――地図をみているときだったり、バス停に座っているときだったり。ミラノやシチリアの街角で道すがら出逢うnonna(おばあちゃん)は、人生でたった一度すれ違うだけかもしれない相手にも、惜しげもなく親しみのこもった笑顔を送ります。
「素敵な服装ね」
「あなたの笑顔がいいわ」
名前も知らない相手との何気ない会話が、お互いの一日に鮮やかな彩りを添え、心を豊かにしてくれるよう。
それは、10年ほど前にはじめて訪れてからすっかりヨーロッパ、特にイタリアに魅了されてしまったというLABORATORIO QUATTRO(ラボラトリオ クアトロ)髙下文美さんの旅の一コマ。
何度もイタリアに足を運ぶ理由は、現地の人々のオープンなところが好きだから。年齢性別関係なく言葉を交わし、笑顔が飛び交う様子に心地よさを感じるといいます。
「素敵な服装ね」
「あなたの笑顔がいいわ」
名前も知らない相手との何気ない会話が、お互いの一日に鮮やかな彩りを添え、心を豊かにしてくれるよう。
それは、10年ほど前にはじめて訪れてからすっかりヨーロッパ、特にイタリアに魅了されてしまったというLABORATORIO QUATTRO(ラボラトリオ クアトロ)髙下文美さんの旅の一コマ。
何度もイタリアに足を運ぶ理由は、現地の人々のオープンなところが好きだから。年齢性別関係なく言葉を交わし、笑顔が飛び交う様子に心地よさを感じるといいます。
街から街へ。異国の風にゆれるポジャギ
髙下さんが旅へ行く際に決まって持っていくのは、自作のポジャギ。
"ポジャギ"はもともと、ハギレをパッチワークのようにつなげ一枚の布にした韓国の伝統工芸品。肌寒いときには、ストール代わりに巻いたり羽織ったり。上質なリネンやコットンのなめらかな肌触りが異国でも安心感をくれる、心強い旅のお供です。
もち前の博愛精神と親しみやすさから広い交友関係をもつ髙下さんは、たいていホテルではなく友人宅に滞在します。行く先々のお宅では、窓辺にポジャギをつるすのがお決まり。木漏れ日の影をうつしたポジャギが異国の風に揺れる様子をながめるのも、旅の楽しみのひとつだといいます。
"ポジャギ"はもともと、ハギレをパッチワークのようにつなげ一枚の布にした韓国の伝統工芸品。肌寒いときには、ストール代わりに巻いたり羽織ったり。上質なリネンやコットンのなめらかな肌触りが異国でも安心感をくれる、心強い旅のお供です。
もち前の博愛精神と親しみやすさから広い交友関係をもつ髙下さんは、たいていホテルではなく友人宅に滞在します。行く先々のお宅では、窓辺にポジャギをつるすのがお決まり。木漏れ日の影をうつしたポジャギが異国の風に揺れる様子をながめるのも、旅の楽しみのひとつだといいます。
髙下さんの手から生まれる
新しい物語
新しい物語
夏が終わろうというのに容赦なく太陽が照りつける大阪市内。髙下さんを訪ね、建築家であるご主人が倉庫を改装したというご自宅にお邪魔しました。
窓辺で出迎えてくれたのはイタリアでの滞在中に制作したというピンクのポジャギ。現在アトリエを兼ねていることもあり、作品たちが暮らしのなかに心地よく馴染んでいます。
髙下さんが制作するポジャギは、生地屋さんのキズ物や余り生地など、通常捨てられてしまうさまざまな形の布を自由に縫い合わせて作られています。
それは髙下さんのなかに深く刻まれた「もったいない精神」が功を奏し、生み出されたもの。廃棄されてしまう素材が、髙下さんの指先を経て、新しい物語を紡ぎはじめるのです。
窓辺で出迎えてくれたのはイタリアでの滞在中に制作したというピンクのポジャギ。現在アトリエを兼ねていることもあり、作品たちが暮らしのなかに心地よく馴染んでいます。
髙下さんが制作するポジャギは、生地屋さんのキズ物や余り生地など、通常捨てられてしまうさまざまな形の布を自由に縫い合わせて作られています。
それは髙下さんのなかに深く刻まれた「もったいない精神」が功を奏し、生み出されたもの。廃棄されてしまう素材が、髙下さんの指先を経て、新しい物語を紡ぎはじめるのです。
