インタビュー
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Vol.43 廣田硝子・廣田達朗さん-東京で一番古い硝子メーカーが、今、「復刻版」をつくる理由

写真:千葉亜津子

明治時代からの歴史を誇り、東京で一番老舗の硝子メーカー「廣田硝子」。長く愛され続けるロングセラーを抱える一方で、東京復刻硝子「BRUNCH(ブランチ)」や「大正浪漫」といった、「復刻」の製品も手がけています。夏休みのある日を思い出すような、レトロでちょっぴりノスタルジックなガラスたち……。廣田硝子が、今、「復刻」硝子をつくる理由とストーリーを伺いに、東京下町・錦糸町にある廣田硝子本社を訪ねました。

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2016年07月29日作成
夏の暑い日、外から帰ってまずはグラスに水を注ぐ。透明なグラスは水の温度に冷やされて少しヒンヤリと気持ちが良く、ゴクゴクと喉を潤すと窓から少し風が入ってきて、「夏っていいものだなあ」と思う―。
それは、昔から変わらない夏の景色です
Vol.43 廣田硝子・廣田達朗さん-東京で一番古い硝子メーカーが、今、「復刻版」をつくる理由
そんな暮らしに寄り添うグラスをつくる硝子メーカーのひとつに、廣田硝子があります。

創業から長い歴史を誇る廣田硝子は、ロングセラーの製品に恵まれる一方で、一時生産中止になった製品を近年いくつか再び「復刻」させているといいます。

新しい製品をつくり出すのではなく、昔あった製品をもう一度つくりあげること。いっときなくなったものを再び世に送り出すことは、おそらく言葉以上に大変なことなのではないでしょうか。復刻されたガラスはいったいどんなもので、また、なぜ「今」復刻に至ったのかを伺いに、東京の下町・錦糸町の会社を訪ねました。
廣田硝子本社すぐ近くの景色。東京スカイツリーがどこからでも見える錦糸町に廣田硝子はあります

廣田硝子本社すぐ近くの景色。東京スカイツリーがどこからでも見える錦糸町に廣田硝子はあります

ちょっぴりレトロで、ノスタルジックな廣田硝子のガラスたち

ブルーのガラスのふちをバーナーでひとつひとつあぶって白濁させる「雪の花」。夏の日のアイスやカキ氷、ゼリーを入れるのにピッタリなこのガラスの器は、40年のロングセラー商品です

ブルーのガラスのふちをバーナーでひとつひとつあぶって白濁させる「雪の花」。夏の日のアイスやカキ氷、ゼリーを入れるのにピッタリなこのガラスの器は、40年のロングセラー商品です

「廣田硝子は昔から、“洋”を感じるガラスというよりは、どちらかというと日本の日常での“和”に近いガラスを多くつくっていますね」と話してくれるのは、廣田硝子の四代目社長である廣田達朗さんです。
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ちょっぴりレトロで、なんだかノスタルジック。廣田硝子は、そんな製品をずっとつくり続けてきました。

「硝子メーカーごとの、各社の色というか、生きる道というか、みんなそれぞれカラーがあるんです。今は都内の硝子メーカーも10社くらいになってしまいましたけどね。繰り上がりでね、いつの間にかガラスの会社としては、東京の中で一番古いです」と廣田さんは笑います。

117年続いてきた硝子メーカーが「復刻」をつくるまで

(画像提供:廣田硝子)

(画像提供:廣田硝子)

現在四代目である廣田さんが社長を務める廣田硝子は、1899年(明治32年)に硝子食器販売業としてはじまりました。当時は、それまで輸入頼みだったガラス製品を自分たちでつくろうと、一般家庭にまでガラス製品が広まっていった時代。創業者である廣田金太氏は新潟県・燕市で農家の次男として生まれ、東京に出てガラス工場で働いたのち、「廣田硝子店」というガラスの販売を生業とする会社を立ち上げます。

