「工場(コウバ)で織るから、COOVA(コーバ)です」
今の季節なら、初夏の風になびくカーテンに見惚れ、麻のストールのひんやりとした感触に喜び、冬は冬で、厚手のウールのブランケットの心地よさにうっとり。小さな喜びに頬を赤めながらマフラーに顔をうずめたり、春の別れの場面では、そっとハンカチで涙をぬぐったりもするでしょう。
そんな布を通し「心地よく過ごすことを提案したい」と日々テキスタイルを作り出しているのは、「COOVA(コーバ)」の瀬谷志歩さんです。
手織りのような、機械織り。
使い込むほどに美しくなる麻のふきん。溶けるように織られた色と柄が魅力的です
「古いものとか、ずっと使われてきたもの、よしとされて残ってきたものは普遍的な共通した意味があるし、晴れた日が気持ちいいとか、夕日を美しいと思う人間の感覚はきっとそんなに変わっていないですよね。それって、これから百年たってもそんなに変わる感覚じゃないと思うんです。そういうものを『自分はこういう解釈をしています』という提案としてのデザインをしていきたいんです」
「作りたい布を作るために、COOVAの布は、すべて工場で織っています。コウバで織るから、コーバ。工場の古い機械で織ると、ぴっちりとした機械織りと、ゆったりとした手織りの間にあるような表情が出るんです」
そういって瀬谷さんは、肌触りを確かめるように布に触れます。
(画像提供:COOVA)
「スピードが遅いぶん、風合いが柔らかく仕上がるんです。経糸(たていと)に緯糸(よこいと)が入っていくとき、空気を含むんですね。手織りより早く織るのだけど、がっつり早いわけではない。アナログな機械なので細かく設定をしなきゃいけないんですが、そのぶんいろいろな融通がきくので、ちょっと複雑な織りもやってくれるんです。古い道具って、人間の使い方次第で遊びがあるんですよね」
工場にて。2017年の秋冬商品に使うサンプル布を織り機からカットする場面。こちらの織機は、昭和20年代ごろから使っているそう
工場に勤めて見えたことを続けている
「いろいろな素材を触ったんですけど、テキスタイルなら色が使えるし、自由度が高いと思いました。動きが出る軽いものですし、布でいろいろ作りたいなと思ってテキスタイルを選んだ感じです」
「布は、曲がるし、風に揺れるし、浮くし、透けるし……素材としてすごく自由ですよね。あのときは無自覚でしたけど。仕事としてやればやるほど自分でそういうことを自覚していきました。だから続けられるし、飽きないですね。私は、布の仕事ならどこまでもやれる」
「学生のときには手織りで織物をしていたんですけど、手織りというやりかたが、仕事としてやっていくという面で私はちょっと腑に落ちなくて。これは私にとっての話ですけども、ものが生まれて世に出るまでが、自分のなかだけで完結してしまう気がしたんですね」
しかし、みやしんで働くようになった瀬谷さんは「自分のやることの前と先に誰か別の働く人がいる」ということに、仕事としての流れを感じます。
「発注先だけではなく、私たちの前には糸を作っている人たちがいて、その糸で私たちが織ったものを洗う人がいる。そして、生地として使うメーカーさんもいる。量産体系のある産業として確立していたんですね。なおかつ一番衝撃だったのが、織物で食べている、織物を生業としている人がここにいる、ということでした」
「流れのなかで、一点ものや手織りではなくて、ある程度量産できるプロダクトとしてやりたい。そのうえでいいと思えるものを織るために、工場で織る、というやり方が私にはあっていましたね」
現在は独立したブランドとして織ることをお願いしている立場ながら、「工場で織る」という行為への信頼の気持ちは今も変わらないといいます。
そんな瀬谷さんに、当時の社長は「自社ブランドとしてやってみなよ」と声をかけます。それが、現在まで続くCOOVAの誕生でした。
その後みやしん株式会社は、COOVAが誕生して一年ほどで残念ながら廃業。瀬谷さんは、「やりたいことは変わらない」と、ブランドの引き継ぎと独立を決意しました。
「今も目的は変わってないので、その名前にしたのはよかったな」
余談ですが、みやしん株式会社の工場跡地は現在、文化学園により「文化学園ファッションテキスタイル研究所」として使用されているそう。所長はもちろん、瀬谷さんとともにCOOVAを立ち上げた当時の社長・宮本英治さん。無数の布地が織られてきた工場で、今後のテキスタイルのありかたを学生たちが学び、考えているのでしょう。
工場で、織り上がったサンプルを真剣に確認する瀬谷さん
この日は、瀬谷さんが一緒にものづくりをしている八王子市の工場にもお邪魔させていただきました。
カン、タタン。カン、タタン。タン、カタン、と、布が織りなされていく音が大きく響きます。