髙下さんがもつ才能と呼べるのが、人とのご縁。LABORATORIO QUATTROでは、ポジャギだけでなく、作品の材料となる素材のほとんどが髙下さんの友人から託されたキズ物や端材だというから驚きです。
家具職人の友人からは、ソファー用の分厚い革の端材。靴下デザイナーの友人からは、工場で縫い合わせる際に切り取られた靴下の輪っか。そして品質に定評があるニット工房では、妥協を許さないからこそ販売できない上質なニットが。
捨てるのは忍びないけれど、使い道がなくて困っている、という友人たちが喜んで材料を提供してくれるのです。
そうして、あちこちで持てあまされていた廃材が、髙下さんのアイデアで鮮やかに生まれ変わっていきます。
家具職人の友人からは、ソファー用の分厚い革の端材。靴下デザイナーの友人からは、工場で縫い合わせる際に切り取られた靴下の輪っか。そして品質に定評があるニット工房では、妥協を許さないからこそ販売できない上質なニットが。
捨てるのは忍びないけれど、使い道がなくて困っている、という友人たちが喜んで材料を提供してくれるのです。
そうして、あちこちで持てあまされていた廃材が、髙下さんのアイデアで鮮やかに生まれ変わっていきます。
分厚く固い革を加工しやすくするため表の革をはいで残った部分は、つぎはぎのマットへ。髙下さんが見せてくれたのは自宅で5年使用し味がでてきたもの
靴下ブランド「KARMAN LINE(カーマンライン)」のデザイナーとは、ひょんなきっかけで出会い、靴下工場で大量にでるニットの輪っかの処理を相談された。「指編みしたらマットにできるかも?」と髙下さんのアイデアで生まれたのがこちら。厚みがあり柔らかな質感と、汚れたらじゃぶじゃぶ洗えるのがよい
さらには、制作で余った小さな布切れさえも素材や柄を楽しむキャンドルに。キャンドル作家「IRIS bougie(イリスブジー)」とのコラボ作品は、 火を灯すと、うっすら透ける様子が美しい
人生で大切なことはすべて、祖母から教わった
まわりを明るく照らすようなハッピーな笑顔がトレードマークの髙下さんは、自らを”エコ活動家”だといいます。
「もうね、とにかくモノを簡単に捨てない。エコ意識が高いんです(笑)」
「もうね、とにかくモノを簡単に捨てない。エコ意識が高いんです(笑)」
普段の生活においてモノを捨てないことを徹底しているという髙下さんのルーツは、小学生時代にあります。大きな影響を受けたのは「心がきれいな人で、生き方すべてがお手本」という、今は亡き祖母の存在でした。
共働きの両親の代わりに面倒をみてくれていた髙下さんの祖母は、小さなあまり布でも捨てず、パッチワークのようにつぎはぎして布巾や巾着を作るなど、モノを再利用することを徹底していたといいます。
祖母から仕込まれた「もったいない精神」は筋金入りで、まだ世の中で”エコ”という言葉が浸透していなかった時代だというのに、髙下さんは友達の家に行く際にもマイコップやマイ箸を持ち歩くほどの意識の高さでした。
共働きの両親の代わりに面倒をみてくれていた髙下さんの祖母は、小さなあまり布でも捨てず、パッチワークのようにつぎはぎして布巾や巾着を作るなど、モノを再利用することを徹底していたといいます。
祖母から仕込まれた「もったいない精神」は筋金入りで、まだ世の中で”エコ”という言葉が浸透していなかった時代だというのに、髙下さんは友達の家に行く際にもマイコップやマイ箸を持ち歩くほどの意識の高さでした。
しかし、髙下さんが祖母から受け継いだのはエコの精神だけではありません。
――だれかからもらった親切な想いは自分で止めてはいけない。次の人の幸せの為に今の自分でできることを次へ渡しなさい。
「いつもいつも、おばあちゃんに言われていたその言葉を今まで大事にしてきました。人から向けられた笑顔や落ち込んでいるときにもらったひと言、手土産などの心遣い。相手が置いていってくれた”心”をもらいっぱなしにせず、次の人へまわしていく。『それはいつか自分のところに返ってくるのよ』ということを毎日のように言われていたんです。
