一度着たら手放せない。山梨生まれのニット
東京・新宿から甲府駅まで約1時間半。そこから2両編成のJR身延線に乗り換え、緑豊かな景色を40分ほど眺めていると、昔ながらの風情を残す市川本町駅に到着しました。「evam eva」を手がける「近藤ニット株式会社」は駅から歩いて5分。かつて生糸の産地として栄えたこの地で、心地良いニットが今日もまた生み出されています。
(画像提供:evam eva)
企画から製造、出荷まで。全工程を一つの場所で
そういいながらさっそうと出迎えてくれたのは「evam eva」代表の近藤和也さんと、デザイナーの近藤尚子さん。ご夫婦でもあるお二人はアイコンタクトを取りながら、本社1階にある工場を代わる代わる案内してくれました。
二人とも、”ニット屋”になるなんて思っていなかった
(左)「evam eva」デザイナーの近藤尚子さん、(右)代表の近藤和也さん
1945年創業の「近藤ニット株式会社」は尚子さんのご実家で、和也さんも同じ地元で生まれ育ちました。もともと知り合いだった二人は大学を卒業後、東京の会社に就職。和也さんは広告代理店で、尚子さんは商社で、それぞれのキャリアをスタートさせました。
「家業を継ごうという思いははじめはありませんでした。父も、わざわざ継がせたくなかった。そのころから繊維業界の厳しい行く末を案じていたんでしょうね」と、尚子さんは自分たちのことを話しはじめてくれました。
だんだんと強くなる、「自分自身で仕事を生み出したい」という思い
「ファッションがすごく好きだから継ぎたいというより、仕事をしている感覚をもっと味わいたかったのかもしれない」と、穏やかな語り口ながらも、仕事への熱い思いをのぞかせる尚子さん。会社を辞めて実家に戻り「近藤ニット株式会社」で働くことを決意します。ほどなくして和也さんも山梨へ帰郷。夫婦でOEM*の仕事を引き継ぐことになりました。
想像はしていたけれど… アパレル業界の厳しい現実
「僕らが入社したのが1995年ごろ。ほどなくして価格破壊が起きて、ニットの売値もどんどん下がっていきました。アパレル企業は海外で安いものをつくるようになっていったので、当然、受注量も縮小していきましたね。『勝ち目はないな』と感じました。国内でつくるメリットは、納期が正確だったり、デザイナーの意向をうまく汲み取れたりするくらいでしたからね」と、当時の状況を和也さんが振り返ります。
淡々と話してくれましたが、自分たちの力ではどうすることもできない業界の大きな変化に正面から向き合うには、相当の覚悟と勇気が必要だったのではないでしょうか。さらに自分たちだけでなく、工場で働く人たちの生活もかかっていました。足がすくんで動けなくなってもおかしくない状況です。
各地から集められた糸は、編み機にセットされていきます。工場には3ゲージ*から16ゲージ*までの機械がそろっていました
岐路に立たされたとき、大切にしたのは「何のために働くのか?」
「やっぱりつくっている人たちが夢を持てたり、やる気が出たりするような環境がいいなと。まるで機械のように、納期に間に合うためだけに必死でつくってみんなが疲弊していくのではなくて、つくったことに対する意味合いがうまく循環していかないと」そんな風に決断の理由を教えてくれた尚子さん。そのきりっとした表情は、デザイナーとしての顔ではなく、工場で一緒に働く人たちを第一に考える経営者としての顔でした。
工場の片隅で、「自分が本当に着たい服」をつくりはじめた
こちらは企画室。企画の段階で、工場の機械をいかに効率的に動かすかも考えていくそう。ここが、一般的なアパレル企業とは大きく異なります
「誰かのために何かをつくるというよりは、自分が着たいものを、もしかしたらほかの誰かも着たいと思うかもしれないという感じですね。本当に、『自分が着たいもの』の中でしかデザインできないというか」
(画像提供:evam eva)
