インタビュー
vol.79 日田シネマテーク・リベルテ 原茂樹さん
-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画のカバー画像

vol.79 日田シネマテーク・リベルテ 原茂樹さん
-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館

写真:岩田貴樹

人口約6万人規模の町、大分県・日田市。三隈川をはじめとした美しい川が通り、水郷とも呼ばれているこの町に、ただひとつの映画館がある。「日田シネマテーク・リベルテ」は、閉館寸前の映画館を継ぎ、代表の原茂樹さんが2009年に新たに立ち上げた。100席に満たないこの小さな映画館に、地元だけではなく全国各地から人が訪れているという。映画を通して原さんが作りたかった「場所」とは――。故郷である日田だからできること、日田でなければできないこと。人が集い、慕われる場所には、どんな思いが宿るのだろうか。

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2018年03月02日作成
vol.79 日田シネマテーク・リベルテ 原茂樹さん
-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
今日も映画の中で、人が怒り、悲しみ、歓喜する。

痛々しくも美しい愛に身を焦がす女。
人とのふれあいのなか、心を開いていく頑固な老人。
変人と呼ばれながらも、自分だけの宝物を知っている中年の男。

そのすべての主人公たちが、私たちのなかにいる。
映画館の中で私たちはいつだって自由で、世界を心地よく浮遊できる。スクリーンからきこえる景色や沈黙にじっと耳を傾け、誰かの人生を体験する。名前も知らない人たちとそれを共有し、映画館を出れば少しだけ潤った気持ちを胸に、それぞれの日常へ戻っていく。

映画館離れが叫ばれるこの時代にも、長い映画史の中で人が映画に求めた夢は決してくすんでいない。たとえそれが、どんなに小さな物語であっても。

町に唯一の映画館、日田シネマテーク・リベルテ

日田のシンボルともいえる三隈(みくま)川。夏には遊覧船が浮かび、幻想的な景色を楽しむことができる

日田のシンボルともいえる三隈(みくま)川。夏には遊覧船が浮かび、幻想的な景色を楽しむことができる

北部九州の中央に位置する盆地、大分県日田市。水郷(すいきょう)と呼ばれるこの地には、いくつもの川が流れ込む。江戸時代に天領だった日田には当時の文化が色濃く残り、古くからの街並みをそこかしこで楽しめる。九州最大の河川・筑後川の上流にあたる三隈(みくま)川は、その日も静かに美しく、町を投影していた。

日田には、そんなふうに豊かな自然と、歴史と、そして、町にたったひとつの映画館がある。大迫力の巨大スクリーンでもない、63席の小さな映画館。いわゆる、観光パンフレットに載っているような項目と並べるには違和感があるかもしれない。けれども、この場所のために各地から日田に足を運ぶ人がいることもまた、事実なのだ。
星マークのロゴが目印の「日田シネマテーク・リベルテ」

星マークのロゴが目印の「日田シネマテーク・リベルテ」

入り口は2階。サンルーフからは心地良く陽が差しこむ

入り口は2階。サンルーフからは心地良く陽が差しこむ

vol.79 日田シネマテーク・リベルテ 原茂樹さん
-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
キーンコーンカーンコーン……。
上映が始まると同時にブザーではなく、懐かしいチャイム音が鳴った。

「うちで流しているのは娯楽とはちょっと違う、人生を考えるための映画。大人の勉強という意味でチャイムを流しています」

そう話すのは、「日田シネマテーク・リベルテ(以下リベルテ)」のオーナー、原茂樹さん。2009年に、閉館寸前の映画館を継ぎ、新たにリベルテを立ち上げた。ここでは映画の上映だけではなく、音楽ライブやトークショーなどのイベントも、積極的におこなわれている。待合室はカフェスペースになっていて、地元・県外を問わず様々な作家やアーティストの作品が所狭しと並ぶ。そのほとんどが、現在注目されている若手によるものだ。
オーナーの原茂樹さん