だから、いただいた好意や言葉や笑顔は、"うれしかった気持ちと一緒に誰かへ送る"というのをずっと実践してます。『もしかしたら私が救われたように、別の誰かも私の笑顔で救われることがあるかも』って」
――だれかからもらった親切な想いは自分で止めてはいけない。次の人の幸せの為に今の自分でできることを次へ渡しなさい。
「いつもいつも、おばあちゃんに言われていたその言葉を今まで大事にしてきました。人から向けられた笑顔や落ち込んでいるときにもらったひと言、手土産などの心遣い。相手が置いていってくれた”心”をもらいっぱなしにせず、次の人へまわしていく。『それはいつか自分のところに返ってくるのよ』ということを毎日のように言われていたんです。
だから、いただいた好意や言葉や笑顔は、"うれしかった気持ちと一緒に誰かへ送る"というのをずっと実践してます。『もしかしたら私が救われたように、別の誰かも私の笑顔で救われることがあるかも』って」
もらった気持ちや恩を次の誰かに渡していく。"恩返し"とは少し違う、"恩送り"の考え方。心の美しい人だったという祖母の教えは今でも髙下さんの生きる指針となり、ずっと髙下さんの中心に息づいています。
「それが数珠つなぎのようにどんどん巡っていったら……素敵ですよね。祖母から教えてもらったことはたくさんあるけれど、そのなかでもそれは、一番の宝物です」
「それが数珠つなぎのようにどんどん巡っていったら……素敵ですよね。祖母から教えてもらったことはたくさんあるけれど、そのなかでもそれは、一番の宝物です」
人に使ってもらう喜びを知り
変わった自分の世界
変わった自分の世界
「小学校のころ、祖母が洋裁している横で、教わりながら作業をするのがすごい好きでした。洋服についている共布やあまり布を細長く切って、爪やヘラで折り目をつけたらミシンでまっすぐ縫って……長いヒモ状にするんです。何年もずーっと作っていたので、どんどん増えて、できたヒモをぐるぐる巻いたものが100個ほどたまりましたね(笑)」
自称「エコ活動家」だった当時の髙下さんにとって、それを作るのがエコ活動の一環だったといいます。
自称「エコ活動家」だった当時の髙下さんにとって、それを作るのがエコ活動の一環だったといいます。
そして中学生になると、友人へ誕生日プレゼントを贈るときなどそのヒモをリボン代わりにしていまいた。
「友人たちの反応は『なにこれ?』という感じで、あまり評判はよくなかったんですが(笑)。捨ててもらってもいいと思ってたし、あげた後のことまでは気にしてなくて。そんなとき、それをヘアアクセサリーとして髪につけてくれた友人がいたんです。その子が嬉しそうに使ってくれているのを見て、ものすっごく心を打たれて。はじめて『人に使ってもらえる喜び』というものを知りました」
友人にとっては何気ない行動だったのかもしれない、けれど髙下さんにとっては、それが後の人生をも変える衝撃的な出来事となります。
「なにか渡したとき、自分へ返ってくるものって”気持ち”なんだ!って。世界を見る目がガラッと変わったような感覚で、祖母が話してくれた恩送りの本当の意味が分かったような気がしたんです。自分のやりたいことが見えて、のちのち服飾系の大学に入るきっかけにもなりました」
「友人たちの反応は『なにこれ?』という感じで、あまり評判はよくなかったんですが(笑)。捨ててもらってもいいと思ってたし、あげた後のことまでは気にしてなくて。そんなとき、それをヘアアクセサリーとして髪につけてくれた友人がいたんです。その子が嬉しそうに使ってくれているのを見て、ものすっごく心を打たれて。はじめて『人に使ってもらえる喜び』というものを知りました」
友人にとっては何気ない行動だったのかもしれない、けれど髙下さんにとっては、それが後の人生をも変える衝撃的な出来事となります。
「なにか渡したとき、自分へ返ってくるものって”気持ち”なんだ!って。世界を見る目がガラッと変わったような感覚で、祖母が話してくれた恩送りの本当の意味が分かったような気がしたんです。自分のやりたいことが見えて、のちのち服飾系の大学に入るきっかけにもなりました」
興味のおもむくまま。情熱の対象はいつも仕事だった
