東京「日本橋」で“おいしい逸品”買い物めぐり。日本橋の名所と15の名店

東京「日本橋」で“おいしい逸品”買い物めぐり。日本橋の名所と15の名店

「日本橋」は、江戸の始まりから“商う”ことを通じて繁栄してきた街。諸国の産品と人が集まる「日本橋」には、この街ならではの粋な雰囲気と、伝承の技が生み出す名店の“おいしい逸品”が数多くあります。今記事では、日本橋の歴史紐解きながら、名所と共に、★名店15店舗とお勧めの逸品を紹介します。記事を参考に、買い物しながら「日本橋」を散策してみましょう。2019年02月23日作成

カテゴリ:
旅行・お出かけ
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首都圏東京都日本橋お土産
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江戸の玄関口「日本橋」

東京「日本橋」で“おいしい逸品”買い物めぐり。日本橋の名所と15の名店
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江戸の粋も。近代の息吹も。そのまま大事に。
有機的に繋がりながら成長しているのが、この街の魅力です。



「日本橋」の魅力を見つけに。


今も。江戸の昔も。「日本橋」は、“商い”の街。
多種多彩な商品が津々浦々から集まり、様々な人々が日々行き交います。
東京「日本橋」で“おいしい逸品”買い物めぐり。日本橋の名所と15の名店
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活気溢れるこの街には、江戸の昔から培ってきた“粋な文化”も、脈々と息づいています。
東京「日本橋」で“おいしい逸品”買い物めぐり。日本橋の名所と15の名店
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それは、文化財として継がれてきた建物や美術品といったものに限るわけではありません。
東京「日本橋」で“おいしい逸品”買い物めぐり。日本橋の名所と15の名店
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街中の商店にも。色とりどりに並ぶ商品の中にも。
“商う”ことで磨いてきた「日本橋」ならではの文化を、ここかしこで見出すことが出来ます。
東京「日本橋」で“おいしい逸品”買い物めぐり。日本橋の名所と15の名店
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江戸の中心地として栄えた「日本橋」を丸ごと眺め直して、楽みながら散策すれば、この街の魅力を新たに発見出来るでしょう。


伝統の味、日本橋ならではの逸品を買い求めながら。

“魅力の発見”といっても、漫然と歩いていては見つからず、面白味もありません。

【「コレド室町2」の北側に鎮座する「福徳神社(芽吹稲荷)」は、貞観年間に創祀、家康公も参詣と伝わる由緒ある神社。商売繁盛や厄よけ、開運等、ご利益は様々だが、かつて富くじ興行を許可されていた(御免富)ことから、宝くじ当選祈願に訪れる人が多い。周囲は緑豊かで、日本橋散策の憩いの場ともなっている。】
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“魅力の発見”といっても、漫然と歩いていては見つからず、面白味もありません。

【「コレド室町2」の北側に鎮座する「福徳神社(芽吹稲荷)」は、貞観年間に創祀、家康公も参詣と伝わる由緒ある神社。商売繁盛や厄よけ、開運等、ご利益は様々だが、かつて富くじ興行を許可されていた(御免富)ことから、宝くじ当選祈願に訪れる人が多い。周囲は緑豊かで、日本橋散策の憩いの場ともなっている。】

「日本橋」という地域は、“商う”ことを軸に発展した街。
ただ単に街の景観を楽しむというよりも、名店の逸品や、老舗の伝統の味を買い求めながら、日本橋の歴史が感じられる名所やスポットを訪れ、日本橋独特の雰囲気、江戸前の情緒を楽しむのがお勧めです。【日本橋室町の“江戸桜通り”】
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「日本橋」という地域は、“商う”ことを軸に発展した街。
ただ単に街の景観を楽しむというよりも、名店の逸品や、老舗の伝統の味を買い求めながら、日本橋の歴史が感じられる名所やスポットを訪れ、日本橋独特の雰囲気、江戸前の情緒を楽しむのがお勧めです。【日本橋室町の“江戸桜通り”】

買い物を楽しみながら街を歩けば、随所随所で、江戸、明治、大正、昭和、平成と、それぞれの時代が生み育て、継がれた文化と出会えるはずです。【「千疋屋総本店 日本橋本店」の『フルーツサンド』&『オムレット』】
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買い物を楽しみながら街を歩けば、随所随所で、江戸、明治、大正、昭和、平成と、それぞれの時代が生み育て、継がれた文化と出会えるはずです。【「千疋屋総本店 日本橋本店」の『フルーツサンド』&『オムレット』】

日本橋は、江戸前の魚介や諸国の逸品が荷揚げされ、それらが取引されることによって、繁栄した街です。
“商う”ことを通じて、人も文化も、街も育まれ、その軌跡は止まることなく今も続いています。界隈には、江戸の粋と技が冴えた雑貨や食物、和菓子の老舗も数々残り、今も暖簾を掲げてその伝統技を守り続けています。
【明治初期の海苔缶やラベル等、貴重な資料が並ぶ「山本海苔店」店内展示ケース】
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日本橋は、江戸前の魚介や諸国の逸品が荷揚げされ、それらが取引されることによって、繁栄した街です。
“商う”ことを通じて、人も文化も、街も育まれ、その軌跡は止まることなく今も続いています。界隈には、江戸の粋と技が冴えた雑貨や食物、和菓子の老舗も数々残り、今も暖簾を掲げてその伝統技を守り続けています。
【明治初期の海苔缶やラベル等、貴重な資料が並ぶ「山本海苔店」店内展示ケース】

今記事では、「日本橋」の歴史と共に、文化の香りを今に伝える名所を案内しながら、当地で大切に守り育てられたきた*「日本橋」の名店15店舗と“おいしい逸品”の数々を紹介します。【文明堂日本橋本店(*後述)】
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今記事では、「日本橋」の歴史と共に、文化の香りを今に伝える名所を案内しながら、当地で大切に守り育てられたきた*「日本橋」の名店15店舗と“おいしい逸品”の数々を紹介します。【文明堂日本橋本店(*後述)】

紹介するのは、持ち帰りで楽しむ、佃煮やふりかけ、乾物、和菓子や弁当等など、日本橋ならではの味の数々。自宅使いでも手土産でも喜ばれるものばかりです。

【「日本橋 宇田川」の『カツサンド』】
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紹介するのは、持ち帰りで楽しむ、佃煮やふりかけ、乾物、和菓子や弁当等など、日本橋ならではの味の数々。自宅使いでも手土産でも喜ばれるものばかりです。

【「日本橋 宇田川」の『カツサンド』】

江戸の味は、京都の“はんなり”とした奥深い味わいとは異なり、“きりり”とした、潔い味わい。すっきりと美味しいのが身上です。ぜひ、あなたならではの“おいしい逸品”を探し当てながら、日本橋を楽しんでみましょう。
【「日本橋 弁松総本店」の『並六』と『白飯』】
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江戸の味は、京都の“はんなり”とした奥深い味わいとは異なり、“きりり”とした、潔い味わい。すっきりと美味しいのが身上です。ぜひ、あなたならではの“おいしい逸品”を探し当てながら、日本橋を楽しんでみましょう。
【「日本橋 弁松総本店」の『並六』と『白飯』】

*今記事で紹介するのは、名橋・日本橋を中心とした橋の南側の「日本橋」、橋の北側の「日本橋室町」と「日本橋本石町」界隈の名店、名所です。

今記事の目次

1.江戸一番の繁華街“日本橋”
2.近代以後も。繁栄の「日本橋」(日本橋の名所&スポットともに)
3.“商い”を通して培われた「日本橋」文化と風格

4.日本橋エリアで“甘味の逸品”。
①「榮太樓總本鋪 日本橋本店」の”梅ぼ志飴”&“ピーセン”
②「うさぎや 本店」の“どら焼き”
③「長門」の“久寿もち”
④「山本山 ふじヱ茶房」の“玉露”で一息。

5.日本橋室町の“おいしい逸品” 乾物・練り物・佃煮
⑤「八木長本店」 “鰹節”&“かつおせんべい”
⑥「山本海苔店 日本橋本店」 “日本橋本店限定 焼きたて海苔”
⑦「大和屋」 “血合抜 本花削節”
⑧「にんべん日本橋本店」”かつおふりかけ”
⑨「日本橋 神茂」 “手取り半ぺん”
⑩「日本橋 金鮒佐(きんふなさ) 本店」”江戸前佃煮”
⑪「日本橋 貝新」 ”あさりのしぐれ煮”

6.日本橋室町の“持ち帰りの逸品” 弁当・サンドイッチ・他
⑫「日本橋 弁松総本店」”赤飯弁当”
⑬「宇田川」”カツサンド”
⑭「千疋屋総本店 日本橋本店」 ”フルーツサンド”&”オムレット”
⑮「文明堂本店」 “日本橋限定 特別仕立てカステラ”

7.アクセス抜群の“日本橋”
東京駅や神田駅から徒歩圏内!
無料巡回バス&区営コミュニティバスを賢く使って
日本橋クルーズも体験して

旅のおわりに
旅のInformation

1.江戸一番の繁華街“日本橋”

「お江戸日本橋七つ立ち 初上り~♫」は誰もが一度は耳にしたことがある民謡です。

【江戸後期から歌い継がれるこの民謡の第一番は、東海道の起点となる《日本橋》を、西に向けて出立する情景が唄われている。(画像は、歌川広重『行書版 東海道 日本橋暁旅立の図』ボストン美術館)】
出典:ja.wikipedia.org

「お江戸日本橋七つ立ち 初上り~♫」は誰もが一度は耳にしたことがある民謡です。

【江戸後期から歌い継がれるこの民謡の第一番は、東海道の起点となる《日本橋》を、西に向けて出立する情景が唄われている。(画像は、歌川広重『行書版 東海道 日本橋暁旅立の図』ボストン美術館)】

名橋《日本橋》が、日本橋川に初めて架けられたのは、江戸幕府が開かれた慶長8(1603)年のこと。家康による街道整備計画に際して架けられ、五街道の基点となりました。

【現在の国道にかかる石造アーチ橋は、明治44年に架橋された19代目(国の重要文化財に指定)。全体の意匠や装飾を式したのは、横浜赤レンガ倉庫を設計した建築家の妻木頼黄(つまきよりなか)で、和洋の様式を折衷したデザインとなっている。

画像手前の「親柱」唐獅子、橋中央部の「中心柱」の麒麟像の製作は、彫刻家・渡辺長男(わたなべおさお)。親柱の唐獅子が持つのは、東京市の紋章で、獅子の下の銘板に刻まれた「日本橋」の揮毫は、幕府最後の将軍・徳川慶喜による。】
出典:www.flickr.com(@kota)

名橋《日本橋》が、日本橋川に初めて架けられたのは、江戸幕府が開かれた慶長8(1603)年のこと。家康による街道整備計画に際して架けられ、五街道の基点となりました。

【現在の国道にかかる石造アーチ橋は、明治44年に架橋された19代目(国の重要文化財に指定)。全体の意匠や装飾を式したのは、横浜赤レンガ倉庫を設計した建築家の妻木頼黄(つまきよりなか)で、和洋の様式を折衷したデザインとなっている。

