋人だったマリーがモチーフとなっています。第二次大戦中、ナチス占領下のパリでは家をドイツ軍に接収され、かつてドイツの男爵と結婚していたことから終戦後に対独協力者として投獄されたこともありましたが、一貫して優雅な雰囲気を放つ作品を描き続けました。
女性たちをくすみのあるパステルカラーで表現して一躍人気画家に。コクトー、ピカソら多くの芸術家との交流があり、舞台美術や衣裳デザインにも功績を残しました。詩人アポリネールの作品「ミラボー橋」は、かつて恋人だったマリーがモチーフとなっています。第二次大戦中、ナチス占領下のパリでは家をドイツ軍に接収され、かつてドイツの男爵と結婚していたことから終戦後に対独協力者として投獄されたこともありましたが、一貫して優雅な雰囲気を放つ作品を描き続けました。
出来上がった肖像画を見た彼女は、自分に似ていないことを理由に、マリーに描き直しを要求しますが、マリーは怒って拒否し、作品を自分の手元に引き取ります。
この女性こそ、ココ・シャネルでした。マリーが描いたシャネルは、女性らしい儚げな雰囲気で、貧しい生まれから成功を勝ち取った“強い女”のイメージとはかけ離れていたのです。この絵はいま、パリのオランジュリー美術館で見ることができます。
出典:www.instagram.com(@fdezakka_rie)
『バラの女』(1930年)。
多肉植物に合わせた植木鉢制作のモチーフが『バラの女』だったそう。 ↓↓
fdezakka_rie
今回のイベントでは植え木鉢や多肉植物の色で名画を表現したいと思いました。
この植え木鉢は、ローランサン作 『バラの女』をイメージしました。
出典:Instagram
超自然主義を貫いた“愛の画家”
Marc Chagall/マルク・シャガール
◇マルク・シャガールとは。
マルク・シャガール(1887-1985)はエコール・ド・パリの中心的な画家。
帝政ロシアの時代ににユダヤ人の家庭に生まれ、パリで活動した20代にキュビズム、フォービズムを吸収。ロシア革命後に故郷に戻り、ロシア・アバンギャルド運動に参加。再びパリに戻り、妻・ベラをモチーフにした作品を数多く発表しました。第二次大戦中、亡命先のアメリカでベラを病気で亡くしましたが、大戦後は南フランスに永住、愛をテーマにした作品を描き続けました。作品の領域は広く、舞台装置のデザイン、ステンドグラス、陶芸に及んでいます。1960年代にはパリ・オペラ座(ガルニエ宮)の天井画『夢の花束』(1964年~)も手掛けました。
帝政ロシアの時代ににユダヤ人の家庭に生まれ、パリで活動した20代にキュビズム、フォービズムを吸収。ロシア革命後に故郷に戻り、ロシア・アバンギャルド運動に参加。再びパリに戻り、妻・ベラをモチーフにした作品を数多く発表しました。第二次大戦中、亡命先のアメリカでベラを病気で亡くしましたが、大戦後は南フランスに永住、愛をテーマにした作品を描き続けました。作品の領域は広く、舞台装置のデザイン、ステンドグラス、陶芸に及んでいます。1960年代にはパリ・オペラ座(ガルニエ宮)の天井画『夢の花束』(1964年~)も手掛けました。
出典:pixabay.com
パリ・オペラ座。客席の真上に広がる『夢の花束』(1964年~)。
ラヴェル「ダフニスとクロエ」、ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」など14のオペラ~バレエ作品に材を取って描かれました。マチネ(昼公演)がない時は内部を見学できるそうです。
田園の四季を愛した画家たち
Alfred Sisley /アルフレッド・シスレー
出典:www.flickr.com(@Gautier Poupeau)
『クール・ヴォランからのマルリー=ル=ロワの眺め』 (1876年)。家に帰る幼い子どもを温かい筆致で描いています。
◇アルフレッド・シスレーとは。
アルフレッド・シスレー(1839-1899)は、裕福な英国人家庭のもとにパリにうまれました。
学業のため渡ったロンドンでアートに目覚め、パリに戻って画家への道をスタート。モネやルノワールとの交流もありましたが、19世紀半ばの画壇は、彼の描く風景画の大胆な構図と豊かな色彩を評価せず、さらに、援助を続けてくれた父の会社の破産、普仏戦争やパリコミューンと立て続けの政情不安のもと、1871年にパリを離れ、フランス各地を転々としました。ようやく落ち着けたのは1889年、フォンテーヌブローにほど近いモレ=シュル=ロワンに移住してから。美しい田園風景が気に入り、数多くの作品を描きながら生涯住み続けました。
学業のため渡ったロンドンでアートに目覚め、パリに戻って画家への道をスタート。モネやルノワールとの交流もありましたが、19世紀半ばの画壇は、彼の描く風景画の大胆な構図と豊かな色彩を評価せず、さらに、援助を続けてくれた父の会社の破産、普仏戦争やパリコミューンと立て続けの政情不安のもと、1871年にパリを離れ、フランス各地を転々としました。ようやく落ち着けたのは1889年、フォンテーヌブローにほど近いモレ=シュル=ロワンに移住してから。美しい田園風景が気に入り、数多くの作品を描きながら生涯住み続けました。
Camille Pissarro/カミ―ユ・ピサロ
エラニー村の風景をこよなく愛したピサロは、村の風景や人びとを題材に数多くの作品を残しました。
印象派の画家カミーユ・ピサロ(1830-1903)がエラニーに移り住んだのは1884年、54歳のときで、妻は8人目の子を妊娠していた。いまでこそ作品が高額で取り引きされるピサロだが、生前の台所事情は楽ではなく、子沢山の家庭を養うのにはなかなかの苦労があったようだ。エラニーの家は賃貸だったが、92年には同じく印象派の大家クロード・モネの出資を得て買い取り、亡くなるまでこの家と周囲の環境を愛した。