「トレンドよりも、世の中の出来事をたくさん吸収するようにしています。そのうえで『今年の気分』を形にすると、思いが重なる人たちがどこかにいる。『こういうのがトレンドですよ』といわれて目指すのではなくて、みんながそれぞれに考えていることが少しずつ重なり合うことでトレンドって自然に生まれるのかなあと思っています」と、尚子さん。
流行とは一定の距離を保ちながらも、今という時代に不思議とフィットする。この絶妙なデザインを生み出せるのは、尚子さんが日々、物事をシンプルに、素直に受け止めているからなのかもしれません。
肌触りの良さは、素材を知り尽くした”ニット屋”としての誇り
「1シーズンに一つか二つ、すごくいい素材に出合えるんです。そんな時は、『もう何もデザインせずにこのまま出せばいいんじゃないかな』っていう気持ちになりますね(笑)」と、うれしそうに笑う尚子さん。素材について語りはじめると、よりいっそう生き生きとした表情になるのが印象的でした。
「ウールだけでも、本当にたくさん種類があるんです。硬いウールから、やわらかくてカシミアのようなウールまで。それをひたすら、触って確かめていく。『この素材なら、どんな形にするのが一番いいかな?』というところまで想像しながら、ピックアップしていきます」
欲しい色の糸が無い場合は、別注でつくってもらうことも。例えばグレーの糸を使うとしても、綿の段階で白や黒、紫やベージュといった異なる色がすこしずつミックスされたものを選びます。これにより、深みのあるメランジェ調のニットに仕上がります
素材の良さを最大限活かすために、手を加えなくてもいいところはなるべくそのままに。こんな理由から、「evam eva」のニットは必然的にシンプルなデザインが多いのです。
リンキングという重要な工程。肩部分や前身ごろ、後ろ身ごろなどのパーツを、編み機よりもひとつ細かい針で丁寧に縫い合わせていきます。人の手が必要なこの作業は、海外の工場に任せているところも多いのだとか
製品には自信があった。でも、売り方は試行錯誤の連続……
「同じ業界で同じような境遇の人たちが、ほかにもこの地域にいたんです。同じようなタイミングで家業を継いだ3代目が集まって、バイヤー向けの国内最大の展示会に合同で出展していました。でも、結局はうまくいきませんでしたね。最初から目指す方向が違っていたんです。私たちは同世代の人たち向けの服を作りたかった。反対に、子供服に力をいれたいという人たちもいた。誰に何を訴えたいのかがばらばらで、バイヤーからしたらよくわからないといった感じで」と、苦笑いをする和也さん。
その後も試行錯誤は続きます。合同での出展から個別の出展に切り替えた後も、「いいね」といって買ってくれる人がいても、どこのどんなお店までかはわからずに売っていたそう。この状況を危うく感じた和也さんは、そこから1年くらい展示会への出展を休むことに。
売り方を変えたら、流れが変わった
(画像提供:evam eva)
「考えてみると、それがターニングポイントだったと思います。もともと私たちは工場がベースとしてあるので、つくることに関しては何の問題もなかった。ただ、それを”売っていく術”を知らなかったんです。その答えを見つけられたことが『evam eva』のはじまりだと思います。自分たちでどういう市場を開拓して、誰に向けて発信していくのかというところが、”ニット屋のその先”にあったところで」
これを機に、卸先は順調に増え、さらには自分たちのお店も全国に広がっていきました。
意外な盲点?自分の作品を"自分で褒める"ことが本当に苦手だった
(画像提供:evam eva)
「大変といえばすべてが大変だったんですけど、私が一番感じたのは、自分たちがつくったものを自分たちで褒めることがなかなか難しいということ。『うちの息子はかっこよくて頭もよくて』なんてとてもいえないじゃないですか。それと同じで、私たちは自分がつくったものを素直に『自信作です』ってすすめられなかったんです。うまくプレゼンができなかった。多分、なかには上手にいえる人もいるのだろうけど、私たちは意外とそういうことが苦手で」