オーナーの原茂樹さん

廊下を抜けると、様々なアーティストや作家の本や雑貨などが並ぶ待合スペースが広がる

廊下を抜けると、様々なアーティストや作家の本や雑貨などが並ぶ待合スペースが広がる

リベルテがオープンしてから今年で9年目になるが、ここに集まるのは、原さんとリアルな繋がりをもつ人々だ。ギャラリーやミニシアターは、全国にもたくさんある。それでもここには、“あえて”日田を選び、全国から人が訪れる。映画を見るなら、イベントを開催するなら、九州のほかの場所に用があっても、迷わず「リベルテへ」。いつしかそういって人が集まるようになったこの場所には、いったいどんな魅力があるのだろうか。

「生きること」と葛藤した若き日々

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-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
原さんは1976年、日田市の夜明(よあけ)という町に生まれた。ジャズを愛する自由人な父と、天真爛漫な母と、そしてこの豊かな自然が残る日田に育てられる。学生時代は野球部で甲子園出場に貢献し、絵画コンクールでは毎度賞を取るなど、スポーツも文化も何でもこなす学生だった。そうはいっても、いわゆる「優等生」という名札をつけるのは少し違う。生活指導の先生からも(ある意味で)可愛がられ、同級生ともよく喧嘩をしたけれど、最終的にはその相手と仲良くなる。屈託のない人柄はその当時からのもので、原さんの周囲には、いつも人が集まっていた。

「言葉にするとなんでもできるやつ、みたいになっちゃうんですけどね。でも、『本気じゃない』のがたぶん嫌だったんだなあと思います。みんなすぐに『田舎だから』とか『都会に行けば~』っていうけど、『いや別に田舎でもね』っていうのは昔っから思ってましたねえ。この町で生まれ育ったからスポーツも勉強ものびのびやれた。こんな性格になったのは日田のおかげかな」
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そんな原さんも、高校卒業後にこの町を出ることになる。進学する気はなかったが、傍目からすれば文武両道だった原さん。親や先生の強い薦めもあり京都の教育大学を受験することになる。時を同じくして、「阪神・淡路大震災」が起こった。メディアでは日々凄惨な現場を報道しているが、日田はいつも通りの平和な日常。しかし、新幹線で受験会場に向かう途中の景色が、原さんのこれからの人生を大きく揺さぶることになる。

「途中、岡山くらいから青いビニール屋根が出てきて。神戸に近づくにつれて、青が増えてきますよね。だんだんテレビとリンクしてくる。それで、僕は意思も別になく『薦められた』から、教員免許を取るために京都で降りる。でも後々思うんです。『本当に子供に教えるべき人って、あそこ(神戸)で降りる人なんじゃないかな』って。ずっと心がざわざわしているだけで、そのときはわからなかった」
幼稚園や小学校などの校外授業でも活用されるリベルテ。壁には園児たちからお礼に贈られたメッセージカードが飾られていた

幼稚園や小学校などの校外授業でも活用されるリベルテ。壁には園児たちからお礼に贈られたメッセージカードが飾られていた

受験を終え、高校卒業を間近に控えたころ、友人が事故で亡くなった。「生きること」を心のどこかで考えるようになったのは、そのときからだった。立て続けに「死」を間近で感じ、特に目標もなかった未来の見据え方がだんだんと変化していく。結果として進学を選ばなかった原さんは、福岡で一人暮らしを始めることにした。

「やっぱり『良い会社に行って』っていうのは、僕には違う。『生きる』ということのほうが心にぐっとある。でも周りが全員、“世の中”に向かって『そっちに行きまーす!』って感じだったから、『ほんとに、俺大丈夫か?』って気持ちもありましたね」

福岡でまず始めたのは、大手レンタルビデオショップのアルバイト。10代のころから音楽や映画が好きだった原さんには、もってこいの環境だった。音楽や映画にさらにのめりこむようになったのはこのときから。ほどなくして原さんはバンド活動を始めることになるのだが、この音楽活動こそが、今の原さんの基盤になっている。
原さんが音楽を特別に愛していることは館内の随所からも伝わってくる

原さんが音楽を特別に愛していることは館内の随所からも伝わってくる

写真左は相棒ともいえるギター。右はベルリンのアーティスト、「マーシャ・クレラ」のTシャツ。原さん自身が大ファンで、知人から声を掛けてもらい、ライブスタッフとして立ち合ったこともある