現在瀬谷さんがストールなどを主に織ってもらっている八王子の工場は、みやしん株式会社時代の縁で知り合いました
どう織るのかを機械に指示する道具。開いている穴のもとになる設計は、織り機の特性や素材、できあがりの風合いを考えながら、瀬谷さんがおこなっています
模様は違いますが、こちらが設計とサンプル生地を一緒にした試験データです(画像提供:COOVA)
アナログな織り機によって、経糸と緯糸が空気をはらみながら合わさっていきます。機械で織るとはいいつつも、よい布が織れているかの確認や作業など、人の「目」や「手」が重要です
また、くり返して作れる定番ものの依頼などをするうちに、信頼関係を築いていったのだそう。
少し間をおいて、瀬谷さんはこう笑います。
「まあ、ほかのお客さんと比べて『めんどくさい柄だなあ』と笑われたりはしますけどね(笑)」
そんなやりとりもまた、信頼関係によるものなのでしょう。
作り出されるものに、説得力があるように
「自分が以前工場にいたというのもあるんですけど、工場で、ああいうふうに織ってくれるのを見ているので、やっぱり端切れだってどうにかしたいなあと思うんですよね」
中ワタキルトのマットや鍋つかみを作る際に出た端切れ。この布は愛知県の工場で織られています
「私が工場で働いているときに感じたのは、デザイナーやメーカーがいるなかで、織物の工場はすごくおもしろい立ち位置のおもしろい仕事だということ。でも同時に、とてもすごいものをたくさん作れる場所だけど、製品ができあがる過程において、業界内であまりにも平等ではないと感じることも多かった。だれもが実はわかっていることだけど、具体的にはいいづらい問題だと思います。でもほんとは、そこは逃げられない問題だとも思います」
多くの人が関わりひとつのものを作り上げていく、という生産方法では、織物業界に関わらず、賃金・分配に差が出ることは現在の経済システムでは避けられないことかもしれません。しかし、出来上がったものの値段に比べ、関わった人すべての労力と技術がどのくらい正直に反映されているかという話は、「ものづくり」業界全体が気づき始め、少しずつ改善しようとしているひとつの課題だといえるでしょう。
だから、正当な理由がない限り「絶対に」値引きはしない。それを自分がしちゃったらおかしいから、と瀬谷さんは言葉を重ねました。
こちらは、後日瀬谷さんから届いた写真。ミシンで端切れを縫い合わせています。どんどん大きくなって、一枚の布として使える日がくるのでしょう(画像提供:COOVA)
「それを巻いて気持ちいいかとか、素敵だと思ってくれる色かどうかとか。私はまず、使う人ありきの商品を作っているので、工場のために、という考え方の逆転はしたくないですね。いままで自分に『工場』をキーワードにする経緯があったというのは事実ですけど、今一番大事にしたいのは『もの』です。いいか悪いか。心地よく思ってもらえるかとかね」
ブランディングのツールとして工場や職人の話をするのではなく、素晴らしいものを作ると思うからこその「工場で織る」という選択。だからこそCOOVAの布は、ものとしての説得力と自由さを失わないのでしょう。
「だから、誰かにこういう気持ちになってほしいなって思うとすると、布を通して人に伝えることができる。『柔らかさにほっとしてほしい』『身に着けることで季節を感じてほしい』『このカーテンをみたときに涼しいなって思ってほしい』――。そのために使うツールとして、繊維は私には一番あっていると感じるんです。やれば、やるほど」
ふっくらとした感触に、見ているだけで温かくなるような大判ストール。少しアナログな機械織りだからこその表情です。ハンカチについたフリンジも素敵ですね
「素材や色、テクスチャーを使って、自然の中に身を置いたときに感じるような感覚を使う人に与えたいです。カーテンやインテリアファブリックにももっと挑戦したいですね。身につけて心地よかったから、これでカーテンも作ってみた、とか、自分だからできるいろいろな角度からの自由な発想で広げていきたい」
一年を通し、心地よく過ごすことを瀬谷さんは布を通して提案してくれます。
経の糸と緯の糸で形づくられていくCOOVAの布たち。それはまるで工場と瀬谷さんの織りなし合いにも見えるかもしれません。
『このカーテンをみたときに涼しいなって思ってほしい』と作られたカーテンは、気持ちよく風に揺れていました
「この仕事が好き」だと笑顔になる瀬谷さんが作る布は、正直で気持ちのいい仕事がにじみ、織り込まれていました。しかしそれでも私たち使い手が肌に感じるのは「心地がいい」の一点で、出来上がるまでの背景のストーリーを含まずとも、プロダクトとしての説得力がそこにはあります。COOVAはそうして、作り手である瀬谷さんのように淡々と、今後も毎日に寄り添ってくれるのでしょう。
(取材・文/澤谷映)
(画像提供:COOVA)