美しい「びわ湖真珠」の歴史
海の真珠といえば白くて丸いイメージですが、「びわ湖真珠」はひとつとして同じものがない、ユニークな色と形が魅力。淡い桜色や藤色をしたもの、スクエアや楕円形のもの……。ずっと見ていても飽きない、個性豊かな表情が並んでいます。
大きさもさまざまな真珠核。きれいな丸い真珠は、この核によって完成する
びわ湖真珠は無核だけでなく有核の技術も採用されている。写真は平らな核で作られた有核真珠。存在感があり、ネックレスやピアスにぴったり(写真:神保真珠商店)
昭和31年の浜上げ(収穫)の様子。「無核真珠」の技術が確立された当時の活気が感じられる(写真:池蝶真珠有限会社)
職人の丁寧な仕事に胸を打たれて
三代目店主の杉山知子さん。会えば誰もが好きになるような、純真で気持ちのよい空気をまとっている人
その後は杉山さんの父が神保真珠商店を継ぎ、親子3代で現在までびわ湖真珠に携わってきました。しかし、杉山さんご自身は家業を継ぐつもりは一切なかったのだとか。
創業当時の新聞広告
「神保真珠貿易」が海外向けに作成した約50年前のカタログ
「図面を描いて、作業服を着て現場に足を運んで、追加で図面を描いてどんどん配管を作ってもらう……。男性社会でめちゃめちゃハードでしたけど、すごく楽しかったので、最後の2年くらいまでは『プロフェッショナルになりたい』という思いで働いていました。私は大阪の事務所で勤務していたのですが、あるとき設計部を東京に移動するよう指令が出たんです。家も夫の職場も大阪だったので単身赴任は難しいと考えて、退職することに決めました」
「今まで私は仕事中心で生きてきたので、そこで考え方が180度変わりました。自分の仕事のことよりも、もっと大事なことがあるんじゃないかって。精神的にも落ち込んで、1年くらいボーッとしていたんですけど、『そういえば、父親もいい歳やけど家業はどうするんだろう?』って、実家や家族のこととかも考え出したんです。父に聞いたら『廃業は考えているけど、真珠の在庫や商品もあるし、全部売り切らないと辞めるに辞められない』といっていて。だったら、私がフリーランスとして事務所を借りて、その傍らで真珠を販売して、売り切ったら廃業すればいいんじゃない?って。そんな軽い気持ちで手伝い始めたんです」
朝・夕どの景色を切り取っても美しい琵琶湖の風景(写真:神保真珠商店)
養殖業者の数が減っていること。後継者がおらず、1人で作業していること。海外輸出は続いているものの、生産量が定まらないため価格は下がる一方だということ。杉山さんの気持ちが動くまでに、そう時間はかかりませんでした。
びわ湖真珠の浜上げは年に一度、12~1月の間に行われる。びわ湖真珠は、貝を育てるのに最低3年、その後オペをして湖に戻し、さらに3年かけて計6年。ようやく真珠が収穫される(写真:神保真珠商店)
びわ湖真珠は貝を育てるのに長い時間がかかるため、貝を殺さないよう手作業で丁寧に真珠を取り出す収穫方法もある。腕の高い職人だと、同じ貝で4回も真珠を取り出すことができるのだそう(写真:神保真珠商店)
真珠の価値を決める「照り」。左右でその差は歴然。夏に育った貝が、水温が下がることできゅっと締まり、よい玉の照りが出るのだそう。海の真珠は、製品になる直前の前処理があるが、びわ湖の真珠は「塩もみ」という作業でぬめりを取る処理のみ
びわ湖真珠のユニークな形は、自然に成るものではなく、実は職人の技術によるもの。琵琶湖には過去に養殖業者が多くいたため、メインとなる真珠の形に+αで個性的な形を作るようになったのだそう。「誰かに教えてもらったからこういう技術ができるというわけではなく、皆さん各々の技術を持っていらっしゃるんです」と杉山さん。宝箱のような個性豊かな玉たちは、当時の職人が技術を切磋琢磨した賜物(写真:神保真珠商店)
それからすぐに、フリーランスの仕事を辞め、完全に家業にシフトしたという杉山さん。思わず「男前!」と拍手を送りたくなる英断です。家業とはいえ、真珠に関しては一年生。きっと実店舗をオープンするまで大変な苦労をしたのでは……?しかし、杉山さんは「実は一番大変だったのは、父の説得です」と笑います。
「それでも、百貨店催事などを手伝いながら、父親を説得し続けました(笑)。什器や店舗に必要なものは私の退職金で。真珠を仕入れるお金は、父親が退職金として貯めていたお金を『絶対返せるからそれで買ってくれ』と。『そうじゃないと、せっかくの技術も失われて、琵琶湖の真珠はもうなくなる。今はもうそれしか手がないと思う』と頼み込みました。父もずっとこの仕事をやってきた責任みたいなものがあったようで、そこで賛同してくれましたね」
ドローンで撮影した養殖場(写真:神保真珠商店)
びわ湖真珠が繋いだ人の輪
作家・mocchi mocchiさんによるシルクスクリーン作品は店内に展示。池蝶貝を蝶に、真珠を柄に見立てた印象的なマーク
「私はクリエイティブ業界に関してまったく無知なので、作家さんからデザイナーの鈴木信輔さんを紹介していただいて。鈴木さんは『琵琶湖で真珠が採れるってすごく面白い』といって、プロダクトデザイナーの戸田祐希利さんとも繋げてくださったんです」
「ちょうどリサーチの最中だったそうで、服部さんとナガオカさんが二人で来てくださったんです。人と人がどんどん連鎖していって……大阪に住んでいるのでgrafにも行っていましたし、ナガオカさんの本も読んでいたので、このタイミングでこんな人たちが来るってすごい!と感動してしまって。ちょうどその年に『d design travel』*の滋賀本を作ることが決まっていたそうで、私はいち読者として楽しみにしていたんです。でも、お話しているうちに興味をもってもらえたのか、「その土地のキーマン」というカテゴリに掲載していただいて。それが大きな転機のうちのひとつですね」