はじめの頃は自分たちの製品を箱いっぱいにつめて持っていき、会議室の机に並べて紹介するような営業でも、納得のいくようなプレゼンができない日々が続いていたそうです。
ですが、このような問題も自分たちの手で展示会を開催するという方法が解決してくれました。ブランドの世界観がまるごと表現された空間に商品を並べることで、素材の背景までも伝えることができたのだそう。多くを語らずとも、その空間や世界観ごと「なんか素敵だね」と感じてもらえるようになったのです。
「evam eva」らしさを形づくっているもの
「私自身もファッションが好きで、色々なお店で買い物をしていましたが、あの服すごく良かったけれど、もう二度と出合えないことが多いじゃないですか。だから、ゆるやかに変化していったり、変わらなかったりっていう部分があるお店でもいいのかなと。年を重ねるように、『evam eva』の製品も重ねていってもらえればと思っています」と、尚子さん。
あのお店に行けば、私の好きなデザインの服は必ずあるという安心感。大きく変わることはないから、一つ一つワードローブに重ねていける喜び。そんなところに、ファンの方は無意識に惹かれているのかもしれません。
全ての工程が「evam eva」の価値をつくっている
「それぞれの製造過程での気の配りようかな。1階に降りれば工場があるから、より良い編み方の相談だってすぐできるでしょ?風合いを出すための洗いの作業だって自分たちでやっているし、最後の検品にもかなり人をいれています。一つ一つをとったら、誰にでもできることかもしれないけど、それを一貫して自分たちで管理しているところが、『evam eva』 という価値につながっているんじゃないかな」
たしかに、どこか一つの工程を外注していたら、ここまで徹底した品質管理はできません。これこそ、自社で工場を持つメーカーの強みです。
自分たちの思いに正直に。一つ一つの工程を丁寧に。そんなお二人のものづくりに対する真摯な姿勢が、「evam eva」のオリジナリティを形づくっています。それを一言で表現するのは難しいけれど、実際に手にとって着てみると、確かにそれを感じるのです。
仕上がったニットは工程ごとに丁寧に検品されていますが、ここは最終チェックの場。光に当てることで、ニットの目が落ちているなどの製品のキズがよくわかるのだそう
素材の油を落とし、風合いを出す洗いの加工も自分たちで。染色工場で働く人の高齢化が進んで外注できなくなったという背景もありますが、これにより自由に仕上がりをコントロールできるようになりました
「evam eva」の未来とは。答えは2017年春、山梨で
山梨県中央市関原。広大な盆地が見渡せる、まるで時が止まったかのような静かで落ち着く場所
「衣・食・住をトータルで提案していきたいという思いがずっとあって。私たちの核となる場所を、今ここにつくっている最中です。この場所でゆっくりと時を過ごすことに価値を見出してもらえればなと思っています」
「八ヶ岳の方は観光地で人もたくさん行き来するけれど、工場からはすこし遠すぎるし。工場からここに来る道のりにも見晴らしの良い場所はたくさんありましたが、そこにはいずれリニアモーターカーが通る予定で。周りの景色は変わることなく、四季の移り変わりだけが見える落ち着く所がいいなあと思っていたら、たまたま竹林に囲まれたこの場所を見つけたんです」
変わらずにそこにあり続けること。ものづくりでも垣間見れた尚子さんのぶれない姿勢が、「衣・食・住」全てに反映されたらどんなことになるのか、期待はふくらむばかりです。
「evam eva」とはサンスクリット語で「かのごとく」「~である」という意味の接続詞。言葉が果たす役割と同じように、お二人も「工場」と「お客さま」を"自分たちが本当に着たい服"でつないできました。そしてこれからは、生まれ育った「山梨の地」と「これからファンになる人たち」を、お二人らしい自然なやり方でつないでいくのでしょう。
(取材・文/玉泉雅子)
JR身延線市川本町駅の近く。緑豊かな町を2両編成の電車が走りぬけていきます