これは、トートーニーのスリッパを愛用している筆者の母の言葉です。
素足で履くと自分の足のかたちに変化するので、フィット感が気持ちいいのだと、母は続けます。
「このスリッパ、もう、身体の一部。そのくらい気持ちいいよ」
どうやら一枚の革を縫い合わせて一つのスリッパを作り出しているトートーニー。絶賛する母の言葉に背中を押され、そのシンプルな見た目と作りに込められたものづくりへの想いについてお伺いしてきました。
素足で履いて気持ちがいい、計算されたスリッパ作り
そんな町の大通りに面したビルの階段を登り扉を開けると、光が差し込むショップへ到着します。まず目に止まったのは、窓際にある色とりどりのスリッパたちです。
ショップでは、自身のブランドアイテムのほか、「自分が使っていて飽きないもの」をセレクトし販売しています
そう案内してくれたのは、トートーニーの代表兼デザイナーの神田沙耶香さん。少なめのボタンが品よく着いたノーカラーの青いシャツに、シンプルなメイクと髪型、そして、落ち着いて柔らかな声色ーー。「作り手とものはどこか似ている」とはよく言いますが、まさに「このスリッパを作った方はこの人に違いない」とわかる佇まいをされています。
その心地のよさの秘密を尋ねると、やはり一番の要因は「一枚で作っているから」だと神田さんは教えてくれました。
なぜ身体の一部のように感じるのか?
そう言って神田さんは革をくるっと丸めます。すると途端に単純な一枚革が、スリッパの形に変身しました。
一ヶ所を縫い合わせる、非常にシンプルな作りです
素足で履くのが気持ちいいですが、もちろん、靴下を履いても使えます。かくいう神田さんも大の靴下ユーザー。1〜2サイズ大きいものを選ぶといいのだそう
たった一ヶ所縫い合わせただけの革には、道具としての機能も、身体に沿うためのデザインも、そして触り心地までも、欲張りなほど詰め込まれているのです。
上の革がほんのり浮き上がっているため、サッと履きやすいデザイン。自分で洗え、軽いため、旅行や行事に持ち運びに活用している方も多いのだとか。色展開もかわいらしいですね
自分の身体と話をしたら、「はきもの」が仕事になった
「小学生のころでいえば、手を動かすのが好きだった、とか、絵を描くのが大好きだった、とか、そういう『いわゆる作り手の幼少期』な感じではなかったかもしれないですね。高校は田んぼ道を自転車で通って、そこで美術部に入って。でも、『部』とはいいつつも部員はふたりだけだったんです。友人と一緒に美術の先生を慕って美術室に通っていた感じです。絵を描くわけでもなく、二人でストーブの前で『進路どうする?』なんて喋ってるだけ(笑)。4階の美術室から運動部を見下ろして『楽しそう』なんてうらやんだりして」
「専攻したのは木工でした。でも、図面をひいて組み立てるまでは楽しいんですけど、どうもヤスリがけの作業が自分にはしんどかったんですね。これはあとあと分析してわかることなんですけど、職人さん的な作業よりも、設計の部分が好きだったんです。それで、将来の職として木工ではないものへと興味が移っていきました。そんな時に見ていた雑誌に、たまたま靴の専門学校の募集があって」
当時から服が好きだったにも関わらず「服に合わせて履きたい靴」がないことに漠然とストレスを感じていた神田さんは、その募集要項をきっかけとし、「いっそ自分で」とその世界に入ることを決心しました。
(画像提供:トートーニー)
「ちょうどいいサイズの靴を選ぶことは身体にとってすごく大事なんですね。でも小さいころの靴って、大きくなることを前提に親御さんは選ぶじゃないですか。私は、その予測より大きくならなかったんです。物心ついて自分で選べるようになってからも、実測のサイズで21センチくらいの大きさで、履きたいデザインのサイズがないので大きいものを買っていました。当時理由はわからなかったんですけど、サイズの合わない靴を無理して履いて、疲れてしまっていたんですね」
