インタビュー
vol.105 神保真珠商店・杉山知子さん -琵琶湖の文化を守りたい。真珠屋三代目店主の挑のカバー画像

vol.105 神保真珠商店・杉山知子さん -琵琶湖の文化を守りたい。真珠屋三代目店主の挑戦

写真:岩田貴樹

日本最大の湖、琵琶湖。この地でかつて賑わいを見せていた産業が、今、人知れず失われようとしていました。立ち上がったのは、町の真珠屋さんの三代目店主・杉山知子さん。異業種からの転身で、消極的だった杉山さんの心を動かしたのは、職人の純真な気持ちと誇るべき技術でした。文化を守りたいという杉山さんの思いは、次第に周囲の人を動かしていきます。奮闘の日々と、これからのことを伺いました。

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2019年11月08日作成

美しい「びわ湖真珠」の歴史

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400万年の歴史を持ち、近隣住民の貴重な水資源でもある、滋賀県・琵琶湖。この場所で、美しい真珠がつくられていることをご存知でしょうか。

海の真珠といえば白くて丸いイメージですが、「びわ湖真珠」はひとつとして同じものがない、ユニークな色と形が魅力。淡い桜色や藤色をしたもの、スクエアや楕円形のもの……。ずっと見ていても飽きない、個性豊かな表情が並んでいます。
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万葉集の中でも「近江の白玉」と詠まれているほど長い歴史を持つびわ湖真珠ですが、国内ではあまり知られていません。当時は海外での人気が高く輸出されていたため、日本ではほとんど流通していなかったのです。琵琶湖で発明された技法「無核真珠」を採用して養殖したびわ湖真珠は、当時世界最大の真珠漁場だったペルシャ湾の天然真珠にとても近く、海外での需要が増えていきました。
*天然の真珠は、貝が体内に入った異物を貝殻と同じ成分でコーティングして身を守るときに生成されるものといわれている。一般的に海の養殖真珠は、貝殻で作った「真珠核」を貝の中に入れ、その周りに真珠層を巻く「有核真珠」という技法によってつくられる。核を入れない「無核真珠」は昭和30年代から琵琶湖で始まった技法。すべて真珠層でできていて、個性的な形に生成される

*天然の真珠は、貝が体内に入った異物を貝殻と同じ成分でコーティングして身を守るときに生成されるものといわれている。一般的に海の養殖真珠は、貝殻で作った「真珠核」を貝の中に入れ、その周りに真珠層を巻く「有核真珠」という技法によってつくられる。核を入れない「無核真珠」は昭和30年代から琵琶湖で始まった技法。すべて真珠層でできていて、個性的な形に生成される

大きさもさまざまな真珠核。きれいな丸い真珠は、この核によって完成する

大きさもさまざまな真珠核。きれいな丸い真珠は、この核によって完成する

びわ湖真珠は無核だけでなく有核の技術も採用されている。写真は平らな核で作られた有核真珠。存在感があり、ネックレスやピアスにぴったり(写真:神保真珠商店)

びわ湖真珠は無核だけでなく有核の技術も採用されている。写真は平らな核で作られた有核真珠。存在感があり、ネックレスやピアスにぴったり(写真:神保真珠商店)

昭和31年の浜上げ(収穫)の様子。「無核真珠」の技術が確立された当時の活気が感じられる(写真:池蝶真珠有限会社)

昭和31年の浜上げ(収穫)の様子。「無核真珠」の技術が確立された当時の活気が感じられる(写真:池蝶真珠有限会社)

最盛期である昭和40~50年代には、パールだけで年間6トンもの数が採取されていたびわ湖真珠。県を支える大きな産業のうちのひとつでした。しかし、昭和50年代後半に入ると、琵琶湖の環境悪化や水質汚染で生態系が崩れてしまう事態に。びわ湖真珠の母貝である池蝶貝はとてもデリケートな生物。職人があの手この手を尽くすも、長いあいだ貝が育たず、ついに絶滅寸前にまで追い込まれてしまったのです。100軒ちかくあった養殖業者も、県内に10軒ほどとなり生産量は激減。後継者問題も抱えたまま、現在はギリギリの状態で生産が保たれているのです。