画像手前の「親柱」唐獅子、橋中央部の「中心柱」の麒麟像の製作は、彫刻家・渡辺長男(わたなべおさお)。親柱の唐獅子が持つのは、東京市の紋章で、獅子の下の銘板に刻まれた「日本橋」の揮毫は、幕府最後の将軍・徳川慶喜による。】

橋が架かる「日本橋川」は、“川”といっても、元々は、人の手によって開削された運河(水路)。かつての江戸は“水の都”。江戸中、網目のごとく水路が張り巡らされていました。

【画像中央が「中心柱」。通常は「親柱(先の画像)」よりも低いが、日本の“道路起点”となっているため、異例的に高くなっている。道路中央部には「日本国道路元標」のプレートが埋め込まれている。】
出典:

橋が架かる「日本橋川」は、“川”といっても、元々は、人の手によって開削された運河(水路)。かつての江戸は“水の都”。江戸中、網目のごとく水路が張り巡らされていました。

【画像中央が「中心柱」。通常は「親柱(先の画像)」よりも低いが、日本の“道路起点”となっているため、異例的に高くなっている。道路中央部には「日本国道路元標」のプレートが埋め込まれている。】

「江戸」は、人の手を大々的に入れて、人工的に造り上げた都市です。

家康が江戸入りした当時(1590年)は、江戸城は寂れ、周辺に港町の集落がある程度でした。家康は、まず城の拡充するために建築資材や蔵米等を江戸湾から運搬する水路を開き、そして開削した際に生じた陽土用いて、入江を埋め立て、城と城下を整えていきました。

幕府が開かれ(1603年)、家康が征夷大将軍となった以降は、“天下普請”の下、全国の題名らに普請が課せられ、本格的な都市計画の下に大々的な都市整備が行われました。そして明暦の大火(1657年)を経て、防災を主眼に再び整備され、江戸市街はさらに拡大していきました。【江戸後期、歌川広重「江戸名所三ツの眺 日本橋雪晴」(アメリカ議会図書館蔵)】

「江戸」は、人の手を大々的に入れて、人工的に造り上げた都市です。

家康が江戸入りした当時(1590年)は、江戸城は寂れ、周辺に港町の集落がある程度でした。家康は、まず城の拡充するために建築資材や蔵米等を江戸湾から運搬する水路を開き、そして開削した際に生じた陽土用いて、入江を埋め立て、城と城下を整えていきました。

幕府が開かれ(1603年)、家康が征夷大将軍となった以降は、“天下普請”の下、全国の題名らに普請が課せられ、本格的な都市計画の下に大々的な都市整備が行われました。そして明暦の大火(1657年)を経て、防災を主眼に再び整備され、江戸市街はさらに拡大していきました。【江戸後期、歌川広重「江戸名所三ツの眺 日本橋雪晴」(アメリカ議会図書館蔵)】

「日本橋川」は、江戸初期に整備した際に開削した水路の一つで、元々は“平川”という川の流れを利用して、人の手によって掘削したものです。

【*ほぼ全流路が首都高速の高架下になっている現在の「日本橋川」は、神田川の派川(分流)。JR水道橋の西側に架かる小石川橋で神田川から分岐し南下、神田橋、日本橋、江戸橋を通過し、永代橋付近で隅田川に合流する。橋袂の「日本橋船着場入口」からは、日本橋や隅田川、神田川や東京湾の周遊クルーズ船が様々に出ている。詳細は記事最後のInformationを参照のこと。】
出典:ja.wikipedia.org

「日本橋川」は、江戸初期に整備した際に開削した水路の一つで、元々は“平川”という川の流れを利用して、人の手によって掘削したものです。

【*ほぼ全流路が首都高速の高架下になっている現在の「日本橋川」は、神田川の派川(分流)。JR水道橋の西側に架かる小石川橋で神田川から分岐し南下、神田橋、日本橋、江戸橋を通過し、永代橋付近で隅田川に合流する。橋袂の「日本橋船着場入口」からは、日本橋や隅田川、神田川や東京湾の周遊クルーズ船が様々に出ている。詳細は記事最後のInformationを参照のこと。】

といっても、近代まで「日本橋川」の上流部(三崎橋~堀留橋)は、埋め立てられて堀留となり、下流域は、河岸(船着き場や市場等)が点在する運輸のための水路(堀)となっていました。

【日本橋川の北岸(日本橋と江戸橋の間)には、江戸前で水揚げされた魚介が運ばれる「魚河岸」があり、開設された17世紀初~1935年の築地移転までの300年以上にわたり、江戸・東京の食生活を支え続けていた。
(画像は、日本橋の地下通路にある、江戸期の日本橋界隈を描いた巨大絵巻『熈代勝覧(きだいしょうらん)』の一部。絵巻には、1600人以上の人々が登場し、当時の風俗が活き活きと描かれている。画像は「魚の立売」。魚河岸で仕入れた魚を、目抜き通りで小売している様子が描かれている。)】
出典:

といっても、近代まで「日本橋川」の上流部(三崎橋~堀留橋)は、埋め立てられて堀留となり、下流域は、河岸(船着き場や市場等)が点在する運輸のための水路(堀)となっていました。

【日本橋川の北岸(日本橋と江戸橋の間)には、江戸前で水揚げされた魚介が運ばれる「魚河岸」があり、開設された17世紀初~1935年の築地移転までの300年以上にわたり、江戸・東京の食生活を支え続けていた。
(画像は、日本橋の地下通路にある、江戸期の日本橋界隈を描いた巨大絵巻『熈代勝覧(きだいしょうらん)』の一部。絵巻には、1600人以上の人々が登場し、当時の風俗が活き活きと描かれている。画像は「魚の立売」。魚河岸で仕入れた魚を、目抜き通りで小売している様子が描かれている。)】

話を戻しますが、先の民謡通り《日本橋》は、今も昔も東海道を含む*五街道の起点となっています。

【日本橋が起点となっている五街道は、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道。五街道は、明治以降、一般国道へと受け継がれ、現在でも《日本橋》が起点であり、東京都の幹線道路の起点にもなっている。(画像は、「日本国道路元標」のレプリカ。「東京市道路元標」、「里程標」と共に、北詰西側の「元標の広場」に設置されている。)】
出典:

話を戻しますが、先の民謡通り《日本橋》は、今も昔も東海道を含む*五街道の起点となっています。

【日本橋が起点となっている五街道は、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道。五街道は、明治以降、一般国道へと受け継がれ、現在でも《日本橋》が起点であり、東京都の幹線道路の起点にもなっている。(画像は、「日本国道路元標」のレプリカ。「東京市道路元標」、「里程標」と共に、北詰西側の「元標の広場」に設置されている。)】

陸路である街道は、日本橋から京や地方へと続き、日本橋上では、様々な荷や人が行き交い、賑わっていました。

つまり「日本橋」は、江戸期からトラック運輸が一般になる近現代まで、全国へと広がる陸路と、全国津々浦々へと繋がる海路・水路が結節する、江戸・東京の陸水両運輸の大きな要ともなっていたのです。
【渓斎英泉筆『木曾街道 続ノ壱 日本橋 雪之曙』 】
出典:ja.wikipedia.org

陸路である街道は、日本橋から京や地方へと続き、日本橋上では、様々な荷や人が行き交い、賑わっていました。

つまり「日本橋」は、江戸期からトラック運輸が一般になる近現代まで、全国へと広がる陸路と、全国津々浦々へと繋がる海路・水路が結節する、江戸・東京の陸水両運輸の大きな要ともなっていたのです。
【渓斎英泉筆『木曾街道 続ノ壱 日本橋 雪之曙』 】

《日本橋》付近の両岸には、先述した通り船着き場や魚河岸、蔵が並び、水路を通じて全国各地から多種多様な産物や商品が集まりました。魚介を扱う問屋や仲買、販売業者も集まり、人々の賑わいはさらに他の業種も呼び込み、時代を降るに従って、日本橋は、ますます繁栄していったのです。【歌川広重『東海道五十三次(隷書東海道)日本橋』(ボストン美術館蔵)】
出典:ja.wikipedia.org

《日本橋》付近の両岸には、先述した通り船着き場や魚河岸、蔵が並び、水路を通じて全国各地から多種多様な産物や商品が集まりました。魚介を扱う問屋や仲買、販売業者も集まり、人々の賑わいはさらに他の業種も呼び込み、時代を降るに従って、日本橋は、ますます繁栄していったのです。【歌川広重『東海道五十三次(隷書東海道)日本橋』(ボストン美術館蔵)】

そして、当地に参集した人々が携えてきた諸国の文化や技術もまた、当地で磨かれ、人々の間で受け継がれていきました。水陸共に交通の要所だった「日本橋」は、“魚河岸”の誕生をきっかけにして、江戸の流通、経済の中心として急成長を遂げ、多様な人々が結集するよって文化も大いに発展し、天下の城下町“江戸”一番の繁華街として栄えたのです。

【「日本橋」は、絵師が浮世絵で描いている通りに、物と人に溢れた一大商業地。近隣には金座や銀座がおかれたように、金融を含めた経済の中心地として活況を呈し、“朝は魚河岸、昼は芝居町、夜は吉原”と言われている通り、遊郭、歌舞伎小屋もあり、文化も成熟していた。魚河岸の大問屋は、豊富な資金力を浮世絵師や俳諧師、浮世絵師らといった江戸文化を担う人々に惜しげなく注ぎ、文化人や学者を身内から多く輩出し、江戸文化を支える大スポンサーとなっていた。

(画像は、『熈代勝覧(きだいしょうらん)』の「三井越後屋の立看板」。江戸随一の呉服商「三井家の越後屋」が描かれている。立看板に「現銀無掛直」とあるように、“掛売り”が通例だった当時、“現金商法”を打ち出して大当たりした。百貨店の「三越」の名前は、「“三”井家の“越”後屋」にちなんでいる。】
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そして、当地に参集した人々が携えてきた諸国の文化や技術もまた、当地で磨かれ、人々の間で受け継がれていきました。水陸共に交通の要所だった「日本橋」は、“魚河岸”の誕生をきっかけにして、江戸の流通、経済の中心として急成長を遂げ、多様な人々が結集するよって文化も大いに発展し、天下の城下町“江戸”一番の繁華街として栄えたのです。

【「日本橋」は、絵師が浮世絵で描いている通りに、物と人に溢れた一大商業地。近隣には金座や銀座がおかれたように、金融を含めた経済の中心地として活況を呈し、“朝は魚河岸、昼は芝居町、夜は吉原”と言われている通り、遊郭、歌舞伎小屋もあり、文化も成熟していた。魚河岸の大問屋は、豊富な資金力を浮世絵師や俳諧師、浮世絵師らといった江戸文化を担う人々に惜しげなく注ぎ、文化人や学者を身内から多く輩出し、江戸文化を支える大スポンサーとなっていた。

(画像は、『熈代勝覧(きだいしょうらん)』の「三井越後屋の立看板」。江戸随一の呉服商「三井家の越後屋」が描かれている。立看板に「現銀無掛直」とあるように、“掛売り”が通例だった当時、“現金商法”を打ち出して大当たりした。百貨店の「三越」の名前は、「“三”井家の“越”後屋」にちなんでいる。】