家族との幸福な情景
Claude Monet/クロード・モネ
◇クロード・モネとは。
クロード・モネ(1840-1926)は、フランス印象派を代表する画家。
34歳の時、後の印象派の語源となる『印象・日の出』を発表し、酷評されながらも、友人の画家らの支援者を得て制作を続けました。40代半ばでジヴェルニーに移住、200点に及ぶ『睡蓮』をはじめ大作を次つぎに制作。ニューヨークで開催された印象派の展覧会で彼の作品が高評を得たことから国内の評価も高まりました。近年では、有名オークションに出品された作品の高額落札もたびたびニュースとなっています。
34歳の時、後の印象派の語源となる『印象・日の出』を発表し、酷評されながらも、友人の画家らの支援者を得て制作を続けました。40代半ばでジヴェルニーに移住、200点に及ぶ『睡蓮』をはじめ大作を次つぎに制作。ニューヨークで開催された印象派の展覧会で彼の作品が高評を得たことから国内の評価も高まりました。近年では、有名オークションに出品された作品の高額落札もたびたびニュースとなっています。
Berthe Morisot/ベルト・ モリゾ
◇ベルト・モリゾとは。
ベルト・モリゾ(1841-1895)は19世紀印象派の女性画家。
絵の師であったエドゥアール・マネの作品「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」のモデルとしても知られ、マラルメやルノワールとの親交でも知られています。マネの弟ウージェーヌと結婚、娘ジュリーをもうけました。自然や子どもを題材にした温かみのある作風が特徴で、前出の『ちょうちょ捕り』は、森の中で、姉エドマやその娘たちがちょうちょを捕る情景を描いた作品です。
絵の師であったエドゥアール・マネの作品「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」のモデルとしても知られ、マラルメやルノワールとの親交でも知られています。マネの弟ウージェーヌと結婚、娘ジュリーをもうけました。自然や子どもを題材にした温かみのある作風が特徴で、前出の『ちょうちょ捕り』は、森の中で、姉エドマやその娘たちがちょうちょを捕る情景を描いた作品です。
出典:www.flickr.com(@Irina)
『鳥かご』(1885年)。止まり木の2羽のふくらみがなんともかわいい❤。
映画作品にもなったモリゾの生涯。
彼女の絵は自然の緑を基調とした、穏やかな微笑ましい画風が特徴的だ。19世紀の男性中心の社会に現れた女性画家ということで、フェミニズム研究からのアプローチも多い。一貫して自由な筆使いで、光と色彩のアートを追求したモネ、シスレー、ピサロとともに”最も純粋な”印象派として評価された。
Mary Stevenson Cassatt/メアリー・スティーヴンソン・カサット
出典:www.flickr.com(@Irina)
『Sara Holding A Cat/猫を抱くサラ』(1908年)。
◇メアリー・カサットとは。
メアリー・カサット(1844-1926)は、アメリカにうまれ、パリで活動した画家です。
母と子をテーマにした作品など、穏やかで温かい作風で知られ、まずパリで、ついでアメリカで揺るぎない評価を得ました。親族の介護や死によって幾度か休筆を余儀なくされ、自身も糖尿病などいくつもの持病を抱えながらも作品の制作を続け、婦人参政権運動にも参加しました。
母と子をテーマにした作品など、穏やかで温かい作風で知られ、まずパリで、ついでアメリカで揺るぎない評価を得ました。親族の介護や死によって幾度か休筆を余儀なくされ、自身も糖尿病などいくつもの持病を抱えながらも作品の制作を続け、婦人参政権運動にも参加しました。
エキゾティックなインテリア☆
Henri Matisse/アンリ・マティス
出典:www.flickr.com(@Kaitlin)
『金魚鉢』(1921-22年)。
ニースにあったマティスのアパルトマンで描かれたとか。あかるい室内、アラベスク風な壁紙、光を受けて透き通るような果物、泳ぐ金魚が動的で、静物画の域を脱しています♪
◇アンリ・マティスとは。
アンリ・マティス(1869-1954)は、フランスの画家。
大胆な色彩を特色とするフォーヴィスム(野獣派)の第一人者として作品を発表したのはわずか3年ほど。活動期間のほとんどに渡って、テーブルの上の花や果物、書物を描いた室内画を多く描き、『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』と語っていたそうです。
大胆な色彩を特色とするフォーヴィスム(野獣派)の第一人者として作品を発表したのはわずか3年ほど。活動期間のほとんどに渡って、テーブルの上の花や果物、書物を描いた室内画を多く描き、『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』と語っていたそうです。
おしまいに
幻想的でロマンティックなシャガール、住まいのある村の風景を愛したモネやシスレー、ピサロ。ほとんどの画家が生活苦や戦争、革命を経験しつつ、みずから美しいと感じたものやことを、新しい表現を模索しながら情熱をこめて描いた作品ばかり。印象派の作品が多いのは、光がキラキラする情景が人生の幸せな場面に重なるからかもしれません。優雅でオシャレなローランサンには、女性としてこうありたいという共感、そして平和への希求を感じませんか?