職人の丁寧な仕事に胸を打たれて

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そんなびわ湖真珠の歴史を、ずっと近くで見てきた人たちがいます。「神保真珠商店」は、1966年に創業した真珠専門店。三代目店主の杉山知子さんが、2014年に滋賀県大津市で初の実店舗をオープンしました。神保真珠商店の歴史は、創業者である杉山さんの祖父が、親戚の会社の系列会社という形でスタートします。
三代目店主の杉山知子さん。会えば誰もが好きになるような、純真で気持ちのよい空気をまとっている人

三代目店主の杉山知子さん。会えば誰もが好きになるような、純真で気持ちのよい空気をまとっている人

「10代からカナダで育った祖父は、大津市で通訳の仕事をしていました。もともと真珠の養殖業をしていた親戚が、『神保真珠貿易』という会社を立ち上げ、祖父が通訳として協力していたそうです。その後、祖父が定年後の第二の仕事として始めたのが『神保真珠商店』。貿易会社から仕入れた真珠をアタッシュケースに詰めて、基本的には滋賀の特産品として市内で販売していたんです」

その後は杉山さんの父が神保真珠商店を継ぎ、親子3代で現在までびわ湖真珠に携わってきました。しかし、杉山さんご自身は家業を継ぐつもりは一切なかったのだとか。
創業当時の新聞広告

創業当時の新聞広告

「神保真珠貿易」が海外向けに作成した約50年前のカタログ

「神保真珠貿易」が海外向けに作成した約50年前のカタログ

氷河期世代にあたる杉山さんは、「手に職を」と製図を学ぶ専門学校に入学。建築科を志望していたものの、生徒の人数不足のため、その年は全員が機械科専攻となりました。図らずも、新卒で入社したプロセスエンジニアリングの会社で、18年間勤務することになるのです。

「図面を描いて、作業服を着て現場に足を運んで、追加で図面を描いてどんどん配管を作ってもらう……。男性社会でめちゃめちゃハードでしたけど、すごく楽しかったので、最後の2年くらいまでは『プロフェッショナルになりたい』という思いで働いていました。私は大阪の事務所で勤務していたのですが、あるとき設計部を東京に移動するよう指令が出たんです。家も夫の職場も大阪だったので単身赴任は難しいと考えて、退職することに決めました」
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ようやく仕事に自信がもてるようになったところへ青天の霹靂。転職するか、フリーランスの設計士として働くか。今後のことを考えている矢先に、親友の訃報が届きます。

「今まで私は仕事中心で生きてきたので、そこで考え方が180度変わりました。自分の仕事のことよりも、もっと大事なことがあるんじゃないかって。精神的にも落ち込んで、1年くらいボーッとしていたんですけど、『そういえば、父親もいい歳やけど家業はどうするんだろう?』って、実家や家族のこととかも考え出したんです。父に聞いたら『廃業は考えているけど、真珠の在庫や商品もあるし、全部売り切らないと辞めるに辞められない』といっていて。だったら、私がフリーランスとして事務所を借りて、その傍らで真珠を販売して、売り切ったら廃業すればいいんじゃない?って。そんな軽い気持ちで手伝い始めたんです」
朝・夕どの景色を切り取っても美しい琵琶湖の風景(写真:神保真珠商店)

朝・夕どの景色を切り取っても美しい琵琶湖の風景(写真:神保真珠商店)

杉山さんが手伝うようになってから、漁場を見にいき、職人に話を聞く機会がありました。神保真珠商店の真珠は、神保真珠貿易から仕入れていたため、それまで養殖業者とやり取りすることはほとんどなかったのです。杉山さんは、職人と話すうちに、びわ湖真珠の厳しい現実を目の当たりにします。

