人と衝突する前に。フラットな気持ちで「議論」する方法

人と衝突する前に。フラットな気持ちで「議論」する方法

仕事上でも、プライベートでも、インターネット上でも。他者と議論になった時、嫌な気持ちのまま終わったり、投げ出してしまったりしていませんか。議論や話し合いは、そもそも他者を打ち負かしたり、自分の意見を声高に叫ぶことではありません。人との意見交換のやり方のルールとスタンスを、おさらいしてみませんか。 2021年03月22日作成

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あなたがやっているのは、議論ですか?喧嘩ですか?

議論をしているつもりでも、いつの間にか「だからあなたはそうなんだ」「これだからあなたの属性の人は」「逃げずに過ちを認めて謝って」と激しく言い合って喧嘩になってしまう場面があります。お互いに結局目的を見失って、《相手を黙らせること》《自分の意見を相手が飲み込むこと》を目指していく過程もありますね。そんな話し合いは話し合いとは言いません。ただの貶し合いです。喧嘩や感情のぶつけあいというカテゴリでやるのであれば良いのですが、やっていることを議論として認識してはいけません。

目次

身につけておきたい、議論のルール

意見を交換していくために必要なルールがあります。いくつかの「あるある」なケースに分けて、そのルールをおさらいしていきましょう。私たちは、他者と意見を交換して、互いに影響を受ける権利と義務があります。自分の意見を主張するのも、他人の意見を聞くのも、ちょうど同じ質量で大切です。

ケース(A)「仕事で私の提案が通らない!しゅんとする」

まずはわかりやすく、仕事上での議論の例です。あなたの提案したやり方を、チーム内ミーティングで、上司と同僚が受け入れてくれませんでした。あなたの反論はうまく言いくるめられました。確かに「なるほど」と思う面もあった、優秀な同僚の提案が尊重されました。その同僚が「いい提案をしてくれたね」と褒められています。あなたはモヤモヤします。

①目的を抽象化して考える

上司と同僚は、あなたの意見を否定したいから提案を却下したのでしょうか?違いますね。同僚の提案を採用した方が、その仕事がうまくいくと踏んだから、却下したのです。あなたにとっても、「自分の提案を通して、評価されること」が最大目標ではなかったはずです。議論するのには目的があります。その目的を大きく抽象化して考えた時、「この仕事をより良い方法でうまくいかせるための議論である」と理解できれば、否定されたと思わずに済むはずです。

②意見を覆すのは、恥ずかしいことではない

向かっているゴールは同じ。ゲームで例えるのなら、道順や、ダンジョンの攻略方法を話し合うための議論です。だから、あなたの意見や提案が覆されたとしても、あなたのことを否定されたと思わないこと。全く違う意見の方が「より正しい」と思えば、すぐに意見を相手に合わせることも厭わないでください。これを《敗北》や《恥》だと思うのは間違っています。謝る必要もありません。「私もそれがいい」と言えばいいのです。それを笑う人については、成功よりも見栄を尊んでいる人なので、気にしなくて構いません。

③そもそも正解は世界に存在しない

話し合うのは、《より良い方法》を探るためであって、《正解》を奪い合うためではありません。「塞翁が馬」ということわざがあるように、何がどうひっくり返るのかわからないのがこの世の中。私たちが道徳や規範として決定づけたものも、決定づけられただけと言ってしまえばそれまでのこと。今できる最良の選択を行うために私たちは知恵を出し合います。その知恵の交換の間に、取捨が行われるのも当たり前のことですね。《正解か/間違いか》ではないのです。

ケース(B)「この人は頭がおかしいから、こんなことを言うんだ!」

あなたと言い合いになった相手は、あなたと全く違う主義主張を持っていました。あなたからしてみれば、モラルやリテラシーに欠けた意見です。絶対に正さなければいけないと感じました。「人格が歪んでいる」「育ちが悪いのだ」「恵まれていないから、あんな風なことが言えるのだ。可哀想な人だ」と思いました。激しい言い合いの末に、相手は黙って去りました。あなたは「勝った」と思い、それを周囲に誇りました。