写真左は相棒ともいえるギター。右はベルリンのアーティスト、「マーシャ・クレラ」のTシャツ。原さん自身が大ファンで、知人から声を掛けてもらい、ライブスタッフとして立ち合ったこともある

「友人と会ってもまったく面白くなかった」と、原さんは当時を振り返る。毎晩のように酒を飲んで、騒いで、みんなが親のお金で遊んでいることに気付くと、ますます嫌気がさした。そんなとき、地元の友人から貸スタジオの存在を教えてもらった。スタジオは1時間1人500円。カラオケで飲んで騒ぐよりも、断然魅力的に思えた。さっそく楽器を持つ友人らに声をかけ、バンドを結成した。ある程度は弾けるものの、全員がバンド未経験の素人だ。コピー演奏だけでは物足りなさを感じた原さんは、すぐにオリジナル曲を作った。メンバーのお尻を叩くため、半年後にライブハウスに出演することを決める。そこから様々な出会いを経て、原さんも就職するが、バンド活動はその後10年ほど続く。その行動力に感銘を受けていると、本人はあっけらかんと笑う。

「今の映画と一緒ですよ。同窓会みたいに、みんなが集まる場所を居酒屋じゃなくて音楽にすればいいというか。バラバラの皆が一緒になれることを考えられれば、シンプルでいいですよね。でも意外とそれが伝わりにくかったりもする。まあでも、ずっとその“シンプル”を続けようと、今も思っています」

「好き」を芯にした、心の通ったコミュニティづくりは、今も原さんの基本姿勢だ。媒介が音楽でも映画でも、それは変わらない。

“じゆうなえいがかん”ができるまで

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音楽仲間から「故郷の映画館がなくなるかもしれない」と聞いたのは、それから数年後のことだった。
原さんは当時20代後半。会社員としての仕事も楽しく、バンド活動も続けながら充実した日々を送っていた。それでも気になって営業周りの途中に様子を見に行くと、ギリギリの状態で営業している映画館の姿があった。原さんは「なんとか映写機だけは残したい」という一心で、時折アドバイスをしながら映画館をサポートした。そのうちにオーナーからも熱意を買われ、映画館の運営を懇願されるようになる。しかし、一度打ち込んでしまったら中途半端ができない性格であることは、原さん自身がよく分かっていた。
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決心がつかず踏み切れずにいたけれど、あるときここを継ぐことに決めた。きっかけは日田出身のジャーナリスト、筑紫哲也氏の存在だった。かつて日田にあった市民大学「自由の森大学」も筑紫氏によるものだ。きらびやかな「観光地」に注力するのではなく、その地の「文化」を尊び、その精神こそが町おこしに繋がるという信念のもと運営されていたが、2006年に閉校。その2年後に、筑紫氏は帰らぬ人となった。

「映画館の運営を応援してくれるはずだったんですけど、僕が断っているときに自由の森大学が閉校して、筑紫さんも亡くなってしまって。関係のある大人が1000人近くいたのに、皆何もしない。それこそ、1000人いれば1000のお店が出るようなことを、筑紫さんは期待していたんじゃないかなあって。『大人がそうだからダメなんだ!』って思いがこみあげてきて。勝手にですけど、僕が意思を受け継ごうと、この映画館を引き受けることにしたんです」
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20代で音楽、接客、営業、それぞれ違った業界を経験したけれど、不思議とこの映画館を運営していくうえで必要な基盤はすべて揃っていた。「今思えば、鍛えられていた」のだと、原さんは振り返る。それでも、視察の段階で、お客さんは1日に多くて2人。状況は依然として厳しいものだった。

「大手は、人口140万人でやっと映画館をひとつ出すのに対して日田は6万人。圧倒的に人口が少なすぎるから、まあ難しいですよね。でも、難しいからやめるって選択肢は僕にはありませんでした。自分が日田に恩返しするのであれば今しかないなと思ったんです。その当時30歳くらいで、そろそろ周りが車や家を買い始めていて。なら僕はそれを、日田のために使おうと。これは未来への投資でもあるから」
カフェスペースで販売されているコーヒーと一緒に映画を楽しむこともできる。「温泉につかるようにゆっくりと映画に浸ってほしい」と原さん