養殖業者の数が減っていること。後継者がおらず、1人で作業していること。海外輸出は続いているものの、生産量が定まらないため価格は下がる一方だということ。杉山さんの気持ちが動くまでに、そう時間はかかりませんでした。
びわ湖真珠の浜上げは年に一度、12~1月の間に行われる。びわ湖真珠は、貝を育てるのに最低3年、その後オペをして湖に戻し、さらに3年かけて計6年。ようやく真珠が収穫される(写真:神保真珠商店)

びわ湖真珠の浜上げは年に一度、12~1月の間に行われる。びわ湖真珠は、貝を育てるのに最低3年、その後オペをして湖に戻し、さらに3年かけて計6年。ようやく真珠が収穫される(写真:神保真珠商店)

びわ湖真珠は貝を育てるのに長い時間がかかるため、貝を殺さないよう手作業で丁寧に真珠を取り出す収穫方法もある。腕の高い職人だと、同じ貝で4回も真珠を取り出すことができるのだそう(写真:神保真珠商店)

びわ湖真珠は貝を育てるのに長い時間がかかるため、貝を殺さないよう手作業で丁寧に真珠を取り出す収穫方法もある。腕の高い職人だと、同じ貝で4回も真珠を取り出すことができるのだそう(写真:神保真珠商店)

真珠の価値を決める「照り」。左右でその差は歴然。夏に育った貝が、水温が下がることできゅっと締まり、よい玉の照りが出るのだそう。海の真珠は、製品になる直前の前処理があるが、びわ湖の真珠は「塩もみ」という作業でぬめりを取る処理のみ

真珠の価値を決める「照り」。左右でその差は歴然。夏に育った貝が、水温が下がることできゅっと締まり、よい玉の照りが出るのだそう。海の真珠は、製品になる直前の前処理があるが、びわ湖の真珠は「塩もみ」という作業でぬめりを取る処理のみ

びわ湖真珠のユニークな形は、自然に成るものではなく、実は職人の技術によるもの。琵琶湖には過去に養殖業者が多くいたため、メインとなる真珠の形に+αで個性的な形を作るようになったのだそう。「誰かに教えてもらったからこういう技術ができるというわけではなく、皆さん各々の技術を持っていらっしゃるんです」と杉山さん。宝箱のような個性豊かな玉たちは、当時の職人が技術を切磋琢磨した賜物(写真:神保真珠商店)

びわ湖真珠のユニークな形は、自然に成るものではなく、実は職人の技術によるもの。琵琶湖には過去に養殖業者が多くいたため、メインとなる真珠の形に+αで個性的な形を作るようになったのだそう。「誰かに教えてもらったからこういう技術ができるというわけではなく、皆さん各々の技術を持っていらっしゃるんです」と杉山さん。宝箱のような個性豊かな玉たちは、当時の職人が技術を切磋琢磨した賜物(写真:神保真珠商店)

「私がもともと技術職だったので、商品を作ることよりもまず職人さんのほうに気持ちが行ってしまって(笑)。お話を聞いていると、本当に純粋に琵琶湖の真珠を愛していて、お金儲けじゃなく『いいものを作りたい』って思っていらっしゃるんです。それに、すごく確かな技術をお持ちで、今もちゃんと真珠が上がっている。自分の目で見て、『絶対にこれを必要とする人がたくさんいる』と確信したんです。結局、在庫を売り切って廃業という話をしたその年末には、養殖業者3社さん分の真珠を全部うちが買うことに(笑)。そこから、一緒に頑張ってやっていきましょうということになりました」

それからすぐに、フリーランスの仕事を辞め、完全に家業にシフトしたという杉山さん。思わず「男前!」と拍手を送りたくなる英断です。家業とはいえ、真珠に関しては一年生。きっと実店舗をオープンするまで大変な苦労をしたのでは……?しかし、杉山さんは「実は一番大変だったのは、父の説得です」と笑います。
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全盛期も衰勢期も、今までなんとか切り抜けてきたのは店舗を持っていなかったから。70歳を目前に、産業が傾いているこのタイミングで店を構えることは、普通に考えればリスクしかありません。杉山さんの父が難色を示すのも当然のことでした。