①議論のルールは《そのケースだけで話し合うこと》

このように感情的になってしまった際によく見かけるのが、違うケースや場合を持ち上げて、「この場合であれば同じことが言えるかどうか」と聞いてしまうことです。こう言った相手を黙らせるための手法が、揶揄も込められたインターネットスラング構文として存在しています。「それ、サバンナでも同じこと言えるの?」この反論について、あなたはどう思いますか?私たちはサバンナに放り投げられた状態でその問題に向かっていますか。違うのであれば、その視点は単なる無駄に違いありません。

②戦うべきは《人》ではなく《主張》

主張のぶつけ合いになった際、相手自身を打ち負かそうとしてしまいがちです。しかし、あなたが腹を立てているのは、主張そのものであって、それを持つ相手ではないはずです。例えば、あなたの言論によって、実際に屈服させることができたとして、その概念はこの世から消えてなくなりますか?人の形を変えて、その概念は何度でも立ち現れます。人を否定したからといって、保持されるのは、あなた自身の、あなたの世界のみで完結する、あなたのプライドのみです。人間を否定する行為は、意味のない傷害だということを理解してください。

③《黙らせた=勝利した》と思わないこと

「もういい」と踵を返されて「逃げた」と思わないことです。あなたが黙るのは、敗北を認めた時ですか?違いますね。「何を言っても無駄だ」と諦め尽くした時ですね。相手も同じです。どちらかと言えば、守りに入った場面でしょう。要するに、相手がだんまりを始めた時、背を向けた時、《意見を聞き入れ、理解してもらうことができなかった》という点では、あなたは敗北したも同然と言えます。これを防ぐために、冷静に、理解しあおうとする姿勢を見せることが必要です。冷静になりましょう。例え相手が感情的になっていたとしても、です。

ケース(C)「私は発言に腹が立ったから、意見を言っただけ!」

あなたとランチ中の友人が、ボソリと、あなたの主義とそぐわない呟きを愚痴っぽく漏らしました。あなたはそれに驚き、意味を問いただしました。友人は戸惑いつつも、主張をしました。あなたは「それは良くないよ」と言いました。友人はみるみるうちに腹を立て、同じように言い返してきました。喧嘩別れになってしまいました。あなたは友人を「議論ができない自分勝手な人だ」と思いました。

①人の発言の全てが《声明》じゃない

近頃は全ての言葉が、メガホンを片手に叫ばれる主義主張やマニフェストと取られすぎだと感じています。もちろん、全ての言葉には、その人自身の性格や常識、意見などが内包されているに違いないのですが、責任のある立場で発言するのではない以上、様々な矛盾する意見をもつのが人間だと思うのです。友人の漏らした言葉が、友人の確固たる声明なのでしょうか。疲れていたのではないですか。間違っていると知りながら、それでも口に出したくなった言葉ではなかったのですか。あなたを信頼したから、言葉にしたのではないですか。

②それはあなたの意見を求めていた言葉ですか?

喧嘩腰になってしまった時、他者から意見を挟まれた時、私たちは思います。「あなたの意見は聞いてない」。しかし、私たちは平等な人間同士です。相手の意見が「聞いてない」ものであると感じるなら、それと全く同じ程度、相手にとってもあなたの意見は「聞いてない」と言われるべきものです。そのフェア性を意識して、互いにコミュニケーションを取るべきだと思っています。ただ聞いてあげることで、自身の中で浄化される黒い気持ちもあるのです。人を信用することが大切です。友人や恋人、家族であれば、尚更のことです。

③無意味な吐露としての言葉を認めること

現在、様々な音声SNSや雑談ライブアプリが開発され、人気を博しています。私はこれを「聞いてほしいだけなのに」と思う人々の叫びが反映されているように感じます。気楽に言いたい、もしくは聞きたいという気持ちです。議論や意見交換を求めていない言葉(=感情)が、世界にはたくさん溢れています。これらを受け取らなくなった先にあるのが、暴力や奪い合いなのだと思うのです。

全ては《より良い状態》のために

2020年はたくさんの出来事がありました。2021年も波乱の幕明けになってしまったように感じます。どんな人でも同じように、声を上げることができるようになり、多くのことが改善に向かっています。しかし、その中で、無意味に傷つけ合うようになった場面が増えてしまったということも、否定できません。私たちが意見を交換し合うのは、何のためですか。《より良くなりたい》この大きな目標は、全員共通なのだと思います。それに向かうための方法を、みんなで探っていくべきです。

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