カフェスペースで販売されているコーヒーと一緒に映画を楽しむこともできる。「温泉につかるようにゆっくりと映画に浸ってほしい」と原さん

もう迷いはなかった。リベルテを立ち上げるにあたり、まずはそれまでの内装を大きく変えることにした。サラリーマン時代には大手家電量販店で現場管理を経験し、売り場を見てきたから、館内のデッドスペースはすぐに見えた。バブルのころに建てられたこの建物は、ゴミ箱や椅子、すべてが大きく無駄に場所をとっている。以前は2人座るのがやっとだった待合スペースも大幅に広げ、この場所に集まった人たちがもっと話せるように、カフェも作った。原さんの決意から1年の準備期間を経て、リベルテはオープン。しかし、映画館らしからぬ一風変わったこの映画館を訝しがる人も少なくなかったという。
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-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
「周りからも映画業界からも、『良い映画だけ流せばいいのに、こんなにチャラチャラするな!』って全部反対の意見ばかりでしたね。でも、ただ良い映画を観るだけなんて、当たり前すぎて。自分の人生なので、自分なりに日田に対して返すものっていうのをはっきり持っていればそれでいい。夢とか希望とか、最初の事業計画書を見ても同じことが書いてある。それは理想論って言われたけど、人は理想とか希望で動いていくものなんじゃないかなあって。物って、見た目とか機能で買えますよね。でも映画って、観る前にお金払わなきゃいけない。そこに昔は、夢があった。この夢とか希望がないと、人は絶対にお金を払わないんですよ。『そこに入ったら何かあるかもしれない』って場所を作り上げていたのに、それをやってこなかったのが今の興業なんです」
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-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
リベルテのロゴデザインは、原さんが手がけた。星のマークは、キューバ革命で活躍した革命家、チェ・ゲバラから着想を得たものだという。数々の不条理に声を上げ、革命成功後は国立銀行総裁に就任するもそれまでの地位を捨て、新たな地で革命を起こすためにゲリラで戦った。ゲバラの生き様は、原さんがリベルテを運営するうえで指針としているひとつだ。

「共産主義か!っていわれると、そういうことではなくて(笑)。ゲバラはキューバ革命後も、ボリビアを開放しようとまた苦しいところへ入っていく。ここが好きなんですよ。リベルテは、マクドナルド、ケンタッキー、洋服の青山、ヤマダ電機に囲まれて。ゲリラですよね。経済社会の森の中、やっぱり野営しながら。外観を派手にしたら、結局ほかと一緒になってしまう。温泉でいうなら、施設のきれいさじゃなくて、源泉をきれいにすることを最初に目指したんです。固定概念を開放しないと見えてこない世界を、切り開いていきたかった」
取材時には、日本とキューバの合作映画『エルネスト もう一人のゲバラ』が上演されていた

取材時には、日本とキューバの合作映画『エルネスト もう一人のゲバラ』が上演されていた

そして、屋号である「リベルテ」は自由を意味する“liberty”から。自由を表す英語はほかにもあるけれど、原さんがこの言葉を選んだのには理由がある。

「フリーダムのハワイ的イメージじゃなくて、リバティは“何かを越えて得る自由”。そこはゲバラと一緒です。トップダウン的な変え方ではなく、僕だから変えられるものがある。日田は日田で勝手にそうやって盛り上がっていけば、『面白いかも』って人が来るじゃないですか。都会も田舎も関係なく、フラットに『じゃあ、みんなで遊ぶ?』みたいな場所を作りたかったんです」
原さんの指針パート2。左から、北九州市のフリーペーパー『雲のうえ』、雑誌『relax(リラックス)』、『暮しの手帖』。3誌に共通しているのは、場所や人を飾らずありのままに切り取っていること

原さんの指針パート2。左から、北九州市のフリーペーパー『雲のうえ』、雑誌『relax(リラックス)』、『暮しの手帖』。3誌に共通しているのは、場所や人を飾らずありのままに切り取っていること