床は閉店したレストランのものをそのまま使用。手前は買い物客や同行した人が一息つけるよう、近江の日本茶を楽しめるサロンスペースになっている
売り場は、高級感のある白いディスプレイ(実は真珠は、黒よりも白地のほうがきれいに見えるのだそう)。平皿やトレイに並べられたアクセサリーを眺めていると、気分が華やぐ
「内装は、プロダクトデザイナーの戸田さんにほぼお任せしました。私は、『自分がこうしたい!』というよりも、『プロにお願いするんだから信じよう』っていう気持ちの方が強くて。それは、前職の影響があるかもしれません。設計者、図面を描く人、施工管理、ソフトを作る人……チームのそれぞれが全員プロでした。だから、自分の範囲は精一杯取り組むけれど、その範囲外の人たちには口出しせず信じるのがベストっていう気持ちが自分の中にあるんです。戸田さんは今までの経緯を分かっているし、きっとよきようにしてくれるだろうと。限られた時間と予算だったのですが、素晴らしいお店にしていただきました」
パールの魅力を引き立てる神保真珠商店のアクセサリー
祖母から母、母から杉山さんへ譲り渡された約50年前のネックレス。すべて真珠層でできているびわ湖真珠は汗に強く、夏場につけていても傷みにくい
「今回の展示で見ていただいたのは、昔から大切にされてきたことと、時を経ても劣化しないびわ湖真珠の強さ。頻繁に使っているものでも本当に劣化しにくいんですよ」
「PASS THE BATON」のイベントでは外部のデザイナーと共同でアクセサリーを販売。ジュエリーデザインは名古屋のジュエリーショップ「PROOF OF GUILD」によるもの(写真:PASS THE BATON)
神保真珠商店では、全国で定期的に「オーダー会」を開催。シャーレに入ったびわ湖真珠をお客さんがその場で選び、アクセサリーをオーダーできる。それぞれの真珠の生産者の紹介やストーリーも聞くことができる。とことん迷いながら、自分だけの一粒を選ぶのも楽しい!(写真:神保真珠商店)
「今日も慌ててピアスをつけてきたくらい(笑)、基本的にノーアクセで、そこまでファッションやアクセサリーに興味があったわけでもないんです。パールの個性を活かすこと、長く使ってもくたびれない金具を使うこと、海の真珠よりも日常使いができるようにシンプルなデザインにすること。大切なのはこの三点だけです。私は18年くらいOLをしていたので、自分がどのポイントで買う買わないを判断するか、いち消費者の目線で考えています」
真珠の加工・穴開けは家族とスタッフ全員で作業する。「自分でいうのもなんですけど、私、器用なんです。たぶん、このお店で一番穴開けが上手いと思います(笑)」
専用のマシンにセットして穴を開けていくと、ギューンという機械的な音が響いた。びわ湖真珠は硬いため、割れることはほとんどないという。ただし、上手に穴を開けないと針が摩耗してしまうため、テクニックが必要。難しい形のものは杉山さんが担当することが多いという
金具は必要最低限にするのが杉山さんのこだわり
印象的だったのが、真珠の断面が見えているアイテム。無核でつくられたもので、真珠層が年輪のように重なっている
パールに目がいくようにと金具は華奢なものを。メッキは絶対に使用せず、最低でも10K、ピアスは必ず18Kを選ぶ。極限まで金具部分をシンプルにしたいので、丸カンさえも気になるという杉山さん。写真右のネックレスのように、真珠に直接鎖が通っているようなデザインが理想的
ブレスレットが回ってきてしまったときに鎖が見えてしまうと少し格好悪い。そんな問題を解決するために、どの面がきてもスタイリッシュに見えるよう、リング状の留め具(デザインは「PROOF OF GUILD」)を使用。真珠の美しさはもちろんのこと、細部にまで女性にうれしい気配りが施されている
びわ湖真珠の価値を上げていくために
「これは私の想像ですが、琵琶湖の環境が悪化して、産業がなくなりそうなときも、辛かったのは養殖業者さんだけで、まわりは結構他人事だったんじゃないかな、と思うんですよね。国内にびわ湖真珠のファンがもっといれば、もっと大きな声が上がって、どうにかしようっていう方向に動いたんじゃないかって。だから、お金を獲得したいというわけではなく、まずはびわ湖真珠の認知度を上げたくて、今は本当にギリギリのところでやっています。私はやっぱり、琵琶湖の真珠の価値を上げて、業者さんに還元して……そうやって土台を作って、これからも養殖を続けてもらえるようにしたい」
(写真:神保真珠商店)
二人三脚を決めた日から、職人との関係もいっそう密になっています。杉山さん自ら足繁く漁場へ通い、現在の貝の状態を教えてもらう。台風がくれば漁場の様子を確認する。ときには食事にいき、コミュニケーションを欠かしません。
無垢で強い、杉山さんの夢は、近づく収穫の日を待っています。
(取材・文/長谷川詩織)
*天然の真珠は、貝が体内に入った異物を貝殻と同じ成分でコーティングして身を守るときに生成されるものといわれている。一般的に海の養殖真珠は、貝殻で作った「真珠核」を貝の中に入れ、その周りに真珠層を巻く「有核真珠」という技法によってつくられる。核を入れない「無核真珠」は昭和30年代から琵琶湖で始まった技法。すべて真珠層でできていて、個性的な形に生成される