”自分らしさ”を抱えて生きる、芸術家たちの生き方

草間彌生|自分を信じ、貫き通す生き方


笹本恒子|自分の「好き」にまっすぐな生き方
笹本恒子さんは、1914年東京生まれ。もともと画家を目指しており、絵の技術を活かして新聞社で挿し絵のアルバイトをしていました。1940年、知人に誘われて財団法人写真協会に入社。男ばかりの世界だったため父や兄には反対されましたが、それを押しきって日本で最初の女性フォトジャーナリストとなりました。一時期写真から離れていたこともあったものの、71歳の時に復帰して写真展を開催し、日本写真家協会の名誉会員に。なんと100歳を超える現在でも、現役を続けています。本書はそんな彼女が98歳の時に書いた、101の「好きなもの」を紹介する本です。
『笹本恒子の「わたくしの大好き」101』笹本恒子(宝島社)

篠田桃紅|自分の心にも周囲の環境にも素直な生き方
篠田桃紅さんは、1913年、旧満州・大連生まれ。5歳のころから父より書を学び、筆と墨に慣れ親しんできました。ほぼ独学で書を究めていく中で、書で描く文字という制限にとらわれず、自分の心を思いのままに表現したいと考えるようになり、抽象的な作品を生み出します。1956年にはアメリカで個展を開き、墨による抽象を描く芸術家として、世界的にも有名になっていきました。近年も展覧会が開かれ、自身でもエッセイを発表するなど、100歳を超えても活動を続けています。
『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』篠田桃紅(幻冬舎)


三岸節子|社会にあらがい、闘い抜く生き方
三岸節子さんは、1905年愛知県生まれ。先天性股関節脱臼という障害をかかえ、家族が経営していた工場も倒産するなど、幼いころから厳しい人生が始まっていました。15歳のころ本格的に絵画を学び始め、19歳の時に同じく画家の三岸好太郎と結婚。子どもにも恵まれますが、29歳の時夫に先立たれてしまいます。3人の子どもを育てる苦しい生活の中、彼女は絵画を描き続け、戦後数名の画家仲間とともに女流画家協会を設立。日本の女性画家の地位向上を推し進めた、女性の一人になりました。本書は、そんな彼女の絵画と随筆を収めた画集です。
『花こそわが命―三岸節子自選画文集』三岸節子(求龍堂)

いわさきちひろ|子供の平和と幸せを望み続ける生き方
いわさきちひろさんは、1918年福井県生まれ。裕福な家庭に育ち、幼いころから絵が上手でしたが、両親の反対で絵の道を一時は断念しました。その後、20歳の時に結婚した相手の自死、戦争で実家が空襲で全焼――ご本人の可愛らしい絵柄からは想像できないほど波乱万丈な人生を送ります。しかし、戦後からは少しずつ人生が好転。愛する人と結婚し、2人で子どもを育てながら、彼女は絵で生計を立てることができるようになっていました。本書は、そんな彼女が大切に育てた長男による評伝です。
『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』松本猛(講談社)


アーティストの生き方から、前を向く元気をもらおう

草間彌生さんは、1929年長野県生まれ。幼少のころから幻覚や幻聴に悩まされていたことから、それを絵に描くという形で表現を始めました。1957年にアメリカへ渡り、インスタレーション作品の制作や、ボディペインティング・反戦運動といった「ハプニング」というパフォーマンスを行うようになります。当時としては過激な表現も多く含んでいたため、付いた異名は「前衛の女王」。日本ではなかなか受け入れられませんでしたが、90年代に入ってようやく回顧展や国際的な芸術祭で脚光を浴びるようになります。本書は、そんな草間彌生さんの人生や、当時考えていたことが詰め込まれた自伝です。
『無限の網―草間彌生自伝』草間彌生(新潮社)