インタビュー
vol.98 鈴屋 -親しいあの人に贈りたくなる。
和歌山の老舗和菓子店で生まれた名物ケーキ
写真:岩田貴樹
レトロなパッケージに包まれた、このケーキをご存知でしょうか。その名も、「デラックスケーキ」。和歌山県民であれば、誰もが一度は目にしたことがあるという、知る人ぞ知るケーキです。発売から半世紀が経ちましたが、手のひらサイズのこのケーキを求め、全国からお客さんが訪れます。地元の人から長年愛されてきた「町のお菓子」は、どのようにして誕生したのでしょうか。大正13年創業の老舗菓子店・鈴屋を訪ねました。
鈴屋の看板商品、「デラックスケーキ」。1個195円(税込)
和歌山県・田辺市の老舗菓子店「鈴屋」には、今日も県内外から人が集まります。
ショーケースのなかには、和洋折衷なお菓子がずらり。なかでもひときわ存在感を放っているのは、一番人気の「デラックスケーキ」です。地元はもちろんのこと、この看板商品を求め、他県から足を運ぶお客さんが後を絶ちません。発売から約50年、5センチ四方の小さな “ケーキ”は、田辺市のふるさと納税のお礼の産品に選ばれるなど、今では和歌山を代表する銘菓となりました。
5センチ四方、高さ3センチのスポンジに、白いんげん豆をベースにした独自製法のジャムをサンド。懐かしい風味は、このジャムが決め手となっています
きらきら光る銀色の包みを開けると、どっしりとしたカステラ生地が姿を現します。ホワイトチョコでコーティングされた生地をひと口かじると、どこか懐かしいふくよかな香り。重厚感のある見た目とは裏腹に、やさしい甘みが口の中に広がっていきます。この繊細な味わいは、しっとりしたスポンジと、和菓子の技法をベースに作られたジャムがあってこそ。
そのままかじってもよいけれど、折角ならお皿に出して、ちょっと贅沢なコーヒー・タイムにしようか。かわいいものが好きな、あの人にあげたら喜ぶかも。キューブ状のパッケージを見ているだけで、おやつ時間の過ごし方や、贈りたい誰かにまで思いを巡らせてしまいます。デラックスケーキの魅力は、なんといってもその「特別感」にあるのでしょう。素朴なおいしさはもちろんのこと、「戴きもの」のお菓子を思わせる、格式高いレトロなパッケージも魅力。幼いころの憧れや、ささやかなノスタルジーを一緒に連れてきてくれる、ふるさとのようなお菓子なのです。
大正13年に創業した鈴屋。もともとは、羊羹や饅頭などを取り扱う和菓子店でしたが、「個性のある名物を作りたい」という初代店主の思いから、オリジナル商品の販売を始めます。デラックスケーキ以前にも、様々なユニークな品を打ち出してきました。昭和27年に発売された最中「弁慶の釜」を皮切りに、山いもをすりおろした皮で栗入りこしあんを包んだ「栗かるかん」、一口サイズの「柚子もなか」など、粒が揃います。最近では、和歌山県出身の博物学者・南方熊楠の好物にちなんだチョコレート饅頭「熊楠さん」を発売しました。
JR紀伊田辺駅前にある弁慶の像。田辺市は弁慶生誕の地という説があり、同市内の「闘鶏(とうけい)神社」には、弁慶の産湯を沸かしたといわれる釜が残されています
戦後、砂糖や小麦粉などの原材料の統制が撤廃されると、一般家庭にも洋菓子が広まるようになりました。1960年代に入ると、冷蔵庫が普及。町のお菓子屋さんには生ケーキが並び、甘く幸福な香りが世の中に溢れます。例に漏れず、鈴屋でもショートケーキなどを扱うことに。しかし、和菓子一筋できた鈴屋が洋菓子専門店と肩を並べるにはもうひとつ。流行の生ケーキは撤退し、マドレーヌやバームクーヘンなど、日持ちのする焼き菓子の幅を広げていきました。これこそが、デラックスケーキの原点です。
「この重みのあるカステラ生地に合うから」と当時は珍しかったホワイトチョコを使い、ジャムは果物などで洋風にするのではなく、白いんげんやゴマで和風に仕上げる。三代目・鈴木一弘さんは、「100年近く続けてこられたのは、この一風変わったこだわりがあったから」と話します。
「先代は、和洋折衷とかそういう感覚を、すでに持っていたんでしょうね。ネーミングにも相当こだわっていました。『その当時にしては』ですけど、豪華な雰囲気があったので、デラックスケーキって名を付けた。ただ、もっとオリジナル性を出したいということで、鈴屋の『鈴』とかけて『デラベール(ベル)』という名前をつけたんですよね。今では、『デラックスケーキ?』『デラベールやろ?』って、私たちよりもお客さんの方が呼び方にこだわってくれて(笑)。今残っている製品に共通しているのは『ちょっと変わっている』要素があることですね」
