少年の目をした大人たち
東京・四谷にある「東京おもちゃ美術館」の一室で、拍手と歓声が巻き起こりました。小さなクレーンゲームを囲み、少年のように目を光らせているのは「おもちゃ病院」のドクターたち。1996年に設立された「日本おもちゃ病院協会」*に登録しているおもちゃ病院は、原則無料で壊れたおもちゃの修理を行うボランティア団体です。会員の年齢は様々ですが、定年退職後の男性がメインの層。一度は失った機能をよみがえらせ、新たな命を吹き込む。その活動に生きがいを感じる人たちが集い、会員は全国で約1700人にのぼります(2019年8月現在)。
「東京おもちゃ美術館」でのおもちゃ病院は毎月第1・3土曜日に開催されている
おもちゃ病院の修理申込書。基本的にはどんなおもちゃも相談できるが、例外もある。エアガンや浮き輪など命にかかわるものや、価値の保証ができない骨董品・工芸品の修理は引き受けていない
丁寧にパッキングし保管されている「重症患者」
ドクターの仕事はボランティアではなく「趣味」
「日本おもちゃ病院協会」三代目会長・三浦康夫さん(73)
持ち前の探求心を活かし、学生時代は工学を専攻。大型車両の自動車メーカーでエンジニアとして勤務していた三浦さんが、おもちゃ病院の存在を知ったのは1997年のこと。街で偶然目にしたパンフレットの「おもちゃドクター」という言葉に惹かれ、試しに講座を受けてみると、少年のときの高揚感がよみがえりました。それからすぐにおもちゃ病院に参加し、おもちゃ修理の世界に夢中になっていった三浦さん。二足のわらじを履き、定年まで大忙しで50代を駆け抜けました。しかし、「ほとんど休みがなかった」と語る三浦さんの顔は穏やかです。
ドクターの活動は当然ながら、工具はほとんど自前で、交通費などは支給されません。ひとえに<ボランティア>というと、与える側と受け取る側が生まれ、対等な関係性を築くのは難しいことのように思えます。しかし、三浦さんはこの活動を<趣味>と表現します。
三浦さんの仕事道具が詰まったスーツケースは約20キロ。これを相棒に全国を飛び回っている
出張病院のときの様子。目の前で喜ぶ子供の顔を見るのが何よりの楽しみだという
全国のドクターがもっと夢中になれるように
「私が会長になったときのひとつの目標は『いかに会員に支援するか』。簡単な手術でも、初めはすごく時間が掛かる方もいます。そんなときは、『自分が楽しめればいいんだ』っていうふうに、私はいっています。時間が掛かることは少しずつ。面白いと思えば、腕は上がりますから」
修理例の展示など、協会全体を通して会員の育成に力を注いでいる。修理において、接着剤はあくまで補助的な存在であると話す三浦さん。割れてしまったプラスチックは、細いステンレスワイヤーを通し、しっかり引っ張りながら縫合する。縫合したあとは、ワイヤーが緩まないよう、2液混合型のエポキシ系接着剤を充填(写真右・飴色の部分)。こうすることで、修理前よりも強度がUPするのだそう
こちらもよくある修理例。摩耗して一部欠けてしまったギアに、別のギアを移植。こちらでも接着剤は使わず、ねじ留めすることで強度を上げる
「私が入会した前年に、各病院の技術格差をなくすために、全国の都市におもちゃ病院を作る目的で『おもちゃ病院連絡協議会』っていうのが立ち上がっているんです。でも、今も地方の病院で直せず、お客さんが困っているっていう相談が協会に届くんです。そういうときは着払いで本部である事務局に送ってもらうのですが、ほとんど直せるんですよ。まだまだ技術の共有ができていないと感じています」
三浦さんがいつも持ち歩いているパーツのほんの一部。工夫を重ねて修理に向き合ってきた、20年以上の経験が詰まっている
クレーンゲームの修理に携わっていた阿久澤義秀さん。朝9時から手術を始め、4人ほどでアイデアを出し合いながら修理を完了させた
「おもちゃ病院に通うようになってからは、家内に喜ばれています。来年くらいにはもうリタイアなので、その前に『あなたが夢中になれるものができてよかったですね』って(笑)。昔からこういうのは好きな方だったので、講座を受けたら楽しくて、即決。会長に頼んで、いろいろお世話になりました」
チームで協力すれば直せないものはない
この日三浦さんが取り組んでいたのは足が骨折した恐竜のおもちゃ。作業中は職人の顔つきになるのが印象的だった
手術が成功し、元気に動くようになった患者を見て「よしよし!」と破顔する三浦さん。その姿にこちらも思わず笑顔になる
「ぬいぐるみのお目目がとれちゃったっていうのがあってね、それくらいはできますけど、破けた洋服を直すっていうのはちょっと……。前にお人形さんの靴下づくりに挑戦したこともあるのですが、全然靴下にならない。なんやこれはーって代物になりましたよ(笑)。あと、私は電子関係にそんなに詳しくないので、そういうときは電子のプロである別のドクターにアイデアをもらう。自分でできそうだったらやるし、バトンタッチすることもあります」
女性のドクターは全体の3パーセント程度。ぬいぐるみの仕上げなど、繊細なニュアンスが必要な場面で活躍している方が多いという
「それぞれに得意分野があるので、『病院全体』でなんでも直せるという実力が必要だと思います。そういうふうに、チームとして協力すれば、直せないものはなくなっちゃうんですよ。めったに諦めるなんてことはないです。そんな環境を全国のおもちゃ病院に持ってもらうのが、私の夢です」
「『何としてでも直そう』という気力ですよ。それが一番大事。私も体調が悪いときは諦めかけるときがありますけどね。そういうときは、もう寝ちゃう(笑)。翌朝になれば『いや、待てよ?』とアイデアが沸くこともあるんです。そうなるとまたやる気が出てきて、いざおもちゃが動くようになるとやっぱり『よかった!』って思う。それが私の糧になっています」
三浦さんが決して諦めないのは、おもちゃの向こう側に沢山の人の笑顔を見ているから。何かを好きになる気持ちは、生きていくうえでのエネルギーであり、一番の処方箋です。年齢を重ねても、いつでも心に新しい風を吹かせることができる――「直す」というものづくりを通して、やさしい気持ちをもつドクターたちが教えてくれました。
(取材・文=長谷川詩織)
「東京おもちゃ美術館」がある「四谷ひろば」は、小学校の跡地を再利用した地域コミュニティの拠点。休日ということもあり、多くの親子でにぎわっていた