これが、現在東京で最も古いガラスメーカー「廣田硝子」のはじまりでした。

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初代金太氏はその後、製造工場を自社で設け、硝子販売に加えて硝子づくりへと事業の拡張をしていきます。継いだ二代目も大正・昭和という時代をまたぎながら新しい技術を取り入れ、他社とは違う製品づくりに励みました。
そして、現在廣田硝子会長を務める三代目・廣田達夫さんの代になると、廣田硝子は戦後の大量生産の波に乗ることはせず、手づくりの硝子へのこだわりを強めていきます。
大正時代の技術を復刻させた「大正浪漫」
「うちの『大正浪漫』というシリーズは、今から40年ほど前に三代目・達夫氏がつくり始めました。ちょうど1980年代くらいですね。これは、大正時期に作っていたものを復刻した製品なんです」
「大正浪漫」シリーズのそば猪口。日本独特の成型方法でつくられる水玉柄や市松模様が、夏を涼しげに彩ります

「大正浪漫」シリーズのそば猪口。日本独特の成型方法でつくられる水玉柄や市松模様が、夏を涼しげに彩ります

「模様を出すための金型が非常に精密にできている」という「大正浪漫」は、特製の金型に入れ火にあてることで、そのままだと乳白色になるグラスの火の当たった部分が透明になるという、明治から大正時代に盛んにおこなわれていた技法でつくられています。この金型というのが厄介で、先代の達夫氏が、試行錯誤を繰り返しながら莫大な投資の末に完成させたものなのだそうです。
上段真ん中の画像のものが、特製の金型。この金型で一度かたちを凸凹にすることで、その後再びカップのかたちで整える際に凸の部分に高い温度が当たるようにします。こうして高い温度にさらされた部分だけが透明になることで、もともと乳白色のグラスに美しい模様が浮かびます(画像提供:廣田硝子)

上段真ん中の画像のものが、特製の金型。この金型で一度かたちを凸凹にすることで、その後再びカップのかたちで整える際に凸の部分に高い温度が当たるようにします。こうして高い温度にさらされた部分だけが透明になることで、もともと乳白色のグラスに美しい模様が浮かびます(画像提供:廣田硝子)

模様が違えば、金型もそれぞれ。特製の金型と職人の技術によって生まれる一品です

模様が違えば、金型もそれぞれ。特製の金型と職人の技術によって生まれる一品です

多くの投資をしてまでなぜ先代はこの技法を復活させたと思うかと伺うと、現社長の廣田さんは少し間を置いて、ゆっくりと答えます。

「この美しい技術がなくなることは、単純に、日本にとって大変もったいないことだと思うんです」

“知らず知らずなくなっているもの”がある

廣田さんは、小さい頃からガラスに囲まれて過ごしてきました。家にあったガラスは自社製品に限らず、先代であるお父様は、グラスのほか、お皿などもほとんどをガラスで揃えていらしたそうです。
たとえば花器もガラス製品のものを使っていたそうで、廣田さんはこう話してくれます。

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「日本の生活スタイルも変わってきましたよね。昔は花瓶もガラス製の大きなものが多かったんですけど、今はそんなに大きなガラスの花瓶を置いているおうちってあんまりないですよね。そうすると、ガラス職人さんたちは大きいガラスものをつくる機会が少なくなっていくんです。そうやって“知らず知らずのうちにできなくなっていっているもの”ってあるんですよね」
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「当然それは時代の流れだし、使わなくなったものが廃れていってしまうのは仕方のないことだと思うんですけども、でも、技術がなくなることがもったいないなあって。ガラスに限らずなくなっていくものはたくさんあるんでしょうけども、今後未来に繋いでいける技術が身近にあるのならば、それはなるべく残していきたい」

「もったいない」という言葉を廣田さんは今回のインタビュー中に何度も繰り返し、次のように続けます。

「それでね、いかにそれらを買ってもらえる魅力的なものにしていくか。一年、二年で終わっちゃうんじゃなくて、十年、二十年、それ以上に続くものにしていきたいんですよね」

戦後携わっていた世代の職人でないと技術的につくれないガラス

先代が「大正浪漫」を復刻させたように、四代目である廣田さんも、1950年代に廣田硝子が欧米諸国に輸出していた商品の中から「今の生活に使いやすいものを」と、東京復刻硝子「BRUNCH(ブランチ)」を復刻させます。

1950年代といえば、音楽で言えば当時10代の美空ひばりが「東京キッド」を歌い、ファッションで言えばオードリー・ヘプバーンの影響でサブリナパンツが大流行した時代。カラーテレビが1960年に登場し、東京オリンピックの開催が1964年ということを思えば、戦後日本の高度経済成長の中、「古き良き」と「モダン」が入り交ざっていたころだとわかります。
東京復刻硝子「BRUNCH(ブランチ)」のコップ