地元の人の間では今も名称の論争(!?)が起こるデラックスケーキ。ショーケースには大きく「デラベール」の立札が
昭和に一大ブームを巻き起こし、現在ブーム再燃中のレモンケーキ。レモンは田辺市の特産品でもあります。第一次ブームが去るとめっきりとその姿を消しましたが、鈴屋のレモンケーキは当時からそのまま。レモンチョコレートが、底の部分まで満遍なくコーティングされている、手間がかけられた洋菓子です
この日すでに売り切れていた、鈴屋初の銘菓「弁慶の釜」
和菓子の伝統的な技法を継承しながらも、素材や見た目に“ちょっと”したアクセントをつける。美味しさだけでなく、気持ちが弾むような楽しみも提供するのが、100年近く貫かれてきた「鈴屋流」なのです。
平日にもかかわらず、正午をすぎると、次々とお客さんが。「今日はあれないの?」など、親しみのある会話が飛び交います。観光客だけでなく、常連さんが多いことも印象的でした
東京と大阪で会社員をしていた一弘さんが、家業を継ぐために故郷に帰ってきたのは27歳のときのこと。当時は漠然と考えていましたが、二代目である一弘さんのお祖父さまが高齢だったことや、長く続いてきた家業を守りたいという思いが後押ししました。しかし、時はバブル崩壊後の直後。その波は、じわじわと地方へも広がりつつありました。
「帰ってきたときにね、自分が思っているよりも良い状態じゃなかったんです。このままいったら、3年後くらいには成り立たんようになるんじゃないかなって。そこから10年くらいは、ずっと苦しかったですね」
一弘さんの奥様・智郷(ちさと)さん。その場がぱっと明るくなるような笑顔で、お客さんからも親しまれています
危機感を抱いた一弘さんは、思い悩むよりも先に行動に移します。苦しく長い10年は、その「行動」の連続でした。まだインターネットが珍しかった1996年、いち早く店舗のホームページを開設。その甲斐あって検索にヒットし、全国放送のテレビ番組に取材されたことで、メディアの取材なども増え、知名度を伸ばしていきました。地方新聞に出す広告に趣向を凝らし、月に何度か、観光地で路面店を出す。小さなことの積み重ねが、今の鈴屋を作っているのかもしれません。そして、今までの流れを変えなければならないときは、新しい風を入れる代わりに、必ずどこかに軋みが生じるもの。一弘さんは、先代であるお祖父様とよくぶつかった、と話します。
「亡くなった祖父は、いろんな協会の会長を担当していたので、それで表彰された賞状を、店の壁にみんな貼っていたんですよ。お金が欲しい人も、ブランド服が好きな人もいる。何を求めているかっていうのは人それぞれだと思うんですけど、極端なことをいうと僕は何もいらないんです。それは、賞状もそうだし、僕個人の表彰もしてほしくない。『個人の自慢なんて、お客さんはなんにも面白くないから外します』いうて、賞状を壁からはずしたら、ものすごい怒られました(笑)」
「かといって、『店にそんなもの(賞状)はいりません!お客様の喜ぶ顔が見たいんです!』という正義感からではないんです。お客さんが『あ、これおいしいね』とか『これは自分には合わないな』って、自分の舌で判断してくれたらいいなと思っていて。店側から何かを押し付けるようなことはしたくないんです」
一弘さんいわく、「いろんな変わった発想をする面白い人だった」というお祖父さま。記憶に残る数々の銘菓を生み出し、柱をつくってきたことは、紛れもない事実。お祖父さまにとって、鈴屋は自分の生きてきた証そのものだったのでしょう。しかし、なにかを続けていくためには、変化が求められるときが必ずやってきます。ときにぶつかっても、お店を守っていきたいというお二人の気持ちは同じ。一弘さんが加わって、鈴屋は新しいスタートを切りました。
二代目の奥様・勝子さん。鈴屋を長年支え、やさしく見守り続けています