2.近代以後も、繁栄した「日本橋」。【日本橋の名所&スポット】

明治維新以降も、鉄道馬車が敷設されるなど、“日本橋”は、江戸期の活況時と変わらずに発展しました。

【画像右は、「三井本館」。三井財閥の発祥である越後屋があった場所に建てられている“日本橋”の象徴的建物。新古典主義様式のこの建物は、地上7階の鉄筋コンクリート造、延べ床面積31,660㎡。高さ16mのコリント式円柱が22本連なる。

現在の建物は、関東大震災で大きな被害を受け建て直した2代目で、三井財閥の団琢磨総帥が震災復興の先鞭をつけ、昭和4年に完成させた。壇が求めたのは、壮麗、品位、簡素の3つの要素だったという。壁面には、運輸や鉱業等、三井のビジネスを表したレリーフが刻まれている。】
出典:www.flickr.com(@superidoljp)

明治維新以降も、鉄道馬車が敷設されるなど、“日本橋”は、江戸期の活況時と変わらずに発展しました。

【画像右は、「三井本館」。三井財閥の発祥である越後屋があった場所に建てられている“日本橋”の象徴的建物。新古典主義様式のこの建物は、地上7階の鉄筋コンクリート造、延べ床面積31,660㎡。高さ16mのコリント式円柱が22本連なる。

現在の建物は、関東大震災で大きな被害を受け建て直した2代目で、三井財閥の団琢磨総帥が震災復興の先鞭をつけ、昭和4年に完成させた。壇が求めたのは、壮麗、品位、簡素の3つの要素だったという。壁面には、運輸や鉱業等、三井のビジネスを表したレリーフが刻まれている。】

「金座」の跡には「日本銀行」が建てられ、「越後屋」などの大店は“百貨店”として再生し、街には近代洋風の重厚な建物が次々と建てられました。

【「日銀本館」は、中央銀行に求められる絶対的な信用力と権威を見事に表した名建築として知られる。設計は、東京駅丸の内駅舎も手掛けた、明治の大建築家・辰野金吾。完成は、1896年(明治29)、江戸幕府の金貨鋳造所「金座」のあった日本橋本石町に建てられている。

日本人建築家による最初の国家的規模の西洋建築となるために、辰野は欧米各国を14ヶ月にわたり視察、渾身の力を込めて設計に挑んだと伝わる。ベルギー中央銀行をモデルに設計施工され、建物は、本館、旧館、新館で構成されている。
画像は、桜の頃の、「江戸桜通り」と「日本銀行本店本館」。】
出典:

「金座」の跡には「日本銀行」が建てられ、「越後屋」などの大店は“百貨店”として再生し、街には近代洋風の重厚な建物が次々と建てられました。

【「日銀本館」は、中央銀行に求められる絶対的な信用力と権威を見事に表した名建築として知られる。設計は、東京駅丸の内駅舎も手掛けた、明治の大建築家・辰野金吾。完成は、1896年(明治29)、江戸幕府の金貨鋳造所「金座」のあった日本橋本石町に建てられている。

日本人建築家による最初の国家的規模の西洋建築となるために、辰野は欧米各国を14ヶ月にわたり視察、渾身の力を込めて設計に挑んだと伝わる。ベルギー中央銀行をモデルに設計施工され、建物は、本館、旧館、新館で構成されている。
画像は、桜の頃の、「江戸桜通り」と「日本銀行本店本館」。】

【ネオ・バロックの荘厳な建築、コリント式柱が印象的な「三井本館(画像右)」、隣り合う「三越日本橋本店(左)と、当一角は、日本橋ならではの景観。当地の名所、観光スポットとなっている。

両館の間の「江戸桜通り」は、外堀通り・常磐橋交差点から、日銀本店と貨幣博物館、三越日本橋本店と三井タワー、COREDO室町1・2と3の間を通る。名にあるように、この通りは、都心部の“桜”の名所としても知られ、満開の桜並木は定評がある。】
出典:

【ネオ・バロックの荘厳な建築、コリント式柱が印象的な「三井本館(画像右)」、隣り合う「三越日本橋本店(左)と、当一角は、日本橋ならではの景観。当地の名所、観光スポットとなっている。

両館の間の「江戸桜通り」は、外堀通り・常磐橋交差点から、日銀本店と貨幣博物館、三越日本橋本店と三井タワー、COREDO室町1・2と3の間を通る。名にあるように、この通りは、都心部の“桜”の名所としても知られ、満開の桜並木は定評がある。】

【先に紹介した三越本店、三井本館に挟まれた「江戸桜通り」は、江戸城大手門へ繋がる。富士山を背にした江戸城天守閣の景観は、江戸城下町の中心地らしい眺めだったと伝わる。

(画像は、歌川広重『名所江戸百景』より「するかてふ(駿河町)」。三越の前身「越後屋呉服店」は、駿河町(旧日本橋室町)を占拠する程の規模を誇り、越後屋の店舗が並び、顧客や手代で賑わうこの通りは、正面に富士の眺望も素晴らしく、当時の庶民の憧れの場所となっていた。町名の由来は、霊峰富士の眺望が良かったため、富士山の所在地である駿河国にちなんでいる。)】
出典:ja.wikipedia.org

【先に紹介した三越本店、三井本館に挟まれた「江戸桜通り」は、江戸城大手門へ繋がる。富士山を背にした江戸城天守閣の景観は、江戸城下町の中心地らしい眺めだったと伝わる。

(画像は、歌川広重『名所江戸百景』より「するかてふ(駿河町)」。三越の前身「越後屋呉服店」は、駿河町(旧日本橋室町)を占拠する程の規模を誇り、越後屋の店舗が並び、顧客や手代で賑わうこの通りは、正面に富士の眺望も素晴らしく、当時の庶民の憧れの場所となっていた。町名の由来は、霊峰富士の眺望が良かったため、富士山の所在地である駿河国にちなんでいる。)】

甚大な被害を受けた関東大震災以後も、道路や河川の改修、拡張が行われ時代が移り変わっても、その勢いが止まることはありませんんでした。

【「三越日本橋本店」の前身は、「三井越後屋」。伊勢松坂から江戸に出た三井高利が、ここ日本橋(駿河町)に店舗を出し、“店先売”や“現金掛け値なし”等、新商法を次々と打ち出して大成功をおさめ豪商となり、三井財閥の起源となった。

ライオン像と、ルネッサンス風建築で目を引く「日本橋三越本店」は、大正3(1914)年に竣工、昭和初期まで増改築を繰り返し現在に至る。2016年に国の重要文化財指定され、日本橋の名所の一つになっている。(無料の歴史ツアーが開催されている詳細は、記事最後Informationへ)

必見は、外部内部の装飾された彫像や彫刻。“三越ライオン”が有名だが、他にも様々な文化的に価値の高い装飾が施されている。特に見逃せないのは、ライオン像のあるエントランス上部外壁。ローマ神話で登場するマーキュリー(富の象徴、商売繁盛をもたらす神様)が立っている。手にしているのは、商いのシンボル「杖」であり、神の遣いである蛇が巻き付いている。】
出典:

甚大な被害を受けた関東大震災以後も、道路や河川の改修、拡張が行われ時代が移り変わっても、その勢いが止まることはありませんんでした。

【「三越日本橋本店」の前身は、「三井越後屋」。伊勢松坂から江戸に出た三井高利が、ここ日本橋(駿河町)に店舗を出し、“店先売”や“現金掛け値なし”等、新商法を次々と打ち出して大成功をおさめ豪商となり、三井財閥の起源となった。

ライオン像と、ルネッサンス風建築で目を引く「日本橋三越本店」は、大正3(1914)年に竣工、昭和初期まで増改築を繰り返し現在に至る。2016年に国の重要文化財指定され、日本橋の名所の一つになっている。(無料の歴史ツアーが開催されている詳細は、記事最後Informationへ)

必見は、外部内部の装飾された彫像や彫刻。“三越ライオン”が有名だが、他にも様々な文化的に価値の高い装飾が施されている。特に見逃せないのは、ライオン像のあるエントランス上部外壁。ローマ神話で登場するマーキュリー(富の象徴、商売繁盛をもたらす神様)が立っている。手にしているのは、商いのシンボル「杖」であり、神の遣いである蛇が巻き付いている。】

【「三越日本橋本店」では、1階エントランスホール、竣工当時そのままのエレベーターも必見。
中心に「天女像」を据えた5回まで吹き抜けのエントランスホールは、竣工当時は、天井にステンドグラスがはめ込まれ、自然光が内部まで入っていたという。照明器具や柱、細部にまで、大正、昭和初期の流行したアールデコ装飾で統一されている。】
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【「三越日本橋本店」では、1階エントランスホール、竣工当時そのままのエレベーターも必見。
中心に「天女像」を据えた5回まで吹き抜けのエントランスホールは、竣工当時は、天井にステンドグラスがはめ込まれ、自然光が内部まで入っていたという。照明器具や柱、細部にまで、大正、昭和初期の流行したアールデコ装飾で統一されている。】


【三越の「日本橋室町」とは日本橋川を挟んで南側。日本橋町の一角を占める「日本橋高島屋」は、昭和8(1933)に竣工。百貨店建築として初めて重要文化財に指定されている。

昭和初期に流行の最先端を走り、一世を風靡した建物は、戦前にあって全館冷房完備。元々は日本生命が建てた「日本生命館」を「高島屋」が借り受けて百貨店営業していた。日本橋の一等地を占める現在の「日本橋高島屋」は、創建時の建物に、戦後増築した部分が融合したもので、独特のハーモニーを奏で、魅力を放っている。

(画像左の建物が「日本橋高島屋本館」。左が、2018年9月25日オープンの「日本橋高島屋新館」。本館と新館の間は、歩行者専用道路となっている。)】
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【三越の「日本橋室町」とは日本橋川を挟んで南側。日本橋町の一角を占める「日本橋高島屋」は、昭和8(1933)に竣工。百貨店建築として初めて重要文化財に指定されている。

昭和初期に流行の最先端を走り、一世を風靡した建物は、戦前にあって全館冷房完備。元々は日本生命が建てた「日本生命館」を「高島屋」が借り受けて百貨店営業していた。日本橋の一等地を占める現在の「日本橋高島屋」は、創建時の建物に、戦後増築した部分が融合したもので、独特のハーモニーを奏で、魅力を放っている。

(画像左の建物が「日本橋高島屋本館」。左が、2018年9月25日オープンの「日本橋高島屋新館」。本館と新館の間は、歩行者専用道路となっている。)】

【「日本橋高島屋」の建築としての魅力は、寺院建築の様式や格天井といった内装、欄干といった日本的なモチーフ等などが随所で見られるように、西洋の伝統様式に和の意匠を取り込まれ見事に融合していること。竣工当時の建物と増築部の調和がよくとれていること。増築部の設計は、村野藤吾。優美な曲線を用いた村野らしい意匠を随所で見ることができる。必見は、1階の「吹き抜け」と大理石の「大階段」、「蛇腹式エレベーター」。】
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【「日本橋高島屋」の建築としての魅力は、寺院建築の様式や格天井といった内装、欄干といった日本的なモチーフ等などが随所で見られるように、西洋の伝統様式に和の意匠を取り込まれ見事に融合していること。竣工当時の建物と増築部の調和がよくとれていること。増築部の設計は、村野藤吾。優美な曲線を用いた村野らしい意匠を随所で見ることができる。必見は、1階の「吹き抜け」と大理石の「大階段」、「蛇腹式エレベーター」。】