「人が根付く場所」は人と作っていくもの

柱には絵本作家・谷口智則さん直筆イラストが描かれていた

柱には絵本作家・谷口智則さん直筆イラストが描かれていた

1600年に日田で開窯された小鹿田焼(おんたやき)をはじめ、各地から届いた工芸が並ぶ

1600年に日田で開窯された小鹿田焼(おんたやき)をはじめ、各地から届いた工芸が並ぶ

リベルテには、編集者からイラストレーター、陶芸作家に音楽家など、実に多様なクリエイターが訪れる。それぞれ別々に東京からやってきた全く面識のない者同士が、リベルテを接点に意気投合することも少なくない。

「東京だとへんな棲み分けがあって、近い業種同士打ちとけるのは、難しい部分があるかもしれないですね。でもここ、田舎にきたらね。映画好きや映画館好きって理由だけで集まれるじゃないですか。その部分さえしっかり芯があれば、『あの映画館いいよね』とか、『原君おもしろいよね』とかで集まれる。ちょっとクッションになるのが、僕の役目だと思います。本当は日田だけでなく、いろんな町にそういう人がいればいいなあと思うけど……。なかなか難しいみたいですね」
画家・絵本作家のミロコマチコさんもリベルテの常連

画家・絵本作家のミロコマチコさんもリベルテの常連

作家・重松清さんとミロコマチコさんの展示「きみの町で」がおこなわれたときの色紙

作家・重松清さんとミロコマチコさんの展示「きみの町で」がおこなわれたときの色紙

この場所の空気を心地良いと思った人たちが、この場所を作っていく。現在おこなわれている展示販売やイベントは、リベルテ側のアプローチではなく、依頼されてスタートしたものがほとんどだという。

「コンテンツとして人を呼ぶというか、今でいうセレクトショップっていう概念がないんですよ。僕は人を『セレクト』できない。『あなたがすごく好きだから、じゃあどうする?』って1対1で始まっていく関係性が好きなんです。展示料金も受け取らないし、『これ売らなきゃ』っていうのもない。地道に向き合えば、『一人』がこうやって百万力になって、お金以上のものを返してくれる。今、この人たちとセッションをしていると思うんですよ。お互いの良いところを出して新しい曲が生まれるっていうスタイルを大事にしたい。映画館なんだけど、音楽をやっている感覚はありますね」
モデル・女優の菊池亜希子さんもリベルテを訪れた

モデル・女優の菊池亜希子さんもリベルテを訪れた

こうした場所づくりを原さんは「農作業」だと表現する。この場所で繋がったひとりひとりは種。リベルテは、その土になればいい。どんな種が飛んできても、ドンと伸びる健康な土を、原さんは耕し続ける。そうすれば、でこぼこでもいきいきと光る畑ができあがるから。ここを受け継いだ1番の目的である「日田への恩返し」は、オープン10年を前に、実を結ぼうとしている。

「以前、日田で大きいイベントが開催されたことがあるんです。その日は、県外からうわーっと人が来たんですよ。でも、翌日はもうゴーストタウンのようになって。それ、一番ダメですよね。日常を元気にするためにイベントがある。イベントっていうのは、日常の延長線上でしかないのに」
「リベルテ」運営の傍らで、日田の林業再生を考えるグループ「ヤブクグリ」の広報係も務める原さん。写真は、その活動の一貫である「きこりめし弁当」。ゴボウを日田のスギの木に見立てたユニークで美味しいお弁当。売上の1割が森林募金に繋がる

「リベルテ」運営の傍らで、日田の林業再生を考えるグループ「ヤブクグリ」の広報係も務める原さん。写真は、その活動の一貫である「きこりめし弁当」。ゴボウを日田のスギの木に見立てたユニークで美味しいお弁当。売上の1割が森林募金に繋がる

原さんは、ここへ集まった人に「また帰っておいで」と声をかける。多くの人にとってリベルテは、「また訪れたい」という気持ちにさせてくれる、安心できる場所でもある。そして今日も、遠くから足を運ぶ人たちがいて、この場所を繋いでいる。「町おこし」というと、どうしてもイベントの規模や人の集客ばかりが先行しがちだけれど、人が足を向けるのは、心にきちんと根付くことのできる場所なのだ。