「それでも、百貨店催事などを手伝いながら、父親を説得し続けました(笑)。什器や店舗に必要なものは私の退職金で。真珠を仕入れるお金は、父親が退職金として貯めていたお金を『絶対返せるからそれで買ってくれ』と。『そうじゃないと、せっかくの技術も失われて、琵琶湖の真珠はもうなくなる。今はもうそれしか手がないと思う』と頼み込みました。父もずっとこの仕事をやってきた責任みたいなものがあったようで、そこで賛同してくれましたね」
ドローンで撮影した養殖場(写真:神保真珠商店)

ドローンで撮影した養殖場(写真:神保真珠商店)

店を構えることを決めたとき、杉山さんの父だけでなく、職人たちからも反対の声が上がりました。一同口を揃えて「数は採れない、中国産の淡水パールのほうが安値、おまけに国内で知っている人がいない……」。みなさんマイナスなことばかりおっしゃるんですよ、と杉山さんが笑います。それでも、数々の悪条件を跳ねのけるただひとつの真珠の力を、杉山さんは信じていました。そんな純粋な思いに引っ張られるように、新しい神保真珠商店の歴史が幕を開けたのです。

びわ湖真珠が繋いだ人の輪

作家・mocchi mocchiさんによるシルクスクリーン作品は店内に展示。池蝶貝を蝶に、真珠を柄に見立てた印象的なマーク

作家・mocchi mocchiさんによるシルクスクリーン作品は店内に展示。池蝶貝を蝶に、真珠を柄に見立てた印象的なマーク

なんとか第一歩を踏み出した杉山さん。しかし、商品の販売はおろか、ショップの運営も経験ゼロ。もちろん不安もあったのでしょう。そんな自分を勇気づけるために、好きな作家の絵を買い、事務所に飾ることに決めました。作家のHPを見ていると、ふと「ロゴマークを作ってもらえないかな?」と思いつきます(杉山さんいわく、今思うと考えなしで怖い)。駄目で元々とメールを送ると、「一度会ってお話してみましょう」と返信が。顔を合わせて話をするうちに熱意が伝わり、ロゴマークを引き受けてもらえることになりました。

「私はクリエイティブ業界に関してまったく無知なので、作家さんからデザイナーの鈴木信輔さんを紹介していただいて。鈴木さんは『琵琶湖で真珠が採れるってすごく面白い』といって、プロダクトデザイナーの戸田祐希利さんとも繋げてくださったんです」
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さらに、輪はどんどん広がっていきます。プロダクトデザイナーの戸田祐希利さんが親しくしていたgrafの服部滋樹さんが、偶然にも滋賀県のブランディングプロジェクト「MUSUBU SHIGA」のディレクターに就任することに。同プロジェクトのゲストリサーチャーには、ロングライフデザインをテーマとして全国でストアや出版物を展開する「D&DEPARTMENT PROJECT」のナガオカケンメイさんが任命されました。

「ちょうどリサーチの最中だったそうで、服部さんとナガオカさんが二人で来てくださったんです。人と人がどんどん連鎖していって……大阪に住んでいるのでgrafにも行っていましたし、ナガオカさんの本も読んでいたので、このタイミングでこんな人たちが来るってすごい!と感動してしまって。ちょうどその年に『d design travel』*の滋賀本を作ることが決まっていたそうで、私はいち読者として楽しみにしていたんです。でも、お話しているうちに興味をもってもらえたのか、「その土地のキーマン」というカテゴリに掲載していただいて。それが大きな転機のうちのひとつですね」
* D&DEPARTMENT発行の、デザイン感性で各県を紹介する観光ガイドブック
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『d design travel』への掲載をきっかけに、NHKの人気番組「猫のしっぽ カエルの手」で紹介されると、全国から人が訪れるようになります。しかし、当時の神保真珠商店は、2階にある事務所の一角で、駐車場もありません。お客さんの対応を考えていたところ、事務所の1階で30年以上営業していたレストランが閉店するとのこと。オーナーから「下に移ってきたらどう?」と提案され、まさに渡りに船……といいたいところですが、家賃は倍以上、従業員も必要になる。このときばかりは、杉山さんも二の足を踏みかけます。そうはいっても、こんなチャンスは二度あるものではありません。強い追い風に乗り、2ヵ月という短期間でショップをオープンさせました。
床は閉店したレストランのものをそのまま使用。手前は買い物客や同行した人が一息つけるよう、近江の日本茶を楽しめるサロンスペースになっている