足が疲れる理由を長いことずっと知りたかった、と神田さんは続けます。「高校生のときに看護師になりたいと感じたのも、身体への興味があったからなのかもしれません」
看護師という道も木工という道も、結果論として選ばなかった道ではありますが、その道を進もうとした理由はたしかに神田さんのなかにあったのです。
こうして「はきもの」を仕事に選んだ神田さん。短大卒業後すぐに製靴学校には行くことが出来ず、足の特徴を見て靴を選ぶフィッティング販売の仕事に就きます。その後メーカー、問屋、修理などの靴業界の各流通分野に携わります。
自分の身体に耳を傾けるだけでなく、他者の身体の話を聞いていく中で、「身体に沿う靴」の重要性を知り、現在はデザイナーとして履き心地へのこだわりが溢れるアイテムを作り出しています。自分が何を好きか、そして何をストレスに感じているのかをきちんと聞こうとする姿勢は、仕事選びだけでなく日々の生活の中の小さな選択の場面でも役立つはず。美術室のストーブの前で進路について悩んでいた高校生の神田さんも、今している仕事を聞けばきっとうれしいに違いありません。
綺麗な歩き方と、安定した心持ちにつながる
スリッパとしては珍しいほどサイズが豊富。実際に履く人に対する真摯な姿勢が伺えます
「身体に合っているものを履いていると歩き方がきれい。歩き方がきれいだと心持ちも安定すると思うんです」
使い心地のいい道具を使うと気持ちが晴れやかになるのと同じように、いいえ、自分の身体を一番底から支えてくれるという意味ではそれ以上に、靴は履く人の姿勢と表情に影響を与えてくれるのだと、トートーニーはあらためて教えてくれます。
「完璧ではない革はおもしろい。人間もそうでしょう?」
「完璧でないところですかね。傷がおもしろいなってずっと思ってて。かわいいし、かっこいい。世の中の革製品は傷がないものがいいとされていることが多いかもしれませんが、私たちや革屋さんはあえて傷があるほうを選ぶことがあります。その傷を含めて、動物を素材として使うということだと思うんです」
生産ラインで耐久性がクリアできていないと思った革は、傷のある素材でつくるプロジェクト「1・2・100ピース」で小物などにしています。こちらはスリッパの裁縫前の形をしたクッションです
「ダニに刺された跡や、喧嘩した跡など。説明があればもっとおもしろいと思うんです。牛や豚が食べものとして消化され、副産物として皮から革ができ上がります。できるだけ使い切りたいと思います。最近は『端切れ(ハギレ)』とは呼びたくないと思っています」
それは革への愛情からですか?と尋ねると、神田さんは少し困ったように頭をひねり、「もともと、私のというよりは、革屋さんの愛情なんですよね」と答えます。
「革屋さんが納品に来てくれたとき、革をポンッとたたいたのを見たことがあるんです。生きものとしての命はないですが、皮から革へは長い手間隙がかかるので、別れの挨拶のように撫でて帰った様子を見て、ああ、そうだよなって」
右が新品のスリッパで、左が経年したスリッパ。革は、一つとして同一ではない上、色も形もそれぞれ変化していきます
お客様の対応をはじめ、事務まわりの仕事などを担当している櫻田さんと。現在トートーニーはお二人で運営しています
バッグや革小物も人気商品ですが、「やっぱり靴屋なので、足回りのことをもっとやっていきたい」と神田さん。
(画像提供:トートーニー)
革の数だけ、人の数だけ、すべてが個性を持っているのです。
もしも自分のことがわからなくなる瞬間があっても、トートーニーはぴったり寄り添うものをきっと提案してくれるでしょう。
「身体のことをもっと勉強して、もっと『はきもの』のお医者さんのような存在になっていきたいですね」
そう言って背筋を伸ばす神田さんの足元は、トートーニーの靴がしっかりと支えていました。
(取材・文/澤谷映)
(意匠登録番号:1486916)