神社のような存在の映画館でありたい

原さんがよく訪れる「大原八幡宮」。境内は澄みきった空気に満たされていた

原さんがよく訪れる「大原八幡宮」。境内は澄みきった空気に満たされていた

周囲から相談を受けることの多い原さん自身も、どうしようもない感情に支配されるときがある。そんなとき、彼の精神安定剤となってくれるのは、大好きなギターと、それから「神社」だ。澄んだ空気の中へ一歩足を踏み入れれば、さあっと心が鎮まり、自分自身と向き合うことができる。誰かにとってリベルテもまたそんな場所であるようにと、原さんは語る。

「拝殿の扉の中に、何があると思います?そこには、鏡があるんですよ。感謝とか欲とか、自分自身が映る。自分の中に神様みたいな存在がいれば謙虚になれるから、その謙虚さで、人はコツコツと毎日を送ってきたんじゃないかなあって。だから、神社を作った人がすごい。会ってみたい(笑)。ほかの宗教は“教え”があるけど、日本の神社っていう独特なものだけ、布教もしないし、『あなたの心の中にもうあるでしょ?』っていう姿勢が好きです。神社に来るたびに『ああ、こういう感じにしたいんだよなあ』って思うんです」
vol.79 日田シネマテーク・リベルテ 原茂樹さん
-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
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vol.79 日田シネマテーク・リベルテ 原茂樹さん
-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
神社のように、すっと清らかに、自分に正直になれる場所。すでにリベルテは、そんな場所になりつつある。そんな心が救われるほんの少しの瞬間を、これからも映画を通じて届けていきたいと原さんは話す。

「今の人って頭がいいから、『名作だから読む、観る』って思っている。でも、みんなが感動したから『名作』なわけであって、人とのベクトルの違いをそれで出したいっていうのがそもそも違うんです。僕自身、消化できない気持ちを抱えたときも映画や音楽に救われてきました。本当に良い言葉って涙が出てくるし、やっぱりすごいなって思うんですよ。苦しいときにはみんな塞ぎこんでしまうけど、そういうときこそ映画の主人公や作家が、あなたに何を伝えたかったのかを思い出してほしい。いつの世も無常だけど、人間はもがきながら闘っている。その時代で形を変えながら、みんな同じことを描いてる。処方箋みたいな役割もあるんですよ、映画って」
映写室には、1988年公開の『ニュー・シネマ・パラダイス』のポスターが。町の小さな映画館を中心に起こる人間ドラマを描いた名作。ポスターを見た瞬間、映画館に夢や希望を託した少年トトや、映写技師アルフレードのひたむきな姿が、原さんと重なった

映写室には、1988年公開の『ニュー・シネマ・パラダイス』のポスターが。町の小さな映画館を中心に起こる人間ドラマを描いた名作。ポスターを見た瞬間、映画館に夢や希望を託した少年トトや、映写技師アルフレードのひたむきな姿が、原さんと重なった

vol.79 日田シネマテーク・リベルテ 原茂樹さん
-「好き」を通して人が集う。町で唯一の映画館
主張の強いメッセージや、押し付けがましい評論はいらない。原さんは今日も35mmフィルムを通して、誰かの気持ちに寄りそう。本当に胸を打つ瞬間は、多くを語らないものだから。

エンドロールを眺めているときの幸福な余韻のように、リベルテは、そんな静かな感動に出合える場所なのだ。

(取材・文/長谷川詩織)
日田シネマテーク・リベルテ|ひたしねまてーくりべるて日田シネマテーク・リベルテ|ひたしねまてーくりべるて

日田シネマテーク・リベルテ|ひたしねまてーくりべるて

人口7万人規模の町にある個人事業としては日本で唯一の映画館。 劇場内では、有名・無名問わず映画館にぴったりなアーティストの音楽ライブやライブペインティングも開催。映画の待合室ともなる空間には、ワークショップやライブもできるサロンのようなカフェスペースとギャラリースペースがあり、写真・原画展、インスタレーションなど、様々な想いを持ったアーティストと共に話しあい、独自の空間を作っている。
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