床は閉店したレストランのものをそのまま使用。手前は買い物客や同行した人が一息つけるよう、近江の日本茶を楽しめるサロンスペースになっている

売り場は、高級感のある白いディスプレイ(実は真珠は、黒よりも白地のほうがきれいに見えるのだそう)。平皿やトレイに並べられたアクセサリーを眺めていると、気分が華やぐ

売り場は、高級感のある白いディスプレイ(実は真珠は、黒よりも白地のほうがきれいに見えるのだそう)。平皿やトレイに並べられたアクセサリーを眺めていると、気分が華やぐ

宝石店や真珠店というと厳かなイメージで、尻込みしてしまいそうですが、神保真珠商店のショップは木のぬくもりを感じる落ち着いた空間です。派手さや主張はありませんが、照明やさりげない装飾などにこだわりが垣間見えます。

「内装は、プロダクトデザイナーの戸田さんにほぼお任せしました。私は、『自分がこうしたい!』というよりも、『プロにお願いするんだから信じよう』っていう気持ちの方が強くて。それは、前職の影響があるかもしれません。設計者、図面を描く人、施工管理、ソフトを作る人……チームのそれぞれが全員プロでした。だから、自分の範囲は精一杯取り組むけれど、その範囲外の人たちには口出しせず信じるのがベストっていう気持ちが自分の中にあるんです。戸田さんは今までの経緯を分かっているし、きっとよきようにしてくれるだろうと。限られた時間と予算だったのですが、素晴らしいお店にしていただきました」
vol.105 神保真珠商店・杉山知子さん -琵琶湖の文化を守りたい。真珠屋三代目店主の挑戦
vol.105 神保真珠商店・杉山知子さん -琵琶湖の文化を守りたい。真珠屋三代目店主の挑戦
vol.105 神保真珠商店・杉山知子さん -琵琶湖の文化を守りたい。真珠屋三代目店主の挑戦
驚くようなタイミングで人と人が繋がり、形になった神保真珠商店。びわ湖真珠の魅力や、それに携わる人たちの物語、そして何より杉山さんの熱量が、停滞したものを動かしたのでしょう。「無知で、皆さんに助けてもらった」と杉山さんは話しますが、作り手のモチベーションは、依頼主や共に働く人の熱量に大きく左右されるもの。このチームの中心で皆を動かしていたのは、ほかでもない三代目店主なのでしょう。

パールの魅力を引き立てる神保真珠商店のアクセサリー

祖母から母、母から杉山さんへ譲り渡された約50年前のネックレス。すべて真珠層でできているびわ湖真珠は汗に強く、夏場につけていても傷みにくい

祖母から母、母から杉山さんへ譲り渡された約50年前のネックレス。すべて真珠層でできているびわ湖真珠は汗に強く、夏場につけていても傷みにくい

ショップのオープンから5年。神保真珠商店は、さまざまなデザイナーやショップとコラボし、新たなステージに向かっています。今年の5月には、現代のセレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」でのイベント「The origin of BIWAKO REAL PEARLS」を開催。このイベントでは、お客さんや生産者が保管していた40~50年前のヴィンテージパールを展示しました。