「日本橋」は、第二次大戦でも焼け野原と化しましたが、戦後の立ち直りは他に抜きん出て速く、商業だけでなく、金融やオフィスを中心としたビジネス街として再生し、高度経済成長期の波に乗ってさらに「日本橋」は、発展成長しました。

【「三井本館」に隣接する超高層ビル「日本橋三井タワー」は、日本橋の新ランドマークタワー。1階には日本橋の超有名店「千疋屋総本店」、上層階には高級ホテル「マンダリンオリエンタル東京」等が入る。】
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「日本橋」は、第二次大戦でも焼け野原と化しましたが、戦後の立ち直りは他に抜きん出て速く、商業だけでなく、金融やオフィスを中心としたビジネス街として再生し、高度経済成長期の波に乗ってさらに「日本橋」は、発展成長しました。

【「三井本館」に隣接する超高層ビル「日本橋三井タワー」は、日本橋の新ランドマークタワー。1階には日本橋の超有名店「千疋屋総本店」、上層階には高級ホテル「マンダリンオリエンタル東京」等が入る。】

かつての白木屋だった「東急日本橋店」が閉店した、バブル経済の破綻以後の「日本橋」は、一時期衰退傾向にありましたが、「COREDO日本橋」の開業を機に再浮上し、官・民・地元が一体となった“日本橋再生計画”もスタートし、“日本橋”は、江戸・東京の中心地に相応しい活気を取り戻しています。

【「三井本館」7階にある「三井記念美術館」は、大財閥・三井家が収集した美術品約4千点(国宝6点、重文73点を含む)を所蔵。三井家のコレクションは、江戸中期から明治・大正期に集められた“茶道具”が中心。館内には、国宝の茶室を再現した展示ケースもあり、季節に応じた茶道具が年間を通して様々に展示される。

茶道具の他は、、絵画、能面、刀剣、切手等などで、中でも名高いのは、近代日本画の巨匠・円山応挙の代表作・国宝『雪松図屏風』、桃山期の名碗『志野茶碗 織部花壇』。国宝は全部で6点、重要文化財も73点も所蔵し、財閥ならではの逸品揃いとなっている。(画像は、2018年6月~9月開催の『金剛宗家の能面と能装束』)】
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かつての白木屋だった「東急日本橋店」が閉店した、バブル経済の破綻以後の「日本橋」は、一時期衰退傾向にありましたが、「COREDO日本橋」の開業を機に再浮上し、官・民・地元が一体となった“日本橋再生計画”もスタートし、“日本橋”は、江戸・東京の中心地に相応しい活気を取り戻しています。

【「三井本館」7階にある「三井記念美術館」は、大財閥・三井家が収集した美術品約4千点(国宝6点、重文73点を含む)を所蔵。三井家のコレクションは、江戸中期から明治・大正期に集められた“茶道具”が中心。館内には、国宝の茶室を再現した展示ケースもあり、季節に応じた茶道具が年間を通して様々に展示される。

茶道具の他は、、絵画、能面、刀剣、切手等などで、中でも名高いのは、近代日本画の巨匠・円山応挙の代表作・国宝『雪松図屏風』、桃山期の名碗『志野茶碗 織部花壇』。国宝は全部で6点、重要文化財も73点も所蔵し、財閥ならではの逸品揃いとなっている。(画像は、2018年6月~9月開催の『金剛宗家の能面と能装束』)】

現在は、「COREDO日本橋」に続いて、「COREDO室町1・2・3」、「日本橋三井タワー」等、超高層の商業ビルが次々と開業し、平日休日問わず、多くの人々で終日賑わっています。

【2010年に1が、2014年には2・3がオープンした「COREDO室町」は、現在の日本橋を牽引するランドマークタワー。1・2・3とテーマが異なるが、今記事で外せないのは、地元日本橋や近隣の名店が多く入る「COREDO室町1」。】
出典:www.flickr.com(@Dick Thomas Johnson)

現在は、「COREDO日本橋」に続いて、「COREDO室町1・2・3」、「日本橋三井タワー」等、超高層の商業ビルが次々と開業し、平日休日問わず、多くの人々で終日賑わっています。

【2010年に1が、2014年には2・3がオープンした「COREDO室町」は、現在の日本橋を牽引するランドマークタワー。1・2・3とテーマが異なるが、今記事で外せないのは、地元日本橋や近隣の名店が多く入る「COREDO室町1」。】


3.“商い”を通して培われた「日本橋」文化と風格

「*三越(越後屋)」や「高島屋」といった老舗百貨店、金融の根幹「日本銀行」が鎮座するように、「日本橋」は、今も昔も“商いの街”であることには変わりありません。


【歌川広重『名所江戸百景』「夏の部 日本橋通一丁目略圖」。右に描かれているのは「白木屋」。現在、白木屋があった場所には「コレド日本橋」がある】
出典:ja.wikipedia.org

「*三越(越後屋)」や「高島屋」といった老舗百貨店、金融の根幹「日本銀行」が鎮座するように、「日本橋」は、今も昔も“商いの街”であることには変わりありません。


【歌川広重『名所江戸百景』「夏の部 日本橋通一丁目略圖」。右に描かれているのは「白木屋」。現在、白木屋があった場所には「コレド日本橋」がある】

活況を呈した江戸期同様に、現代にあっても、当地区には大小様々の老舗商店が軒を連ね、“商い”を軸として、近代と現代、また街全体が有機的に繋がっています。
出典:

活況を呈した江戸期同様に、現代にあっても、当地区には大小様々の老舗商店が軒を連ね、“商い”を軸として、近代と現代、また街全体が有機的に繋がっています。

近代の名建築、下町風情の路地、江戸の面影を残した川辺の景色等などの一切が、高層ビルが林立する都市空間の中に溶け込んだ様は、他所にはない「日本橋」ならではの景観であり、独特の雰囲気があります。

【「三越本店」の向かいの路地(むろまち小路)には、老舗の喫茶店やうなぎ店等が並び、平日の昼時は、日本橋周辺の勤め人で賑わう。】
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近代の名建築、下町風情の路地、江戸の面影を残した川辺の景色等などの一切が、高層ビルが林立する都市空間の中に溶け込んだ様は、他所にはない「日本橋」ならではの景観であり、独特の雰囲気があります。

【「三越本店」の向かいの路地(むろまち小路)には、老舗の喫茶店やうなぎ店等が並び、平日の昼時は、日本橋周辺の勤め人で賑わう。】

それは、隣接する銀座の華やかさとも、また人形町の情緒的な趣きとも異なる、“商う文化”を通して培われきた、繁栄し続けてきた天下の城下町の風格とでもいうものかもしれません。

【日本橋2丁目の「榛原(はいばら)」は、文化3(1806)年創業の老舗和紙専門店。良質な雁皮植物を原料として漉いた『雁皮紙』は、滑らかな筆当たり、文字を美々しく書けると江戸中で大評判となり、明治期には海外へ和紙製品を輸出し日本の文化水準の高さを示した。国内では西洋紙を扱い、関東大震災や太平洋戦争を乗り越え、今もなお当地で、全国の良質な和紙や意匠を凝らした便箋等など、和紙製品を幅広く扱っている。木版の手刷りぽち袋や便箋等が人気。】
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それは、隣接する銀座の華やかさとも、また人形町の情緒的な趣きとも異なる、“商う文化”を通して培われきた、繁栄し続けてきた天下の城下町の風格とでもいうものかもしれません。

【日本橋2丁目の「榛原(はいばら)」は、文化3(1806)年創業の老舗和紙専門店。良質な雁皮植物を原料として漉いた『雁皮紙』は、滑らかな筆当たり、文字を美々しく書けると江戸中で大評判となり、明治期には海外へ和紙製品を輸出し日本の文化水準の高さを示した。国内では西洋紙を扱い、関東大震災や太平洋戦争を乗り越え、今もなお当地で、全国の良質な和紙や意匠を凝らした便箋等など、和紙製品を幅広く扱っている。木版の手刷りぽち袋や便箋等が人気。】

それこそが「日本橋」の魅力。といっても、最初に述べたように、漫然と歩きまわっては面白味に欠け、日本橋の雰囲気に浸るのも難しいかも知れません。【「榮太樓總本鋪 日本橋本店」】
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それこそが「日本橋」の魅力。といっても、最初に述べたように、漫然と歩きまわっては面白味に欠け、日本橋の雰囲気に浸るのも難しいかも知れません。【「榮太樓總本鋪 日本橋本店」】

“商い”の街を大いに楽しむなら、やっぱり買い物です。当地で古くから愛されてきた“名店のおいしい逸品”を買い求めながら散策するのが「日本橋」の賢い楽しみ方です。

以下では、「日本橋」エリアを、名橋・日本橋を堺に南北に分け、北側の“日本橋エリア(日本橋1~3丁目/八重洲1丁目は今記事では除く)”と、南側の“日本橋室町エリア(日本橋室町1~4丁目・日本橋本石町1~4丁目)”に分けて、お勧めの“おいしい逸品”を紹介します。

【日本橋室町の「神茂(かんも)本店」】
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“商い”の街を大いに楽しむなら、やっぱり買い物です。当地で古くから愛されてきた“名店のおいしい逸品”を買い求めながら散策するのが「日本橋」の賢い楽しみ方です。

以下では、「日本橋」エリアを、名橋・日本橋を堺に南北に分け、北側の“日本橋エリア(日本橋1~3丁目/八重洲1丁目は今記事では除く)”と、南側の“日本橋室町エリア(日本橋室町1~4丁目・日本橋本石町1~4丁目)”に分けて、お勧めの“おいしい逸品”を紹介します。

【日本橋室町の「神茂(かんも)本店」】

4.日本橋エリアで“甘味の逸品”。

①「榮太樓總本鋪 日本橋本店」の”梅ぼ志飴”&“ピーセン”

「榮太樓總本鋪」は、1818年江戸期創業の和菓子店。

江戸期から評判だった当店は、明治から大正期も東京随一の繁盛店となり、昭和の大戦後もすぐに再建し、高度成長期に百貨店と共に大きく成長。“は~い榮太郎です”のCMも昭和期には盛んに流れ、特に缶入りの『みつ豆』当時の東京土産として有名でした。
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「榮太樓總本鋪」は、1818年江戸期創業の和菓子店。

江戸期から評判だった当店は、明治から大正期も東京随一の繁盛店となり、昭和の大戦後もすぐに再建し、高度成長期に百貨店と共に大きく成長。“は~い榮太郎です”のCMも昭和期には盛んに流れ、特に缶入りの『みつ豆』当時の東京土産として有名でした。