「わたし、遅咲なんです」と笑う髙下さん。LABORATORIO QUATTROをスタートさせるまで、さまざまな仕事を経験してきたと楽しそうに話します。
20代はとにかく仕事一辺倒。服飾系の大学卒業後、大手アパレルブランドの店長として店舗スタッフをまとめ、全力疾走の日々でした。
なにもかもが順風満帆。「仕事が趣味」というほど楽しくてしょうがなかったという髙下さんですが、30歳のときに突然、仕事をやめる決断をします。
「自分についた看板をとりたかったんですよね。会社の囲いをとって自分がどういう人間か確認したくなったというか。いろんなものをリセットして、引っ越しもして、一度ゼロにしたんです」
20代はとにかく仕事一辺倒。服飾系の大学卒業後、大手アパレルブランドの店長として店舗スタッフをまとめ、全力疾走の日々でした。
なにもかもが順風満帆。「仕事が趣味」というほど楽しくてしょうがなかったという髙下さんですが、30歳のときに突然、仕事をやめる決断をします。
「自分についた看板をとりたかったんですよね。会社の囲いをとって自分がどういう人間か確認したくなったというか。いろんなものをリセットして、引っ越しもして、一度ゼロにしたんです」
そこから数年は、先輩のベトナム料理店で働いたり、派遣会社でスタッフのフォローをしたり、はたまた下着メーカーの事業拡大のお手伝いまで。さまざまな仕事を経験しますが、いずれも共通していたのは、”人と触れ合う仕事”だということ。
どんな人とでもオープンで気さくに打ち解け、人とつながることに長けている髙下さんには、必然的にそういった仕事が回ってくるようでした。
どんな人とでもオープンで気さくに打ち解け、人とつながることに長けている髙下さんには、必然的にそういった仕事が回ってくるようでした。
"縫い子"さんから、思わぬきっかけでブランドへ
ふたたび"作ること"が生活の一部になったのは、友人夫婦が営むセレクトショップ「dieci(ディエチ)」で働きはじめたことから。「買い付けてきた北欧の生地でオリジナル商品を作りたい」と相談され、髙下さんが小物を制作することになったのです。
「そのころは、自分でデザインしたものをブランド化するとか、まったく考えてなくて。いわゆる"縫い子さん"で十分満足だったんですよ。ただ、すでにそのころからハギレを使ってパッチワークなどの制作をしていたので、それを教えるワークショップのようなことを3年ほどしていました」
いつも、そのとき目の前にあることを全力で楽しんでいる髙下さん。そうすると自然な流れで、自分にとって必要なものが向こうからやってくるようです。
「そのころは、自分でデザインしたものをブランド化するとか、まったく考えてなくて。いわゆる"縫い子さん"で十分満足だったんですよ。ただ、すでにそのころからハギレを使ってパッチワークなどの制作をしていたので、それを教えるワークショップのようなことを3年ほどしていました」
いつも、そのとき目の前にあることを全力で楽しんでいる髙下さん。そうすると自然な流れで、自分にとって必要なものが向こうからやってくるようです。
はじめて自身のブランドを手がけることになったのは、dieciで働きながらものづくりをし7年ほど経ったころのこと。
「当時お友達になった東京のスタイリストさんと意気投合して『一緒になにかしましょうよ!』という流れになって。で、2回目に会ったときには、もうブランドの話だったんですよね(笑)。そのスピード感にびっくりしましたけど、それこそタグやコンセプトを考えるところから、なにもかもはじめての経験ですごく新鮮でした。結局2年半で解散することにはなったんですが、ブランド作りに関してはかなり勉強させてもらいました」
ブランドを作る楽しさ、大変さ。それまで行っていたワークショップとは違い、”作品”として求められるクオリテイ。あらゆることが新鮮な驚きとなり、髙下さんを次への行動へ駆り立てました。
そして、そのときの経験をベースに、自身のブランドをスタート。LABORATORIO QUATTROが形作られることになったのです。