「今回の展示で見ていただいたのは、昔から大切にされてきたことと、時を経ても劣化しないびわ湖真珠の強さ。頻繁に使っているものでも本当に劣化しにくいんですよ」
「PASS THE BATON」のイベントでは外部のデザイナーと共同でアクセサリーを販売。ジュエリーデザインは名古屋のジュエリーショップ「PROOF OF GUILD」によるもの(写真:PASS THE BATON)

「PASS THE BATON」のイベントでは外部のデザイナーと共同でアクセサリーを販売。ジュエリーデザインは名古屋のジュエリーショップ「PROOF OF GUILD」によるもの(写真:PASS THE BATON)

神保真珠商店では、全国で定期的に「オーダー会」を開催。シャーレに入ったびわ湖真珠をお客さんがその場で選び、アクセサリーをオーダーできる。それぞれの真珠の生産者の紹介やストーリーも聞くことができる。とことん迷いながら、自分だけの一粒を選ぶのも楽しい!(写真:神保真珠商店)

神保真珠商店では、全国で定期的に「オーダー会」を開催。シャーレに入ったびわ湖真珠をお客さんがその場で選び、アクセサリーをオーダーできる。それぞれの真珠の生産者の紹介やストーリーも聞くことができる。とことん迷いながら、自分だけの一粒を選ぶのも楽しい!(写真:神保真珠商店)

神保真珠商店で販売しているスタンダードなアイテムは、ほとんど杉山さんが考案しているのだそう。華奢でシンプルな洗練された神保真珠商店のオリジナルアクセサリーのデザインは、どのように生まれているのでしょうか。

「今日も慌ててピアスをつけてきたくらい(笑)、基本的にノーアクセで、そこまでファッションやアクセサリーに興味があったわけでもないんです。パールの個性を活かすこと、長く使ってもくたびれない金具を使うこと、海の真珠よりも日常使いができるようにシンプルなデザインにすること。大切なのはこの三点だけです。私は18年くらいOLをしていたので、自分がどのポイントで買う買わないを判断するか、いち消費者の目線で考えています」
真珠の加工・穴開けは家族とスタッフ全員で作業する。「自分でいうのもなんですけど、私、器用なんです。たぶん、このお店で一番穴開けが上手いと思います(笑)」

真珠の加工・穴開けは家族とスタッフ全員で作業する。「自分でいうのもなんですけど、私、器用なんです。たぶん、このお店で一番穴開けが上手いと思います(笑)」

専用のマシンにセットして穴を開けていくと、ギューンという機械的な音が響いた。びわ湖真珠は硬いため、割れることはほとんどないという。ただし、上手に穴を開けないと針が摩耗してしまうため、テクニックが必要。難しい形のものは杉山さんが担当することが多いという

専用のマシンにセットして穴を開けていくと、ギューンという機械的な音が響いた。びわ湖真珠は硬いため、割れることはほとんどないという。ただし、上手に穴を開けないと針が摩耗してしまうため、テクニックが必要。難しい形のものは杉山さんが担当することが多いという

金具は必要最低限にするのが杉山さんのこだわり

金具は必要最低限にするのが杉山さんのこだわり

印象的だったのが、真珠の断面が見えているアイテム。無核でつくられたもので、真珠層が年輪のように重なっている

印象的だったのが、真珠の断面が見えているアイテム。無核でつくられたもので、真珠層が年輪のように重なっている

パールに目がいくようにと金具は華奢なものを。メッキは絶対に使用せず、最低でも10K、ピアスは必ず18Kを選ぶ。極限まで金具部分をシンプルにしたいので、丸カンさえも気になるという杉山さん。写真右のネックレスのように、真珠に直接鎖が通っているようなデザインが理想的

パールに目がいくようにと金具は華奢なものを。メッキは絶対に使用せず、最低でも10K、ピアスは必ず18Kを選ぶ。極限まで金具部分をシンプルにしたいので、丸カンさえも気になるという杉山さん。写真右のネックレスのように、真珠に直接鎖が通っているようなデザインが理想的