現在の人気は、榮太郎本舗の礎となった“金鍔(きんつば)”ですが、やっぱり外せないのは、創業以来の看板商品『梅ぼ志飴』。梅ぼしといっても、形状が梅干し似ているだけで、味はすっきりと甘く、懐かしい味わい。缶のパッケージのノスタルジックで魅力的です。
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現在の人気は、榮太郎本舗の礎となった“金鍔(きんつば)”ですが、やっぱり外せないのは、創業以来の看板商品『梅ぼ志飴』。梅ぼしといっても、形状が梅干し似ているだけで、味はすっきりと甘く、懐かしい味わい。缶のパッケージのノスタルジックで魅力的です。

もう一つのお勧めは、かつて「銀座江戸一」の看板商品だった『ピーセン』。現在は、榮太郎本舗が継承し製造販売しています。

ピーセンは、ピーナッツやチーズ、黒胡麻等がありますが、土産のお勧めは『東京暖簾巡り』。これは、100年以上続く東京の銘店が結集したピーセンで、「にんべん」のかつお節、「山本山」のあおさ、「やげん堀」の七味唐辛子、「更科堀井」のゆずきり、「榮太樓」の各一袋」合計5つの種類のピーセンが5入っています。ビールのツマミ、ちょっとしたお土産にぴったりです。【画像は、薬研堀の七味唐辛子入のピーセン】
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もう一つのお勧めは、かつて「銀座江戸一」の看板商品だった『ピーセン』。現在は、榮太郎本舗が継承し製造販売しています。

ピーセンは、ピーナッツやチーズ、黒胡麻等がありますが、土産のお勧めは『東京暖簾巡り』。これは、100年以上続く東京の銘店が結集したピーセンで、「にんべん」のかつお節、「山本山」のあおさ、「やげん堀」の七味唐辛子、「更科堀井」のゆずきり、「榮太樓」の各一袋」合計5つの種類のピーセンが5入っています。ビールのツマミ、ちょっとしたお土産にぴったりです。【画像は、薬研堀の七味唐辛子入のピーセン】

②「うさぎや 本店」の“どら焼き”

日本橋のオフィス街で、ひっそりと控え目に暖簾を掲げる「うさぎや本店」は、日本橋で屈指の人気を誇る和菓子店です。
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日本橋のオフィス街で、ひっそりと控え目に暖簾を掲げる「うさぎや本店」は、日本橋で屈指の人気を誇る和菓子店です。

断トツの人気は、名物で看板商品の『どら焼き』。ふっくらとした見た目通りに、皮生地は、しっとり、もっちり。きめ細やかで、ほのかな甘みがあります。
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断トツの人気は、名物で看板商品の『どら焼き』。ふっくらとした見た目通りに、皮生地は、しっとり、もっちり。きめ細やかで、ほのかな甘みがあります。

皮生地だけでも、抜群に美味しい『どら焼き』ですが、中身の粒あんも絶品。たっぷりと詰まった小豆餡は、甘過ぎず、皮との絶妙なバランスです。

どら焼き好きなら、一度は試して欲しい名店の逸品です。
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皮生地だけでも、抜群に美味しい『どら焼き』ですが、中身の粒あんも絶品。たっぷりと詰まった小豆餡は、甘過ぎず、皮との絶妙なバランスです。

どら焼き好きなら、一度は試して欲しい名店の逸品です。

うさぎや

③「長門」の“久寿もち”

昔ながらの風情が格別の「長門」は、江戸期創業の老舗和菓子店。代々徳川家の菓子司として仕えた江戸の名店です。

羊羹や季節の上生菓子等など多彩な和菓子が並びますが、お勧めは、なんと言っても『久寿もち』。
くず餅は、一般に関東と関西では異なり、関西では葛粉を用いて、透明でぷるんとした食感。一方の関東では、小麦粉の澱粉を乳酸菌で発酵させたものを用い、濁色で独特の風味があり、しっかりした食感で食べごたえがあります。
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昔ながらの風情が格別の「長門」は、江戸期創業の老舗和菓子店。代々徳川家の菓子司として仕えた江戸の名店です。

羊羹や季節の上生菓子等など多彩な和菓子が並びますが、お勧めは、なんと言っても『久寿もち』。
くず餅は、一般に関東と関西では異なり、関西では葛粉を用いて、透明でぷるんとした食感。一方の関東では、小麦粉の澱粉を乳酸菌で発酵させたものを用い、濁色で独特の風味があり、しっかりした食感で食べごたえがあります。

「長門」の『久寿もち』には、関東で一般的に用いない“わらび粉”を用いているため、関東の他店のしっかりした食味とは異なり、ふんわりと柔らか。

丹念に練り上げた餅は透明で美しく、風味豊かで上品な甘さのきな粉がたっぷりとまぶされています。

一切れ、一切れとついつい食べて進んでしまう絶妙な味わいです。わらび餅好きなら、江戸前「長門」の“くず餅”もぜひお試しあれ。
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「長門」の『久寿もち』には、関東で一般的に用いない“わらび粉”を用いているため、関東の他店のしっかりした食味とは異なり、ふんわりと柔らか。

丹念に練り上げた餅は透明で美しく、風味豊かで上品な甘さのきな粉がたっぷりとまぶされています。

一切れ、一切れとついつい食べて進んでしまう絶妙な味わいです。わらび餅好きなら、江戸前「長門」の“くず餅”もぜひお試しあれ。

江戸風御菓子司 日本橋 長門

④「山本山 ふじヱ茶房」の“玉露”で一息。

「長門」の生和菓子を頂くなら、「山本山」が運営する「ふじヱ茶房」へ行ってみましょう。
「山本山」は、元禄3(1690)年に日本最古の煎茶商として創業した老舗店。“上から読んでも下から読んでも”で全国的に知られる茶と海苔の専門店。ここ日本橋に本社を構えています。

「ふじヱ茶房」では、「山本山」が扱う茶や海苔を買い求めることができる他、全国様々な煎茶や玉露を、「長門」の生和菓子と共にゆったり頂くことが出来ます。散策途中で休憩がてら寄るのにお勧めの茶舗です。
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「長門」の生和菓子を頂くなら、「山本山」が運営する「ふじヱ茶房」へ行ってみましょう。
「山本山」は、元禄3(1690)年に日本最古の煎茶商として創業した老舗店。“上から読んでも下から読んでも”で全国的に知られる茶と海苔の専門店。ここ日本橋に本社を構えています。

「ふじヱ茶房」では、「山本山」が扱う茶や海苔を買い求めることができる他、全国様々な煎茶や玉露を、「長門」の生和菓子と共にゆったり頂くことが出来ます。散策途中で休憩がてら寄るのにお勧めの茶舗です。

山本山 ふじヱ茶房
美味しい「煎茶」を世に広めたい。創業元禄三年(1690年)日本橋の老舗・山本山の新たな挑戦として旗艦店「ふじヱ茶房」をオープンいたします。

5.日本橋室町の“おいしい逸品” 乾物・練り物・佃煮

⑤「八木長本店」 “鰹節”&“かつおせんべい”

中央通りにある「八木長本店」は、徳川幕府八代目将軍吉宗の頃に創業した老舗乾物店。
伊勢から上京した商人が始めた当時は、鰹節の問屋街だった小舟町にあり、明治期になって日本橋室町に移り現在に至っています。創業280余年を数え、現在は、鰹節、しいたけ、昆布等など、だし各種の他、豆や乾麺など、幅広く扱っています。
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中央通りにある「八木長本店」は、徳川幕府八代目将軍吉宗の頃に創業した老舗乾物店。
伊勢から上京した商人が始めた当時は、鰹節の問屋街だった小舟町にあり、明治期になって日本橋室町に移り現在に至っています。創業280余年を数え、現在は、鰹節、しいたけ、昆布等など、だし各種の他、豆や乾麺など、幅広く扱っています。

お勧めは、やはり削りたての鰹節。

上質な鰹節で丁寧にひいた出汁は格別です。吸物椀も良し、そのままご飯にかけても良しの美味しい鰹節と評判です。
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お勧めは、やはり削りたての鰹節。

上質な鰹節で丁寧にひいた出汁は格別です。吸物椀も良し、そのままご飯にかけても良しの美味しい鰹節と評判です。

家で料理をしない方や、お土産なら八木長の人気商品「かつおせんべい」がお勧め。焼津産の厳選された鰹節が入った煎餅は、一枚一枚丁寧に焼き上げた逸品で、軽い食感が持ち味。ビールやお茶請けにぴったりです。
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家で料理をしない方や、お土産なら八木長の人気商品「かつおせんべい」がお勧め。焼津産の厳選された鰹節が入った煎餅は、一枚一枚丁寧に焼き上げた逸品で、軽い食感が持ち味。ビールやお茶請けにぴったりです。

鰹節・乾物のしにせ / 八木長本店

⑥「山本海苔店 日本橋本店」 “日本橋本店限定 焼きたて海苔”

三越本店の向かい側に本店を構える「山本海苔店」も、元禄3(1690)年創業の老舗海苔店。

【屋号に“梅”があるのは、「梅」の花が咲く頃に良質な海苔が獲れたことからつけられている。(本店店内)】
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三越本店の向かい側に本店を構える「山本海苔店」も、元禄3(1690)年創業の老舗海苔店。

【屋号に“梅”があるのは、「梅」の花が咲く頃に良質な海苔が獲れたことからつけられている。(本店店内)】

一番美味しい海苔は、初摘みの海苔。
一番摘みとも呼ばれるこの海苔は、成長間もない海苔のため、柔らかく口溶けが良いのが特徴で、毎年12月に入ると店頭に並べられます。

新海苔が出回る季節なら、新海苔の風味を存分に楽しめる商品が一番ですが、他の季節なら、日本橋本店限定の「焼きたて海苔」がお勧めです。

本店の店頭では、昔ながらの味わいを再現する海苔焼き器で、職人が一枚一枚丁寧に焼き上げています。「焼きたて海苔」は各種揃っています。
出典:

一番美味しい海苔は、初摘みの海苔。
一番摘みとも呼ばれるこの海苔は、成長間もない海苔のため、柔らかく口溶けが良いのが特徴で、毎年12月に入ると店頭に並べられます。

新海苔が出回る季節なら、新海苔の風味を存分に楽しめる商品が一番ですが、他の季節なら、日本橋本店限定の「焼きたて海苔」がお勧めです。

本店の店頭では、昔ながらの味わいを再現する海苔焼き器で、職人が一枚一枚丁寧に焼き上げています。「焼きたて海苔」は各種揃っています。

海苔ひとすじ | 株式会社山本海苔店 公式オンラインショップ | TOPページ
TOPページ|山本海苔店:嘉永2年(1849年)日本橋室町に創業の海苔専門店、山本海苔店が運営する公式オンラインショップ。お歳暮、お中元、お祝いの贈り物やプチギフトに。海苔の歴史やうんちく、海苔レシピ等を紹介しております。

⑦「大和屋」 “血合抜 本花削節”

三越本店の真向かい、“むろまち小路”の角に看板を掲げる「大和屋」は、日本橋室町で人気を誇る鰹節専門店。
出典:

三越本店の真向かい、“むろまち小路”の角に看板を掲げる「大和屋」は、日本橋室町で人気を誇る鰹節専門店。

黒板塀の風情が一際印象的な店内には、出汁用、おかか用、おにぎり用、また厚削り、糸削り、花削り等など、様々な鰹節が所狭しと並べられ、鰹以外の、鯖節や宗田節、昆布等のの商品も扱われています。
出典:

黒板塀の風情が一際印象的な店内には、出汁用、おかか用、おにぎり用、また厚削り、糸削り、花削り等など、様々な鰹節が所狭しと並べられ、鰹以外の、鯖節や宗田節、昆布等のの商品も扱われています。

様々な鰹節が揃っていますが、特に用途を考えていないのなら、“血合抜(ちあいぬき)”の『おびけずり 本花削節』がお勧め。

魚の“血合い”は臭みが生じやすい部位ですが、その部分を抜いた鰹節は、上質で上品な味わい。出汁はもちろんのこと、そのまま温かいご飯にかけても美味しく、鰹節の味わいをじっくりと楽しめます。
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様々な鰹節が揃っていますが、特に用途を考えていないのなら、“血合抜(ちあいぬき)”の『おびけずり 本花削節』がお勧め。

魚の“血合い”は臭みが生じやすい部位ですが、その部分を抜いた鰹節は、上質で上品な味わい。出汁はもちろんのこと、そのまま温かいご飯にかけても美味しく、鰹節の味わいをじっくりと楽しめます。

日本橋鰹節専門店 大和屋
東京日本橋、三越前に店を構える鰹節専門店です。かって魚河岸として栄えた東京日本橋にて、長年こだわりの商売を続けてまいりました。毎日のお食事に、冠婚葬祭にのギフトとして、日本伝統の味をお楽しみ下さい。

⑧「にんべん日本橋本店」”かつおふりかけ”

全国的に知られる「にんべん」は、元禄12(1699)年、ここ日本橋で創業した鰹節の老舗店。「コレド室町1」の1階に本店を構えています。【社名は、創業者が伊勢屋伊兵衛の“伊”を、“にんべん”と江戸町民が愛称したことに始まる。】
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全国的に知られる「にんべん」は、元禄12(1699)年、ここ日本橋で創業した鰹節の老舗店。「コレド室町1」の1階に本店を構えています。【社名は、創業者が伊勢屋伊兵衛の“伊”を、“にんべん”と江戸町民が愛称したことに始まる。】

ここ日本橋本店は、いわば“鰹節出汁”のテーマランド。

店内には、「にんべん」が選び抜いた逸品、開発した様々な商品が並べられる他、プロによる実演販売、“出汁”が味わえるスタンディングバーが設けられ、本物の鰹節の風味や美味しさ、伝統食品の素晴らしさを楽しむことが出来ます
【「にんべん日本橋本店」店内では、プロの削り師による本枯鰹節の削り実演行われ、削りたての鰹節が購入できる。】
出典:

ここ日本橋本店は、いわば“鰹節出汁”のテーマランド。

店内には、「にんべん」が選び抜いた逸品、開発した様々な商品が並べられる他、プロによる実演販売、“出汁”が味わえるスタンディングバーが設けられ、本物の鰹節の風味や美味しさ、伝統食品の素晴らしさを楽しむことが出来ます
【「にんべん日本橋本店」店内では、プロの削り師による本枯鰹節の削り実演行われ、削りたての鰹節が購入できる。】

お勧めは、手軽に食べられるのに、しっかり鰹節の美味しさが味わえる『かつお ふりかけ』。温かいご飯にも、お茶漬けにも、おにぎりにも使えて便利。弁当作りをする人なら、試す価値ありの逸品です。

【画像は、山椒の風味がキリッときいた『かつお山椒ふりかけ』だが、プレーン、ごま、昆布入等がある。】
出典:

お勧めは、手軽に食べられるのに、しっかり鰹節の美味しさが味わえる『かつお ふりかけ』。温かいご飯にも、お茶漬けにも、おにぎりにも使えて便利。弁当作りをする人なら、試す価値ありの逸品です。

【画像は、山椒の風味がキリッときいた『かつお山椒ふりかけ』だが、プレーン、ごま、昆布入等がある。】

せっかくなら「にんべん 日本橋本店」内のスタンディングバー「日本橋だし場」にも立ち寄ってみましょう。“一汁一飯”がコンセプトの「だし場」では、削りたての鰹節を用いた出汁や味噌汁といった和食を気軽に味わえます。
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せっかくなら「にんべん 日本橋本店」内のスタンディングバー「日本橋だし場」にも立ち寄ってみましょう。“一汁一飯”がコンセプトの「だし場」では、削りたての鰹節を用いた出汁や味噌汁といった和食を気軽に味わえます。

メニューは、『かつお節だし』や『かつぶしめし(おかかご飯)』、出汁のきいた『玉子焼き』等など。季節限定のメニューもあり、気軽に立ち寄りたい“だしバー”です。【画像は、おでん、出汁巻玉子、トマト仕立てだし、味噌汁】
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メニューは、『かつお節だし』や『かつぶしめし(おかかご飯)』、出汁のきいた『玉子焼き』等など。季節限定のメニューもあり、気軽に立ち寄りたい“だしバー”です。【画像は、おでん、出汁巻玉子、トマト仕立てだし、味噌汁】

鰹節やだしの製造販売なら|株式会社にんべん

⑨「日本橋 神茂」 “手取り半ぺん”

魚介の乾物商店の紹介が続きましたが、魚河岸から発展した日本橋ならではの逸品を求めるのなら、江戸期創業の「神茂(かんも)」へも行ってみましょう。

「神茂」は、先に紹介した「大和屋」と同じ“むろまち小路”沿いに暖簾を掲げています。
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魚介の乾物商店の紹介が続きましたが、魚河岸から発展した日本橋ならではの逸品を求めるのなら、江戸期創業の「神茂(かんも)」へも行ってみましょう。

「神茂」は、先に紹介した「大和屋」と同じ“むろまち小路”沿いに暖簾を掲げています。

「神茂」は、1656年の江戸期の創業以来、半ぺんや蒲鉾一筋の老舗店。

現在は、看板商品の半ペンの他、さつま揚げやおでん種、煮豆等など、厳選素材と伝承技術によって生まれた様々なオリジナル商品がショーケースに並んでいます。お勧めは、創業以来の逸品「手取り 半ぺん」。ふっくらと高さのある絶品はんぺんです。
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「神茂」は、1656年の江戸期の創業以来、半ぺんや蒲鉾一筋の老舗店。

現在は、看板商品の半ペンの他、さつま揚げやおでん種、煮豆等など、厳選素材と伝承技術によって生まれた様々なオリジナル商品がショーケースに並んでいます。お勧めは、創業以来の逸品「手取り 半ぺん」。ふっくらと高さのある絶品はんぺんです。

「神茂」の『手取り半ぺん』は、気仙沼漁港を筆頭として全国津々浦々から取り寄せた“よし切り鮫”が原料。血合いや筋をキレイに取り除き、一番良い身の肉のみ用い、山芋や卵白、塩等を入れて、石臼で丁寧に練り上げています。

手間暇かけて作り上げた神茂の「半ぺん」は、気泡をたっぷり抱き込んでふんわりとした食感。きめ細やかで、滑らかな舌触り。肌も白く、口の中で旨味が広がったら、泡の如く溶けていきます。わさびを付けて“そのまま”頂くのが、神茂の半平の一番美味しい食べ方です。
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「神茂」の『手取り半ぺん』は、気仙沼漁港を筆頭として全国津々浦々から取り寄せた“よし切り鮫”が原料。血合いや筋をキレイに取り除き、一番良い身の肉のみ用い、山芋や卵白、塩等を入れて、石臼で丁寧に練り上げています。

手間暇かけて作り上げた神茂の「半ぺん」は、気泡をたっぷり抱き込んでふんわりとした食感。きめ細やかで、滑らかな舌触り。肌も白く、口の中で旨味が広がったら、泡の如く溶けていきます。わさびを付けて“そのまま”頂くのが、神茂の半平の一番美味しい食べ方です。

日本橋 神茂(かんも)
日本橋神茂の公式ホームページ。手取りはんぺん、蒲鉾、かまぼこ、伊達巻き、お節料理、おせち料理、おでん、すじ等商品案内とショッピング。

⑩「日本橋 金鮒佐(きんふなさ) 本店」”江戸前佃煮”

江戸末期の創業の「日本橋 金鮒佐」は、創業以来江戸・東京で評判の佃煮店。それもそのはず、初代が、佃島の雑魚の塩煮にヒントを得て、醤油煮したのが佃煮に原型となった伝わる名店です。先に紹介した「神茂」の斜向いに、自社ビルの本店があります。

現在でも、ここ日本橋室町で看板を掲げているように、キリッとした伝統の味わいは今も健在です。
鮒佐の味は、新鮮な醤油の風味と、独自に配合されたタレの絶妙な調合によって生まれる味。汁気を残したまま煮上げる方法で、残った煮汁は次へと継がれていきます。
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江戸末期の創業の「日本橋 金鮒佐」は、創業以来江戸・東京で評判の佃煮店。それもそのはず、初代が、佃島の雑魚の塩煮にヒントを得て、醤油煮したのが佃煮に原型となった伝わる名店です。先に紹介した「神茂」の斜向いに、自社ビルの本店があります。

現在でも、ここ日本橋室町で看板を掲げているように、キリッとした伝統の味わいは今も健在です。
鮒佐の味は、新鮮な醤油の風味と、独自に配合されたタレの絶妙な調合によって生まれる味。汁気を残したまま煮上げる方法で、残った煮汁は次へと継がれていきます。

白いご飯、お茶漬けにぴったりの「金鮒佐」の佃煮は、バラエティ豊か。アサリやアミ、昆布といった定番の他、牡蠣や穴子、蛤や鰻といった高級素材、ごぼうや蕗の薹、生海苔といったものまで実に様々です。

お勧めは、創業以来の味を伝承する辛口の『江戸前佃煮 』。昆布・ごぼう・白寿(しらす)・浅利・あみの5種類があります。手軽に楽しむのなら、美味しい佃煮のぶぶ漬けを手軽に味わえる、出汁付きの『ぶぶ漬けセット』。江戸前佃煮の昆布、ごぼう、浅利の3種が入っている、お得なお試しセットです。
出典:

白いご飯、お茶漬けにぴったりの「金鮒佐」の佃煮は、バラエティ豊か。アサリやアミ、昆布といった定番の他、牡蠣や穴子、蛤や鰻といった高級素材、ごぼうや蕗の薹、生海苔といったものまで実に様々です。

お勧めは、創業以来の味を伝承する辛口の『江戸前佃煮 』。昆布・ごぼう・白寿(しらす)・浅利・あみの5種類があります。手軽に楽しむのなら、美味しい佃煮のぶぶ漬けを手軽に味わえる、出汁付きの『ぶぶ漬けセット』。江戸前佃煮の昆布、ごぼう、浅利の3種が入っている、お得なお試しセットです。

佃煮なら日本橋鮒佐:東京:日本橋:老舗
東京の佃煮なら江戸時代末期(文久二年創業)元祖佃煮の老舗、日本橋鮒佐。シンプルで深みのある無添加の佃煮をお届けします。本店は東京都中央区日本橋室町、支店は日本橋三越。

⑪「日本橋 貝新」 ”あさりのしぐれ煮”

