近すぎて見えづらい母のありがたみ
自分が社会人となり仕事をし始めると、その大変さは身にしみて感じるものですね。疲れて帰ってきてご飯ができていたりお風呂が沸いていると本当にありがたいものです。
心の中では感謝しつつも、それを当たり前のことのように享受してはいませんか?何かを話そうとする母に対して、「今疲れてるから」、とにべもない返事をしたり、せっかく作ってくれたご飯を「食べてきちゃった」、なんて一言で見向きもしない、そんな経験はないでしょうか。
遠くにいると忘れがちな感謝
一方で、親元を離れて暮らし始めると多くのことにありがたさを感じる反面、自分一人のリズムで暮らせることの気安さや自由度の高さに嬉しさを感じてしまうのも事実です。
遠く離れれば離れるほど、帰省にもお金と時間がかかります。自由気ままな生活に慣れてしまうと帰省そのものを億劫に感じてしまうこともよくあることです。でも、帰ればやはりホッとしたり気を抜ける場所だと感じるでしょう。
久しぶりに食べる手料理、自分以外の気のおける誰かが居るという安心感は実家ならでは。そう思いつつも、帰省の際は学生時代の友達と遊びに出かけてほとんど家にいないということはないでしょうか。
どんな時にも揺るがないと思いがちな母の存在
どんな時でも寛容に受け止めてくれる母。何かを相談したりたわいもない会話ができるかけがえのない存在ですよね。自分が社会人として働くようになっても母はいつまでも母、のような気がしてしまいます。
でも、自分が社会に出て目まぐるしく変化する毎日を過ごし、成長したなと思うのと同じくらいの時間が母親にも流れています。いつまでも、力強くて何でも受け止めてくれたあの頃の母親ではいられないのです。
労ってあげたいのは母。
帰省をすると心が休まったりリラックスできますよね。それは、母がいるという安心感もさることながら、やはり帰省を心待ちにしてくれている母が用意したものでもてなされた結果ではないでしょうか。
整えられた部屋、干してある布団、綺麗に掃除してあるお風呂などは、見えないところで母が用意してくれたものですよね。でも、自分が年を重ねてきた分、母も歳を重ねています。本当は疲れていたり横になりたい時だってあるかもしれません。帰省が終わったら、寝込んでいるのかもしれませんよね。
今年の母の日には「主役」をプレゼントしませんか?
家族のために陰となり支える母。家族の喜ぶ顔を見るのが一番嬉しい、そう考えている母親は多いのかもしれません。でも、「母の日」ならば、自分が主役になることを喜んでくれるのではないでしょうか。
寄り添う気持ちが一番嬉しい
「母の日」には、母に代わって掃除をしたり布団を干してみましょう。また母の買い物に付き合ったり、話をとことん聞いてみましょう。母の代わりに料理を振舞ってみるのもいいですよね。
「母の日」だからといって特別なことをするのではなく、普段の母に代わって動くことで母の気持ちに寄り添うことができるのではないでしょうか。
疲れたらお茶を淹れ、心地よい無言の中で2人で味わうのもいいでしょう。母にとっては普段と同じ家、でも娘とともに過ごすことで、また主役として過ごすことで、いつもと違った平穏を感じてくれたら嬉しいですね。
ともに過ごせる日を「母の日」にしよう。
近くにいれば可能でも、離れて暮らしていると「母の日」だからといって帰るのは難しいですよね。一方で、母としては忙しいとは分かっていても、何も音沙汰がないのはやはり寂しいものです。短くとも近況を伝える電話をしたり手紙を書きましょう。そして、まとまった休みに帰省した際、自分のためではなく、母のための1日を過ごしましょう。
おわりに
母がしてくれていることをそのままお返ししようと思い浮かべてみると、実に細々として多岐に渡っていることに気づきます。美味しい手料理からお風呂上がりのバスタオル一枚に至るまで、母の手はいろんなところにかけられていますよね。
全てお返しすることはできなくとも、娘と話をしたりゆっくりとともに過ごすだけでも母親というのは嬉しいものではないでしょうか。今年の「母の日」は母に主役を贈りませんか?
会社勤めやパートをしながら、あるいは主婦として家族の食事や家の掃除などをこなす母。家事の分担が進んでいる家庭においても細々としたところは母の手によることが多いのではないでしょうか。