東京復刻硝子「BRUNCH(ブランチ)」のコップ

そんな時代に廣田硝子によって生み出された「ブランチ」は驚くほど軽く、薄い硝子には、星やバラ、稲、格子といった全6種類の模様がそれぞれ施されており、水を注ぐ前も、注いだあとも美しく浮かび上がります。

「昔の日本の硝子って、すごいものが多いんですよ。なんていうのか……効率や生産性だけに縛られずに、遮二無二一生懸命つくっていた商品が多いんです」
と、廣田さん。
Vol.43 廣田硝子・廣田達朗さん-東京で一番古い硝子メーカーが、今、「復刻版」をつくる理由
「でも、つくることをある日やめてしまったものだから、今回さてブランチを復刻させようとなったときも、当時つくったことがある世代の職人じゃないと技術的につくれないものだったんですよね。これだけの薄さだと、模様をカットしている最中に割れやすいんですよ。パッと見は全然できそうじゃんって思うんですけど、いえいえ、全然できないんです。戦後、こういった製品づくりに携わっていた世代の職人でないと、技術的にできないんですよ。だから、今のうちに復刻することで、後世に少しでも技術を残していければ、と。若い職人にも少しずつ関わってもらいながら、昔の良い商品をもう一度世に出すことが、今のうちにとって必要なことなんじゃないかと思っています」
薄いガラスに施されたバラの模様。美しい線と面が揺らぎます

薄いガラスに施されたバラの模様。美しい線と面が揺らぎます

復刻した製品は現在、国内だけでなく国外でも高い評価を受けているといいます。

技術がまだ残っている今のうちに、もう一度つくる、そして復刻する。一度忘れられた技術を後世に繋いでいくことは、100年以上の年月を硝子一筋に歩んできた廣田硝子だからこそできることかもしれません。

残さないと残らない、廣田硝子が残したいもの

今回の取材では、廣田硝子本社から歩いて数分のところにある「すみだ江戸切子館」にもお邪魔してきました。
仕上げをかける前の「粗摺り(あらずり)」の作業。回転する円盤状のダイヤモンドの刃に押し当てながらカットを施していきます。こちらは七宝模様

仕上げをかける前の「粗摺り(あらずり)」の作業。回転する円盤状のダイヤモンドの刃に押し当てながらカットを施していきます。こちらは七宝模様

職人さんが生地と呼ばれる硝子に文様を彫っていくところを見せてもらいながら、江戸切子館にいらした先代・廣田達夫さんにも少しお話を伺うことができました。

「江戸切子は、ガラスが一番美しく、綺麗に見える加工のひとつなんでしょうね。いろいろ色をつけなくても、カットすることによって反射が出る。ダイヤモンドじゃないですけれども、ガラスの輝きや綺麗さ、そういうものが一番表現できる方法のひとつが、江戸切子だと思うんです」
江戸切子の「蓋ちょこ」。こちらは市松模様。常に品薄の人気商品です

江戸切子の「蓋ちょこ」。こちらは市松模様。常に品薄の人気商品です

カットによって美しい模様を描く江戸切子。これもまた、廣田硝子が残したいと思う技術のひとつです。
25年ほど江戸切子を作る職人・河合さんの手元では、みるみるうちに美しい模様が浮かび上がります

25年ほど江戸切子を作る職人・河合さんの手元では、みるみるうちに美しい模様が浮かび上がります

現在すみだ江戸切子館では3人の職人さんが江戸切子に模様を彫っており、作業しているところを見学することができます

現在すみだ江戸切子館では3人の職人さんが江戸切子に模様を彫っており、作業しているところを見学することができます

こと文化の話をするときは、昨日あったものが今日もあるとは限りません。
「江戸切子」も、そして「大正浪漫」も「ブランチ」も、作れる技術があるうちにきちんと繋げていくことを廣田硝子は選びました。過去と未来を一続きにするためには、人が「忘れない」という営みを続けるしかないのかもしれません。
(画像提供:廣田硝子)

(画像提供:廣田硝子)