「日本橋 貝新」は、慶長年間に創業した伊勢桑名発祥の佃煮店。
日本橋に店を構えてから130年の歴史を誇る老舗の佃煮店です。三重桑名から暖簾分けした店名通り「貝新」は、蛤やあさりといった“貝”の佃煮が絶品のお店です。

店内には、アサリやシジミ、小柱といった貝類の佃煮が並ぶ他、昆布やしいたけ、葉唐辛子やきゃら蕗といった定番の佃煮も各種揃っています。
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「日本橋 貝新」は、慶長年間に創業した伊勢桑名発祥の佃煮店。
日本橋に店を構えてから130年の歴史を誇る老舗の佃煮店です。三重桑名から暖簾分けした店名通り「貝新」は、蛤やあさりといった“貝”の佃煮が絶品のお店です。

店内には、アサリやシジミ、小柱といった貝類の佃煮が並ぶ他、昆布やしいたけ、葉唐辛子やきゃら蕗といった定番の佃煮も各種揃っています。

継ぎ足してきた秘伝のタレ、桑名から取り寄せた“たまり醤油”配合の煮汁で炊き上げた、「貝新」の佃煮は、ふっくらと艶良く、素材本来の旨味もしっかり残って絶品と評判です。

お勧めは、やっぱり「貝新」ならではの『あさりのしぐれ煮』です。生姜がたっぷりと入り、甘み控え目の佃煮は、大人の味。日本酒の肴にもぴったりです。
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継ぎ足してきた秘伝のタレ、桑名から取り寄せた“たまり醤油”配合の煮汁で炊き上げた、「貝新」の佃煮は、ふっくらと艶良く、素材本来の旨味もしっかり残って絶品と評判です。

お勧めは、やっぱり「貝新」ならではの『あさりのしぐれ煮』です。生姜がたっぷりと入り、甘み控え目の佃煮は、大人の味。日本酒の肴にもぴったりです。

老舗日本橋貝新 〜 江戸の味、伝統の味を今に伝える佃煮の老舗でございます。手造りならではのかわらぬ美味しさを是非ともご賞味ください。〜

6.日本橋室町の“持ち帰りの逸品” 弁当・サンドイッチ・他

⑫「日本橋 弁松総本店」”赤飯弁当”

「弁松」は、文化7(1810)年の江戸期に、日本橋の魚河岸に開いた食事処から始まった折詰料理の専門店です。

時間のない魚河岸の人々が残した料理を経木等で包み持ち帰らせたのが好評で、次第に折り詰め料理が主体となり、嘉永3(1850)年に折り詰め料理専門店「弁松」として再創業し、160余年にわたって当地で商いを続けています。
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「弁松」は、文化7(1810)年の江戸期に、日本橋の魚河岸に開いた食事処から始まった折詰料理の専門店です。

時間のない魚河岸の人々が残した料理を経木等で包み持ち帰らせたのが好評で、次第に折り詰め料理が主体となり、嘉永3(1850)年に折り詰め料理専門店「弁松」として再創業し、160余年にわたって当地で商いを続けています。

「弁松」の魅力は、甘辛い“濃ゆい味つけ”。キリッとした潔い味わいは、江戸っ子ならでは、「弁松」ならではの味わいです。料理の種類や内容が異なる弁当や惣菜が、バラエティ豊かに販売されていますが、人気は『赤飯弁当』です。


玉子焼きに蒲鉾、レンコンや里芋の入った煮しめ(甘煮)、メカジキの照り焼き等など、一つ一つしっかり味付けされた多彩なお数に、かための炊き上げた赤飯がセットになった折り詰め弁当です。
【※日本橋本店では、数量限定のため予約のみ販売。訪問日が決まっているのなら、早めに予約が好ましい。】
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「弁松」の魅力は、甘辛い“濃ゆい味つけ”。キリッとした潔い味わいは、江戸っ子ならでは、「弁松」ならではの味わいです。料理の種類や内容が異なる弁当や惣菜が、バラエティ豊かに販売されていますが、人気は『赤飯弁当』です。


玉子焼きに蒲鉾、レンコンや里芋の入った煮しめ(甘煮)、メカジキの照り焼き等など、一つ一つしっかり味付けされた多彩なお数に、かための炊き上げた赤飯がセットになった折り詰め弁当です。
【※日本橋本店では、数量限定のため予約のみ販売。訪問日が決まっているのなら、早めに予約が好ましい。】

折詰弁当 日本橋弁松総本店
日本橋弁松総本店は、創業約160年、甘辛く・濃ゆい江戸日本橋の味を守り続ける、知る人ぞ知る日本初の仕出し弁当専門店です。祝事・仏事のおもてなしから会議食・お昼のお弁当まで、様々な仕出し弁当を取り揃えております。

⑬「宇田川」”カツサンド”

先に紹介した「神茂」のすぐ近くに店を構える「宇田川」は、昭和42(1967)年創業のとんかつとステーキのお店です。

創業当初から人気なのが、『特製お土産カツサンド』。
“カツサンド”ファンなら、一度はその名を耳にしたことがあるはずの逸品です。
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先に紹介した「神茂」のすぐ近くに店を構える「宇田川」は、昭和42(1967)年創業のとんかつとステーキのお店です。

創業当初から人気なのが、『特製お土産カツサンド』。
“カツサンド”ファンなら、一度はその名を耳にしたことがあるはずの逸品です。

手土産でも喜ばれるこのカツサンドは、トーストした薄い食パンに、揚げたてのヒレカツ、千切りキャベツが挟まれています。

食べ応えのあるヒレカツと、キメ細かく味わい深い食パン、瑞々しい千切りキャベツ、濃口の特製ソーズが、渾然一体となった味わいは、格別です。出来たてよりも、少し時間が経った方が美味いと評判です。
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手土産でも喜ばれるこのカツサンドは、トーストした薄い食パンに、揚げたてのヒレカツ、千切りキャベツが挟まれています。

食べ応えのあるヒレカツと、キメ細かく味わい深い食パン、瑞々しい千切りキャベツ、濃口の特製ソーズが、渾然一体となった味わいは、格別です。出来たてよりも、少し時間が経った方が美味いと評判です。

宇田川
三越前 / とんかつ
住所
中央区日本橋本町1-4-15
営業時間
[月~金]
11:00~13:50/17:00~20:30
[土]
11:00~13:50
定休日
日曜日、祝日
平均予算
¥1,000~¥1,999 /¥1,000~¥1,999
データ提供:

⑭「千疋屋総本店 日本橋本店」 ”フルーツサンド”&”オムレット”

「日本橋」といえば、“千疋屋総本店”とついつい頭に浮かべる人もきっと多いはず。

「千疋屋総本店 日本橋本店」は、「日本橋三井タワー」の1階。マスクメロンやマンゴー等など、諸国から集まった様々な高級フルーツ、果物の加工品、切り花等などが、色とりどりに並んだ店内は、果物好きなら小躍りしたくなるような空間です。

【「三井タワー」の1階には、ショップ(画像左)と直営カフェ「カフェ・ディ・フェスタ」(画像右)、2階に「千疋屋総本店 フルーツパーラー(画像上)」が入る。】
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「日本橋」といえば、“千疋屋総本店”とついつい頭に浮かべる人もきっと多いはず。

「千疋屋総本店 日本橋本店」は、「日本橋三井タワー」の1階。マスクメロンやマンゴー等など、諸国から集まった様々な高級フルーツ、果物の加工品、切り花等などが、色とりどりに並んだ店内は、果物好きなら小躍りしたくなるような空間です。

【「三井タワー」の1階には、ショップ(画像左)と直営カフェ「カフェ・ディ・フェスタ」(画像右)、2階に「千疋屋総本店 フルーツパーラー(画像上)」が入る。】

「千疋屋総本店」のフルーツパーラーといえば、『フルーツサンド』!です。
フレッシュで完熟の果物を用いた「千疋屋総本店」の『フルーツサンド』は、香りも味も、ルックスも抜群。生クリームは甘さ控え目で、果物本来の風味を引き立てて、とびっきりの美味しさです。
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「千疋屋総本店」のフルーツパーラーといえば、『フルーツサンド』!です。
フレッシュで完熟の果物を用いた「千疋屋総本店」の『フルーツサンド』は、香りも味も、ルックスも抜群。生クリームは甘さ控え目で、果物本来の風味を引き立てて、とびっきりの美味しさです。

千疋屋でもう一つのお勧めが、生クリーム・果物・スポンジケーキのシンプルな組み合わせが潔い『フルーツオムレット』。

昨今のケーキは本当に色鮮やかで素晴らしいですが、「千疋屋総本店」の『フルーツオムレット』は、ルックスは控え目でも、王道の味わい。『フルーツサンド』同様に、お勧めの逸品です。
出典:

千疋屋でもう一つのお勧めが、生クリーム・果物・スポンジケーキのシンプルな組み合わせが潔い『フルーツオムレット』。

昨今のケーキは本当に色鮮やかで素晴らしいですが、「千疋屋総本店」の『フルーツオムレット』は、ルックスは控え目でも、王道の味わい。『フルーツサンド』同様に、お勧めの逸品です。

メインストア|千疋屋総本店

⑮「文明堂本店」 “日本橋限定 特別仕立てカステラ”

「文明堂」は、明治33(1900)年に長崎で創業したカステラの名店。大正期に東京へ進出しました。日本橋本店は、先に紹介した「貝新」の並びに店があります。【1階はショップ。2階には、食事やスウィーツが楽しめる「文明堂カフェ」が併設。】
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「文明堂」は、明治33(1900)年に長崎で創業したカステラの名店。大正期に東京へ進出しました。日本橋本店は、先に紹介した「貝新」の並びに店があります。【1階はショップ。2階には、食事やスウィーツが楽しめる「文明堂カフェ」が併設。】

“カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂~♫”のCMと共に、広く知られる「文明堂」は、いつの時代にあっても愛される店。
【画像は、一人分のおやつにちょうど良くパックされた食べきりサイズの『おやつカステラ』。中身も美味しけれど、パッケージも可愛いと人気。】
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“カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂~♫”のCMと共に、広く知られる「文明堂」は、いつの時代にあっても愛される店。
【画像は、一人分のおやつにちょうど良くパックされた食べきりサイズの『おやつカステラ』。中身も美味しけれど、パッケージも可愛いと人気。】

卵、砂糖、小麦粉、水飴、ザラメ糖と、シンプルな材料で作られる“カステラ”は、いつの時代にあってもホッとする味わいです。世代を越えて愛されるおやつです。【画像は、ハチミツの風味、しっとり感が際立つ『ハニーカステラ』】
出典:

卵、砂糖、小麦粉、水飴、ザラメ糖と、シンプルな材料で作られる“カステラ”は、いつの時代にあってもホッとする味わいです。世代を越えて愛されるおやつです。【画像は、ハチミツの風味、しっとり感が際立つ『ハニーカステラ』】

現代は、和洋問わず様々な甘味に溢れ、「カステラ」を口に入れる機会は、かつてと違って意外とあるようでないものです。カステラは誰もが懐かしさを覚えるシンプルな味わい。いつの時でも飽きずに頂けるので、お土産に喜ばれます。

材料や手間暇によって価格も様々で、味わいも微妙に異なりますが、添加物を廃した素朴な美味しさは、共通です。お土産にどれかと迷うなら、大きさも手頃な『特別仕立てカステラ 日本橋限定』を購入しましょう。値段も手頃で、気楽に楽しめます。
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現代は、和洋問わず様々な甘味に溢れ、「カステラ」を口に入れる機会は、かつてと違って意外とあるようでないものです。カステラは誰もが懐かしさを覚えるシンプルな味わい。いつの時でも飽きずに頂けるので、お土産に喜ばれます。

材料や手間暇によって価格も様々で、味わいも微妙に異なりますが、添加物を廃した素朴な美味しさは、共通です。お土産にどれかと迷うなら、大きさも手頃な『特別仕立てカステラ 日本橋限定』を購入しましょう。値段も手頃で、気楽に楽しめます。

【カステラの文明堂】WEBサイト&オンラインショップ
「文明堂」WEBサイト&オンラインショップです。創業以来の看板商品であるカステラをはじめ三笠山、バームクーヘンなど皆様に美味しいお菓子をお届けします。 名入れのできるオリジナルカステラもWebでご注文いただけます。

7.アクセス抜群の“日本橋”

東京駅や神田駅から徒歩圏内!