髙下さんは「遅咲」というけれど、それまでに出会った人や経験、すべての点が線となった絶好のタイミングのように思えます。
長い道のりをかけて、自然にたどり着いた場所がLABORATORIO QUATTROでした。
「当時お友達になった東京のスタイリストさんと意気投合して『一緒になにかしましょうよ!』という流れになって。で、2回目に会ったときには、もうブランドの話だったんですよね(笑)。そのスピード感にびっくりしましたけど、それこそタグやコンセプトを考えるところから、なにもかもはじめての経験ですごく新鮮でした。結局2年半で解散することにはなったんですが、ブランド作りに関してはかなり勉強させてもらいました」
ブランドを作る楽しさ、大変さ。それまで行っていたワークショップとは違い、”作品”として求められるクオリテイ。あらゆることが新鮮な驚きとなり、髙下さんを次への行動へ駆り立てました。
そして、そのときの経験をベースに、自身のブランドをスタート。LABORATORIO QUATTROが形作られることになったのです。
髙下さんは「遅咲」というけれど、それまでに出会った人や経験、すべての点が線となった絶好のタイミングのように思えます。
長い道のりをかけて、自然にたどり着いた場所がLABORATORIO QUATTROでした。
“旅するポジャギ”が紡いでいくもの
旅に出ると、飛行機でも旅の道中でも、チクチクと手を動かしているという髙下さん。
「なにを作ってるの?」
興味深げに覗いてくる人々と他愛ない話をしながら、ポジャギは少しずつ縫い上げられていきます。
自分自身が旅を楽しみ、その土地の空気をめいっぱい吸い、地元の人と交流する。そうして、イタリアの空気と笑顔が存分に縫い込まれていくのです。
「なにを作ってるの?」
興味深げに覗いてくる人々と他愛ない話をしながら、ポジャギは少しずつ縫い上げられていきます。
自分自身が旅を楽しみ、その土地の空気をめいっぱい吸い、地元の人と交流する。そうして、イタリアの空気と笑顔が存分に縫い込まれていくのです。
髙下さんはポジャギに、ステンドグラスのイメージを込めていると話します。
「イタリアのサンタマリアノヴェッラ教会に足を踏み入れた途端、ものすごい感情におそわれて、なぜか涙が止まらなくなってしまって。光が差す教会で人々が祈りを捧げるなか、涙越しに見えたステンドグラスが、自分の作るポジャギとリンクしたんです」
陽がのぼり落ちていく。一日の経過を光で魅せるステンドグラス。髙下さんが作るポジャギは、窓辺でやさしく揺れる布のステンドグラスを思わせます。
そのとき光に透ける不規則なパーツの縫い目は、まるでnonna(おばあちゃん)の笑顔に出逢えるミラノの入り組んだ街角のよう。
「イタリアのサンタマリアノヴェッラ教会に足を踏み入れた途端、ものすごい感情におそわれて、なぜか涙が止まらなくなってしまって。光が差す教会で人々が祈りを捧げるなか、涙越しに見えたステンドグラスが、自分の作るポジャギとリンクしたんです」
陽がのぼり落ちていく。一日の経過を光で魅せるステンドグラス。髙下さんが作るポジャギは、窓辺でやさしく揺れる布のステンドグラスを思わせます。
そのとき光に透ける不規則なパーツの縫い目は、まるでnonna(おばあちゃん)の笑顔に出逢えるミラノの入り組んだ街角のよう。
「イタリアで仕上がったポジャギをみていると、あのころ探していた”なんの看板もしょっていない自分”が、そろそろ見つかりそうな予感がする」
国境を越えあらゆる人を魅了するボーダーレスな笑顔でそう話す髙下さん。
誰かに贈られたその笑顔は、今ごろどこへ届いているのでしょうか。
国境を越えあらゆる人を魅了するボーダーレスな笑顔でそう話す髙下さん。
誰かに贈られたその笑顔は、今ごろどこへ届いているのでしょうか。
(取材・文/西岡真実)
いつまでも包まれていたい、とろけるような肌触りのブランケットには、世界的ニッターの友人が手がけるブランドの上質なカシミアを。指差しているのは、もともとは子ども服の袖として作られた部分。さまざまな色や形をなるべく活かし、楽しいコラージュのように