一弘さんが和歌山に戻って数年が経ち、地方の衰退はますます深刻になっていました。各県で地域活性化の取り組みが進められるなか、和歌山県も特産品を打ち出していくことに。あるとき、全国展開している高級スーパーで、プレゼンの場が設けられました。売り場に置けるのは、バイヤーに選ばれた品のみ。県の各食品メーカーが商品を提案するも、目の前では厳しい品評が繰り広げられます。「いややなあ」と憂鬱な気持ちで順番待ちをしていた一弘さん。鈴屋の人気商品のひとつ「梅たると」を恐る恐る差し出すと、それまで辛口だったバイヤーが「美味しいですねえ」と顔をほころばせました。
デラックスケーキのパッケージや洋菓子に使用している包装紙は、デザイナーをしていた勝子さんの妹さんが手掛けたもの。シンプルで品のある表情が、贈り物にもぴったりです
かわいらしい化粧箱を使った丁寧な梱包も、人気の理由のひとつです
「それをきっかけに、いろいろな人とゆるく繋がりができていきました。大阪の高島屋さんで最中の販売が決まったときに、手土産にデラックスケーキを渡したら、その場で食べて『これも取りたいです』ってゆうてくれて。無理に何かの努力をしたことはなく、声をかけてもらうばっかりで、当時はそれで広がったんですよ。あまり過剰な競争は嫌なので、今は卸売を制限させてもらっているんですけど」
「努力をしたことがない」と一弘さんはおっしゃいますが、見た目のユニークさだけでなく、味や素材にこだわり、「良いお菓子」を実直に作り続けてきたことが実を結んだのでしょう。化粧箱に同封するリーフレットには、看板商品の紹介文が並んでいますが、製法と原材料が書いてあるだけの、いたってシンプルなもの。美味しさを謳うのでなく、味ですべてを語ること。鈴屋のお菓子が長い間信頼されるゆえんは、そんな姿勢にあるのです。
鈴屋のお菓子は、デラックスケーキを中心に、全国のいくつかの店で販売されています。ホームページからの注文も可能ですが、“わざわざ”県外から訪れる人も少なくありません。
「百貨店でばら売りされているデラックスケーキを見て「箱入りが欲しい」と、大阪から高速道路を使って来てくれたお客さんもいました。隣県といっても気軽に行ける距離ではないし、そういうことを口に出してくれるんが、本当にうれしいですね。あと、不思議なことに去年の年末年始は北海道からの注文が多くて。うちは代引き手数料も送料もお客さん負担で販売させてもらっているので、ここから北海道だと、手数料だけで2000円近くいってしまうんですよ。メインは関東や関西圏でしたが、北海道も増えてきて驚いています」
ここ数年、「デラックスケーキ」に並ぶ人気なのが、店頭限定の「デラックスケーキのはしっ子」。その名の通り、カットされたスポンジの端をホワイトチョコレートでコーティングしたもの。取材中にも「はしっ子ちょうだい」と声を掛けるお客さんが続出。ユニークなものが好きな関西人のお土産として、特に人気があるのだそう
店の片隅に目をやると、全国への宛名が貼られた段ボールが積まれています。あれこれの条件を飛び越えて、「それでも」と鈴屋の菓子を求める人たち。そんなお客さんに売り切れを告げるのが何よりつらいと、店舗での販売数をキープすることが目下の課題です。まずは近くにいる人たちへ、丁寧に良いものを届ける。そんな姿勢を続けてきた鈴屋は、定休日をもうけず年中無休で営業しています。以前、正月は2日まで店を閉めていたそうですが、一弘さんの代からは、通常より早じまいするものの、元日も休むことはありません。
「結局自分がえらい思いして働きますけど、それなりの満足感というか、自分で決めてやっていることなので納得できますね。以前は、帰省のタイミングで買いたいと思ってくれる人がいるのに、店が閉まっていた。それではお客さんに申し訳ないので、一人でお店を開けて営業しました。『1日だけしか帰れないから、開けてくれて助かったよー』ってゆうてくれるお客さんもいて、うれしかったですね」
もともとデラックスケーキは、口コミでじわじわと広がっていった「町のお菓子」。この町で育った人たちが感じた幸せな気持ちを、また誰かにお裾分けする。美味しいもの、楽しいもの、愛おしいもの……旅先で心が動かされる何かに出合ったとき、私たちは誰かに伝えずにはいられません。そんな体験を形にして伝えることができるのが、その町で愛されてきた名品なのです。
「名物に旨い物なし」――有名なことわざも、鈴屋のお菓子を口にしたとたん、その意味を失くしてしまうのでした。
(取材・文/長谷川詩織)
鈴屋の看板商品、「デラックスケーキ」。1個195円(税込)