「日本橋」というと、東京メトロ東西線・銀座線の「日本橋駅」や都営浅草線「日本橋」、銀座線や半蔵門線の「三越駅前」を利用してしまいますが、日本橋は実にアクセスが良いエリア。わざわざ乗り換えなくても、下記の駅から徒歩圏です。

名橋《日本橋》まで
JR東京駅八重中央口 徒歩10分
JR神田駅      徒歩12分
JR新日本橋駅    徒歩9分
都営浅草線・東京メトロ日比谷線「人形町駅」 徒歩10分
【画像は、《日本橋》から神田方面へ通じる「中央通り」】
出典:

「日本橋」というと、東京メトロ東西線・銀座線の「日本橋駅」や都営浅草線「日本橋」、銀座線や半蔵門線の「三越駅前」を利用してしまいますが、日本橋は実にアクセスが良いエリア。わざわざ乗り換えなくても、下記の駅から徒歩圏です。

名橋《日本橋》まで
JR東京駅八重中央口 徒歩10分
JR神田駅      徒歩12分
JR新日本橋駅    徒歩9分
都営浅草線・東京メトロ日比谷線「人形町駅」 徒歩10分
【画像は、《日本橋》から神田方面へ通じる「中央通り」】

無料巡回バス&区営コミュニティバスを賢く使って

また、この界隈は、日本橋周辺地区を結んだ無料巡回バス「メトロリンク」、区営のコミュニティバス(有料・100円、一日券300円)も運行しているので、アクセスは非常に良好です。

『メトロリンク日本橋』は、日本橋、京橋、八重洲地区を結ぶ無料巡回バス。約10分間隔、毎日運行しているので、買い物、散策に便利。雨の日は積極的に利用しましょう。

中央区の区営コミュニティバス『江戸バス』は、南北の2本のルートがあります。「北循環」では、中央区役所~東京駅八重洲北口~新日本橋駅~浜町駅~水天宮前~日本橋区民センター~中央区役所と、循環し、一周約70分程度で巡っています。詳細は公式サイトへ。
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また、この界隈は、日本橋周辺地区を結んだ無料巡回バス「メトロリンク」、区営のコミュニティバス(有料・100円、一日券300円)も運行しているので、アクセスは非常に良好です。

『メトロリンク日本橋』は、日本橋、京橋、八重洲地区を結ぶ無料巡回バス。約10分間隔、毎日運行しているので、買い物、散策に便利。雨の日は積極的に利用しましょう。

中央区の区営コミュニティバス『江戸バス』は、南北の2本のルートがあります。「北循環」では、中央区役所~東京駅八重洲北口~新日本橋駅~浜町駅~水天宮前~日本橋区民センター~中央区役所と、循環し、一周約70分程度で巡っています。詳細は公式サイトへ。

メトロリンク日本橋TOP
こちらは、日本橋・京橋・八重洲地区 無料巡回バス 「メトロリンク日本橋」のページです。
メトロリンク日本橋Eライン TOP
こちらは、日本橋・京橋・八重洲地区 無料巡回バス 「メトロリンク日本橋」のページです。
★平成28年から運行の『メトロリンク日本橋Eライン』も無料の巡回バスです。東京駅八重洲口~日本橋~京橋エリアを巡回しています。
コミュニティバス(江戸バス) 中央区ホームページ

日本橋クルーズも体験して

「日本橋船着場」からは、日本橋や隅田川、神田川や東京湾の周遊クルーズ船が出ています。
クルーズ会社も各社揃い、周遊コースも発着時刻も、船の規模も様々です。予算、時間に応じて選べるので、興味があるのなら以下のサイトを参考にしてみましょう。

【「日本橋川」と「日本橋周遊クルーズ」。画像の船は、“江戸時代から続く運河をたどる歴史クルーズを運航”している「江戸東京再発見コンソーシアム」。】
出典:

「日本橋船着場」からは、日本橋や隅田川、神田川や東京湾の周遊クルーズ船が出ています。
クルーズ会社も各社揃い、周遊コースも発着時刻も、船の規模も様々です。予算、時間に応じて選べるので、興味があるのなら以下のサイトを参考にしてみましょう。

【「日本橋川」と「日本橋周遊クルーズ」。画像の船は、“江戸時代から続く運河をたどる歴史クルーズを運航”している「江戸東京再発見コンソーシアム」。】

日本橋 周遊クルーズ|まち日本橋
日本橋で開催されるイベント情報をご紹介します。

旅のおわりに

ここ「日本橋」は、“商う”ことを通じて育まれた街。

物と人が集まり、賑わいが生まれ、新たな力が生じて進展してきた軌跡を、日本橋では、様々に感じられることが出来ます。そして、その軌跡が止まることなく、今も続いていることを、肌で感じることも出来ます。
出典:

ここ「日本橋」は、“商う”ことを通じて育まれた街。

物と人が集まり、賑わいが生まれ、新たな力が生じて進展してきた軌跡を、日本橋では、様々に感じられることが出来ます。そして、その軌跡が止まることなく、今も続いていることを、肌で感じることも出来ます。

日本橋界隈には、諸国の良品を集め、工夫を凝らして商品に仕立て、顧客の手元に届けようとする歴史に裏打ちされた“気風”があります。それこそが、日本橋パワーの根幹かも知れません。

「日本橋」は、アクセス抜群の“江戸のへそ”。時空を超えて江戸と東京が繋がる結節の場です。
記事を参考にぜひ、日本橋へお出で下さい。ここには、あなたの知らない東京がまだまだ残っています。
出典:

日本橋界隈には、諸国の良品を集め、工夫を凝らして商品に仕立て、顧客の手元に届けようとする歴史に裏打ちされた“気風”があります。それこそが、日本橋パワーの根幹かも知れません。

「日本橋」は、アクセス抜群の“江戸のへそ”。時空を超えて江戸と東京が繋がる結節の場です。
記事を参考にぜひ、日本橋へお出で下さい。ここには、あなたの知らない東京がまだまだ残っています。

旅のInformation

日本橋の総合観光案内

銀座 日本橋 築地 月島 人形町 東京観光:中央区観光協会
まち日本橋
江戸時代から商業、文化の中心地のとして栄え、伝統と新しさが共存する日本橋の魅力を発信する「まち日本橋」。日本橋の歴史から、季節ごとの愉しみ方、旬なイベントまで情報満載です。
名橋「日本橋」保存会 公式ホームページ
★記事で紹介した『熙代勝覧』についても動画で詳しく説明しています。

日本橋の2つの案内所(日本橋観光案内所&日本橋案内所)

日本橋には、二箇所ツーリストに便利な案内所があります。一つは、《日本橋》袂にある「日本橋観光案内所」です。

多言語対応のスタッフが案内する他、老舗の商品も陳列。広域マップ、舟運マップを展示しているので、日本橋クルーズをする人はぜひ立ち寄ってみましょう。
出典:

日本橋には、二箇所ツーリストに便利な案内所があります。一つは、《日本橋》袂にある「日本橋観光案内所」です。

多言語対応のスタッフが案内する他、老舗の商品も陳列。広域マップ、舟運マップを展示しているので、日本橋クルーズをする人はぜひ立ち寄ってみましょう。

日本橋観光案内 Nihonbashi Tourism Information
日本橋のたもとにある「日本橋観光案内所」の公式サイト。日本橋ならではの老舗商品や手みやげ、最新情報を発信しています。館内には巨大なガイドマップもございます。
もう一つは、「コレド室町1」の地下にある「日本橋案内所」です。

ここでも多言語対応のガイドが案内する他、日本橋の手土産の販売、ワークショップも開催。季節展示もあり、カフェも併設されているので、休憩するのにもお勧めです。
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もう一つは、「コレド室町1」の地下にある「日本橋案内所」です。

ここでも多言語対応のガイドが案内する他、日本橋の手土産の販売、ワークショップも開催。季節展示もあり、カフェも併設されているので、休憩するのにもお勧めです。

日本橋案内所|まち日本橋
日本橋のことを知るには「日本橋案内所」へ。コンシェルジュが地域の情報をご案内するほか、老舗商品の買い物なども楽しめます。

「日本橋」の名所&スポット

【日本橋の新ランドマークタワー「コレド室町」】
出典:

【日本橋の新ランドマークタワー「コレド室町」】

神社・文化施設

【国指定重要文化財「三井本館」。7階に「三井記念美術館」がある。】
出典:

【国指定重要文化財「三井本館」。7階に「三井記念美術館」がある。】

三井記念美術館
約300年の歴史を持つ三井家が江戸時代から収集した、日本と東洋の優れた美術工芸品約4000点、切手類約13万点を収蔵。
本店見学 : 日本銀行 Bank of Japan
★日本銀行本店は、見学可能です。事前予約が必要な一般見学と、予約不要の当日見学があります。詳細は公式サイトで確認しましょう。
【公式】福徳神社(芽吹稲荷)|東京 日本橋 —貞観年間より鎮座する神社

百貨店・商業施設

【桜のころの「日本橋三越本店」】
出典:

【桜のころの「日本橋三越本店」】

日本橋三越本店 | 三越 店舗情報
歴史再発見 | 日本橋三越本店 | 三越 店舗情報
★三越本店では、文化財として価値の高い本店内各所を周る、無料の「歴史ツアー」を、一日一組限定で毎日開催(除外日あり)しています。先着予約順ですので、希望者はサイトを参照のこと。
【日本橋高島屋新館】
出典:

【日本橋高島屋新館】

日本橋高島屋|トップページ
日本橋高島屋の店舗情報やイベントの最新情報をお届けいたします。
コレド室町
コレド室町(三越前)。日本橋の歴史が宿る老舗店舗から、人気店の新業態など新しさを取り入れた店舗までが揃う。5~6階の「日本橋三井ホール」は日本橋地域最大級の多目的ホール。
日本橋三井タワー
日本橋 和紙 榛原(はいばら)
創業文化三年。以来、二百年にわたり和紙・和紙関連商品を取扱っております。

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