ブレスレットが回ってきてしまったときに鎖が見えてしまうと少し格好悪い。そんな問題を解決するために、どの面がきてもスタイリッシュに見えるよう、リング状の留め具(デザインは「PROOF OF GUILD」)を使用。真珠の美しさはもちろんのこと、細部にまで女性にうれしい気配りが施されている

ブレスレットが回ってきてしまったときに鎖が見えてしまうと少し格好悪い。そんな問題を解決するために、どの面がきてもスタイリッシュに見えるよう、リング状の留め具(デザインは「PROOF OF GUILD」)を使用。真珠の美しさはもちろんのこと、細部にまで女性にうれしい気配りが施されている

びわ湖真珠の価値を上げていくために

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今後は、びわ湖真珠のファンをもっと増やしていきたいと語る杉山さん。過去の苦いできごとが、いっそうその思いを強くさせています。

「これは私の想像ですが、琵琶湖の環境が悪化して、産業がなくなりそうなときも、辛かったのは養殖業者さんだけで、まわりは結構他人事だったんじゃないかな、と思うんですよね。国内にびわ湖真珠のファンがもっといれば、もっと大きな声が上がって、どうにかしようっていう方向に動いたんじゃないかって。だから、お金を獲得したいというわけではなく、まずはびわ湖真珠の認知度を上げたくて、今は本当にギリギリのところでやっています。私はやっぱり、琵琶湖の真珠の価値を上げて、業者さんに還元して……そうやって土台を作って、これからも養殖を続けてもらえるようにしたい」
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「うちは真珠屋なので」と、力強く、まっすぐに話してくれた杉山さん。多くの魅力をもつびわ湖真珠は、すでにたくさんの人たちを魅了してきました。認知度が上がるにつれ、きっとそのファンも増えていくことでしょう。杉山さんにとって、びわ湖真珠の魅力を伝え、広めていくことが、今一番の使命なのです。また、そんな杉山さんの姿勢を見て、養殖職人たちの心境にも変化があったといいます。
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当然ながら、海外に輸出していたころは、収穫した真珠のその後を職人自身が目にすることはありません。6年間手塩にかけた真珠が、あっさりとお金に替わり完結するのは、あまりにも寂しいこと。でも今は、直接お客さんの反応を目にすることができる場所があります。
(写真:神保真珠商店)

(写真:神保真珠商店)

「買い取ったびわ湖真珠をどういう風にしたら売りやすいか考えるのがうちの仕事。こちらから『こういうものを作ってくれ』と注文をつけることはないんですけど、職人さんご自身が『じゃあ次はこんなの作ろう』って自然に行動して下さるんです。それがうれしくて。私の口からいうのもなんですが、みなさん喜んでくださっている気がします」

二人三脚を決めた日から、職人との関係もいっそう密になっています。杉山さん自ら足繁く漁場へ通い、現在の貝の状態を教えてもらう。台風がくれば漁場の様子を確認する。ときには食事にいき、コミュニケーションを欠かしません。
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「今は、とにかく関わっている養殖業者さんのために、1年間の真珠をすべて売り切れたら最高!その目標で精いっぱいです。でも、本当の大きな望みをいうなら……養殖業者さんが増えて、琵琶湖のまわりに町の真珠屋さんがたくさんある。滋賀県に、そんな文化を作りたい」

無垢で強い、杉山さんの夢は、近づく収穫の日を待っています。

(取材・文/長谷川詩織)
神保真珠商店|じんぼしんじゅしょうてん神保真珠商店|じんぼしんじゅしょうてん

神保真珠商店|じんぼしんじゅしょうてん

1966年創業の真珠専門店。びわ湖真珠を多くの方に知ってもらいという想いから、2014年、地元大津に実店舗をオープン。衰退しかけていた産業と高度な生産技術を守るため、様々なアプローチでびわ湖真珠の魅力を伝えている。
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