「どんな仕事も一緒なんでしょうけども、携わっていた仕事って、一回消えてしまうともうそれで止まってしまうわけですよ。『続ける』って簡単なように感じるんですけど、当然これは商売で、みんな酔狂で仕事しているわけではない。利益を生まないものはやめちゃいますよね。でも、やめてしまうとそこで仕事がなくなってしまうから、生産と一緒に技術もその日に終わっちゃうわけですよ。将来それをつくりたいと思う人がいても、生産技術を知らなければ本当に終わってしまう。もっと言えば、自分たちがその技術を知らないということを知らないで過ぎてしまう。だから、残さないともったいないと思うものを出来る限り続けて、残していけるように」

廣田硝子の本社には、過去に作ってきたガラス製品がところ狭しと置かれています。この中からまた、「復刻」される製品が出るかもしれませんね

廣田硝子の本社には、過去に作ってきたガラス製品がところ狭しと置かれています。この中からまた、「復刻」される製品が出るかもしれませんね

身振り手振りを交え、両手を何度も広げたり狭めたりしながら、廣田さんはおっしゃいます。
「これだけのことができていた歴史の積み重ねが、こんくらい(手を狭める)になっちゃって。本当はこれだけ(手を広げる)のことができるのに、とにかくもったいないことだと感じている。それが、廣田硝子が今、『復刻』をつくっている理由です」

「あの時代は良かった」というだけではなく、「これからも存在していて欲しい」というポジティブな復刻。廣田硝子で復刻された硝子は、そんなエネルギーに満ちています。

「人は、ガラスが好きなのかなあって思います」

少し唐突に、「硝子ってね、固体だとも、液体だとも言われているんですよ」とにっこりする廣田さん。

ガラスが液体?どういうこと?と疑問に思っていると、廣田さんは優しい口調で説明を続けてくれます。

「一般的に固体というものは必ず分子の結晶がきれいに整然と並ぶらしいんですけどね、ガラスの場合、その並びがちゃんと綺麗にできていない。その様子が、液体の分子のそれに似ているらしいんですね」
現在、一応ガラスは「液体ではない」ということは証明されたらしいのですが、固体とも言い切れないというのが最新の見解とのこと。「ガラスとはいったい何なのか」についてはいまだに議論と研究が進められているのだそう

現在、一応ガラスは「液体ではない」ということは証明されたらしいのですが、固体とも言い切れないというのが最新の見解とのこと。「ガラスとはいったい何なのか」についてはいまだに議論と研究が進められているのだそう

「ガラスは割れやすく、もろい。でも僕は、ガラスのどこか不安定ともいえる『儚さ』や『透明感』を持っているところが好きなんです」と廣田さん。

「人って、代替できる素材ができるとみんなそっちにいきがちじゃないですか。でも、携帯の画面とか車のフロントガラスとか、代替できそうなようで結局ガラスが選ばれて使われている場面は実に多い。紀元前からずーっと残っている素材がそうそうない中、2000年以上ガラスは使われ続けているんです。人は、ガラスが好きなのかなあって思います(笑)」

儚く、透明なガラス。長い間使われ続けてきたガラスは、それだけで、長い年月を詠んだ一遍の詩にも感じます。
(画像提供:廣田硝子)

(画像提供:廣田硝子)

取材が終わったあと、廣田硝子の会社のまわりを少し歩いてみました。
錦糸町のように少しノスタルジックな町には、夕暮れ時がよく似合います。夏の夕焼けは、熱せられ形づくられている途中のガラスのようなオレンジ色。そして幾度となく繰り返されてきたように、きっと明日の朝には世界も夜に冷やされて、ガラスのように透明な朝がやってきます。
廣田硝子のガラスはまさに、同じ場所で同じ時代を過ごしたわけではないのに私たちが共有している、夏の日そのもののようです。
Vol.43 廣田硝子・廣田達朗さん-東京で一番古い硝子メーカーが、今、「復刻版」をつくる理由
(取材・文/澤谷映)
廣田硝子|ひろたがらす廣田硝子|ひろたがらす

廣田硝子|ひろたがらす

廣田硝子は、2016年現在で創業117年。四代続く歴史をもつ東京で最も古い硝子メーカーであり、江戸切子の老舗。硝子の美しさに魅せられながら、世の中に広く受け入れられる商品づくり、江戸切子という技術承継、効率にとらわれないものづくりという考えのもと、東京錦糸町・廣田硝子だけにしかないものを、丁寧に作り続けている。

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